MUSIC

Josey Wales

 
   

Interview & Photo by Shizuo”EC”Ishii Translation by Ichiro Suganuma

2018年3月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

80年代ジャマイカを代表するギャングスタ・ディージェイとして知られるJosey Wales。アーティスト名もクリント・イーストウッド主演の「アウトロー・ジョジー・ウエルズ」から取ったもので、曲もキングストン・ゲットーのハードコアなものが多い。しかも自身が3度も銃撃され弾をくらいながらも奇跡的に生きている名実ともにタフな男。初来日は1994年のoverheat主催のSUPER BASHである。その時はアメリカのVISAが取れずカナダ経由で来日させた。

●久しぶりだね!俺がJoseyの初来日をやってからもう24年が過ぎたね?

Josey Wales(以下、J):ああ、久しぶり。 この時代はいい時代だった。アルカイダやISISのようなテロリストになりたい奴なんていなかった。時代は変わっていく。そして音楽も変わった。全て変わってしまった。お互いのリスペクトを失いつつあると思う。今はHustlinだらけだ。誰のこともお構いなしなんだ。

●今日は色々聞くけど、答えたくないことは答えなくていいよ。

J:発言したことが全てだから何でも聞いてくれ。マイクを持つようになると何を言うか注意深くならないといけない。自分はどこまで発言していいか分かっているから問題ないよ。

●久しぶりの日本ツアーはどうだった?

J:いい感じだった。ダンスホール・スタイルのラバダブ。ナイスだよ。広島、神戸、沖縄など全国9カ所を回った。昨夜の東京で最後だった。稼げたってわけじゃないけどいい時間を過ごせたよ。自分にとってはそれこそがとても重要なんだ。

●子供時代について話してくれる?

J:俺の生まれは良くないから言える経歴なんて何もないよ。セント・メアリー教区で生まれたストリートにいるただのルードボーイだった。あの頃はヒゲを生やしたかった。当時のギャングのリーダーだったClaude Massopみたいに有名になりたかった。ずっと貧乏でいる気はさらさらなかったからな。一つの靴だけでは足りないからもっと欲しかった。貧乏のせいで子供が泥棒したり、人々が望まないようなことをするだろ。あれは愛を欲しがってるんだ。物も欲しかった。といっても過剰に欲しかったわけじゃない。ただ必要最小限にだ。靴が一足だけじゃ十分じゃないだろ? 今あるのは感謝を忘れず道を外さなかっただけだ。

U-Royが俺のアイドルだった。King Tubbyもよく聴いてた。今ではU-Royと話す機会がないけれどね。彼はディージェイのゴッドファーザーだ。偉大だ。俺が言うまでもないさ。もちろん我々に違いはあるけれど、子供の頃は彼に憧れて育ったんだ。全てのディージェイがU-Royと同じように聞こえる。皆全てだ。最近出てきたやつもそうだ。文法に違いはあるかもしれないが、あの音の響きはU-Royが生み出したんだ。例えばすべてのシンガーはDennis Brownのように歌いたいと思うようにだ。King Stitt, I-Roy, Roy Shirleyらも憧れだったが、U-Royは全てのディージェイが憧れる存在だった。

●どうしてU-Royと話さなくなったの?

J:俺には全く分らないな。あの時代のラスタにはラスタの身だしなみというものがあって、若くて貧しかった自分でもクラークスの靴や身につけていたアイリッシュのシャツやカフリンクスに誇りがあった。今の世代だとBeyonceみたいになりたいって思うようなことだな。あの時代はU-Royがそういう存在だった。Big Youthや赤、緑、金(ラスタカラー)や、ドレッドロックス、ベルト、フェルト生地だったり、ダイヤモンドソックスにクラークスだったりね。

●音楽はどうやって始めた?

J:先人たちを聴いて始めたのさ。悪さをするより音楽が好きだった。自分は話しをするのが上手くて人々を笑顔にできるって分かった。自分のイメージはラフかもしれないが本当は愛情溢れた人間なんだよ。内面は人々に対する深い愛がある。

ディージェイを始めたきっかけは、Big YouthやU-Roy、I-Royらのおかげだ。俺たちは彼らのイミテーターだ。自分自身のスタイルを見つけるまではね。自分の後に出てきたほとんどのディージェイは自分を模倣した。ディージェイでスタイルを生み出す必要がなかったのはU-Roy, Big Youth, I-Roy, Roy ShirleyとKing Stittだ。彼らがスタイルを作ったんだ。ラップ・ミュージックもそうだ。Kurtis Blowがジャマイカンのディージェイの真似をしたりして始まったんだ。Afrika Bambaataaもね。分かるだろ?

●U-Royのサウンドシステム、King Stur Gav HiFiで歌うようになったのは?

J:自分はRoots Unlimitedというサウンドをやっていたんだ。 Waltham Park Roadが地元で、自分とBurro Bantonがそのサウンドのディージェイだった。自分はカルチャー的なディージェイではないからルードボーイやギャルが遊びに来ていた。俺がクレイジーなことをディージェイするからだ(笑)。

ある時WaterhouseでRoots Unlimitedをやってる時に、U-Royが俺のディージェイを聴いていたんだ。それで彼の友人からU-Royが会いたがっていると言ってくれて、Stereographのダンスに行ったら、Charlie Chaplin(ジャマイカのディージェイ)やU-Royがいて俺は2曲ほどディージェイした。彼らは気に入ってくれた。でもそこが問題だったんだと思う。今でもそう思う。意外に俺は謙虚で慈愛深い。例えば君の家を訪れて椅子を出されても、自分は断って自分は床に座るタイプだ。俺には階級がないしエチケットも知らない。ジャマイカ人は大体その人がどういう人と一緒にいるとか着ている服で人を判断する。俺はU-Royのことを尊敬していたから、自分のバッドな部分や自分の音楽をトーンダウンしたんだ。元々のRoots Unlimitedでの俺は荒々しいことをディージェイしたり、今の奴らと同じような、例えばDexta Dapsのような新しいアーティストのような感じだった。でも、U-Royを尊敬していたし当時ラスタマンは影響力があった。年配の人でもあるU-RoyやCharlieのスタイルに寄せたんだ。それがKing Star Gavの頃の話だ。彼らはどっちかというとラスタで、自分はルードボーイとかバッドギャルとかそういう感じだったのに、俺は彼らに合わせたんだ。それが自分とU-Royの運命だった。俺はその頃のことを後悔してはいない。もう戻ることはないけどね。

●あなたのヒット曲「Kingston Hot」で“彼らが来て自分の子供やお婆さんが殺される”と歌っているのは本当の話?

J:“Them kill me pickney an' me ol granny“の歌詞は自分の家族のことではないが実話に基づいた話だ。ほとんどの曲はリアリティが基になっている。リアリティをツイストしてユーモアを入れるんだ。そのリアリティは直接個人的ではないかもしれないけれど、身近な周りで起こっている実話なんだ。

あれは“Kingston Hot”っていうぐらい本当に熱かった(ヤバかった)んだ。Olympic Wayのダウンタウンは人でごった返していた。毎日人が殺され、拳銃での争いも政治的な争いも日常茶飯事。ピンプやリベラル、色々なやつらがいた、そういうことを歌っているんだ。だから実際に俺の子供や婆ちゃんが殺されたわけじゃないけど、近所の子供が殺されたり、友人の子供だったり、婆ちゃんだったり、父親が殺されたり、家が燃やされたり、ピンプもリベラルも家を失った。多くの皆が(政治の)システムの犠牲(800人近くが死亡)になっている時代だったから、そういったことをハイライトにしてコメントをのせたんだ。過去現在未来の子供達に70年代から80年代に移っていくあの時代に何が起こっていたかを伝えるためだ。それがリアリティーだった。

決して俺は自慢や誇張をしているわけじゃない。若くてバカだった。警察なんて殺っちまえくらいに思ってたよ。自分はすごくラフだったからね。でも実際はやらなかった。俺は車に乗ったらシートベルトをする。例えば今アメリカに行って誰かが喫煙していたらその場から遠ざかる。年齢を重ねると責任感も出て人生における事実の知識も深まりトラブルを避けるようになる。過ちとわかっていて罪を犯すようなことは防ぐんだ。やっちまって運が悪かったみたいなそんなことは許されない。だが誰も完璧なわけじゃないが。

自分は今日本にいて9つのショウがあって時を過ごしている。大コンサートではなくクラブでの身近なショウだった。さらに10月8日が自分の誕生日だからその9つのショウをずっと祝うことができた。自分で自分のドリンク代を払って一ヶ月ぐらい誕生日を祝うジャマイカンみたいにね。最高だろ。人生で最高なのは幸せだってことだ。時にこうやって遠いところに出向いてショウをする。そして人々に会うことができる。昨夜は知り合いのRankin Taxiに会って、一緒にギグをした。素晴らしい時間だった。ある子供とその家族も来ていて、自分の歌をラバダブするぐらい歌詞を覚えていたんだ。最高の時間だった。ビューティフルだった。自分はこのビジネスからそんな大金を得たわけじゃないが、この人生を生きていくためには十分だ。

Big YouthやAlton Ellis、Gregory Isaacs、John Holtらが一年間かけて稼いだお金を今のアーティストたちなら一ヶ月で稼ぐかもしれない。たぶん今の音楽ビジネスで動くお金はまるっきり桁が違う。俺はたくさんの曲を出して今までダンスホールをやって来た。蔑視するわけじゃなく今のアーティストたちは出てきてすぐミリオン、豪邸にロールスロイスだ。でもそれを怒ってちゃいけない。そうやって変わっていくのが常だからな。だからある時期に得られたものに対して感謝できるんだ。

俺は俺に対する敬意を気にかける。尊敬されないぐらいならお金なんてない方がいい。なぜなら俺は今でもジャマイカのストリートにいるからな。俺は携帯も以前のタイプを使っていて毎日魚を2回料理するようなルーツ的な生活をしている。

音楽活動に関してもお金をもらってショーをキャンセルしたことはない。飛行機が飛ばなかったりすることはあるが、飛行機に乗り遅れたことはない。肉体的にできるかぎりの最善をつくして後は運と魂を神に任せる。今自分は日本にいてこれからイギリスに行き、その後、初のワルシャワに行きジャマイカに戻る予定だ。大変なこともあるが俺は楽しんでいる。それがレゲエがもたらしてくれる恩恵だ。ジャマイカのストリートでたむろして自分が頭がいいと言ってるだけでは何もならない。そこにいるだけではダメなんだ。

●今までで一番ハードだった経験は何ですか。

J:俺は過去の傷を振り返ることを良いとは思わない。それは苦しいし気分が良くない。悪い思い出やネガティブな過去の行動は二度と巻き戻したくはない。だから頭から消し去るようにするのさ。自分には養う家族がいる。自分の人生に貢献しない過去にかまってる時間はない。俺は音楽や友達を作りたい。だがレガシーを遺したいわけでもない。ただ幸せに生きたいだけだ。どう生き感じ息をするかなんだ。

今は時々右足や肩が痛かったり目は現在も治療してもらっているけど、それが人間ってもんだろ。足を失ったり失明してしまった人たちもいる。そう考えたら感謝しかない。自分が明日片足を失ったとしたらもう片方の足で歩くことができるように練習するよ。義足が必要なら買う。自分はハードワーキングな男だからな。それが人生ってもんだろ。

●Sugar Minottが亡くなった後、あなたは自分用の棺桶を用意したと聞いたけど。

J:そうだ。Sugarのことがそのままの理由ってわけではないけど、Sugarが亡くなった後にそうした。たとえ何千億ってお金を残せたとしても相続する家族や近親者にどう使われるか分からないさ。だから自分のカネで棺桶を作った。こっちの世界と死後の世界の両方を同時に知ることはできない。水曜日に飛行機に乗る予定でも、前日の火曜日に死ねば乗ることはできない。俺は生きている人間でまだやりたいことが沢山ある。死にたいから自分の棺桶を作ったんじゃない。まだもっと楽しみたいし、美しい女性も大勢いる。それに歌いたい良い歌がある。ナイスなシャツを身につけたいしブーツだって。

●何度か撃たれたことと棺桶は関係ない?

J:それが理由で棺桶を作ったわけじゃない。確かに俺は3回撃たれたことがある。最後に撃たれたのが1997年2月5日の水曜日だ。その出来事を歌った「Bush wacked」はその年のNo.1ソングになった。言った通り曲はリアルだ。撃たれて病院に運ばれて、そのことを歌っていたらそこにいた皆がレコーディングして出そうって話になったんだ。だからこの曲「Bush wacked」はラブソングよりリアルだ。俺はそうやって受け入れられたことが嬉しかった。世界中の人から手紙をもらった。

こうして歳を経て分かって来たことは、たとえ厳しい環境でラフに育ったとしてもしなやかに協調し合理的に理解しバランスを取ることができるということだ。そしてこの人生はかけがえのないものだと知る。でもあまり真剣には考えないことだ。だって人生はジョークみたいなもんだろ。笑うべきだ。どんな状況でもだ。聖書を読むと心配することは罪だと書いてある。何かのことを深く心配し過ぎるとその心配事は決して消えない。心配し過ぎて気を取られ、道を歩いていて車が来ているのに気づかずにひかれて死ぬことだってあるかも? だから俺は心配せず生きるだけだ。

●80年代のJoseyの重要なプロデューサーだったHenry “Junjo” Lawesについて思い出などを。

J:“Junjo” Lawesは素晴らしいプロデューサーだった。彼は学校で音楽を学んだわけではないから譜面も読めないしルードボーイだったけど、ヒット曲が分かっていた。彼はバッドだ。そして神が彼に授けた魂は愛に溢れていた。彼は数多くのアーティストを輩出した。Yellowmanもそうだ。John Holtがキャリアの坂を下っていた時にあの曲「Police in Helicopter」で復活させた。Alton EllisやDennis Brownたちも皆集まっていた。尊敬するCocoa Teaを“Junjo”のところに連れていったのは俺だ。 “Junjo”が曲を聞いた途端に「ヤバイ!」と思いすぐギャラを払ってスタジオで録音したんだ。清くていいボスだったが残念なことに何が原因か、イギリスで撃たれて死んでしまった。“Junjo”を何度も夢にみたことがあるくらいさ。いい奴にも悪いことが起こり得るってことだ。それは誰もコントロールできないんだ。

学べることがあるとすれば、年齢を重ねかけがえのない何かを守るためにはある時点で生活を改めることを恐れてはいけないってことだ。Bob Marleyが「Punky Reggae Party」を出した頃の話だ。「Pimpers Paradise」とかでボブが白人ぽい曲を歌い始めたと言いわれた時にジャマイカ人が少し離れた時があった。セルアウトだってね。でもボブがそういったチャンスを恐れたり人々の声を気にしていたら亡くなって三十年以上も経った今なおこれだけのアイコンでいられるわけがない。自分の本能に従って思いっきりやってみることが大切なんだ。音楽においてだけどね。でなければ不幸にも逮捕されて投獄されたりして人生をもう一度やり直すしかない。間違いは2度起こしてはならない。孤立や差別化でもない。今の自分は、一足の靴しかなくて何も恐れていなかった昔とは違う。ジャマイカという300万人しかいない国でもなんとか認知されてなんとかやっていけるくらいは好かれている。鏡で自分を見て、自分がこの世界に少しは意味があるんだということに気づくんだ。

●好きなレゲエのアーティストを教えてください。

J:自分は若いやつらも好きだ。全てのユーツだ。Shabba Ranksは自分を見て育ちそしてスーパースターになった。そしてJimmy Cliffも好きだ。今だとBounty Killerが自分より若い世代のジェネラルだ。Beenie Manはリリック的にはそうではないかもしれないがステージパフォーマーとしては最高だ。彼はジャマイカのマイケル・ジャクソンみたいだ。そして今アーティストで一番有能なのはBusy Signalだと思う。彼の持ってるポテンシャル、仕事に対する姿勢を見ていると彼はトップまでいくと思う。全員に幸運を祈っている。

自分は昼夜Frenz For Realスタジオにいる。そのスタジオのオーナーではないが所有権の一部を持っている。多くのアーティストが録音していて、Busy Signalとのコンビネーションもそこで録音したばかりだ。そこは3つスタジオがあってジャマイカの現在の音楽の95%はそこを通じているといっても過言じゃないくらいさ。業界のトップの奴らがいつもくる。Benji(Omar Benjamin) と何人かが小さなスタジオを始めてそれが広がった。

●レゲエをやっていて今後はどうありたいですか?

J:自分がやれることを向上させてもっとレゲエの友達を増やしたい。そして自分の基盤を広げたいと思っているよ。自分は決していいビジネスマンとはいえないが優れたアーティストではあるんだ。例えばBusy Signalとの曲は、自分がリリックを書いて彼と一緒にやりたいとオファーしたら彼は受けてくれ、何か直すことがないかと聞いてもこのままがいいと言った。彼らは俺のリリックが奴らの世代と同じように聞こえると言う。いったい何が古くて何が新しいっていうんだ? レゲエは永遠だろ。ダンスホール、ジグ、アイランドミュージック、どのように呼ぶかは自由だが結局レゲエなんだ。

ジャマイカンディージェイのトップ5の楽曲、例えばイギリスのPapa Levyの「Mi God, Mi King」, Super Catの「Sweet For My Sweet」, Junior Kellyの「Love So Nice」、Beenie Manの「Nuff Gal」、Vybz Kartelの「Summer Time」全てダウンノートのキーが重要なんだ。

●ジャマイカの音楽は今後どうなっていくと思う?

J:預言者ではないからなんとも言えない。レゲエが一番上にあってほしい。もしそうならなくとも世界の音楽にとってレゲエが重要であるということは間違いない事実だ。Peter Toshが何を歌っていたか覚えてるかい? 「Legalize it」だろ。警察に腕を折られたりしながらも大麻の正当性を主張し続けた。月日が経ち現在はどうだ。合法化された。Marcus Garveyだってそうだ。彼はアメリカに行きMartin Luther Kingに黒人解放運動について説いた。目標が達成されるときにMarcusは生きていないが彼は皆と共にいる。自分はその中のほんの細胞分子くらいの小さな役割を果たすことなんだ。このレゲエの世界でね。

音楽に良い悪いなんてない。俺はあらゆる音楽が好きだ。Boy Georgeだって、Usher、Beyonce、Nat King Cole、Jim Reeves、音楽なら何でも聴く。年々少しずつ音楽が早くなって卑猥になりルードになってきている。すごくラフで手に負えないくらいだ。リリックもタフすぎる。俺はそれが嫌いではないし好きで楽しんだりする。ただラジオでプレイしてほしくない。子供がそこから学ぶからな。ダンスホールや閉ざされた会場だったら構わない。それを若くまだ何が正しいかわからない者たちに聴かせたくはない。だから若いエンターテイナーに俺は助言する。違う仕方を考えろってね。でも、世界は変わっちまった。人々が違うマインドを持ってるみたいだ。俺が何を心配してるか分かるか? 今は世界が創造するよりも破壊したがっているように見える。孫たちの世界が気になる。

●今日(10月16日)のジャマイカはNational Heroes’ Dayです。Joseyに今日は国民栄誉賞が授与されたんだよね。ホントにおめでとうございます!

J:そうだ、たった今政府がOrder of Distinction (OD)を授けてくれたんだ。6番目に位の高いオフィサークラスの勲章なんだ。ラスタファーライ。全なる神に感謝だ。