MUSIC

dubforce

 
   

Text by Takeshi Fujikawa

2016年4月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

 ダブフォースは、元ミュート・ビートの屋敷豪太(ドラムス)、ダブマスター・Xこと宮崎泉(ミックス)、増井朗人(トロンボーン)の3人を核に結成された。過去2回のソロ・ライヴに参加したのは、Watusi(ベース)、アイゴンこと會田茂一(ギター)、巽朗(サックス)、エマーソン北村(キーボード)の4人。それにデビュー・ライヴではトランペットには多田暁、2回目では多田に代わってオレスカバンドのSAKIがプレイした。レゲエ・フィールドでの活動も盛んなエマーソン北村や巽朗の参加は意外なものではなかっただろうが、Watusiや、朝本とはラム・ジャム・ワールドで活動していたとはいえ、アイゴンの参加を意外に思われた方は多いかもしれない。Watusiは今でこそダンスミュージックのクリエイター、DJとして活躍中だけれど、古くからベーシスト、アレンジャー、プロデューサーとして活躍してきた人物。屋敷の後のミュート・ビートのドラマーだった今井秀行とコンビを組んでいたこともある。アイゴンはエル・マロ、FOE、LOSALIOSでの活動や、木村カエラや柴咲コウのツアー・メンバーなどでも幅広く活動中だ。ダブフォースのメンバーたちがこれまで一緒にやってきたアーティストたちをざっと記すだけでも、相当な迫力になるだろうが、経歴だけで実力は折り紙つき、なんていう気持ちはさらさらない。でも、これまでのライヴをすべて見てきた僕が言うが、その素晴らしさは保証する。今回はその中核の3人に伺った話を交えつつこの新バンドを紹介したい。

「バンドがいいとね、手間がかからないから判断に余裕ができるんだよ。ここってところで手が伸びる。」(宮崎)

 14年9月、元ミュート・ビートのキーボード奏者、朝本浩文が不慮の事故で今も意識がない状態にあることは皆さんご存知だろう。

「みんなが手弁当で、売上を全部渡すっていう朝本のためのイベントやりたかったんだよ。誰かが儲かるんじゃなくてみんなが手弁当。それで石井さんに相談した」(宮崎)

 石井さんとは、ミュート・ビートをマネージメントしていたオーバーヒートの代表。同じ時期に、朝本と親交のあったドラマーの伊藤直樹たちも朝本へのイベントを企画していたので一緒にやろうということになり、2015年3月19日開催のAsamoto Lovers Aidへとつながった。そこにはリョー・ザ・スカイウォーカー、シュガー・ソウル、いとうせいこう、宮沢和史といった朝本に縁のあるアーティストが集まり、UAはカナダからのヴィデオ・レターで参加、朝本へエールを送った。この時のステージを支えた朝本に縁ある演奏家たちがダブフォースの母体だ。
 日本で今ほど広くレゲエやダブが広く聴かれるようになったのにミュート・ビートが果たした貢献はとてつもなく大きい。80年代、ミュート・ビートの活動は、レゲエやダブの魅力を多くの人に伝え、レゲエやダブに興味を持つ演奏家を増やし、後にレゲエ、ダブ・バンドを誕生させる発火点となった。それとともに最も重要な点が、それまで日陰の身であることが多かったエンジニアの重要性に関心を向けさせたことだった。エンジニアをメンバーにしたバンドというのは、ぼくの知る限りミュート・ビートが最初だ。スタジオ・アートであったダブをライヴの場で披露するためには、エンジニアがメンバーであることが必須だった。
 ミュート・ビートが精力的に活動したのは80年代のそれほど長い期間ではなかったにもかかわらず、短命だったことを感じさせないのには、いくつか理由がある。最大の理由が、ミュート・ビートに在籍していた人たちのその後の活躍だ。80年代のミュート・ビートは知らなくても、その後のメンバーたちの活躍からミュート・ビートの存在を認識しているという人は驚くほど多い。

 「Asamoto Lovers Aidでやった時のバンドがとても良かったんだよ。元ミュート・ビートの僕らがやるんだからダブも継承して、いろんなゲストも入ったけどダブを絡ませて。それがすごく楽しかったの。ミュート以降、ダブのバンドってなかったわけじゃないけど、縦横無尽にダブやれるバンドってそうあったわけじゃないじゃない? でも僕らはできちゃうわけで、この気持の良さは1回じゃ終わらせるべきじゃないよねっていう話になって、続けたわけ」(屋敷)

 ダブフォースは、これまでに2度の単独ライヴを行った。レゲエ、ダブというとドラムとベースを軸としたリズム・セクションの妙が評価の軸になることが多く、ダブフォースの魅力もそこにあるが、僕が最も印象に残ったのは、ホーン・セクションの素晴らしさ、アンサンブルの美しさだった。ダブフォースは、トロンボーン、サックス、トランペットからなる3管編成だ。

「インストでホーンがメロディをやるときに主メロになるラインって基本的にはひとつ。ミュート・ビートの時はこだまさんのトランペットのメロディーラインがあって、それを活かしつつリズムの感じとかスピード感に合わせて、僕のトロンボーンを変化させる。ユニゾンから上に離れていったり下に離れたり。主メロがあって対旋律がある基本はこれなんです。」(増井)

 ミュート・ビートは、主に主旋律を担当するこだま和文という存在があっての2管だったわけで、典型的なホーン・セクションではなかった。しかし、ダブフォースは、ホーン・セクション然としているにもかかわらず、いわゆるレゲエ・バンドのホーン・セクションとは一線を画している。レゲエ・バンドのホーン・セクションは、型にはまって単調なものが多いのだが、ダブフォースは違う。

「伝統的なレゲエのホーン・セクションだと基本は3度積みなんですよ。主旋律に対して上と下に3度とかね。僕らはスタート時点では上に3度、下に3度なんだけど、例えば、下のパートは上に上に動いていって、上のパートは下に下に動くような対旋律で動いていて、響き方が一定にならないようにしてる。(増井)

 このバンドが素晴らしいのは決してホーン陣だけではない。経験豊かなミュージシャンたちが一緒に演奏することで起こす化学反応もある。メンバーの共通点があるとすれば、彼らは、ダブ、引いてはレゲエを共通理解としつつ、それ以外の音楽もキチンと聴いてきた人たちということだろう。

「メンバーたちは、引きの美学わかってるからね。隙間が怖いから埋めてくミュージシャンが多い中で、あえて埋めずに引く。埋めることが何かを殺しているのを理解している」(宮崎)

「レゲエをそのまんまカヴァーするなら本物聴けばいいじゃん。僕らが好きだったレゲエ以外のジャンルのアーティストでもレゲエが好きでレゲエの曲があったりするし、当時はわかんなかったけど今ではなんでレゲエだったのか紐解けた部分がある。そんなことを含めて、カヴァーするにしてもアーティストのバックをするにしてもダブフォースの感触でやったらどうかって思うんだよね。」(屋敷)

 ダブフォースは、ライヴでダブやルーツ・レゲエの名曲も演奏したけれど、ツボは外さない。レゲエの演奏は実にレゲエらしい。僕はレゲエ、ダブという音楽は様式美の世界もあって、外すととたんにかっこ悪くなっちゃうところがあると思うのだけれど、ダブフォースのレゲエ、ダブにはそんなところはない。しかし、非レゲエの曲を演奏するときにも、レゲエらしさを湛え、あえて踏み外す楽しみも伝える。過去のライヴでは、ダブ、レゲエ以外にも、ニュー・ウェイヴ期のあんな曲や、まさかのあの曲まで披露してくれたけれど、それは聞いていてとても楽しいものだし、優れた演奏家たちがそろったからこその化学反応の結果に違いない。ダブやレゲエを基軸としながらも参加メンバーたちの幅広さが感じられるのだ。こんな手練たちの演奏をまとめ、最後にダブの魔法をかけるのがダブ・マスターX。

「ダブちゃんのすごいとこはダブじゃない。出音。僕の友人の感度の高い人、耳のいい人、みんな、ダブちゃんの出す音を、声を揃えて『音がイイ』って言う。」(増井)

 二十数年前の記憶を遡ってもミュート・ビートは、音がいいバンドだった。でも、ここ最近のダブフォースの演奏を聴くと、確実に進化している。みんなが経験を積みながらいい年の取り方をしてきたのだと思う。そして経験を重ねたメンバーたちが、新たな邂逅を重ね、いろんな人を巻き込みながら新たな化学変化を楽しませてくれるそれこそダブフォース。一例が、Asamoto Lovers Aidとデビュー公演で披露された宮沢和史の「島唄」。そこでの「島唄ダブ」はダブフォースと宮沢でしか生み出せないものだった。3月公演では、それが元ちとせの参加だった。

「元ちとせさんは、ダブフォースにすごく嵌まった。レゲエ界ではない人を呼んで、ダブフォースで料理するっていうのは、そのアーティストのファンにも喜んでもらえると思うんだよね。今後、選曲ももっと攻めて行きたいし、オリジナル曲も増やしていきたい。」(屋敷)

 さる3月8日に開催された公演から、いとうせいこうを正式メンバーに加えたダブフォース。日本だけ相手にしてるんじゃなくて海外も視野に置きたいし、なによりも広く聴かれたいというメンバーたち。ダブという音楽・手法を、ライヴの現場でどのように発展・応用させていくのか実に楽しみだ。これからもさらにいろんなアーティストを巻き込みながら突き進んでくれるはずだ。

ダブフォースがあなたと共にあらんことを。