MUSIC

MUTE BEATの切り拓いたダブの地平

 
   

Text by Takeshi Fujikawa Photo by Hiroshi Nirei, Shin Hada

89年に解散したミュート・ビート、すでに35年が経過しても全く古さを感じさせないどころか、輝いてさえいる。ついに4タイトルがCDとアナログで再発されるが、特筆すべきはスタジオ・レコーディング作品だけでなくライブ盤もついに初アナログとなる。ミュートはライブ・ダブ・バンドだったからこそ、このライブ盤をぜひ聴いてみてほしい。
藤川毅さんが2017年にパンフレット用に書いた原稿を修正し、素晴らしい写真(仁礼博、1989年のNY公演写真は波田真)とともにアップする。

 
 
 
 

 ミュート・ビート。その名前をバンドにつけた時点でそのバンドが人々の記憶に残ることが約束された感があるほど素敵な名前だ。
 ミュート・ビートの歩みを振り返ると、自らの発想を大切にし、それを実現しようとしてきたバンドの姿が浮かぶ。彼らの歩みは、結果的に「日本で最初の」とか「世界初の」と評価されることとなるわけだが、活動中に爆発的な人気を獲得したわけではなかった。しかし、活動を終えて四半世紀を超え、彼らほど、いまでも日常的に聴かれているバンドも少ないかもしれない。
 ミュート・ビートは、ルード・フラワーというバンドで活動していたこだま和文、松元隆乃、屋敷豪太らを中心にスタートした。初のコンセプトは「こだまのトランペットを核としたインスト・バンド」。82年9月の原宿クロコダイルでの初ライヴ以降、同年にオープンした日本のクラブカルチャーの先駆けだったピテカントロプスを拠点にしつつその知名度を上げていく。

 
 

 ルード・フラワー~ミュート・ビート以前に日本にレゲエ・バンドがなかったわけではない。しかし、80年代初頭、ダブ~インストに特化したバンドというのは世界中を見回しても例がなかった。
またレゲエのイディオムを汲むのではなく、パンクやニュー・ウェイヴ、ヒップ・ホップといった新しい価値観を提供する音楽に呼応するかのように活動したことも革新的だった。活動の拠点としたのが、ライヴ・ハウスではなくピテカントロプスというクラブであったこともミュート・ビートの特異性を際立たせることに繋がった。

 70年代の後半にはレゲエの世界においてダブのアルバムが多くリリースされていたが、70年代末から80年代に入るとダブという音楽への注目はレゲエというジャンルを超えて高まりつつあった。スリッツやポップ・グループがデニス・ボヴェルと手を組み、フライング・リザーズやXTCのアンディ・パートリッジなどニュー・ウェイヴのアーティストたちがダブを意識した作品をリリースし、ミュージック・マガジン誌は80年4月号でダブ特集を組んだ。とはいえ、今のダブに対する理解には程遠い状態で、一部の人たちがダブに魅せられていた小さな世界だった。そんな時代だったが、スタジオ芸術であるダブをライヴでやることを目指したミュート・ビートは、サウンド・エンジニアを重要と位置づけ、ピテカントロプスの音響スタッフだったダブ・マスター・Xをバンドのメンバーとして加え、突き進むこととなる。

 83年にはピテカン・レコードから8インチ・シングルを、85年には、ピテカントロプスでUB40と共演し、式田純のTRAからカセットをリリース。
このあたりからグンと知名度をあげる。TRAのカセットは翌年ニューヨークのROIRからもリリースされ、後に「ナンバー・ゼロ・ヴァージン・ダブ」として幾度かCD化された。
そしてミュート・ビートは、86年にオーバーヒートと契約し、87年にかけて3枚の12インチをリリースする。これらは後に『スティル・エコー」として87年にCDにまとめられたのちにNYのWACKIE’Sレコードからアナログ発売、23年には日本盤アナログで再発された。

 
 

 メジャーと契約したミュート・ビートは、87~9年にかけて5枚のアルバムを発表。今回、そのうちの4枚が再発される。限定盤だった「ダブワイズ』は23年にアナログで2度目の再発がされた。この時期の作品では、ダブは抑制的でフレッシュでクリーンなミックスが印象的な「フラワー」から、ライヴの音とアルバムの音が接近した「マーチ」まで、充実した活動を続けたミュート・ビートの進化を楽しめるとともに、今聴いても30年以上の時間が経ていることを感じさせない普遍的なサウンドが詰まっていることがわかる。
 ミュート・ビートは、『マーチ』『ライヴ」を出した89年、12月のライヴを最後にこだまと、屋敷の後任ドラマーを務めていた今井がバンドを去り、実質的な活動を停止した。ミュート・ビートの実質的な活動は8年に満たないほどだったが、このバンドに所属したメンバーたちのその後の活躍も相まって、実に強い印象を残し、バンドなき今も愛され続けている。これらの4枚は、これからも長く聴き続けられるだろう珠玉の作品だ。

MUTE BEATメンバー

こだま和文
ミュート・ビートを離れた後もフィッシュマンズなどのプロデュースの他、多数のソロ作やサウンドトラックも手がけている。現在はダブ・ステーション・バンドを率い精力的に活動を重ねている。音楽以外にも文筆、描画など多彩に活動。

宮崎泉(ダブ・マスター・X)
エンジニアとしてミュート・ビートを支えた彼は、DJ、トラック制作者、リミキサーとして数多くの作品に携わってきた。現在はミュート・ビート時代も腕をふるったライヴのサウンド・エンジニアを主戦場として数多くのアーティストを手がける。

松永孝義
ミュート・ビートと並行して活動していたタンゴ・バンドやトマトス、ロンサム・ストリングスなどを中心にベーシストとして数多くのセッションに参加、精力的に活動を重ねたが2012年7月12日、54歳で他界。2004年にはソロ「ザ・メイン・マン」リリース。

屋敷豪太
87年ミュート・ビートを脱退し渡英。メロンなどの活動を経てSoul Ⅱ Soulのヒット作に携わり、Simply Redに参加するなどロンドンを拠点に20年活動。現在は日本に拠点を戻し、ドラマーとして八面六臂の活躍中だがソロ作品も発表している。

今井秀行
87年、屋敷豪太に代わり加入。肘の故障により89年いっぱいでミュート・ビートを脱退。脱退後はトラック制作やプロデュース、更にはヤン富田率いるアストロ・エイジ・スティール・オーケストラではパン奏者として活躍、現在はアメリカ在住。

朝本浩文
88年に脱退。様々なセッション・キーボード奏者として活躍。ソングライター、アレンジャー、プロデューサーとして数多くの作品に関わり、UAやシュガー・ソウル、ザ・ブームなどのヒット作で重要な役割を果たした。2014年不慮の事故で2年に及ぶ入院後、2016年11月30日、他界。享年53歳。

増井朗人
ミュート・ビート以降もスリル、レピッシュ、ケムリなど数多くのバンドやセッション、レコーディング、ホーン・アレンジャーとして精力的に活動。現在は自身のリーダーバンド、Codex Barbes でも活動中。

北村賢治
JAGATARAなどで活躍中だったが、89年に朝本に代わり加入。ミュート・ビート以降、エマーソン北村としてのソロ活動をスタート。ソロ以外でも忌野清志郎&2・3's、EGO-WRAPPIN、斉藤和義、キセルなどのサポートでも活躍。

内藤幸也
ミュート・ビート以降も、スーパー・バッド、ARB、柴山俊之のZILiE-YA、アレルギーの宙也との宙也&幸也などでギタリストとして活躍。チバユウスケや仲野茂とのセッションでも話題。

再発される4タイトル

FLOWER
87年6月発表のファースト。アルバムからはカンタス航空のCMに使用された「ハット・ダンス」がシングル・カットされた。「メトロ」「ハット・ダンス」「ビート・アウェイ」などライヴのレパートリーとして馴染みの曲も多数収録されており、「ロシアより愛をこめて」以外は全てオリジナル曲。発売記念ライヴは渋谷公会堂で開催された。

LOVER’ S ROCK
88年6月発表。この作品の発売後、渋谷クラブクアト口のこけら落としとしてローランド・アルフォンソをゲストに迎え、3日間ライヴを行った(後にCD、LP化)。言葉のないイン
スト・バンドでありながら、アルバム・ジャケットの写真や曲名には強い主張を滲ませた。ラストのイアン・デューリーのカヴァーを除きすべてオリジナル曲。このアルバムに先立ち12インチ「サニー・サイド・ウォーク」が発表された。

MARCH
89年7月発表。前作を最後に朝本浩文が脱退。エマーソン北村とスーパー・バッドの内藤幸也を迎えた新生ミュート・ビートの作品にして最後のオリジナル・アルバム。ギタリストの新加入もあり、バンドの新側面も強調された。アルバム発売公演は渋谷公会堂、アメリカ・ツアー3公演も行われた。先立ってキング・タビー、リー・ペリー、ダブ・マスター・Xによる限定盤『ダプワイズ」もリリースされている。

LIVE
88~89年のライヴからのセレクション。優れたレコーディング作品を残しながらも一級のライヴ・バンドだったことを確認できる重要作。”グラディ”アンダーソン、ドゥワイト・ピンクニー(ルーツ・ラディックス)、ローランド・アルフォンソ、松竹谷清などのゲスト参加曲も収録。

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