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サウンド・エンジニアDMX宮崎(#2) / LP『DUB WISE』再発記念!!

 
   

Interview by Shizuo Ishii

前回から続くMUTE BEAT『DUB WISE』再発記念、DMX宮崎インタヴュー、その2

宮崎:俺をジャマイカに連れてってくれたあの前に、石井さんはタビーと会ってるのがすごいよ。あれも偶然行ったって聞いたけど、そんな偶然ある?ウェイン・スミスがラジカセを直しに行くからちょっと一緒に行こうって、タビーのところに行ったんでしょう。

石井:そう、世の中全て偶然といえば偶然だからね。俺がMUTE BEATと出会ってるのも偶然、そこ話し始めると終わらないから、今日は省こう(笑)。
俺はMUTEをマネージメントしてるときに妄想してた。海外リリースもだけど、タレント集団としてまず一人ずつソロ作品を作りたかった。それは1曲でもいい。こだま君はほとんどの曲を書いてリードも取ってたから、問題は他のメンバーだよね。増井(朗人)君もオリジナル曲「A Stairwell」がレコーディングできたし、朝本君は「After The Rain」ていう名曲ができた。だけどドラムの今井(秀行)君とベースの松永(孝義)君のアイディアはまだ出なかった。でも松永君はMute解散14年後に『The Main Man』を作れたけど、あの頃は、次はエンジニアだろう〜と考えて『DUB WISE』だったんだ。もちろんきんぐ・タビーに会えたから閃いたんだけどね。
ジャマイカのレコードって印刷がぼろぼろで新品でも妙に古く見えるからタビーなんて死んじゃってんだろうと勝手に思ってたら、行った先に背の高いギョロっとした目の男がいたんだよ。

宮崎:あれは正視できないくらい迫力があったね、このおっさん何なんだろうみたいな。

石井:俺も最初の時はびっくり。うす暗い奥の部屋のほうに有名な赤いノブのついてるMCIコンソール(レコーディング卓)が見えたんだけど、本当に金縛りみたいになって動けないわけ。そこは俺にとってアーク(聖櫃:せいひつ)が置いてある聖域だったね。迷ったけど気を取り直して写真を撮りたいってタビーに座ってもらってシャッターを1回だけ押したんだ。それを今度家族の許可をとってTシャツにしたんだ。1度押したら図々しい俺は2ショット写真まで撮ったけどね。

宮崎:すごいよね。今だったらスマホでバシャバシャ撮るよね。

石井:インターネットで調べたら、他にもあそこに座ってるらしき写真はあるけど、モノクロなんだよね。だから、あのノブがカラーの写真は俺のだけかもしれない。余談だけどあのMCIコンソールはMicrosoftをビル・ゲイツと共同創業したポール・アレンていう億万長者が作ったMoPOP(Museum of Pop Culture)というシアトルのミュージアムに入ってるらしいんだ。ネットで写真が出てくるけど、この赤いノブはもはや半分くらいすっ飛んじゃって無いんだよね。

宮崎:まじで?!

石井:宮崎とTubbyが握手してる写真をこれに載せるけど、日本人でツーショットって、たぶん俺と宮崎ぐらいしかいないね。面白かったのは、サインをもらおうって宮崎がキング・タビーのレコードを出したら「名前は?」って聞かれて宮崎は恐れを知らないよな。オリジナル・ダブ・マスターに、to Dub Master Xって書かせてたからね。

宮崎:すごいよ、あれギャグだよ。

石井:そうしたら、タビーが一瞬「?」って。

宮崎:「ん?」って顔したけどちゃんと書いてくれたよね、Xが付いてるからいいかみたいな。

石井:あれ最高だった。背も高くてルックスもちょっと怖い感じだけど、すごく紳士だったね。

宮崎:いい職人なんだろうね、きっと。だってあの地域の街の電気屋でしょ。

石井:電気屋で終わらずにその後の音楽の歴史の中でも画期的なことをやった。きっと好きなことは宮崎と同じで、工夫するのが好きだったんだよ。

宮崎:だってこの人がいなかったら、DUBっていう手法は生まれなかったわけだし、リミックスのもとになったといってもいいもんね。

石井:間違いなくそうだよ、彼のスタジオは狭くてバンドを録れないスタジオだったからこそ、DUBができたんだと思う。バンドは他で録って、そのテープをあそこで自分でゴチョゴチョやってリミックスみたいなことをやったんだよ。他のWIRL(後のダイナミック・サウンズ・スタジオ)とかはでかいブースがあったけど、タビーのところはなかったから結局テープをいじくり回してリミックスを発明ってことじゃないのかな?

宮崎:きっとこっちのほうが面白いってやってたんだよ。偶然だけどすごいよね。なんで死んじゃったんだっけ。撃たれたんでしょ。

石井:自宅の前で撃たれたけど、犯人は捕まらなかったらしいね。あいつじゃねえかみたいなやつはいるけど、言えないね。

宮崎:僕たちが会って半年後ぐらいかな。

石井:次の年の2月6日。俺たちが行ったのは9月ぐらいだから半年後かな。彼の部屋にマルチ・テープがたくさん積んであったから、DUBにして発売したいなんて話したら「ゆっくりやろう」って言われて、これから何度も会うなと思っていたからショックだった。

宮崎:新しいコンソールも入って新しいスタジオも完成間近だった。

石井:残念だった。Tubbyを元にして一つのレゲエの歴史の系譜ができるからね。プリンス・ジャミー(後のキング・ジャミー)、ニューヨークに行ってHCFスタジオをやったフィリップ・スマート、そしてサイエンティストはLAにいるらしいね。ケミスト、俺たちが行ったときに紹介された若い二人がファットマンとピーゴ。ファットマンはジャミーズのシニア・エンジニア、ピーゴはボビー・デジタルの右腕、さらにすごいことは80年代後半に最も近代的なミキシング・ラブ・スタジオができるんだけど、そのメイン・エンジニアの一人がバルビー。彼はそのスタジオでスティーリー&クリービーやスライ&ロビーを90年代にず〜っとやってたから、タビーの卒業生たちがジャマイカ音楽の背後を支えたって言えるかもね。

宮崎:すごいね。タビー門下生だ。タクシーに運転させて石井さんと誰かミュージシャンの所に会いに行ったよ。ウェイン・スミスだっけ?

石井:ウェインはシービュー・ガーデンという埋立地みたいなところ。スタジオ前の空き地には、小ぶりなサウンドシステムもあって、夜ともなれば365日爆音でレゲエが流れていた。

宮崎:ウェインのスタジオは一番の衝撃だった。狭いからミキサーを立てて(写真参照)やってた。スピーカーがブワンとか鳴ってて、これがまたいい音なんだ。

石井:裸足で立ってるしかない狭いスペースでね、背中側に電話ボックスより狭いボーカルブースがあって卵の入ってた紙ケースみたいなのを壁にくっつけてあって、入ると壁まで20センチくらいしかないブースでボイスを録ってた。あの暑さの中で冷房ないし本当に酸欠になるよ。あれはすごいよ。いじめみたいな部屋。

宮崎:スタジオの外の扉はなかったからね。あれは俺の一番の衝撃、あのスタジオの写真ないの?

石井:あるよ、載っけておくか?ああいうスタジオがあって、その後あのシービューガーデン出身のアーティストがどんどん出てくるのね。アメリカでグラミー賞をとるシャバ・ランクス、その後からはバウンティ・キラやエレファントマンというそれぞれ時代のトップ・アーティスト、その後も勢いのあるやつが生まれてくるんだけど、それは80年代終わりにウェイン・スミスがあそこにスタジオを造ったからだと俺は思っている。

宮崎:あれでだいぶ俺の概念が変わったっていうか、何でも大丈夫、音が拾えれば何でもいいよっていうのはあそこで出来上がった。だから今はPAの現場へ行って「マイクのセッティングどうしますか」とか言われても、何のマイクでも別に音が拾えればどうにかなるからっていうと驚かれるけど、それはあのウェイン・スミスのスタジオに行ったからなんだよ。どんな状況でもいいものはつくれるぞみたいな。タビーのところよりも、ある意味で俺には衝撃だった。これはタフだ、世界は広いなと思った。あれはエンジニアになるやつはみんな一回あそこに行って、ここから出直してこいみたいな。

石井:トリニダード・トバゴ出身だけど60年代のジャマイカで活躍したロックステディのギタリストにリン・テイトって人がいて、カナダのモントリオールに移住してたんだ。そこに2005年に撮影に行ったついでにレコーディングもしたんだけど、そこは本当にガレージがスタジオ。日本ならリハスタでも見たことがない卓で、俺が持っていったテープがかからず仕方なくCDRの2ミックスを流してそれにギターを録って『ラフンタフ』っていう映画のエンディングに使ったわけよ。

宮崎:ひどい、いんちきだね、それ。

石井:2トラに適当なEQだけでそのままダイレクトでリバーブもなしでギターを録ったんだ。どうせレコードを出すわけじゃないし、自分が監督したドキュメンタリー映画のエンディングだからこれでいいやって帰国したんだけど、聴けば聴くほどすげえいい曲だなと・・・・むしろこれは意味があるなと分かってきたわけ。ジャマイカの60年代の話とかを聞いたドキュメンタリーなのに近代的なすごくいいスタジオでレコーディングした曲を使ったら、それもちぐはぐな話だなと。これはレコードにもしたほうがいいって結局プレスしたんだけど、本当にやつらはすごいよ。与えられた条件で文句を言わずにやって、しかもいい曲にしちゃう、確かに聴く人が聴けばスタジオのクオリティーはわかっちゃうけど、曲は間違いなくいい曲で俺は何度も聞いてシビれてる。

リン・テイトの7インチは⇩
http://overheat.shop-pro.jp/?mode=srh&cid=&keyword=Lynn+Taitt&x=20&y=20

宮崎:そういうのってハイファイ至上主義みたいなのと裏表だったりするんだ。中身が良くて音が良ければ一番いいんだけど、音が悪くても中身が良くて失われないものがあるっていうか、そのまま一番いいところは残っていく。だからレコーディングとかミキシングのクオリティーって、ちょっと言い方は悪いけど、どうでもいいっていうか、もっと大事なものがあるっていうことなんだよ。良いものをより良くするためにいるだけであって、エンジニアは勘違いするなってことなんだ。そこで音質とか、何かのクオリティーの優劣と音楽の内容は関係ねえっていう。

石井:そう言うことなんだろうね。でもね、今回出す『DUB WISE』をCDでもう一回聞いたらね、これがひどいんだよ、Wackie’sの音とか抜けも悪いし、これは大変申し訳なかったなって思ったわけ。実はあのときは、つくるだけでエネルギーが全部終わってた。自分の企画でこれはすごいぞって暴走して旅費とホテルでカネを使いきって帰国した。当時はポニーキャニオンの中にOVERHEATレーベルがあったんだけど、編成会議で発売できないってことになったんだ。理由がインストの曲を再度、違うタイトルで出すのは駄目だってボツになった。

宮崎: 著作権的に?

石井:いや、今なら平気でたくさんリミックスってあるから、分かってない人たちが、レコード会社にいたんだろうね。カネも使っちゃってるからなんとか交渉して出してもらって、それで力尽きてた。とりあえずナンシー関さんには3人の顔と“限定版”って文字を彫ってもらって発売したら即完して、反対されたのに売れたんだけど、あの時代はマスタリングもよくわかってなかったから今度はきっちりマスタリングしたんだ。
 それより、現在の宮崎が関わってるアーティストの幅が広いようだけど?

宮崎:幅広いよ。“すとぷり”とか知らないでしょ? 

石井:すまん、知らない、ボーカロイドじゃないのね。

宮崎:違うのよこれがね、でもすごく面白い(笑)、ジャニーズの現場も一生関わることはないと思っていたけど、たまたま関わることになってね。ジャニーズってこれだけ日本の女の子たちを熱狂させてきた歴史とノウハウがあるわけ。ある種の日本のショービズの形で、そりゃあ人気が出るよなとか、売れてるものにはその理由があると分かりつつも、相変わらずアンダーグラウンドもやっていて、どっちも面白い。

石井:それはいいね。80年代のMUTE BEATの頃、月に10万くらいレコード買ってDJをやってたよね。「これは俺の一番の趣味」とか言ってたけど、あれだってギャラが幾らだったかは知らないけど、ギャラに見合ってたの?

宮崎: ギャラには見合わないよね。だって、もらった金は全部、突っ込んでたから。

石井:そういうのと同じなのかな、ストリートでも学ぶことがあり、やりたいことができるぞとか、だからこそこっちでもできるぞみたいな。

宮崎:そう、だから、どマイナーなダブも、インディーズも、ショービズも俺の中では土俵は一緒。こっちのほうがギャラがいいとか悪いとか、こっちのほうが優れている音楽だとかって感覚が今はない。昔はあった、若い頃は。でも年を重ねてきて今は子どもの頃に聴いていた歌謡曲とかムード歌謡とかを聴いて、いわゆるシティーポップの再認識みたいなことではなくて、もっと前の日本の音楽にもすげえのがいっぱいあったことに気づいて、受け入れる幅が広くなったっていうか、逆にそんなにすかしてなくてもいい、世界は一つ、音楽は一つなんだから、何でもやりゃいいってね。

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#3に続く