Text by Norie Okabe 岡部徳枝
2014年2月にRiddimOnlineに掲載された記事です。
石田昌隆の最新刊、ソウル・フラワー・ユニオン『解き放つ唄の』が話題。
「生涯のうちに“これは書かないと死にきれない”みたいな企画がいくつかあるんだけど、この本はそのうちのひとつ」と語る氏に岡部徳枝がロング・インタヴュー。
頑張り続け、ふんばり続けることは難しい。けれど、そこに心を解放し、笑い泣かせて踊らせてくれる音楽があったなら――。あるときは阪神淡路大震災の被災地で、またあるときはパレスチナの難民キャンプで、民の唄を歌い、民の音を奏で、多くの人を鼓舞し続けてきたミクスチャー・ロック・バンド、ソウル・フラワー・ユニオン。そんな彼らの声を聞き、アクションを見つめ、記録し続けてきた写真家がいる。名著「黒いグルーヴ」、「オルタナティヴ・ミュージック」などの著者であり、この「Riddim」でもおなじみの石田昌隆氏だ。2014年1月、満を持して単行本「ソウル・フラワー・ユニオン 解き放つ唄の轍」を発表。さまざまな時代を、“生きた”言葉で綴る生々しい描写、今にも音が聞こえてきそうな“訴え”を持つ写真。石田氏の熱い衝動と、冷静な視点とが濃厚に混じりあう臨場感あふれるアーティスト評伝だ。今なお状況が変わり続ける日本の諸問題も浮き彫りにした必読本。著者の石田氏に、その背景にある想いを聞いた。
●石田さんがソウル・フラワー・ユニオン(以下、ソウル・フラワー)と出会ったのは97年。もう15年のお付き合いになるんですね。
石田昌隆(以下、I):最初は、たまたま撮影することになったという感じ。彼らがアイルランドのミュージシャン、ドーナル・ラニーと共演することになって、その写真を頼まれた。どちらかというとアイルランド音楽つながりで声がかかった仕事でね。93年にアイリッシュ・バンドのチーフタンズを撮影して、そこから彼らを招聘していたプロモーターのプランクトンとの付き合いが始まって、その流れで仕事が来た。僕は82年に初めてジャマイカに渡って、80年代はそれこそずっとレゲエを聞いていたわけだけど、あるときからトラッド音楽にハマってしまって。89年かな、「プリズナー・ソング」というタイトルに惹かれて、ハンガリーのマールタ・シェベスチェーン&ムジカーシュというアーティストのCDを買ったの。これを聞いて、初めてトラッド音楽ってかっこいいなと思った(笑)。アイルランド音楽にたどり着いたのはそれがきっかけ。トラッドといえばアイルランドが主流だからね。ソウル・フラワーの存在はもちろん知っていたけど、当時、僕は世界各国の音楽に心を傾けていて、日本の音楽に触れる機会というのが少なかった。正直に告白すると、ソウル・フラワーのことは、じゃがたらやボ・ガンボスのように重要なバンドだと考えてなかったんだよね。だけど、そのドーナル・ラニーと共演した「満月の夕」を聞いて震えてしまった。あれは本当に素晴らしかった。
●ソウル・フラワーを長く追い続けてきた中で、なぜ今このタイミングで、こうした本を書こうと思ったのですか?
I:第一章に被災地ライブのことを書いているんだけど、そこが大きいと思う。東日本大震災から約1ヶ月後の2011年4月24日に、メンバーと一緒に被災地を訪ねたのね。石巻とか女川とか南三陸へ。そこで中川くん(ヴォーカル、ギターの中川敬)が瓦礫の間にターンテーブルを見つけた。その写真をツイッターにアップしたら、なんと持ち主がフォロワーで、ソウル・フラワーのファンだったわけ。老舗かまぼこ屋さんの4代目で地元の名士。そこで彼は、被災地慰問ライブをやろうと持ちかけてくれた。被災地でライブをやりたいと漠然と思っているミュージシャンってたくさんいたと思うけど、誰かが場を作ってくれないとなかなか難しい。それがこんなふうにうまい具合に進んでいくとは、なんだかとても印象的でね。翌月の5月には5本のライブが決まって、僕も撮影で付いていったんだけど、実は被災地ライブを観るのは初めてだったの。なんでも初めて見る現場ってドキドキするでしょ。ジャマイカに初めて行って、サウンドシステムという現場を体感したときも、ものすごくドキドキしたんだけど、まさにそれと同じ感覚。レコード屋でCDを買うとか、コンサートホールのライブに行くとか、それ以外に音楽の現場があるってこと。被災地ライブを体感して、こんな音楽の現場があるんだ!ってえらく強く印象に残って、このことをどこかに書けないかなとずっと思ってた。そんなときに2年前くらいになるんだけど、編集の加藤彰くんが「ソウル・フラワーの本を書いてみないか」と言ってくれて、それから書き始めたという感じかな。
●南三陸の志津川高校避難所で「満月の夕」を聞き、初めて音楽を聞いて泣いたという石田さんのエピソードが印象的でした。
I:「満月の夕」は、阪神淡路大震災の直後に、焼け跡と瓦礫の街から生まれた曲なんだけど、あの曲には本当によくわからないすごいパワーがあって。志津川高校避難所でこの曲が始まったとき、近くの女性2人が泣き出してね。ライブが始まる前に、僕はその2人と話をしたんだけど、ソウル・フラワーのファンらしくて、まさか地元で見られるなんてと感激していた。実家が津波で流されたこととか、南三陸の名産物である天然あわびを食べるたこを食べさせてあげられないのが残念だとか、その話が妙に頭に残っていたせいか、2人の泣いている姿を見ていたらもらい泣きしてしまって。周りのおばちゃんたちも2人に続いて泣き出して、なんていうかすごく感動的な光景だったんだよね。あと、「満月の夕」は、ボブ・マーリーの「No Woman , No Cry」に似ているなと気づいたときがあって。「満月の夕」は、被災者が集まって焚き火を囲んでいる様子が歌われているんだけど、「No Woman , No Cry」の“ジョージーが焚き火を起こして、コーンミールのおかゆを作って、分け合って食べる”というくだりと同じだな、と。それをなんとか記録したいなという思いがずっとあって、第二章に書いているんだけど。だから自分の中で「すごく書きたい」という要素がまず第一章、第二章にあって、真ん中にこれまでのソウル・フラワーの活動を振り返る内容があって、最後の第七章で反原発、反レイシズムにつながっていくという構成。この構成が見えたときに、ちゃんと本になるなと確信したんだよね。
●第二章で、ソウル・フラワーが民謡を取り入れた経緯について書かれていますが、これがなんとも説得力があって、グっとくる話でした。「民謡を歌った時にようやく自分の存在が明確になった気がした」という伊丹さんの言葉や、“伝統保存”に対する中川さんの考え方とか。
I:うん。そもそも90年代初頭、中川くんは70年代Pファンクがかっこいいなと思っていて、黒人音楽を取り入れるスタイルへガーッと突き進みそうになっていたんだよね。でも、メンバーのヒデ坊(伊丹英子)が音響性外傷という耳の病気になって、大音響で演奏するのが難しくなった。じゃあトラッドな音楽をやってみようと方向性を変えたとき、ちょうど沖縄のチャンプルーズや大工哲弘さんとの出会いが重なったりして、それで彼らは沖縄をはじめ、日本、アイヌ、朝鮮、いろいろな民謡にハマっていくんだよね。寿町のフリーライブに出たり、寄せ場で歌って日雇いのおじちゃんと仲良くなったり、そんなこんなで俺たちはこの方向でいこうと決意したところに95年、阪神淡路大震災が起こった。そこからまたいろいろ活動も音楽性も広がっていくんだけど。
●電気が不要な楽器を使ったチンドン・スタイルの“ソウル・フラワー・モノノケ・サミット”として、被災地での“出前慰問ライブ”を始めるんですよね。それと同時に“ソウル・フラワー震災基金”を設立したり……。ソウル・フラワーと沖縄の縁について書かれた第六章「平和に生きるために」も印象深いです。2007年に沖縄の辺野古の浜(普天間飛行場の移設予定地とされる米軍基地キャンプシュワブに隣接するビーチ)で「Peace Music Festa!」を企画、出演。伊丹さんはイベントの実行委員会代表に就任しています。
I:僕は、2007年、2009年、2010年と計3回そのイベントに出かけて撮影しているんだけど、振り返ってみると、このイベントにいたミュージシャンとソウル・フラワーとの間にいろんな縁が生まれていて、それがまた今につながってることが本当に嬉しいんだよね。たとえば2010年に辺野古の浜で初めて撮影させてもらった七尾旅人くんは、今回の本の帯にメッセージを寄せてくれていたり。宜野湾で開催した2009年にはOKI DUB AINU BANDが出演して、そこにいたエンジニアのウッチー(内田直之)がアシスタント時代にソウル・フラワーのレコーディングに立ち会っていたという事実が判明したり。94年発表のアルバム「ワタツミ・ヤマツミ」のとき。ウッチーはそのあと、ソウル・フラワーのダブも手がけるようになって。
●20周年記念の3枚組ベスト盤『THE BEST OF SOUL FLOWER UNION 1993-2013』で聞かせて頂きました。中川さんのヴォーカルがむちゃくちゃルーツ・ロック・レゲエ向きというか、ダブに映えるというか、すごいタッグだなと感じました。
I:いいよね、僕もすごく好きなんだよね。それにその作品には、前からつながってほしいなと思っていたDUB MASTER Xのダブも入ってる。おそらく反原発活動の流れで知り合ったと思うんだけど、そうやってレゲエのミュージシャンとソウル・フラワーがつながっていくのが本当に嬉しくて。リクル・マイさんも、もともとはウッチーを通じてソウル・フラワーと出会ってる。中川くんが、岩手出身のマイさんの震災以後の活動を伝え聞いて、恒例ツアー「闇鍋音楽祭」のとき対バンに呼んだんだよね。福島県のいわきclub SONICで2012年3月26日に行われたライブ。これは僕も行かなきゃと直感的に思ったね。「闇鍋音楽祭」では、対バン相手と一緒に曲をやるのがお馴染みなんだけど、このときマイさんは「平和に生きる権利」を選んできた。原曲は、チリのシンガー・ソングライター、ビクトル・ハラが71年にベトナム反戦歌として作ったもの。それを中川くんが日本語に訳して90年代から歌い続けているんだけど、まさかこの曲を一緒にやろうと提案されるとは思ってなかったみたい。中川くん、すごく驚いていたよ。でもマイさんはそういうシンガーなんだよね。そのあと「平和に生きる権利」は、大熊ワタルくん(ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのメンバー)率いるジンタらムータと一緒にやるようになって、ヤギヤスオさんがジャケットのイラストを手がけたシングルもリリースしたわけだけど、2012年9月11日に経産省前の反原発テントで歌った、あのときのマイさんは本当にかっこよかった。福島で初めて聞いたときは、まだどこかぎこちない感じがあったけど、すっかり自分流のかっこいいスタイルに完成させていた。マイさんは、スレンテンのリディムで東北民謡の「秋田音頭」を歌ったり、プナニーにのせて、演歌師、添田唖蝉坊の「のんき節」を歌ったり、とてもおもしろい試みをしていて、そういうところを含めて本当に素晴らしいアーティストだと思う。
●ルーツというものにしっかり向き合うスタイルが、ソウル・フラワーと重なりますよね。第七章「ソウル・サバイバー」で書かれていたマイさんの言葉、あれはとても染みました。
I:来日中のジャー・シャカとマイさんと僕がドミューンに出演することになって、そのあと立ち話をしていた中で言ったんだよね。ボブ・マーリー、ジャー・シャカと聞いてきて、今「平和に生きる権利」を歌っている……そんな感じのこと。ボブ・マーリーを聞いていたら巡り巡ってここにいる。かつてレゲエに目覚めた人が、今は反原発デモに参加して、ビクトル・ハラやソウル・フラワーの音楽に親しみを感じているのは、とても自然なことだったんだな、と。実は僕自身もそれを書いて確かめてみたかったの。ソウル・フラワーのやってきたことと、自分が昔からレゲエに傾倒してきたこと、そこに矛盾がなかったんだってこの本を書くことによって自分で自分に証明したかった。ここ数年で、いろいろとつながってるなって思うことがとにかくたくさんあって、それをこの一冊にまとめてみたかったんだよね。
●一番聞きたかったことなんですが、石田さんはなぜこれだけの長い間、ソウル・フラワー・ユニオンを撮り続けることができたのでしょうか? 第四章には、メジャー契約が切れたあと、赤字の撮影が続いたと書かれています。それでも追い続けてきた、その理由とは?
I:実際「俺らを撮ってもお金にならないよ」って言われたしね(笑)。でも、雑誌の撮影で会うこともあったし、なんだかんだ関係はつながってきた。そんな中で、これだけ付き合いが長くなったというのは、僕の感覚と彼らの感覚がずれなかったからだと思う。特に2000年代前半、9.11のアメリカ同時多発テロがあったあと、彼らはパレスチナに行って、僕も僕で彼らと一緒ではないけれどパレスチナへ行って、結果僕が行って感じたことと、中川くんが行ってやってきたことと、そこになんの違和感もなかったの。中川くんは違和感のない行動と発言をして、違和感のない曲を作っていた。共鳴できたんだよね。あのときに価値観がずれなかったことはとても大きい。そして、ツイッターの時代になってからもそれは何も変わらなかった。具体的な話をすると、たとえばエジプトに行ったら、観光客はピラミッドに行くよね。でもそこで僕は、昔の王様のお墓を見てもしょうがないから、街を歩いてみようとなる。中川君も、みんながピラミッドに行っているときプラプラと街を歩いていたって言う。僕はそういう話がとても好きなんだよね。そういう人がいいなって思った。僕にとってソウル・フラワーの撮影は、仕事でもないし、頼まれて行っているわけでもないし、いつでもライブに行く理由がなくなれば行かなくなるんだけど、なんだかんだと理由が続いた。僕が興味を持つところ、その視界の中に入り続けたってことだね。
●なるほど、とても納得してしまいました。読んでいて、同じ目、同じ耳を持っている感覚というか、とても近い視点を持っている関係性のようなものを感じたんです。時代を共に生きている同志というか……。石田さんにとって、この本はどんな存在になりましたか?
I:生涯のうちに“これは書かないと死にきれない”みたいな企画がいくつかあるんだけど、この本はそのうちのひとつ。それが終わったから、今はただ、あー楽になった!って感じかな(笑)
●中川さんは、何かおっしゃってましたか?
I:気にいってくれてたね。僕以上に宣伝してくれている。彼いわく「全ホモサピエンス必読書」らしいよ(笑)