MUSIC

ミスター・スタラグ、ダブル・バレルの作曲者Ansel Collins

 
   

Interview by Tommy Far East and Shizuo “EC” Ishii

2019年10月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

アンセル・コリンズが1960年代から成し遂げて来たことは、長いジャマイカ音楽史の中でも光輝く特級ダイヤモンドのようなものだ。時としてアンセルの功績は、彼の控えめで温厚な性格によって過小評価されてしまう。だが今一度検証してみよう。
1971年、デイヴ & アンセル・コリンズの「Double Barrel」はイギリスで1位となりBBCの人気番組Top of The Popsに出演、「STALAG 17」は74年に最初にリリースされてから最もリメイクされたレゲエ・トラックと言われ、テナー・ソウの「Ring The Alarm」(YouTube, 330万回再生)やシスター・ナンシー「Bam Bam」(1,700万回再生)、チャカデマス&プライヤーズの2曲「Murder She Wrote」(4,300万回再生)と「Bam Bam」(860万回再生)などのようにレゲエ史を代表する大定番リディムである。
これらの曲は、レゲエ界だけでなく今でもヒップホップDJなどがプレイするモンスターチューンでもある。さらに言えばパブリック・エネミー初期の大ヒット曲「Don't Believe The Hype」のトラックにさえも影響を与えたグレート・リディムでもある。

またひとり、歴史を作ったレジェンドがやって来る。若干15歳でプロデビューし、世界一ソフトなシンガーでありキーボーディストである“生きる証人”アンセル・コリンズ。

●生まれと音楽キャリアのスタートは?

Ansel Collins(以下、A): 生まれたのはキングストン、1949年4月16日生まれの70歳だ。音楽キャリアというよりは、1961年にRJRラジオのオーディション番組のヴェレ・ジョンズ・オポチュニティ・アワーにシンガーとして出たけど、まだ12歳のキッズだったからうまくいかなかったね(笑)。

●その時のことを教えて! 他に誰か有名になる人が出演していたとか?

A: う〜ん、よく覚えてないね、ウインストン・フランシスがいたかもね。でも1964年にコクソンのスタジオで最初はThe Carib Beats(ボビー・エイトキンのバンド)にシンガーとして参加して「Kiss Bam Bam(El Bam Bam)」をレコーディングしたんだ。(注:1966年にインスト曲としてコクソン・ドッドのMusic Cityレーベルからリリース)
僕がThe Carib Beatsのシンガーだったけど、シンシア・リチャーズ(「El Bam Bam」)のB面がシンシアの歌う「How Could I」)が歌うときやドラムのウインストン・グレナンがいない時は俺がドラムをやっていたんだ。

●その後独学でキーボードに転向したそうですが?きっかけは?

A: Carib Beatsで活動していたときにキーボーディストがたまに来れないときがあってバンドのリーダーのボビー・エイトキンから練習してくれとリクエストされてレコーディングをするようになったんだ。
もともと自分は歌を歌えて楽器もできるアーティストを目指していたからいいきっかけだったよ。

●その後のR.H.T. Invinciblesというバンドはアンセルのバンドですよね? R.H.T.って何の略なんですか?

A: レインボー、ヒーリング、テンプルだよ、ははは。ドラムにスライ・ダンバー、それにロイド・パークス、今はアイリーFMの人気DJのGTテイラーがMCで在籍していて、年上の俺がバンドリーダーだった。そしてプロとしてレコーディングセッションを始め、アメリカのナイトクラブもツアーした。

●では、Anselの最初のレコードは「Night Doctor」でいいの?

A: そう、キーボーディストとして最初のレコーディングだった。同じ日に他にも何曲か録ったんだ。当時はまだ15歳くらいのガキだったからお金もなくてアセテート盤だけカットした。最終的には、その「Night Doctor」をリー・ペリーのところから出してもらうことになったけどね。

●リー・ペリーは、アンセルにとってどんな人物ですか?覚えている印象的なことは?

A: 本当にすごい人物だった。そして彼は僕の事を本当に気に入ってくれていた。だからザ・アップセッターの『The Upsetter』と『Return Of Django』という2枚のアルバムが1969 年にUK Trojanからリリースされるとき3〜4曲をリー・ペリーに渡したんだ。その中の曲がザ・アップセッター名義の「Night Doctor」「Man From M.I.5」、『The Upsetter』に入ってる「Thunderball」はリディムをLee Perryに渡して、彼がヴァル・ベネットのサックスを入れたんだ。

●そして1971年に大事件が起こります。デイブ& アンセル・コリンズの二人で放った大ヒット「Double Barrel」は、全英チャートで1位となりBBCのTop of The Popsにも出演しましたよね、この歴史的な映像は今でもYouTubeで見ることができます。その「Double Barrel」はアメリカでもビルボード・チャート22位になりました。この時の思い出を。イギリスには誰に呼ばれて行ったの?

A: 「大ヒットしてるから」ってトロージャン・レコードから呼ばれてイギリスに行ってTop of The Popsに出演したんだ。1位だったからショーもたくさんやった。何ヶ所を廻ったかは全く覚えていないけどイギリスを色々と廻って、ベルギーとかその他の国へも、、、とにかくそれときは9ヶ月も滞在したんだ。

●こんなすごい曲「Double Barrel」はどうやってできたの?実際は1968年にレコーディングしたって本当?

A:1968年に僕のプロデュースでFederal Studioでレコーディングしたんだ。プレイヤーはキーボードが僕, ギターがボビー・エイトキン、スライ・ダンバーがドラムだった。ベースギターはカール・ドウキンスの「Satisfaction 」「Baby I Love You」などで プレイしていたヴィンセント・ホワイト。この曲をレコーディングしたときはまだウインストン・ライリーとは出会ってもいない。Techniqusが有名グループだったからそのメンバーだってことは知っていたけどね。翌年の69年にRJRラジオのリンフォード・アンダーソンってやつがウインストン・ライリーを連れて僕の家に現れて「僕の曲を彼のレーベルからリリースしないかと相談されたんだ。そして翌年の1970年にJoe Gibbs Studioでデイブ・バーカーのボイスをレコーディングしててリリースしたんだ。そういえば2年前にイギリスのスカ・フェスティバルに出演してデイブとこの曲をやったら今でも大うけだったよ。

●74年の「STALAG 17」はAnselがプロデュースしたの?

A: レコーディングしたのはチャンネル・ワン・スタジオでメンバーはSoul Syndicateだ。つまりギターはチナ・スミスとトニー・チンがリズム・ギター、ドラムはサンタ・デイヴィス、ベースにジョージ・フルウッド、キーボードは自分だ。それまで色々参加したセッションの中でもトップクオリティーで、レコーディングしている最中から「これは大ヒットだぞ!」って全員が思ってたんだ。最初のリリースはビッグ・ユースの「All Nations Bow」だ。アンセル・コリンズ名義はB面のヴァージョンの「STALAG 17」だ。

●その後数多くのアーティストがこのトラックをもとにレコーディングをしたりサンプリングをしています。例えばテナー・ソウの代表曲「Ring The Alarm」(YouTube, 330万回再生)やシスター・ナンシー「Bam Bam」(YouTube 1,700万回再生)などをはじめ、レゲエ史上最も使われているリディムとも言われています。それについてアンセルとしての感想は?

A: それについてはすごく名誉なことだし、それに見合う充分な手当ても入ったといえばいいのかな。

●アンセルはたくさんのバンドに参加しているけど。

A: チャンネル・ワンのバンド、ザ・レボリューショナリーズ、 シュガー・マイノットのブラック・ルーツ・プレイヤーズ、バニー・リーのジ・アグロベーターズ、チナ・スミスのソウルシンジケート、ザ・グラディエーターズ、レコーディングもグレゴリー・アイザックス、ザ・マイティダイアモンズをはじめ沢山やったよ。それにジミー・クリフのバックバンドとして日本に1994年、1995年、1996年と3度行ったから今度日本に行くのは23年ぶり、すごく楽しみだ。

●では、今度の来日はGladdy Unlimitedという“グラディ”アンダーソンのトリビュートだけど、彼と初めて会ったのは? 

A: 正確な年は覚えていないんだ。60年代後半にFederal Studioでレスリー・コングのBeverley’s レコードのセッションで初めて会ったんだ。
その後グラディとは本当に数えきれないほど多くのセッションをしたけど、特に想い出深いのが69年にFederal Studio でトウーツ&メイタルズ の「Sweet & Dandy」と「Pressure Drop」を一緒にセッションしたときだな。レコーディング中のグラディはいつも本当に厳しい男で笑顔を見せるなんてことは全くない男だった。しかしこの時だけは彼も本当に笑顔だった。なぜならボーカルも演奏も完璧だったからね。君たちも知ってるようにこの2曲はビックヒットだ。

●アンセルからピアニスト、グラディを見てどう思う?

A: すべてが独自のグラディ・スタイルをもつ本当に素晴らしいジャマイカン・キーボーディストの一人だった。レコーディングは本当にいつだって真剣だった。

●最近のアンセルは、どんなことをしていますか?

A: もちろん今でも曲作りをしていて、今日もミキシング・ラブ・スタジオでレコーディングをしてきた。ネバーストップだよ。俺はシンガーだから日本では、キーボードだけじゃなく歌うよ。