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A writer goes to “ZEN” room (1) (あるグラフィティーライター20日間の拘留)

 
   

Interview by 有太マンーYutaman Photo by Yutaman, montanacolors@JP

2011年11月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

●では早速、来日してから6時間で逮捕に至った経緯を聞かせて下さい。

Pablo Power(以下、PP):成田に無事着いた飛行機から降り、やけにスムースに税関を通過して、お金を換金しようとしたらバスがちょうど来たので、もしかすると飛行機から降りて15分後にはバスに乗っていた。仲間はみんな先に来日してたから、その時は1人だった。ホテルでやっとみんなと合流し、部屋でウェルカム・ショットを飲んで、着替えて歯を磨いて外に出た。仲間がアーティストとして招聘された渋谷にある会場はホテルから10分くらいのところにあって、現地で山積みされたマーカーとスプレー缶を目の当たりにしたんだ。それが思考回路が妙な方向に動き出した最初だったかもしれない。

勘違いして欲しくないのは、来日する前は、それから自分がしてしまうことが頭に浮かんですらなかったということ。今思えば「イリーガルは禁止」とでも、事前に自分を強く戒めておくべきだったよ。それで会場から外を見ると、そこにはむき出しの線路があった。ビールを飲んで頭がさらにまわりだし、あとはホセやCEROCKが、「日本は何でも大丈夫」と10年以上も前に言っていたことが思い出された。「仮に警察に見つかっても余裕だろう」と思ってしまったんだ。そこから先は、正直あまりはっきりと覚えてない。

覚えているのは、線路に降りて壁に描いている時はもうみんなとはぐれていて、気付くと隣に警備員が立っていたこと。何を言ってるかわからなかったし、「大丈夫すぐ出て行くから」と伝えたのに、ずっとそこにいるから「これはおかしいな」と思ってその場を立ち去った。それからは、今考えると自分がしでかした大きな間違いが2つある。一つは、一度そこから離れた時点ではせっかく誰もいなかったのに、何を考えたか、わざわざ置き忘れたたった4本のスプレー缶を取りに現場に戻ったこと。元の会場に戻れば山のように缶があるのに、なんでそんなことをしたのかわからない。おかげで缶を手にして自由が効かないし、焦っていたので、柵から変な体勢で落ちて顔と肘を地面にうった。でもなんとか元の道には戻れて、そこでもう一つの間違いは、その時、自分が来た道の先で作業員らしき何人かが落し物を探してるのが見えたんだ。

オレはそれがただの作業員だと思い、何も考えずに歩いて行った。するとなんとそれは、道路から線路を照らしてオレを探してる警官たちだった!つまり何も知らず、自分から捕まりに行っちゃったわけ。警官たちが叫んだりして大変だったよ。オレが持ってるスプレー缶とかを確認するたびにワーワー、ワーワー騒いでた。

●アメリカでは最近は描いていなかった?

PP:描いてない。言ってみれば、2000年頃から止めている。

●グラフィティから離れていたきっかけは?

PP:何とも言えない、妙な心境になったんだ。歳を取ったからかもしれないし、とはいえ10、11年前といえば、まだ思考は全く未成熟だった。同い歳でも早いやつにはもう、「家を買う」とか「結婚」とかいう考えがある中で、そんなことは欠片も大事じゃなかった。物事を1つの側面からしか考えられなくて、もちろんその中には尊敬する存在もいるし、そもそもライターやグラフィティ文化そのものを批判する気はまったくない。ただ、あるポイントから先に進もうとする時に、これは文化の性格上、発生する問題があまりにネガティブなんだ。その一方にはまず警察がいて、当時オレは「次、逮捕されたら大変なことになる」という局面にいた。

NYでヴァンダル・スクワッド機動部隊が編成され、それが自分の行動が最も活発だった時期と被るんだ。一度は実際に捕まり、アメリカでは一度でも罪を認めると大変なことになるので、その時はとにかくすべてを全否定して切り抜けた。その時はなんとか釈放されたけど、本当にスレスレだった。奴らは深夜、2ブロック先からオレがメール・ボックスにタグを描いてるのを見つけ、オレのところに駆けつけた時、ギリギリ描いていたマーカーは手元から離れていた。とはいえすぐそこの、瞬時にバレそうなところに置いて隠すだけが限界だった。ところが幸運にも、奴らは確固たる証拠としてのマーカーを見つけられなかったんだ。「お前だって知ってるんだ!」、「マーカーはどこだ!」と、1時間くらい狂ったようにあたりを探し続け、オレはその場に手錠をかけられたまま立ち尽くしてた。その間は「ステッカーを集めるのが好きで剥がしてたんです」、「どこにそのステッカーがある??」「知りません。怖がらすから、落として、風に飛ばされました」みたいなやりとり。奴らはオレが何かを描いていたことはわかっていて、でも描かれたものとオレを繋げる証拠を発見できなかった。それがヴァンダル・スクワッドだった。

●ヴァンダル・スクワッドとは?

PP:基本的に警察と同じだけど、グラフィティだけに特化した特殊部隊。奴らはいつもほんの少しだけ遅れてはいるだけで、綿密にライターのメンタリティと習性を理解していて、時に驚かされることもある。それで裁判所に連行される覆面車両に乗せられ、もちろん彼らは暴力を加えるとかはできないけれど、しばらく車内に座らせられていた。すると「『NEWS』を捕まえた」という情報がまわったらしく、覆面車両が何台も集まってきて、人数にして約10人、奴らの中には女、子供、髭の老人までいて、「お前を知ってるぞ!お前は終わりだ!」とか言ってくる。オレは「何言ってるんですか?明らかに誰かと間違えてる。狂ってますよ」と。奴らはおかまいなしに「ついにやった!」とか言いながら、ハイファイブをしてた。その時「NEWS」を捕まえることが、奴らにとってどんな価値あることかがわかったんだ。そこでオレは「ヴァンダル・スクワッドを極限まで怒らせた!」とは考えられず、心底恐怖を感じた。

24時間留置所に放り込まれ、裁判官を前にするまでたくさんのことを考えたよ。結局判決はいつも喰らう、ゴミ拾いとかのコミュニティ・サービスを一度やりさえすれば1年経てば消える罪だった。だから何度かそういった、本当にスレスレのタイミングがあり、裁判官からは「お前がここに来るのがパターン化してるようだ。次にここでお前を見たらライカーズ・アイランド(NYの刑務所)行きは決定だ」とも言われた。あとは自分の年齢と、この文化にはクリエイティブなことと同時に、嫉妬やゴシップが渦巻き、さらには実際の喧嘩といった、ストリートな要素も大きい。元々はあくまで個人の楽しみとして、ミステリアスな、誰にも知られない存在としてやっていたことが、いつからか文化の仕組みの中に取込まれ、知らぬ間に他の誰か、「外で絵を描くのが好き」という共通点しかないような連中と同じ括りになってしまった。

オレ自身は他がよく言う「システムをファックしろ。MTAと電車を破壊するんだ」みたいな、破壊的な思考を持ったことはない。いつも純粋に、線路内に入り、そこに戻った時に見る自分のタグにスリルを感じるだけだった。そういったこと全部が合わさって、一旦止めなきゃいけなかったんだ。

●それが日本に来て再燃した?

PP:あの日々のフラッシュバックが起きた。10年以上抱えていた日本への想い、アルコール、スプレー缶、マーカー、線路と、これ以上ない最悪の組み合わせだったよ。オレのような人間にとって、目の前にあった、フェンスをわざわざ越えなくていいような、ちょっと横を向いて足を入れれば入れるような、そんな状況は招待状だった。それが目の前にあれば、特に絵を描きに行くでもなく、まず中に入って一目状況を観に行くのは習性なんだ。そして、敷地の上から線路を見渡した時にそこに壁があることも確認でき、そこが確かに空いていた。すると反射的に「何かやるべきだ」と思うのも習性なんだ。日本に着いてから一度でも電車に乗って見ていれば、基本的に誰も敷地内に描いてない、日本の厳しさがわかったはずなのに、すべての最高な状況と最悪な判断が合わさってしまった。

●アメリカで捕まったことは?

PP:10回くらいかな。

●拘留20日間は今までで最長?

PP:今までは長くても30時間。罰金も払ったことはないし、最悪でもコミュニティ・サービスをやるだけで、今までは証拠不十分か、すべてを否定することで切り抜けてきた。前に日本で拘留されたことのある友達にも「12時間で釈放された」と聞いてたし、ということは、仮に何かあったところで一晩ホテルに泊まれないくらいと考えていた。1つや2つのことには影響はされないけれど、4つや5つも楽観的な話が頭の中で重なった結果だよ。

●ところが実際逮捕されてみると、日本の警察は本気だった。

PP:あたかも死体でも見つけたように、マスクをしてスプレー缶から指紋を採り、口の中からDNAを採られ、他の部屋の様子も一瞬見れたんだけど、調べがあまりに本格的で、「これはマズい」と。後から日本のライターから聞いたのは、最近日本にアメリカ人のライターが2人来て、かなり酷い被害を残してそのまま捕まらずに帰って行ったと。それは大きなニュースにもなって、そいつらがやるだけやって逃げきったばかりだから、もしかしたらオレもその一味と思われたのかもしえない。とにかく少なくとも、本当にオレが何をしようとしていたかわかるまで、釈放させないつもりだったんだろうと思う。まず最初の10日間、仲間がみんな帰るまでは待つしかないと考えた。

ホテルのカード・キーがポケットに入っていたから、すでに警察は同じ部屋に泊まってる人間全員の名前を控えていたし、それぞれが誰で何をしに日本に来たかを知りたがっていた。当初から計画的犯罪という疑いを持っていて、誰かの名前を出せば捕まえにいくだろうと予想できた。オレが自分ですら知る由のない、日本に来て唯一食べた夕飯をどのレストランで食べたかも調べ上げ、コンクリート上に残った靴底の跡も浮かび上がらせて写真に撮り、すべてを詳細に把握していた。これがアメリカだったら、あそこまでやるのは殺人犯に対してくらいのこと。とにかく20日間中、少なくとも10日間は「本当は計画的犯罪なんじゃないか」と、取調べはきつかった。朝から晩まで丸一日、ノンストップでずっと質問を繰り返す日もあった。

●20日間の留置所暮らしは、もしアメリカで同じことがあったと考えると、まったく別の体験?

PP:日本の警察の態度が直接的に何かを教えてくれたわけではないが、前向きに考えることを可能にしてくれたのは確かだ。中で自分が体験した物事の仕組みは、この国の文化を大きな意味で反映したものであって、それは結果的に自分が今回の一件を「人生でおこった最も大切なことの一つ」として捉えるように促してくれるものだった。彼らはこちらがそう感じるよう仕向けたわけではないけれど、あの環境なくして、自分の精神はその境地に至らなかったと思う。これがアメリカなら、まわりにいる全ての人間を疑い、隙を見せないよう心掛け、同部屋の囚人や監視官からは侮辱もされたはず。本当に実感するのは、各国の社会や文化は、それぞれの刑務所のシステムに顕著に現れるということ。拘留中で、そのことを言っていた19世紀のフランスの政治思想家、アレクシ・デ・トクヴィルを思い出したんだ。それは単に監視官が他の囚人を扱う様、日本語を喋れない自分を含めた外人の扱い方、または囚人の囚人に対する態度を見ていても、衝撃的ですらあった。見た目的には最も凶暴に見える、指が3本ない、全身上から下までが刺青で埋まっている囚人が、笑顔で朝には「おはよう」、夜には「おやすみなさい」と声をかけてくる。

最初の3日間くらいは、それがどういうことか理解できなかった。もしや油断させて、信頼させたところでもしオレが府中刑務所にでも行き着いた時、何かに利用しようとしているのかとか、悪い妄想が駆け巡った。その明らかなヤクザが、禿かけて歯もボロボロで「こんな人がどんな犯罪を?」と、首をかしげるほど弱っているようにしか見えない中年と仲良く話している。オレは3週間その人物を観察して、たぶん会計士か何かで、お金を誤摩化したくらいしか思いつけなかった。彼はいつもゆっくり歩き、決して笑みを絶やさない。中では誰もお互いに怒っていないし、その弱々しい中年がヤクザを恐れてもなければ、ヤクザもその中年と、まるで昔からの友人のように付き合っている。その様を目の当たりにして、お互いへの尊敬を感じたんだ。同時に自分は、いつも窓のほんの少しの隙間から、外に置いてあるホースを眺めてた。つまり、じっくり人生について思いを馳せる時間があった。これがアメリカで、会計士だか弁護士が犯罪をおかして中に入ったとしたら、一瞬で利用され、侮辱されてメガネを壊されたり食事をとられたり、何でもおこり得るだろう。それはたとえオレが入ってたしても身の危険を感じるし、何をされたものかわかったものじゃない。ところが日本では、「彼には考える時間が必要」で、言葉も喋れないから「助けてあげよう」という空気なんだ。

本来刑務所内にあるであろう、「あいつをやっちまおう」みたいなことはまったくなかった。最初は同じ捕まった人間たちに同情に近い感情を持つんだけれど、その後は「なんと美しい他者に対するリスペクトと態度が慣習として根付いている国なんだ」という分析に変わっていった。すると、風呂の中でいちいち自分の背後に気にしたり、夜一番最後まで起きて部屋の様子をうかがったり、食事の時にも虚勢を張らなくていいということがわかってくる。例えばアメリカで部屋の掃除なんて、誰も率先してしない。「お前がやれ」、「いや、お前だ」ということで、一番弱い誰かに押し付けることになる。それが日本では「いいですよ」、「僕がやりますよ」みたいなことで、最初はオレも「絶対何もしないぞ。他人のためになんか、何もしないからな」と構えていた。それが3日も経つと、自分から「いや、やりますよ」、「彼らより先にやってあげないと」という風に変わった。時間だけは大量にあり、警察はペンとノートを与えてくれたので、たくさんのことを考え、今回自分におこったことを100枚以上に綴った。

帰国すればもちろん絵も描きたいし作品もつくりたいが、何よりもまず、書いたことを何らかのかたちで発表したい。ここ日本は、自分にとって過去10年に渡りずっと最も行きたい国だった。歳を重ねるほどにその気持ちは強くなった。外国を訪れるそもそも一番の理由は、何か見たことないものを見て、学んだことのないものを学ぶはずが、今回の体験は新し過ぎた。新しい土地を訪ね、一気にその最も核心に向かい、そこで頭を駆使して状況を学び、分析した。サブカルチャーの先にある文化を体感し、色んな意味で幸運だったんだ。今は、これから一番野心的な挑戦に向かう気持ちが満ちているよ。