MUSIC

Thriller U

 
   

Text by CB Ishii(石井“CB”洋介) Photo by EC Ishii

2013年9月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

Thriller Uの曲を一度も耳にしたことがないレゲエ・ファンなんていないだろう。90年代の初めにはイギリスの某レゲエ・チャートでは常に上位に食い込んでいるダンスホール・シンガーだった。長身でスリムな体型と憎めない笑顔で、ここ日本ではVICTORとavexでリリースされ沢山のファンを掴んでいた。その頃のマネージャー/プロデューサーがなんと日本人のEC(Riddim Online編集長)。彼は5枚のフルアルバムと1枚のミックス・アルバムを制作、リリースした。その中には、NYでKRS-One、GURUそしてサラーム・レミ、イギリスではUB40やインコグニートのブルーイといった時代の寵児達にプロデュースを頼んだ素晴らしい曲も含まれていた。ECは僕の父だから、僕はまだ小学生だったけれどTrilla Uが出演する渋谷クアトロやOn Airというクラブには何度も出入りしていた。

● ECが88年にマネージメントを終了してから今までにアルバムは何枚出しましたか?

Trilla U(以下、T) : ECとの仕事が終了してからはアルバムは1枚しか出してないよ。でもそのかわりシングルは沢山出してきたし、無名でも若くて芽が出そうなプロデューサーたちと曲を作ってきたよ。

● L.U.S.T.とソロアーティストのTrilla U(以前はThriller U、現在はパトワ綴り)となぜ2つをやっているのでしょうか?

T: ECとのマネージメントが終了したあたりの98年にL.U.S.T.を結成したよ。僕たちは全員がジャマイカではシンガーとしての地位を確立していたんだけど、ジャマイカの音楽業界の中でもっと何かスペシャルなことをやりたかったんだ。ビジネスサイドから考えても違った角度から切り込もうとね。だから今までとは違ったモノを人々に届けようとL.U.S.T.としては2枚のアルバムをリリースしているよ。Trilla Uとしてはアルバムは1枚だね。今現在世界中のほとんどのグループはソロ・アーティストとして確立されたアーティストが結成するグループはないよ。もちろん素晴らしいグループだったNEW EDITIONとかが、終わった後にボビー・ブラウンがソロで成功してっていう流れはあるけどね。でもL.U.S.T.は違うんだ。Tony Curtis、Trilla U、Lukie D、Singing Melody、僕らは既に世間に認められているんだ。だからグループをもっと強力なモノにするしスペシャルなモノにする。だからTrilla UとL.U.S.T.として2つで歌う理由はL.U.S.T.を強くしていく為でもあるんだ。ほとんどのグループはリードシンガーという人がいるけど、L.U.S.T.は全員がソロで活躍している実力者なんだ。だからソロとしてのキャリアもキープしつつL.U.S.T.をより良い物にしていく。だからL.U.S.T.をブッキングしようものなら個々の4人とL.U.S.T.と合計5アーティストをブッキングした様なものなんだよ。だから僕はTrilla UとしてもL.U.S.T.としても活動している。
だから今回はTrilla Uとして日本に来たんだ。

● T.O.K.やVoicemailとの違いはどこなんでしょうか?

T : それは同じ答えになるけどやっぱり各個人がソロ・アーティストとして活動してきていること、そして僕たちはダンスホールではない、T.O.Kはダンスホール・グループだし、Voicemailもどちらかというとノリの良い曲が多い、でもL.U.S.T.はもっとメロディアスであらゆるジャンルの曲を歌える。ラーバズ・ロック、スカ、バラード、ハードコアからソフトなレゲエまで出来るんだ。そこが彼らとの違いかな。

● 最初は誰のアイデアなんでしょうか?

T : う~ん、Lukie Dの頭の中にあったものなのかな。キングタビーが亡くなる前の80年代からFire House周辺(キングタビー・スタジオのあった地域名)やストリートでみんなお互いを知っていたんだ。ただTony Curtisだけは島の反対側だったから、当時はそこにはいなかったから、グループの中では一番最後に入ってきたことになるのかな。Trilla U、Lukie D、Singing Melodyの3人はよくキングタビーのスタジオに出入りしていてほとんど毎日顔を会わせていたんだ。これはよく覚えているんだけど、そこから永い時間が過ぎて、僕たちはRecord Factory Studioにいた時に、Lukie Dがグループを組もうよってしきりに言い始めて、。で、当時はBeenie ManとBounty Killaがダンスホール・スタイルを感情剥き出しでバチバチやりあっていて人々の注目もそっちに行きがちだった。ヒップホップで例えると2PacとBiggieみたいな感じって言えば分かるかな。だからLukie Dが「今こそ僕らがグループとしてまとまってシンガーというものをみんなに見せつけようよ、音楽に対するLoveやUnityを広めよう」って。だからそうだね、Lukie Dのアイデアだと思うよ。

● それとあなたは誰も体験しないような不幸に出会ってしまった。当然ECも知っている2人、ニキータとカミールについて話してもらえますか?あの頃、奥さんのカミールとまだ1〜2歳だったニキータにはあなたのPVに出てもらったりしていますね。

T : 僕の娘のニキータ・ハミルトンは16歳になっていたんだ。娘と妻のカミール、その他の2人の友人にとって2009年の事件、、それは僕の誕生日の3日後だった。僕は娘と妻をアメリカのマイアミの友達の家に送り出したんだ。妻と娘は車で友達の家に到着して、皆のために買ってあった食べ物を車から娘と友達が降ろしていたそうだ。すると一人の不審な男が近づいて来て、妻にお金を要求してきたらしい。妻はお金は持っていない言ったけど、この男が少し混乱気味で身なりも汚いというのが分かったそうだ。すると突然男が拳銃を取り出し、妻の頭に銃口を突きつけたんだ。そして子供達に家の中に入る様に指示をし、財布の中身を奪って、全員の手首を腰の後ろで縛り、脚もガムテープで縛り、まったく無抵抗な全員の頭をブチ抜いたんだ。幸い妻だけは撃たれた弾が顔の左側だった為に一命を取り留めたが他の3人は帰らぬ人となってしまった。警察は容疑者を逮捕して今は公判の日を待っているところだよ。僕にとってはあまりに悲しい出来事だ。亡くなった娘のニキータも僕が残りの人生を悲しみながら生き抜いていくのは本望じゃないだろうという考えにようやくなれて、最近は立ち直ろうとしているんだけど、やっぱりそこはとても難しいんだ。毎朝僕は娘の名前を心の中で呼びながら彼女の魂が天国で安全に暮らしていますようにと神に祈っている。妻は左目を動かすことが出来ないし視力もほとんどない。僕らはずっと一緒に居たわけだけど、この悪夢があってから僕らの人生の全てが変わってしまったんだ。

● そういった悲しい出来事や痛みがあって、貴方がやっているレゲエはそれらの悲しみや痛みをポジティブに変えていくことができるかもしれない部分のある音楽だと思うんだけど、、、。君たちの祖先はアフリカから奴隷として連れて来られてレゲエは生まれました。Trilla Uもレゲエ・シンガーとして多少は乗り越えているのでしょうか?それはHip HopやR&Bではなく、Reggaeという音楽をやっている君だからあえて聞きますが、この不幸を乗り越えるということに役立っていると思いますか?

T : 純粋にそのことを言うと、自分の親族や愛する人にこんなヒドい不幸があって、僕自身とても乗り越えたとは言えない。とてもじゃないけど乗り越えられてなんていないよ。もっと長いプロセスが必要で僕はシンプルに毎日しっかりと生きていこうとしている。自分の人生について考えていると、もしここに娘が居たらって、どうしても考えたりする。なぜなら彼女は僕の人生の道しるべだったと言ってもいいからね。例えば彼女に僕の曲を聞かせて単純に「これはどう?好きか嫌いか?」なんて答えてもらったりしていたんだ。ずっと一緒に住んで生活の中にいたから、その存在は大きすぎるね。僕は「If tomorrow never comes」というGarth Brooksの曲をカバーして彼女に捧げたんだ。このPVでは僕が亡くなった役を演じて、最後には彼女のお墓も出てくる。さっきも言ったけどとてもじゃないが辛過ぎてこれは一生終わることの無いプロセスなんだ。だから乗り越えるなんてできないよ。確かにレゲエにはとても力強いパワーがあって、人々の精神的支えにもなるけれど、この問題はとても個人的な事件で、なんて言ったらいいのかな、、この大き過ぎる出来事を乗り越えるには僕の人生だけでは短かすぎるよ。僕は彼女をとても愛していたし、かけがえのない存在だし、今でも僕は毎日毎日新しい日が迎えられることと、娘の魂が常に天国で神の隣にあることに感謝の祈りをしている。乗り越えるなんてそんな簡単なことじゃないよ。

● 、、、、(沈黙)

(脇に同席しているECに向かって)
T : EC泣かないでよ。僕にはECが泣いてるのが分かるよ。彼女はいつも僕の心の中にいるんだよ。なるべく彼女の写真を持ち歩いたりしない様にしているんだ。知り合いとの会話で娘の話が出ると僕も思い出してしまうし、相手にも気を使わせてしまうからね。だからストリートにいてもどこにいてもなるべく自分はわざとハッピーでいる様に努めてる。ただ家にある娘の部屋や洋服は当時のままにしてあるんだ。たまに今がただの悪夢で、いつの日か夢からパッと覚める時がくるんじゃないかと思ったりさえするんだ。

● ECと働いていた時の良いエピソードはありますか?

T : 音楽の話は置いておくとして、今この場所にECがいるからというわけではなく、僕が一番嬉しかったのはOVERHEATとサインをした時だよ。その頃の僕のアルバムをプロデュースしていたのがジャマイカでも圧倒的にナンバーワンの人達だった。デヴュー曲はキング・タビーだったけれど、最初のアルバムはスペシャリスト(Shabba、コブラ、パトラのバウンティなどのプロデューサー)、キング・ジャミー、ロイ・フランシス(Mixing Lab)そしてペントハウスのドノバン・ジャーメインだった。この全員がそれぞれアルバムを制作してヒット連発だった。その頃はジャマイカ人のマネージャーだったけど、丁度契約が終わるのでECにマネージャーをやってくれないかと頼んだんだ。僕は父が早く亡くなってどちらかというと兄姉に育てられてきたからECは僕にとって父の様な存在だった。本当に目の前にECがいるから言ってるんじゃなくて、今までの僕のベスト・マネージャーだし、僕の音楽を信じてくれて、アイデアもたくさんくれた。しかしながらあの頃の僕は人間的に未熟だったし、人は成長していく上で色々とあるからECと上手く行かない時もあった。だからそういうことをこの場を借りて謝りたいね。ECのパワーは凄いからね。

● これからの予定は?

T : そうだね、音楽を制作していくことには変わりはないよ。今年の2月には新しいアルバムの「Trilla U」をTrue Love Productionでリリースした。Donald “Tixie” DixonというAnchor Studioのエンジニアをやっていた男が中心でプロデュースしてもらっているよ。アルバムには14曲が収録されていてその中の3曲はカバーソングだよ。現在の音楽ビジネスはイリーガルなダウンロードなど様々な問題があって業界全体が今とてもハードだけれども、今回はジャマイカン・フェスティバルとグリーンルーム・フェスに呼んでもらったし、またこの日本に戻って来られるのを楽しみにしているよ。今回のインタヴューもとても嬉しいよ。