MUSIC

Stranger Cole

 
   

Interview and Photo by EC, Translation by Tommy Far East

2016年4月にRiddimOnlineに掲載されたインタビューです。

昨年12月に他界したグラディの追悼コンサート「Tribute to Gladdy」のために多数のデュエット曲を持つ盟友でもあったストレンジャー・コールが来日した。
彼が語る5歳年上のアニキのようなグラディへの想い。ぜひ!

●もう50年以上歌っているはずだけど、最初に音楽に興味を持つきっかけは?

Stranger Cole(以下、S):まず音楽好きのファミリーだったんだ。兄弟のカティンはデューク・リードのサウンドシステムでプレイしていたし、父はギターを弾いていて、ギルボーン・コールという伯父はアーネスト・ラングリンと一緒にレコーディング等をやっていた。俺は若い頃にはロスコ・ガーデン、ファッツ・ドミノなどのアメリカン・ミュージックをたくさん聴いていて、その当時はダンスが凄く上手かったんだ。多分今でも踊れるだろうね(笑)。だからキャリアは小学校の時から始まっているよ。年末など、友達が集まるとその中でよく歌っていたものだ。あるとき自分が大好きなアーティストで、50年代から活躍しているジャッキー・エドワーズの「Tell Me Darling」という曲を歌ったら、みんなが拍手をしてくれたんだ。そのことがあってデューク・リードと会える事になるんだけど、ファミリーのカティンがデューク・リードと仕事をしていたという事もあり、スムーズにオーディションを受ける事が出来たんだ。俺はデューク・リードの前で「In Out the Window」という曲を歌ったら彼は「良い曲だ」と言ってくれたが、「この曲はモンティ・モリスかデリック・モーガンに歌ってもらう」と言われて最終的にその曲はモンティ・モリスが歌った。その曲はナンバーワンになったよ。デュークはそれを評価してくれて俺が新たに2曲をレコーディングすることになったんだ。1曲は自分だけで歌った「Ruff and Tuff」、そしてもう1曲はパッツィ(トッド)と歌った「when I call your name」。どちらもナンバー・ワン・ヒットになり、1962年、それが自分のキャリアのスタートだね。

●グラディとの出会いはいつ、どのようにして?

S:“グラディ”アンダーソンとは同じトレンチタウンの出身で、レコーディングする前から知りあいだった。彼はテーラーとして働いていたが、グラディの叔父さんはオーブレイ・アダムスというジャマイカのナンバーワン・キーボーディストだったから、彼からピアノの手ほどきをうけていたんだ。後にグラディがデューク・リードのオーデェションを受けに行き、彼に気に入られてトレジャー・アイルのオーディション係をやるように言われて、音楽の仕事をするようになったんだ。

●1984年にシュガー・マイノットが来日した時にグラディを紹介してくれました。「この男はジャマイカのほとんどのアーティストとレコーディングしてるけど、チャンスになると外されてきた、前に立つよりはバックで支えることに喜びを見いだす、そんな男なんだ」と言ってね。

S:その通り!グラディは多分60年代の曲の80%をレコーディングしたんじゃないかと俺は思うよ。グラディはどこのスタジオのこともよく知っていたし、他のミュージシャンもよく知っていて、本当に沢山の人と一緒にレコーディングをしていた。スカタライツ、バイロン・リー、アメリカから来たジョニー・ナッシュだってグラディだ。後にはルーツ・ラディックスなどともレコーディングをしていた。でもそのほとんどの曲はスタジオでの仕事だったから彼の功績が知られていないんだ。

●あなたはストレンジャー&グラディとして「Just Like A River」や「Pretty Cottage」などたくさんのデュエットをレコーディングしているけど、どのようなきっかけで始まったの?

S:さっき話したようにグラディの事は前からよく知っていて、グラディは歌うと言うよりはどちらかというとインストゥルメンタルをプレイしていた。だが彼とは本当にいつでも一緒にいたから自然といつも歌っていたがレコーディングはしていなかったよ。俺の曲の事はアレンジについても全て分かっていてくれた。俺は初期の段階ではパッツィと多くのレコーディングをした。その後、ケン・ブースやグラディなどとレコーディングをするようになったんだ。

●「Just Like a River」は素晴らしい曲です。グレゴリー・アイザックスやザ・マイティー・ダイアモンズも歌っているけど、あれはどうして?ジャマイカでは外国の曲をカバーすることが多いけど、70年代にジャマイカの曲を他のアーティストがカバーするのはそれほど多くないと思うけど?

S:さあ?なぜ皆があの曲カバーしたのかそれは分からない。後になってヤミ・ボロもカバーしている。単に良い曲だからカバーしたいと思ったんだろう。

●ストレンジャー&グラディとしてライブをやったことはありますか?

S:グラディとはあまりライヴ・ショーをしてないけど、ワールド・シアターと言うところでグラディと歌った。彼とはいつもスタジオで新しい曲を作っていた。ステージで仕事をするのはパッツィだった。ケン・ブースともショーをやったが、ほとんどはパッツィだった。

●今回、Tribute to Gladdyで日本に来た感想を?

S:遠い国の日本人がそう思ってくれたことが本当に嬉しいし、こうして戻って来れたことも本当に嬉しい。だがグラディが亡くなったことが本当に悲しいね。グラディは亡くなったけれど俺は自分のやることをこれからも続けていく。なぜなら俺はまだ生きているから。

●今回のグラディのトリビュートをやるんだったら絶対にストレンジャー・コールに来てもらうしかないと思って声をかけたんだ。

S:グラディのトリビュートはジャマイカだけで無く、各国から「ストレンジャーだ」と声をかけられたよ。ジャマイカだけでなく世界中からだ。それはグラディがワールド・ワイドな人間だったということだ。ジャマイカにしかいなかったけど、ワールド・ワイドな人間だったんだ。グラディは死んでしまったけど、彼の音楽はずっと生きている。今彼の曲を聴いている皆が死んだってグラディの曲は300〜400年は歌い続けられるよ。

Tribute to Gladdy (Ruffn’ Tuff 10th Anniversary)
詳しいツアースケジュールは
http://www.overheat.com/articles/event/tribute_to_gladdy/index.php
Special Guest: Stranger Cole

●大阪5/1(日)SOCORE FACTORY Open18:30 Live 20:30
Backed by The Rude Pressures

●東京5/3(祝/火)UNIT Open19:30 Live 20:30
Backed by Matt Sounds
Feat.Guest:こだま和文 , Trilets of Dreamlets
Selector: MURO, Tommy Far East

●名古屋5/4(祝/水)JAMMIN’ Open19:30 Live 20:30
Backed by The Rude Pressures
Selector:SAL