CULTURE

なぜ僕と核? Shing02インタビュー(前編)

 
   

Interview by 有太マン Yutaman , Photp by Yoshifumi Egami

2012年5月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

昨年3月11日の大震災とそれに続く原発事故を受け、私たちは、大量に放出されどこに飛散したかもわからない放射性物質に恐怖した。テレビ、新聞をはじめとした大メディアからの情報は信じられず、信頼できる情報を求めてネット内を彷徨った。
 そんな中、初めて耳にする専門用語や単位に突き当たり途方に暮れる先で、Shing02氏が2006年にアップしていた核についてのレポート「僕と核」に辿り着いた人は少なくなかったはずだ。
 そこでは無知な自分にもわかりやすい言葉で、「核」についての解説がされていたように思えた。さらには、日本で低線量被曝の危険性に警鐘を鳴らし続けた第一人者、肥田舜太郎先生が、その人体への影響を確信、理解するきっかけとなったスターングラス博士へのインタビューまでもが載っていた。今ではさらに「僕と核2011」、「僕と核2012」もアップされている。
 私たちが知るところの、才能溢れる一人のMC/ラッパーであるはずのShing02氏に、前編はレポート「僕と核」についてを中心に、そして後編は、そこにも繋がる音楽活動について聞いたインタビューである。

●卒業されたアメリカの大学での学部が、電気工学/コンピューターサイエンス科という、いわゆる理工系とのこと。そこで「核」や「放射線」について学ばれたということもあるんでしょうか?

Shing02(以下、S):本当に基礎知識として、いわゆる「化け学=CHEMISTRY」や物理学をやった程度です。でも友達や先輩に、「オーガニック・ケミストリー=分子生物学」みたいな学部にいった人もいました。だから本当にちょっとした知識があって、まったくチンプンカンプンだったわけではありませんが、それでも自分で調べ始めて発見したことの方が圧倒的に多いです。

●最初に「僕と核」をアップしたのは2006年とのこと。そもそも始めたきっかけは?

S:それは明確なきっかけがあって、2006年の春に坂本龍一さんから連絡があり、その夏に六ヶ所村の再処理工場の本格稼動があると。それで「その啓蒙運動をしたいので、手伝ってくれないか」とのお話で、もちろん二つ返事で了解をしました。もともとの繋がりは、2002年のアルバムの時にサンプリングの許可をもらいにいったことだったんですが、2006年のそれは音楽プロジェクトだったわけで、僕らはメッセージを音楽で広めるということでした。また、そのプロジェクトではとにかく「六ヶ所村を止めよう」という話でしたので、肝心の被曝について一切触れていなかったんです。キャッチコピーも、「原発が1年で出す放射能の量を、再処理工場は一日で出す」から、「それはマズいぞ」ということだった。そしてそれをきっかけに調べてみたら、そもそもまず日本には50数基の原子炉があって。

●その時点ではまだ、そのことも把握していなかった。

S:50基もあるってことは知らなかったですね。漠然と、色々なところに施設があるということはわかっていましたが、それは例えば僕がその年にインタビューをした日系アメリカ人で、元原子力技術師だったスガオカ・ケイさんという方が東電の隠蔽を内部告発して、2002年に一度東電の原発が全部シャットダウンもしています。そういうことがニュースになったりして、なんとなくは知っていましたが、それでもやっぱり、「エネルギーは必要なもの」という刷り込みがあるじゃないですか。でもそこで、自分は「音楽をやるものとして、オーディエンスに対する責任がある」と思ったんです。それは強く、オーディエンスからしてみたら、「坂本龍一とShing02が何かやってるぞ」となった時、メッセージとして「エネルギー問題や原子力の話があるよ」という話を紹介するにあたって「説明、補足が必要だな」と。だから、はじめは特にレポートをやるためではなかったんですが、勉強をしていく中で出会いがあり、色々なアクティビストの人たちに出会って感化もされました。それは本を読んだり、そういう人たちに色々な図とかを見せられると「ああ、なるほどな」と思うわけじゃないですか。だから音楽を通じて「六ヶ所、だめ」というのに加え、その「『なるほど』という気持ちを共有しなきゃ」と思ったんです。だからそこはレポートとか、グラフィックとかの方が効果的だなと考え、それでああいうかたちでまとめたんです。

●「僕と核」のレポートをつくる以前、もともとは「原発もどうしてもある程度は必要なもの」という意識だった?

S:それはある意味今でも、もちろんアメリカでもそうですし、エネルギーをみんなが使っているという点では、色々なエネルギー源はあってもそれぞれいいところと悪いところがあって、環境破壊に関しても基本的には度合いだと思います。採掘の現場でも色々な現状があります。例えば今、アメリカでは天然ガスの採掘が大きい問題になっています。それは地層にあるシェールガスを採掘する時に薬品を大量につかうことで、まわりの住民の水がすごく汚れるんです。そういうことと並んで、原子力に関しては核燃料のゴミの問題、「捨て場がない」ということは知っていたと思うし、それは六ヶ所についても、普通に稼動しているだけでガスや排水、排気を通じて「何かしら出ているだろう」ということはみんななんとなくはわかっている。だからそれはシンプソンズなんかでも「ホーマーは原発で働いていて、奇形の魚ができます」みたいなことがネタにされていますし。あとはやっぱり、チェルノブイリのことも大きかったですね。

●あのレポートがウェブ上にあって、おのずと読者からのリアクションにも、社会の状況と連動した波があったと思います。

S:もちろん、2006年に最初に出した時はすごく多くのリアクションがありました。それで昨年の地震、原発事故があって過去のレポートを何万人という人が読み返してくれたのもなんとなくトラックできたし、改めて新しいバージョンのレポートを出せたのが、そのちょうど事故から1年後じゃないですか。でもそれまでも、震災後の数ヶ月はちょくちょくと自分なりに、「参考になるんじゃないか」というデータや色んなグラフとかを出し続けていたので、その度に反響はありました。様々な反応がありましたが、総じて、自分にとってもすごくストレスの高い時期だったし、やっぱり命に関わることじゃないですか。だから、他人の健康や命に関わることとか、自分の子どもの心配をして読んでいる人もたくさんいるわけで、「責任重大だな」ということはずっと心掛け、あまり無責任なことは言わないようにしています。その中で、だんだんと自分のフォーカスが「これが、どう」と言い切るより、「『エデュケーションがあまりにも今まで足りなかった』というところに絞らないとだめだ」となってきました。昔のご縁から、鎌中ひとみ監督の映画とかはもちろん100%サポートしていますが、自分は表立っては、例えば反原発運動や再稼動反対、または避難とかには名前を出さないようにしています。自分は教育を優先したいので、なるべく中立的な立場から「こうなんじゃないか」という提案をしなければと思っています。でもやはり、ああいうレポートのいいところは、グラフと文章である意味誘導していくわけじゃないですか。これは映像もそうですが、ドキュメンタリーのスタイルはどんなことでも良くも悪くも見せられるし、それは統計とかもそうで、よく言えば、英語だと「persuasion(説得)」ですが、悪く言えば「manipulation(操作)」にもなる。だから、いつもその辺は「難しいな」と思っているんですが。

●あえて曲としては、あまり明確に「反原発」とは言ってこなかった?

S:言っていることは言っています。その2006年には、「ROKKASHO」を出していますし、他に「無知の知」というのも出したし、しかもわざわざ、2006年につくったその曲のビデオクリップを2010年につくりなおしたんです。その時はなんでかというのもわからなかったんですが、なぜか「今やらなきゃいけないな」と思い立ち、参加してくれたMC全員のところをまわって撮って、完成したPVを発表したのが2011年の1月でした。だからMCとしてのスタンスは、けっこう明確にはしているんです。そして特に今は、「僕と核」を読む人は、僕のことを知らない人が大多数だと思ってやっているので、本当は自分も本名とか学歴とか出したくはないんですが、まったく「Shing02」の読み方をわからない人もいらっしゃる。すると「誰これ?」となってしまうので、ある程度はそういう人たちにも、一応「こういうことでやっています」ということを明確に伝えようと思ってやっています。

●アメリカでも、低線量被曝に対して警鐘を鳴らす、例えばレポートで取材もされているスターングラス博士に代表されるような研究者たちは、王道の学会から邪道扱いをされたり、大変な立場に立たされているのでしょうか?

S:そうだと思います。特にそのスターングラス博士や、他にもジョン・ゴフマンという、大学にいながら、原子力委員会に頼まれて出したレポートに「少量でも、リスクがあるといえば、ある」と言ってしまったがために職を追われてしまった医学者の方がいます。タブーなんです。だけど、アメリカはそういうことをわかってもいて、79年にスリーマイルの事故が起きた時、騒ぎは抑えられても、事実上それ以上原発をつくることは不可能になりました。どこでどのようなシフトがあったかはわかりませんが、それこそ今まで日本もやってきたようなフォーミュラというか、少なくとも、全部を隠して「安全だ」と言いながら原発を増やしていくということに対して、一般市民が反対するようになったんです。そこにはもちろんチェルノブイリという追い打ちもありました。実際に、ネバダ州のユッカ・マウンテンに放射性廃棄物の処分場をつくろうとしていた計画も、もしつくったらそれは何千年後、何万年後かわからないけれども、ネバダ州にあるラスベガスなんかにとっても決していいイメージではなく、「やめてくれ」ということで、中止に追い込まれたんです。

●表向きには「なるべく中立に」と仰っていましたが、「僕と核」2006年版の最後のメッセージは「立つ鳥跡を濁さず」だったのが、2012年版のそれは「ウランじゃだめ」となっていました。

S:それはもちろんそうですよ。ウランは簡単に言うと、これはレポートの周期表にもあるように、自然界で一番重いものじゃないですか。それで宇宙は、恐らく一番軽い元素がだんだん核融合をしていって、軽いものからだんだん重いものができて、それが地球の奥深くに眠っていたと。結局「強い」とか「弱い」、「熱い」や「冷たい」ということも、相対的な話じゃないですか。僕ら自身にしても、ウランと同じくらい何億年もかけて進化してきた生き物であるのは間違いないわけであって、ただ、たまたまウランは僕らの活動レベルにはすごく強いエネルギーだったわけです。例えば僕らの体がプルトニウムとかセシウムとかでできていたら、ウランなんか全然大したことないってことだったと思うんですね。もちろん放射線のエネルギーに関してはウランからしか出るものじゃないですし、ただウランを割ることによって、これだけの、何百通りもの問題が生まれてしまう、ということなんです。ましてや一回だけ割るわけじゃなく、臨界をおこして何百、何千、何万という核分裂をおこすわけですから。

●そしてそれを人間が止めることができない。

S:制御はできますが、その結果できたものをそう簡単に冷やすことすらもできません。

●レポートを制作し、大き過ぎる問題の根源を探るような行為を経て、その全貌の大きさを実感して、その上で音楽の力はやはり有効だなと感じますか?

S:それはもちろん感じますし、もう一度一つ前の質問に戻っていいですか?

●はい。

S:ウランに関して一つ言えることは、勉強すればするほど、1940年代当時、国家をあげての初めての核開発があったわけじゃないですか。核分裂が発見された100年前くらいから、まずイギリスが先だって技術を確立し、それをアメリカに持ってきて、そこにアインシュタインをはじめとしたたくさんの科学者が集結し、ある意味その当時の人間の叡智の結晶だった部分があった。それはそこに一種の探究心と言いますか、核の力を具現化するという、一種の強い好奇心があったと思うんです。

●それだけ強大なものを征服する「カタルシス」と呼べるようなものが、研究者たちの中にあった?

S:それはそうでしょう。「原爆の父」と呼ばれる物理学者、オッペンハイマーがトリニティ実験(1945年にアメリカ・ニューメキシコ州で行われた、人類最初のプルトニウムの爆弾実験)を目の当たりにした時、バガヴァッド・ギーター(ヒンドゥー教の聖典)の「我は死なり、世界の破壊者なり」という一節が心に浮かび、「世界の終焉を見てしまった」と言ったことがあった。そしてその反動が逆に、原子力発電に上手く誘導されていったんです。「私たちはこんな恐ろしいものをつくってしまった」と。だからその償いとして、電気をつくって経済に貢献しなければいけないという使命感があったというのが、ある種、科学者たちの暗黙の言い訳だったんですね。そしてそれがまた冷戦で煽られ、そういった人間のドラマがあって、今でこそビジネスライクに「ウランは大事なエネルギー源です」となっていますが、当時はもっと哲学的だったと言いますか。そこには人間の欲とか色んな葛藤があった上で、いわゆる倫理観も問われるような技術だったから、それを無理矢理ドライなものに凝縮していった。でも本当はその裏から見てみれば、核被曝の歴史は核実験もあれば劣化ウラン弾も使い続け、人類がウランに触れている以上、被曝は終わらないわけです。しかも今もなお、世界中で何万トンと掘り続けている。だからそこは「だめ」と、原発とか云々以前に言いたくなるんです。「とりあえずストップしよう」と。

●それが「ウランじゃだめ」に繋がる。

S:あとは「そういう歴史に対して、恨みつらみを言ってる場合じゃない」という、ダブルのミーニングがあります。あともう一つ言いたいことは、その「ウランへの執着」というのは第二次世界大戦時のロマンだったわけであって、それを正当化するために原発の技術が生まれ、それをどうにかどうにか抑えようとして人間はあらゆるものを費やしてきたわけです。核燃料サイクルというものを思いついたのもそうだし、再処理の技術、プルサーマルとか高速増殖炉を考えてということも、後付けの後付けでどんどん大きくなって、結果としてそれ自体が産業になった、いわゆる癌みたいなものなんですね。だけどその実体は、実は技術としてはすでに古い。エネルギーとかに関して、本当はもっと賢く、もっと安全で、もっとパワフルなエネルギーもあるかもしれない。または単純に言えば、もっと効率よくやっていけば、そんなものに頼らなくても十分やっていけるということもある。これはウランに限って言えることでもないんですが。

●今の経済的な、どんどん現状以上の成長を望むというような、そういう思考回路そのものが古いと。

S:それもそうですし、これは学術とか研究の現場でも、すでにみんながウランについて知り尽くしちゃっている部分があって、もう科学のフロンティアじゃないんです。今は遺伝子工学とか量子力学、ナノ・テクノロジーが最先端だから、本当は「原子を割る」なんていう昔の技術じゃなくても、できるはずなんです。

●では、それでもここまできてしまったのは、人間がもともと内包している探求心や必然性みたいなものが導いた?

S:普遍的には僕はそうは思わないし、それは一部のマッチョな、アメリカの軍国主義に象徴されるマチズモが引っ張っていったものだと考えています。これはすごく組織的に行われたことであって、宇宙開発とかと一緒で、ある意味表層ですよね。特に原発に関しては、テクノロジーとしては進化していけばいいかもしれませんが、現場では3,40年経ったら廃炉にしなければいけないとか、普通に配管が錆びたりっていう問題が自然におきてしまう。ということは、仮に「進化していけばいい」というコンセプトとしては正しいとしても、「じゃあ、誰が後始末するんですか?」という話だと思うんです。

●また原発事故後、日本では東電から広告をもらっていれば何も言えないとか、実は戦時中のような検閲がずっとあったんじゃないかという話になりました。

S:そういったことを感じないために、自分はインディペンデントの立場にいるということもあります。とはいえ、それにしたって僕にも矛盾はたくさんあって、そういうことをわかった上でアプローチしてくれる人とは仕事をしますが、でもやんわりと「政治的なことは言わない方がいいよ」と言われることもあります。

●2006年のレポートに、「アメリカと日本には、せめてまだ発信する自由がある有難さを噛み締めて」という言葉がありました。

S:それはそうです。「これが他の国だったら」って思うことはありますね。

Shing02 x Chimp Beams『ASDR』
“ダークなダンスミュージック”をコンセプトにNY・ブルックリンに在住するMarihito、Yusuke Yamamoto、K-GO Mizutaniの3人の日本人によって2001年に結成されたエレクトロニック・ジャズ・ダブ・トリオChimp Beamsによるトラックと、Shing02の英語詩が融合したコラボレーションアルバム『ASDR』が4月25日に発売となる。レーベルメイトのDorothea Tachler、Shing02の作品ではお馴染みDJ Icewater、トランペッターのTakuya Kurodaが参加。
また、Shing02は多数の客演をこなす傍ら、まだ謎が多い日本語作の「有事通信社」も控えている。

Shing02 x Chimp Beams『ASDR』
【Ultra-Vybe / Concent Productions / OTCD-2608】

「なぜ僕と核? Shing02インタビュー(後編)」へ続く