MUSIC

キーボードサミット(前編)外池満広, 小西英理, HAKASE-SUN, 森俊也

 
   

Text by Riddim, Photo by “EC” Ishii

2019年11月にRiddimOnlineに掲載されたインタビューです。

アンセル・コリンズの来日がもうすぐだ!東京だけしか開催されないGladdy Unlimitedにジャマイカ代表としてやってくる。迎えるMatt Soundsには二人のキーボーディスト、外池満広と小西英理がいる。そこにスペシャルゲストとしてHAKASE-SUNが加わり、計4名のキーボーディストの饗宴となる。ということで、日本勢3人に集まってもらった。

●今回来日キーボーディストがアンセル、合計4名となります。3人の皆さんの身辺調査から(笑)。

外池満広(以下、T):なかなか無いですよね。

小西英理(以下、K):初めてです。

●まずは、それぞれがキーボードを始めたきっかけからお聞きしたいんですけど。

K:私は小さい頃、親に近所のピアノ教室へ通わされてたんですけど、横にエレクトーンが置いてあって「こっちの方が楽しい」ってエレクトーンに変えてもらったんですけど辞めちゃって、高校の学園祭からまた弾きだして、大学も行くとこがなかったので、1曲入魂で滑り込みで入学。そこからまたずっと辞めてたんです。

HAKASE-SUN(以下、H):いくつくらいからまた始めたんですか?

K:24歳です。大学に入ったけどバイクの事故とか色々あったりして弾けなくなっちゃって、大学はなんとか卒業させてもらって、その頃ラテンのレコードに出会って。弾けなかった自分がラテンを聴いてグワーって「あっ、きた!」って憧れて、そこからはもう「私はピアノでいくぞ」と思ったのが24歳です。

H:なるほど。エレクトーンからピアノに転向したっていう事ですか。

K:転向というか、そんなに本気じゃ無かったです。大人になってから「ラテンって、あっ、かっこいい、弾んで踊れて最高だなと」とそこから。

H:僕も英理さんと全く同じで小1くらいから親に「ピアノをやれ」って言われて、その前にやっぱりラテンの影響があって、ペレス・プラードの「Mambo No.5」でしたっけ。

K:大好きです。

H:家にそのドーナツ盤があってコロンビアのポータブル・プレイヤーとかで、5歳くらいから聴いていてその曲を気に入ってそればっかり聴いていたんですよ。だからラテンが元々自分のルーツで、6歳からピアノをやらされてました。子供ではピアノって面白くないもんね(笑)。しかもちゃんとしたグランドピアノの部屋があったら良いけど、6畳の和室にアップライト・ピアノで、畳だから超デッドで。

T:はははっ(笑)。

H:しかも調律とかも狂ってきて「こんなピアノを弾いても」と思ったんですよ。中学の終わりくらいに「ソナタ」のところで、ちょっと難しくなって1回挫折したんです。同時に中学校のブラバンに入って、最初はトランペットをやってたけど唇が合わなくて、中2からは小太鼓というかスネア、ローリング・ドラムとかをやっていたんですよ。高校になってビートルズとか色々コピーバンドを友達とやっていた時はドラム。でもやっぱり手と足があまり上手くいかなくて(笑)。ドラムのフィルってカッコよく叩きたいけど、フィルをやると足が止まってしまうっていう(笑)。だから、それも辞めて大学で東京に来たんです。プロミュージシャンになるぞっていう、若気の至りというね、願望を秘めて上京して、時代も良かったしバンドブームの波に乗って、ミュージシャンとしてデビューできた。

●それがフィッシュマンズですか?

H:フィッシュマンズと並行してムスタングA.K.A.っていうのをやっていて、CBS SONYから出てたの。僕が辞めた後の二代目キーボーディストに外池くんが入ってくれたんですよ。

T:大学のひとつ下の後輩にムスタングの友達がいて、そいつとレゲエバンドをやっていたんですけど、今スターパインズ・カフェで店長をやっているマービンっていうのがムスタングA.K.A.のリードで、それが繋いでくれてね。

H:89年くらいに、外池くんがMama Africaっていうバンドをやっていて、原宿のロサンゼルスって店で、、、。

T:そう、アマチュア同士で出て「俺の他にもこんなやつがいる」みたいに、びっくりしちゃって。

H:俺もそうだよ。ピアノの上にキーボードを載せて2段で外池君が立って中腰でノリノリで弾いてて、めっちゃかっこいい。

T:俺は逆に、HAKASEが(YAMAHA)DX7IIを4本脚のスタンドに載せて、太ももでキーボードを持ち上げながらこうやって、これはフィッシュボーンのキーボーディストのアクションじゃん!って思って。本当にびっくりしたね。「こんながやついるんだ、俺の他に」みたいな。

H:そうそうそう、かなり肉体派っていうか。暴れん坊な感じのね(笑)。外池君と僕はそういう出会いなんです。だから30年前から面識はあった。

T:役割が似ているから一緒にステージに上がる事はなかなか無かったけど、この間遂に果たしたね。

H:そうだよね。10月に今回Matt Soundsのベースを弾くコウチ君が主催しているイベントDub us.でシモンズ・ドラム・ナイト的なのをやりましたね。久々にライヴが面白かった。

T:面白かったね。改めてお互いにキャラの違いを感じて。

●じゃあ、外池さんがキーボードと出会ったのは?

T:驚いてるんだけど、俺もエレクトーンだしラテン&マンボなんですよ。うちの親父もペレス・プラードを聴いていて、ああいうラテンのレコードは子供がウキウキするから赤ちゃんの頃はそれで踊っていて。落ち着きがない子だから集中力をつける為にと母親に音楽教室にぶっこまれてピアノをやってたんだけど、エレクトーンの方が良いやと。クラッシックの難しいアカデミックな事とかは面倒臭いけど、隣のエレクトーン・クラスはロックとかやってて、「青い影」(プロコルハルム)とかああいうソフトロックが普通にポップスにアレンジされて譜面になっている頃で、ビーチ・ボーイズとかミッシェル・ポルナレフを練習して「こっちの方が全然かっこいい」ってそっちにいったけど小6くらいで辞めちゃうんです。だけど、最後に習っていたエレクトーンのスケバンみたいな先生が俺の中では凄く重要で、おへそが出ているぴたぴたにフリルの付いたシャツに黒いパンタロンを履いてハイライトを吸っている様な先生。

H&K:はっはっは(笑)。

T:「お前は本当にノリノリの曲はがっちり練習してくるけど、スローとかバラードとかちっとも出来ないね」って、「お前がやりたい曲のレコードを持って来たら、譜面に起こしてあげるから好きなやつだけやれば」って。だから自分が上がる曲だけをやって、テクニックを教わったんだよね。

H:その後は?中学とか高校の時も習っていたの?

T:引越して転校があって、音楽教室の再入学が途切れちゃうんだ。そして美大に行く頃はニュー・ウェーブ・ブーム。正にOVERHEATレコードが始まってくるあの辺の感じでニュー・ウェーブとパンク、最先端はレゲエだってUKレゲエを聴いて2トーンを聴いて、そこから掘っていくと「やっぱりオルガンだ」って思って、大学に入ると時間が出来て「自分のバンドを組むぞ」って初めて組んだバンドがレゲエバンド。ピーター・トッシュのアルバムからMama Africaって名前を付けて、それでMUTE BEATを1曲コピーしたんですよ。そしたら面識が無かったHAKASEが「君、MUTE BEAT好きなの?」って声をかけてきた。多分87〜88年くらい。MUTE BEATの「Beat Away」のピテカン(レコード)から出たアレンジの方が好きで、わざと「俺はこっちのアレンジでって演ってたらHAKASEが刺さったみたい(笑)。

H:俺も当時はMUTEばっかり聴いていたから。

T:嬉しかったよね、「うわっ、遂にメジャーにいったぞ、俺たちはやっぱり正しかった」って。

H:あの頃は、ちょっと人気があったら誰でもプロデビュー出来たというか、ライヴハウスでお客さんが100人くらい入ったら割と誰でもデビュー出来たくらいの青田買いが横行してて(笑)。「予算1,500万円でとりあえず」みたいな。

●そんなのにはぶち当たってないな。では、ちょうど森(俊也)さんも現れたので入ってもらって、森さんはMattではドラムですけど、この流れでキーボードとの出会いを(笑)。

森俊也(以下、M):僕も幼稚園くらいの時にひとつ上の姉がピアノを習い始めて、年子だったから羨ましくて習い始めたんですけど、小学校5年くらいの時に途中で飽きて辞めるんです。僕は鍵っ子で夕方家に帰るとテレビ番組の「ぎんざNOW!」をやってて、木曜日がコッペさんっていう人が洋楽を紹介してたんです。その頃に流行ってた洋楽が、エレクトリック・ライト・オーケストラとかボストンとかクイーンとかキッスとかエアロスミス、ベイ・シティ・ローラーズも凄かった。言葉は分からないけどそういうのが好きで、ギターが好きになって、ピアノを辞めちゃうんですよ。その後に中学でブラスバンドに入って、僕はラッパ(トランペット)をやりたくて入ったら希望者がいっぱいで、フカイ先輩って人が「お前ホルンやるよな?」って言われて「はい」って(笑)。それでブラバンやってクラッシックも凄く好きになった。中学3年の頃はYMOの「SOLID STATE SURVIVOR」が出た頃ですけど、あれもキーボードで、そこから人生が変わったというか、僕もピアノを弾けるからブラバンもやりつつクラッシックの勉強もしつつ、YMOの影響でそういうニュー・ウェーブですよね。

T:じゃあ、シンセサイザーにいくの?

M:そうだね、最初はそう。

H:最初のキーボードって何を買ったんですか?

M:一番最初に買ったキーボードは、Prophet-600でしたね。

全員:おー。

H:高かったでしょ。

M:それは、中古で10万円くらいでしたね。本当に一番最初買ったのは、高校3年の時にお年玉でデジタル・ディレイだった。KORGのサンプリング・ディレイが出来るSDD-1000かな。その頃は細野(晴臣)さんがサンプリングのテクノをやっていて、「サンプリングはすごいな」って、フィードバックさせていましたね(笑)。82、83年くらいですかね。Prophet-600は、イケベの中古フェアにKORG CX-3の中古で6万円のオルガンを買いに行ったら、あっという間に売れちゃってて「ウーン」となってたら、そこにProphet-600があった。大学に入って男の60回払いで買いましたね。まだそのディレイは持ってるけどProphet-600は売っちゃった。

T:良い音だったな。森ちゃんがプロデュースしたKAANAの曲で、Prophetが良い音を出してたのを今でも覚えているよ。

M:そうですね。ずいぶん長い間Prophetは使いましたね。

T:また上手いんだよ。森ちゃんは特徴的な良い音色とフレーズを作るのが。

M:モヤっとした音が得意だからね、シーケンシャル・サーキットはね。モヤっとしたあのポリ・ モジュレーションの音ね。でもDXとかには乗り遅れちゃってさっぱり分からなくて。その頃はクラッシック・ロックとか、そういうのばっかりを聴いていたから。YMOが解散して何年か経った後の僕はニューオリンズ・ファンクばっかり聴いてましたからね(笑)。あとは、戦前ブルースばっかり2年くらい聴いていたり。

T:でもクラッシックの学校だから、並行してどっちも好きな感じなのかな。

M:そうだね並行して。クラッシックの勉強をしながらそういうサイケデリックな音楽が好きだったんだよね。

T:なんでクラッシックからサイケデリックに?

M:クラッシックもサイケデリックじゃん。

T:そうか〜(笑)。

M:オーケストラとかってかなりそういう感じですね。

●森さんは色々な楽器をやるけど、3人はキーボードに拘っているじゃないですか。それは、どうしてなんですか?

T:俺はキーボードしか出来なかったから。さっき言い忘れたけど、絵の予備校に入ったころに皆んながニュー・ウェーヴをやり始めて、スティール・パルスとかUB40とかがパンクの最先端として扱われていて「なんてカッコいいんだろう」と思ったのと同時に、子供の頃に聴いていたラテンの感触が蘇って「俺のやりたくて一番好きなのはこの世界だ」ってスティール・パルスを聴いてあのフィーリングが戻って来て「これだ!」みたいな。質問の答えですけど、僕はレゲエとそのサウンドの世界がやりたかったんですよ。キーボードを弾きたかったわけじゃなくて、「でも出来る楽器がキーボードだ、じゃあその中で一番レゲエらしい、レゲエが一番美しくなるには自分はどうしていけば良いんだろう?」って、やっぱり最初はコピーです。
アンセル・コリンズもその頃に聴いたんです。大学に入ったばかりの85〜86年にニュー・ウェーブからスカ、2トーンを聴いて、ルーツを調べていくとトロージャンに行きついて、その頃にスキンヘッド・ミュージックにも出会うんです。凄く簡単なフレーズがリフレインしているだけ。Aメロ、Bメロ2回ずつしかやってなくてソロも無い、なのにかっこいい。「俺がやりたいのはこれだ」ってコピーしたけどどうしてもああならない。「何でだ」って所から俺の人生が始まって今ここに来ているみたいな感じですね。あんな簡単なメロディー、すぐ簡単に耳コピできるのに、音色なのかタイミングなのかタッチなのかアンサンブルなのか、あのかっこよさにどうしてもならない。

H:あの感じを出すのはなかなか。

T:そう。あの感じを出そう、あの高揚感を共有したい、貰ったからには伝えたいっていうそういう気持ちで、出来る楽器がキーボードで今に至ります。

●HAKASEもずっとキーボードを極めてるけど。

H:外池くんと似ている答えで、それしか出来ないので。歌でも歌えたらそっちの方にいった。

T:俺も本当は歌手になりたかった、シンガーになりたかった(笑)。

H:音楽の表現方法として、上手い歌を歌えたら良いと思うけどなかなか難しくて、ギターは弾けないし、やっぱりキーボード。キーボードってそんなに面白い楽器じゃないと思うんだよ(笑)。色々制限があって、音と音の間、1オクターブ12音と決まっているわけで、その間の音を出そうと思ったらすごく肩身が狭いよね。ギターだったらチョーキングとか、「チュイーン」っていうのがあるけど、それをやろうと思ったら、ピアノだったらグリッサンドって、下からグワーってビロリロリンって、一番外道な弾き方と言われているけど、それが一番バイブスが上がりますね(笑)。

T:いつも体振っているもんね。

H:あれが楽しいかな。ピアノなら楽器のガタイがでかいからクジラと戦っている様なもので肉体労働的なとこもあるし、やっぱりピアノは戦いという感じですね。特に生ピアノは楽しんで弾くものでは無い、僕の中ではね。

T:キーボードの中で何が一番好き?

H:どれも好きだよ(笑)。ピアノもオルガンも好きだし、シンセもピアニカも好きだし、基本何でも好きなんだけど、でもその楽器の一番鳴りの良い所を掴むというか、例えば外池君はオルガンの鳴るポイントっていうのを凄く心得ていると思う。昔から音色のセンスというかその辺、特にハモンド・オルガンが、自宅にあるくらいだから。自宅のスタジオに本物のレスリーがあるだけで凄いんだけど。そこは外池君には敵わないなと俺はいつも思っているんだよね。

T:やけくそですから。そんな事言われるとは思わなかったな。

H:外池君のやるスローな曲っていうのを聴いてみたいな。アッパーな曲が熱いからね。俺もそうなんだけど。

T:そうだね、熱い感じをやりたくてやっているのもあるな。ちょっと話が逸れちゃいましたが。

キーボードサミット(後編)へ続く