MUSIC

Jimmy Cliff

 
   

Text by Shizuo Ishii(石井志津男)、Interpreter by CB Ishii, Photo by cherry chill will(Billboard live)

2013年3月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

Jimmy Cliffが六本木Billboard live東京で4日間、大阪で1日の公演を行った。僕は東京の初日と2日目の2度のショーを見た後、久しぶりにJimmyの楽屋を訪ね短時間のインタヴューを慣行。ヒット曲を次々に歌いまくり飛んだり跳ねたりシャウトしたりの1時間10分のライブを2ステージ終えたばかりの御歳69歳のJimmy Cliffは放心状態。インタヴューすると前日約束してはいたが、ちょっと可哀想なので「やっても大丈夫?」と聞くと、やってくれと言う答え。マネージャーからは、インタビュー時間は5分間だけ(マジ?!)と言われたので、速攻、、、。

Riddim(以下R) : 素晴らしい完璧なステージでした。そして、2度目のグラミー賞、おめでとうございます!
確か1993年です、もう20年前になるけど久保田利伸さんと共演したのは覚えていますよね。関西テレビの35周年記念のコンサートで、万博広場の野外ステージでやったんですが、あの時には僕が来日の交渉をしにジャマイカまで行きました。今だったら簡単にSKYPEで顔を見ながら電話ができる時代です。

J : そうだね、グレイトだ! テクノロジーが進化したよね。

通訳のCB : アルバム『Rebirth』に付いて聞きます。このアルバムのプロデューサーであるRancidのTim Armstrongは実は僕の店(裏原のスケートボード・ショップHeshdawgz)に2回も来店しています。

J : おー!!(疲れていた彼の顔がニコニコ顔に)

R : 彼とはどのようにして会いましたか?

J : レゲエ・ミュージックがパンク・ミュージックに大きな影響を与えた事は知っているよね。もしこの世にレゲエ・ミュージックがなかったらパンク・ミュージックも存在していなかったとさえ思うんだ。政治や社会に対しての表現の仕方が同じだからね。そんな結びつきを考えている時に、新しいアルバムに向けて動き始めようとした僕のマネージメントの提案でプロデューサーにTim Armstrongという名前が挙がったんだ。それでTimと話しをしたらフィーリングが合うと感じたからスタジオで会おうということになった。そしてスタジオに入ったらとても気が合ったんだよ。そこからはもう、、何も説明なんていらないんだ。

R : このアルバム『Rebirth』はLAのサウンド・ファクトリー・スタジオでレコーディングされたそうですが、リリックはもちろんのことヴィンテージ楽器やサウンドも引っくるめて全てが60年代のジャマイカ音楽が持っていた感覚に強くこだわって作られたアルバムだと思いますが、このアイディアは?

J : まずアルバムのタイトルは『Rebirth(生まれ変わる)』だ。『Rebirth』ってことは何かが、また生まれなくてはいけないわけだよ。つまりまたもう一度最初に戻らなくてはいけないんだ。Re(再び)Birth(生まれる)だ、レゲエの一番初めに戻らなくてはいけなかったんだ。Timはレゲエに関しての知識をとてもよく理解していたし、実にTimは僕たちが昔使っていた楽器を全部揃えていた。それに色々なレゲエ・ミュージシャンも知っていた。だからこのような完璧なサウンドになったんだよ。

R : 今回のレコーディングで苦労したことはありますか?

J : いや、特にはなかった。さっきも言ったけどレゲエとパンクは社会的、政治的内容の意味でも似ている部分が沢山あるしね。

R : アルバムの1曲目がJoe Higgsのカバーですか? このアイディアは?

J : 『World upside down』ていう曲だよね。あれはJoe Higgsが書いた曲なんだけど、実は僕が今の時代に合わせた僕自身の表現に変えているんだよ。だから聞き比べたら分かるけど新しいリリックなんだ。

R : では「Reggae Music」と言う曲の中でたくさんのジャマイカのレジェンド達の名前を歌っています。例えばWinston Wright(Key), Jackie Jackson(Bass), Hux Brown(G), Winston Grnnan(Dr)、そして何より曲の冒頭で「♫1961年のオレンジ・ストリート、オレは自分の歌をLeslie Kongの前で歌ったんだ、、、」と始まります。また、昨夜と今夜のショーでもナイヤビンギで「Rivers Of Babylon」を演りました。Leslie Kong がプロデュースしたThe Melodiansの曲ですよね。僕は90年代の中頃にThe Melodiansの3人をジャマイカで再結成させて2曲レコーディングし、来日させてコンサートをしたことがあります。まだBrent Dowは生きていて彼とはとてもウマが合い、僕のホテルなどへもよく現れたりしました。その時彼が「Leslie Kongこそがベスト・プロデューサーだ!」とムキになって言っていたのを忘れません。あなたもLeslie KongのBeverley’sレーベルが最初のレコーディングです。貴方の最初のプロデューサーであり、38歳という若さで亡くなった彼はどのような人物でしたか?

J : Leslie Kongはアジア系では初めて音楽ビジネスに関わったプロデューサーだったよ。中国系ジャマイカ人としては初めてのプロデューサーだった。そしてその流れはRandy`s(現在のVPレコーズ)なんかへと続くんだ。Leslie Kongはとても才能に溢れた人で、沢山のアイディアを持ち、ジャマイカから生まれた一番最初のインターナショナル・ヒット曲はLeslie Kongによるものだよ。ジャマイカにはSir coxsone, Duke Reid等の素晴らしいプロデューサーが沢山いたにも関わらずだ。でもLeslie Kongは僕の曲も引っ括めて最大のインターナショナル・ヒットを作った一人だよ。本当に彼には才能があった。

R : たしかに「Rivers Of Babylon」は、当時のディスコ・バンドBoney Mがカバーしてアメリカでも大ヒット。ジャマイカからの世界的な最初の大ヒット曲はDesmond Dekkerの「Israelite」だと思いますが、これもLeslie Kongによるものです。では今度のアルバムに「Outsider」というR&Bを1曲入れた意味は何ですか?

J : 僕がUKに住んでいた時に僕はR&Bの曲もよく作ったんだ。それをTimは知っていたんだろうか? これはTimからの提案だったんだ。

R : CLASHの曲「Guns of Brixton」をカバーしていますね。このリリックにはあなたが主演した「The Harder They Come」の中の役名Ivanの名前や「The Harder They Come」というフレーズが出て来ますが、この曲がリリースされた当時から知っていましたか?

J : うん、知っていたよ。ライブで聞いてたからね。

R : 今回カバーしたきっかけは?

J : ご存知の通り僕のアルバム『Black Magic』(2004年)の中でCLASHのJoe Strummerと「Over The Border」という曲をやったが、生前最後にレコーディングをしたのが僕なんだ。僕らはお互いを知っていたし、尊敬し合っていた。だから敬愛の意味も込めてのレコーディングなんだ。

R : えっ、ストップ?!そろそろ、時間が無くなって来た? あと一つだけ。あなたはずっと高い声ときれいな声をキープしています。秘訣は?

J : それはシークレットだよ(笑)。シンガーは一度成熟すると、声は衰えていく。僕だって同じさ。でも僕の声は時間と共に良くなっていくんだよ。別の男の人生が見つかる場所に僕のスタートがあるってことかな。

R : あ、ダメ? もう8分だって? 分かったストップ!ありがとうございます。Thank you So Much!

時間さえ許せば、最後に「The Harder They Come」はどのようなきっかけで出演したのか?」などとディープな話を聞きたかった。実は90年代の初めの頃に僕が彼の家に行った時のこと、数人が打ち合わせに来ていた。彼らは「The Harder They Come」の続編を作ると言っていたのだ。そして「The Harder They Come」の監督ペリー・ヘンゼルはもう亡くなってしまった。ちょっと知り切れトンボなこのインタヴューも僕にはとても有意義な答えが詰まっている。

最後にエネルギッシュなLiveを終えて疲れているにも関わらず、貴重な時間を提供してくれたJimmy CliffとBillboard live東京に大感謝。(2013. March.5)