ART

Jay Howell

 
   

Interview by Yosuke ”CB” Ishii Photo by EC

2016年9月にRiddimOnlineに掲載されたインタビューです。

スケートボード・カンパニーへアートを提供するだけじゃなく、今やFOXやニコロデオンのようなケーブル・テレビ・チャンネルに大人気のアニメーションを提供するJay Howellがふらっと僕のスケート・ショップHESHDAWGZに現れた。さっそく色々聞いてみた。まずは生まれたところから。

Jay Howell(以下、J) : 東海岸のマサチューセッツ州のボストン近郊だね。でも全然好きじゃなかったよ。ボストン時代からスケートはやってたけど13歳の時にカリフォルニアのプレザントン(サンフランシスコ近郊のベッドタウン)に移り住んできて、「コレだ!」って感じたね(笑)。まあカリフォルニアといえばサンタモニカやベニスのようにビーチがあって、サーファーがいてって想像していたからプレザントンはだいぶイメージが違ってはいたけど、80年代から90年代のベイエリアのスケートシーンはすごくクールで楽しかったよ。

●じゃあ10代の頃はスケートばかりしてたんだね?

J:その通り! 26歳までは毎日毎日滑っていた。でも足を骨折してからはあまり激しくスラム出来なくなって今はお酒を買いにプッシュで行ったりする程度かな(笑)。

●たしかサンフランシスコにも住んでいたよね?

J:そう、2010年まで住んでいたよ。

●アートスクールには通ったの?

J:1994年に2ヵ月だけ、はっはっは! 全てのクラスの単位を落としちゃってさ。でも僕は良い生徒だったよ(笑)。 ただ学校はつまらない。僕は高校が好きじゃなかったからカレッジも好きになるわけないね。カレッジくらいは行くべきだと思っていたけど、ある時に絶対に行かなきゃいけないものじゃないと気がついたんだ。学校で学ぶカラー・テクニックとかまったくやりたくなかったしね。

●でも小さい時からドローイングはしてたんでしょう?

J:そうだね。常に描いてたよ。ずっとアートをやりたいと考えていたけど、それでどうやってお金を稼ぐのか、、、まあそれについては一生分からないけどさ、ははは。でもAlan Petersen(元Consolidated Skateboardsのプロスケーター)に出会って1999年に初めてデッキのグラフィックをやったんだよ。

●うわ~、知らなかったよ。

J:それで、2000年にConsolidatedでアートディレクターをしていたTodd Bratrud(現在はVolcom等にアートワークを提供するアーティスト)にも会ってConsolidatedで2回目のグラフィックをやったんだ。それでこれこそ僕のやりたいことだと真剣に思い始めて、スケート・カンパニーと仕事をしようとサンフランシスコに引っ越したんだよ。

●なぜサンフランシスコに引っ越したの?

J:サンタクルズ、サンノゼ、サクラメントといった北カリフォルニアの色々な街に住んだけど、特に2000年代初頭のサンフランシスコにはお金とアートの土壌があることが分かって、自分にとってもプラスになるかもと思って移住したんだ。今のサンフランシスコはもうあの状態じゃないけど、数多くのアーティストにとって素晴らしい時期だった。

●当時はサンフランシスコでアーティストとして生活出来たってこと?

J:もちろんハードではあったけど生活は出来たよね。

●Jayもアートだけで生活出来たの?

J:う~ん、まあバイトした時期もあったけどなんとかね。

●サンフランシスコのMinna Galleryで僕たちが初めて会った2010年頃は何をしていたの?

J:アートショウのキューレーターをしたり、そのギャラリーの手伝いかな。オーナーがとてもクールな人で、僕がアートで活躍するのを応援してくれていてギャラリーでの仕事をくれたんだ。だからとても良い経験になった。そこからカートゥーンを作るようになって僕の人生はガラッと変わった。カートゥーンを制作している多くの人たちはロサンゼルスに住んでいたからカートゥーンTVの仕事をする為にロサンゼルスに引っ越したんだよ。

●カートゥーンは何がきっかけで作ることになったの?

J:僕のパートナーのJimはそのころはまだサンフランシスコで学生だったんだ。彼は僕のzineをスキャンしてアニメーションを作ってEメールで送ってきて「もっとアニメーションやりたいか?」って聞いてきて、それで意気投合してそれ以来ずっと一緒にやってるよ。

●そのアニメーションを誰かが見たって事だよね?

J:そうだね、ニコロデオンが見たんだ。(Nickelodeonは児童向け番組専門の全米1位のケーブルテレビチャンネル。「スポンジ・ボブ」、「ザ・ペンギンズ from マダガスカル」などが有名)それとLoren Bouchardという有名なTVプロデューサーも見てくれて、仕事が舞い込むようになったんだ。

●Loren Bouchardはなぜそのアニメーションを目にする機会があったんだろう?

J:当時彼はサンフランシスコの僕の家の近くに住んでいて、僕のアートショウに来て僕らのDIYカートゥーンを見たからなんだ。僕はとてもzine作りが大好きなんだ。なぜなら作る行為だけじゃなくて、人に渡してコミュニケーションを取る方法として最適だからね。zineこそが僕をここまでにしてくれた(笑) 。僕はモダンアートのChris Johanson, Barry McGeeなども大好きだけど、僕はスケートボードやスノーボード、パッケージデザイン、TVショウなどコマーシャルアートをクリエイトするのが好きだ。もちろんアートはとてもクールだけど、僕の作品はミュージアムで展示されるようなスタイルではないからね。もちろん頭のどこかではミュージアム・アーティストにも憧れていたんだけど、カートゥーンに興味を持ち始めて、ミュージアム・アーティストにならなくてもいいんだと気がついたときに、カートゥーンで何か出来るぞ、何か他の人と違った物が出来ることが分かってとても気分が良くなり胸につかえていたものが取れた感じになったんだ。もちろん真剣に考えて、自分だけのやり方で出来ると思っている。STAY PUNK!! ははは。

●今もFOXで放送されている「Bob’s Burgers」のキャラクターをデザインしたんだよね?

J:そうだよ、その後は「Sanjay and Craig」という番組が3シーズンに渡ってニコロデオンで放送されたよ。この作品はストーリーもデザインも何もかも全てやったんだ。

●すごいね! 次のも控えてるのかい?

J:そうだね、だけどまだ買ってくれるかどうかは分からない。買ってくれれば放送されるだろうけど今はまだストーリーを書いている段階だ。実際はどっちでもいいよ(笑) 、TVとの仕事は大変だからね。本当にクレイジーで120人の従業員を使って制作していかなきゃいけないから、たまにはクビにしなきゃいけないヤツがいたり、胃が痛くなるよ。色々と要求される分だけギャラは良いけど、むしろスケートボードにアートを提供したいよ。でもお金は良くないね、ははは。

●ではスケートのAnti Heroのアートをやるきっかけは?

J:サンフランシスコ時代、家の近所のBarに毎晩飲みに行ってたんだ。あるときBarがガラガラだったから、飲み過ぎた勢いでBarの中でスケートに乗ったんだよ(笑)。当時DLX DistributionのMic-E-Reyes(DLXの武闘派ベテラン幹部)も近所に住んでいて、その日はわざわざBarの中にピストバイクを停めて彼は外にいたんだ。なぜならそのピストバイクは買ったばかりのニューだったからね。酔ってスケートに乗った僕はすっ転んで、飛んでったスケートがMic-Eのピカピカのピストバイクをバ~ンと直撃して倒れちゃった。デカくてタフなMic-Eが凄まじい形相で中に入ってきたんだ。「うわ~、ボコボコにされる、、」って覚悟して「ホ、本当にすみません、あの、ビールどうですか」ってダメもとで言ったけど、もうMic-Eは頭から湯気が出ている状態。とっさに自分の胸ポケットの中に入っていたzineを渡したんだ。そうしたら「何?オオ!!いいなァ、ちょうどJulien Stranger(Anti Heroのボス)とオマエを捜してたところだったんだ、Anti Heroのグラフィックをやるか?」って言われて、Zineのおかげでその晩ずっと一緒に酒を飲んだんだ。それで正式にAnti Heroのグラフィックをやる様になった。

●それは素晴らしいストーリー!(笑)。

J:僕もそう思うよ(笑) 、それでAnti Heroと仕事をしたらAnti HeroがVansの仕事も紹介してくれて、もう10年くらいVansと仕事してるのかな。

●Anti Heroが人生を変えたと言ってもいいくらいだね?

J:本当にそうだ、Anti Heroと仕事が出来たのはこれ以上にない幸せだった。Anti HeroとJulien Strangerは一番好きだし、Julienは、おそらく自分のことをアートディレクターだとは言わないだろうけど、素晴らしいアートディレクターでもあると思うよ。本物のスケート・カンパニーと仕事が出来たことで、本物のスケート・アーティストとして活動が出来るようになった。Anti Heroと仕事をしたら、どこのデッキ・ブランドとも仕事が出来るからね。とてもラッキーだった。

●あなたのアートブック「Punks Git Cut!」のカバーになっている人はJay本人なのかな?

J:そうだよ、僕と飼っている犬だよ。

●このJayの代表的なキャラクターはどのようにして生まれたの?

J:よくは覚えてないけど、サンフランシスコに引っ越して全ての状況が目まぐるしく変わった時くらいかな。このキャラクターって実は全部がどこか僕に似ていると思うんだけど、、背が高くて、鼻が大きくてヒゲがある怪しい出で立ちでさ。だから自分なのかもしれないね、僕はカートゥーンの中で生きたいのかもね(笑)。

●では、他人に見せる絵と見せない絵なんてある?

J:う~ん、どうだろうね。たぶん全部見せていると思うよ。

Mel (以下、 M) : あなたはとても社交的な人だと思うわ。

J:そうだね、あはは。うん、自分がやっている事をみんなとシェアしたい方だね。単純に楽しみたいんだよ。面白いことの中毒者だからね(笑)。

●それではコミックも描いたりするの?

J:いや、zineだけだね。

●絵を描く上で一番大切にしていることは何かな?

J:“ドローイングゾーン”と自分で呼んでるんだけど、やっぱり何もまとまらない日もあるし、またある日は無敵の状態になってパーフェクトにドローイングが出来る時があるんだ。もちろん仕事によってはその状態に強引に持っていかなきゃいけない時もあるけど、8時間から10時間ぐらいノンストップで描き続けられる状態に入った時がとても重要だね。ただその状態になるように自分をコントロールしなきゃいけないんだけど。

●でも毎日ドローイングはしているんですよね?

J:そうだね、でもたまにはスプレー・ペインティングをしたり、ドローイングしていない時はアート・サプライを見に行ったり、絵をフレームに入れたり、絵をスキャンしたり、アートの事に関しては毎日何かはやっているよ。だから今回のトリップはここ10年間で初めて仕事じゃなくプライベートで来たんだ。どこに行くにもほとんどアートショウやらペインティングが絡んでいるからね。

●今朝は何か描きましたか?

J:いや、今日はまだ描いてないよ。昨日は描いたけどね。でも日本の子供向け番組やカートゥーンが大好きで沢山見て感化されたからアメリカに戻ってまたカートゥーンの仕事をするのが楽しみだよ。日本のTVで凄く影響を受けたよ。

●なぜ日本に来ることにしたの?

J:ずーっと来たいと思っていたけど来れなかったんだ。本当は2011年にくる予定だったんだけど3.11で流れたんだよね。面白い体験が出来るだろうと思っていたし、CBにも会いに来たからね。

M :そうよ、私たちはCBに会いに来たのよ。

●ははは

J:だからとても楽しんでるよ! パーティー!!

●ははは、日本の印象は?

J:この辺り(神宮前5丁目の住宅街)の原宿はとても静かだよね。もっと騒がしいかと思ったけどね。今年、僕の友達の何人かが日本に来て「日本に行った方が良いよ」って強く勧められたんだ。日本はとてもクールだと知っていたけど、でもこんなにクールだとは思っていなかった。あとお店が多いね。こんなに多いとは思わなかった。もうこの街全体が大きなモールみたいで飽和状態だね。

●アートショウは定期的に行っているの?

J:そうだね、年に3回くらいかな。ただ仕事によっては少なくなる時期もあるけど、今はちょうど時間があるから沢山アートピースを作ろうと思っていて次のアートショウも考えているところだ。もしかすると日本になるかもしれないな。今はオンラインで何かを売ったりすることは考えていなくて、アートショウを定期的にやることにフォーカスしてるよ。今は新しい場所でアートショウをしたいね。海外でやりたいと思ってる。なぜって歳を取ったら海外には簡単に行けなくなるからね。