MUSIC

永山愛樹 (TURTLE ISLAND)

 
   

2016年5月にRiddimOnlineに掲載されたインタビューです。

 今年は5月27、28、29日に、愛知県は豊田市豊田大橋下で開催される「橋の下世界音楽祭」。
 楽隊、TURTLE ISLAND(タートルアイランド)の主催で2011年にはじまった宴はこれまで、例えば世界各国からの選りすぐりのバンドと阿波踊りの連、今年は「なまはげ」までが同列に出演陣に名を連ね、それでいて参加費は入場投げ銭方式。出店には本物の猟師、盆栽屋から鍛冶屋までが並び、知っているつもりだった「フェス」という言葉の概念は、意味をなさない。
 現場は高い刺青、モヒカン率を維持しながら、一般の家族連れとも当り前に共存し、耳には「映画『MAD MAX』が具現化したかたち」、「ウッドストック行けなかったけど、これに参加できたからいい」という声が聞こえてくる。
 サブタイトルにSOUL BEAT “ASIA”、“WORLD”と続いてきて、5年目にして“NIPPON”となる節目。
コンセプトの根幹にあることを、「『あらゆるものに限りがある』ということがやりたい」と語る、タートルアイランド・永山愛樹氏に話を聞いた。

●「橋の下世界音楽祭」5周年、おめでとうございます。

永山(以下N):最初は「4年周期でやろう」って言ってたんです。深い意味はなくて、何となく「ワールドカップみたいな感じ」だったんですが、それもたまたま「四神を祀ろう」となって。
 アジアということで4方司る霊獣、つまり「青龍」、「白虎」、「朱雀」で「玄武=亀」という、安易な考え方で(笑)。川辺でもあり水の神「青龍」から始まり、
でもそこで、本当は最後に中央を司る「麒麟」がいるという、「4つじゃなかった」、「本丸が残ってた」って。
 だから、勝手な自分たちのストーリーとして、今年は「終わりで始まり」みたいなことなんだと。
 もともと僕らが「橋の下」を始めたのは、イベントとか興行をしたかったわけじゃないし、「大きくなっていく」、「成功する」という目的ではない。もちろん、かたち的には人がいっぱい集まって「成功した」みたいな感じになってるけど、特に4年目は自分たちには何か、「足りない感」がすごいあって。

●311を受け、デモとかにも行ったりしながら感じる違和感について考える中で、「それぞれが、それぞれのことをやるしかない」というところに行き着いたと。かと言って、なかなか普通、実際「やろう」ということが「橋の下」にはならないと思うのですが。

N:電力とか原発とかで言ったら、東京が混乱して、東北まで行ったら家や船がそこら辺に転がってたりしてて、あれを目の当たりにした時に、本当に「すべてのものには限りがある」と。
 わかりやすいところでは、「電力に限りがある」、「燃料に限りがある」、「命に限りがある」。すべてに限りがあるわけじゃないですか。
それを、頭でわかってはいたけど、当り前だけど明確に提示されたというか、たくさんの人が感じたんだと思うんです。
 例えば自分自身が発電所だとして、自分の中でつくられるエネルギーにも限りがあるし、使い過ぎれば疲れたりもするし、だからやっぱり溜めたり、つくってもいかないといけない。
そう置き換えたら、自分の発電所でつくられたエネルギーを、限られている人生の中でどこに費やすのか。その時に、「自分にとって一番有効なところで使いたい」って思ったんですね。
 これは別に、デモが「ダメ」とか「いい」とかいう問題じゃなくて、立場と役割がそれぞれあるから。自分にとっては「対面するものをつくって、相手と戦う」ということは凄く疲れますよね。同じ闘いでもどこにエネルギーを向けるか。
 だったらエネルギーを、ひたすら見たいものをつくっていったり、感じたいことを感じられる場所をつくっていったりするという、もっとだいぶ手前の、「システムとか政治を変える」とか大それたものじゃない、その土壌そのものというか。

●立っている大地の部分を見据える。

N:みんなとそういう気持ちになれる状態をいっぱいつくって、共有していく。それが、心をもっとキャッチできるような状態になれば「こっちのものだ」というか(笑)。
 だから、まずはその状態に持っていくのが音楽のできる役割だと思う。オレなんかはたぶん、もしできるとしたら、そういうことくらいしかないんじゃないかと思って。
 勉強もできないし、難しいことは学者みたいな人に任せて、「どんな状態でもやれる」、「サバイブしていくんだ」という、そういう精神とか、「大丈夫だ」って思わせたり、何歳からだって学ぶこともできるし、まず「そういう気持ちになれるような祭をしないといけない」と。「ここから下は置いていく」みたいなのならば、「置いてかれる方でいいや」って。でなければ益々分断は広がるし。

●そういった姿勢は、タートル(アイランド)や竹舞さんとのユニット、タートルの最小編成である「ALKDO」の音楽性からも感じられます。その部分を意識するようになったきっかけは?

N:音楽としては小学生で光GENJIを見て、「光GENJIになりたい」と思ったんです。「オレはこれになるんだ」と思ったところから始まって、でも途中でパンクロックと出会ってしまって、ブルーハーツからラフィンノーズとか、たまたま買ったのがラフィンのライブ版だったんです。そこにはMCがいっぱい入ってて、喋りをいっぱい聞いて、「何を言ってるんだ、この人は?」って。
 パンクロックとの出会いは大きくて、20代前半初めてライブでイギリスに行く機会があって。当時バンドをやってたんですが、渡英は自腹だったんで、皆金が無くて断念。別の仲間のバンドが行く事になって、あきらめきれない自分は給料を注ぎ込んでその仲間のバンドに加わり、急遽「ザ・アクション」というバンドと、その時用の曲もつくって「無理矢理行こう!
と。ダサいんですけど(笑)。
 当時僕は丸っきり受け売りの、英語で歌うイングランド・スタイルのパンクをやってたわけですよね。それでいいと思ってたし。
 それが、向こうに行った瞬間からすごい恥ずかしくなって。何かわからないけど、自分の表現が「人のふんどしで、借り物で、何も自分がない」みたいな。言いたいことがあっても、英語も喋れないのにわざわざ英語に訳して英語で歌って「オレ、何やってるんだろう?」って。
 イギリスにいるツアーの最中、向こうでたまたま太鼓のグループを見たりして、そこで初めてタートルのビジョンがパッと出て。
「あ、これだ」、「オレがやってたのは”自分にとっては偽物”だった」と。
 それで帰ってすぐ、和太鼓とかお囃子とか、僕、もともとそういうのが好きなんですよ。それは遡ると、「郷土芸能クラブ」というのが小学校3、4年生の時に学校にできて入ったんですが、とにかく「格好良いな」って憧れて。

●すでに持っている自分の武器があった。

N:僕は、家の中はまったく韓国の文化の中で育って、豊田の土地にも流れて来てるから、街の祭は見に行くしかなかったし、憧れが強かったんです。
 家は在日で親父は長男なので、コッテコテの韓国なんですね。でも、従兄弟なんかは朝鮮学校が多かったんですが、家は「日本で住むから日本の学校に行けばいい」って、日本の学校に行かせてくれて。別に「日本人になれ」、「朝鮮人にこだわれ」とも言わないし、でも親父が自分の血にすごい誇りを持ってるのはわかった。それも後にわかった事ですが、親父の誇りは朝鮮とか韓国とかそんな国みたいなものにではなく、ハルボジ(*祖父)から引き継ぐ命に対して誇りを持っていたのだと気付いたんです。だから親父は日本人とか韓国人とかでくくる悪口は言わなかった。
 ただ、小学校くらいで人の家に行くようになって気付いたけど、「家にあるものは全然違うんだ」みたいな。座布団の色一つ、スプーンとかもスッカラと呼んでたし、ハンメ(*祖母)が毎朝テンジャンチゲっていう納豆味噌みたいな汁が出て、テーブルにキムチとナムルが並んで、チヂミが焼き置きしてあって、朝鮮人参の匂いが常にするのが普通だったから、人の家で初めてグラタンが出てきた時「これって、レストラン以外で出るんだ!」みたいな(笑)。

●インターナショナルな感覚と、祭が身近になかったからこその憧れと。

N:だから、それはすごいラッキーだったというか、もちろんいろいろあったけど、一回も朝鮮人だからということで「差別を受けた」と思ったことがない。常に武器であり、「ラッキー」としかずっと思ってこなかったから。
 だって、育った文化が2つあるんだから、「おいしいじゃん」と。

●そこに郷土芸能クラブが、武器として加わる。

N:更に保育園の時に一番覚えてる記憶で、「盆踊りの音頭取りになりたかったんだな」って。外で、それこそ「ホームラン音頭」とか「21世紀音頭」、「炭坑節」とかやってるのをラジカセで録音して、家で流して、みんなで唄って踊ってって。

●好き過ぎますね(笑)。

N:好き過ぎたっすね。だから、いつか「これを生で、自分がやりたいな」っていう気持ちが、すごい小さい時からありました。

●そう聞くと、「橋の下」は幼少期からの憧れを具現化した「夢のパーティ」にも見えてきます。

N:まさにそうかもっすね。小学生の時に本当にやりたかったことが、大人になって経済力とかいろんな力がついてきて、実際やってる、みたいな(笑)。それが続いてるだけですね。

●1年目から今までやってきた中で、変わってきたことはありますか?

N:めっちゃあります。
 震災前のがもっと反逆的というか、「パンク的な」というのも変だけど、何かに対する文句とかばっか言ってたけど、何かわからないけど、東北の震災と一緒に自分たちも一回崩れた気がしていて。
 オレはあそこくらいから「橋の下」をやり始めて、町の人たちと付き合うようになって。それは商店街だったり、森林組合だったり、川を守ってる人とか行政、それこそ市長と呑みに行ったりとか。
 そうするとなんか、逆に、唾吐くだけみたいなことが滑稽に見えてきちゃって。本当にオレは何も知らずに、例えばそれは道一つとってもこの国はすごく整ってて、その良し悪しもいろいろあるけれど、でも本当に「何もわからずに文句ばっかり言ってたんだな」ってすごく思って。
 まあ、「クソだなぁ」と思う事はいまだ沢山ありますが、
それだけじゃあ格好悪いし、意味ないし。それで真逆に、かといって右翼になるわけじゃないんだけど(笑)、方向性変えないと、やっぱり勝つんだったら本当に勝ちたいから。
 それで、「勝つ」ってどういうことかと考えたら、相手をぶっ倒すことじゃない。やっぱり笑かしたり、感動させたり、「そうだな」って共有できたりすることが、本当に「勝つ」こととも言える。それはもちろん勝ち負けの概念も違ってくるとは思うんだけど。
 よく言うのは「やるなら本当に勝ちたいから、絶対勝てないようなやり方でやりたくない」って。あっちも本気だから、じゃあ何かと言えば、敵をつくらないというか、全部味方の「無敵」。警察だって政治家だってみんな人間だし、もちろんそうじゃないこともいっぱいあるし、はっきり言って綺麗事だけど、でも、そういう風にいかないと話せないし、自分たちだけがあってるだけじゃなくて、いろんな角度があるってことはわかりました。
 それから「橋の下」って、あれってある種の「国」じゃないですか。

●何らかの「王国」感と言いますか。

N:出店料もらって、自由制の税金もらって、インフラ整えて、電気配って、電力会社ともやりとりして、みたいな。「あ、こういうことなのか」みたいな。
 あの規模だけで目茶苦茶大変だから、そもそも国とか県みたいなデカいものをコントロールすること自体が無理だし、「もっと個々の小さいコミュニティ自体が成立しないと無理」ということもわかったし。
 でも、お客さんとか、外から来てる人にはまったく見えない問題がいっぱいあるってこともわかったし、はっきり言って外部からと全然見えてるところが違う。
 当初は出店でも文句言ってくる人もいっぱいいて、いろんな人がいますから「砂埃を何とかならないか」とか、「ちょっと待ってくれ。ここは河原ですよ」って。「虫をなんとかしてくれ」とか、「オレたちより先に虫の方がいるのに」みたいな。「この出店の位置じゃ、メインステージが見れないじゃないか」みたいな人もいたり。「知らないよ、自分で考えましょう」って(笑)。

●それらも受けとめながら、「無敵」でいく。

N:でも、説明するとみんなわかってくれるから。「まぁ、当たり前だろ!」だけど(笑)。

●逆に、出店者の方々から学ぶこともある?

N:もちろんです。例えば2、3年目になると、停電になっても、灯りがついてる店がどんどん増えていくんですよ。みんな勝手に自立していって、「大丈夫、大丈夫」って。それで他の人たちは、「なんであそこだけついてるの?」みたいになって、「あそこ、自分でやってるから」って伝えると、「マジか。どうやるんだ」って、それが広がっていく。
 だから、あんまりルールをつくらないでやる方法って、「なるべく多様な人を入れることなのかな」と思ったりしたし、画一化していくとルールをたくさんつくらないといけないけど、「はじめから何でも入れていった方が、勝手にうまくいくんじゃないか」って思ったというか。

●「橋の下」から他のものを見ていて、「なかなかやるな」とか、「これには負けられない」とか、ありますか?

N:オレ、本当に自分の半径数メートルしか見えてないから、疎いというか、見てるヒマがないくらい、自分たちのことと「橋の下」だけでやることが多過ぎて。それは他のことに「興味がない」とかそういうことじゃなくて、そこまで見れていないのと、わからないし、気にしてないというか。
 だから、政治とかの在り方もそこに気付かなければ、これはすごい極端な言い方ですが、「悪くならないんじゃないかな?」みたいな(笑)。ここは、うまく言えないんだけど。

●自分のやってることに一生懸命であれば、気にするまでもない。

N:量子力学に詳しい人がこの前簡単に教えてくれたんですが、結局何かの細胞が、こっちが見ることによって見られてるやつが存在していくというか、「それって本当だな」と思って。
 でもそれは見た人にしかわからないし、オレたちが「いいな」と思う「橋の下」の世界観も、やっぱり見てない人にはわからない。例えば、いきなり政治家とか官僚に「こういう世界」って言ってもわからないだろうし。

●そもそも説明し難い。

N:その上で、合う人も合わない人もいるだろうし。でもとにかく、自分のまわりだけでも「いいな」と思うもので満たしていくというか、例え世の中が悪くなっていってたとしても、自分のまわりは目茶苦茶良くなっていってるという風に俺は感じているので。

●動き続けている中で、出会って驚かされる方というのは、どんな方がいましたか?

N:「橋の下」に辿り着くまでもいろいろ見てきました。山形蔵王の「龍岩祭」とか、ドイツのルドルシュタットって町フェスとか、その他沢山あります。見たもの感じたもの全部吸収してきた結果ですね。
 今どこどこってすぐ言えないですが、お祭とかフェスとかじゃなくても、僕は1人や2人のALKDOでも全国を旅してますが、各地でみんな倉庫を借りたり、自分の家の一角を使ったりして、そこの家の親が料理をつくって、もうそれは家族ぐるみのコミュニティでの「家フェスティバル」。
普段カウンターだけの焼鳥屋でライブしたりとか、外国みたいな、地域のコミュニティでやるとか、そういうのが増えてますよね。
 それも、サブカルチャーとかパンクやヒッピーみたいな固定された雰囲気だけじゃなくて、幅広い、何と言うか、、そういったものが案外面白いんすよね。今はそういったの方が逆に刺激も学びも多い。

●エッジがどうのとか、アンダーグラウンド云々じゃない、本当に一般の家族や、農家さん、、?

N:普通に近所で、そうなると来る人が多様で、いい意味で世界が狭いというか、田舎だと近所の絶対数が少ないからいろんな人間が集まってきて。
 そこで、流行りのこととかは全然知らなくても、世の中のことを話してると、結構同じような「持続していける仕組み」とかのことなんかは、みんな考えてて。だから、そういうことはいっぱいいろんなところで、「すごいあるんだな」ということは感じます。
 だから時代がそうなっていってるというか、それは「ムーヴメント」と言うのとはまた違って。「何かから広がって派生したもの」というのは、それは「橋の下」もそうだし、タートルにしてもそうだけど、まだその時点では信用していない。
 それよりも、同じ時代というか空気感で、いろんなところで同時多発していったり、そこから離れ自分の仕事をしていく人が増えることがやっぱり、「あ、そういうことなんだな」と思えることと言うか、それは旅をしていて感じます。追ってるウチは何もわからないすよね。
    ネットやテレビから離れて、地方や自分の周りを見渡すとすごく「大丈夫なんだな」ということを肌で感じるし、そう思いながら、自分たちは「どこにチューンを充てていくか」という役割で、もちろん全体を大きく見るのは大事だけど、一番はいいイメージにチューンを充てて、それを温めていったりすることが大事だと思う。

●今年の「橋の下」には「なまはげ」が来ると聞きました。

N:何となく、ここまで(SOUL BEAT)“ASIA”、“WORLD”ときて、「今年は“NIPPON(ニッポン)”でしょう」と。でも「ニッポン」って、何なのか。
 それは、意外に「確信犯」みたいに言われるけど、そんなに考えてなくて、その時その時で降りてきたやつをパッとキャッチしてるだけだから、そんなに実は考えてないですが(笑)。

●それが外からは確信犯に見えるくらい吸引力、波及力が発生している。

N:あんまり考えたり仕組まない方が、すごい勝手にガイドされていくのかなと思うし。あんまり決めるとうまくいかないと思うから。
 僕らは沖縄によく行くんですよ。福島も毎年行くし。
 それで、辺野古にしても福島にしても、行ったところでいっぱいわからない問題だらけ。感じることはできるけど、簡単には何もオレは言えない。ただ「海を犯すな」、「戦争するな」ってことだけはわかる。
 そこに住んでる人たちのいろんな歴史とか状況とか、やはりそこの人らにしかわからない事もあると思う。で、やっぱり今「ニッポン」ってなった時に自分を含めて沖縄、奄美、佐渡だったり、東北、福島、アイヌだったり、当然「ニッポン=東京」だけじゃないし、もっと言えばそもそも国とかその引かれた線だって本当のことを言えば、生きていくのと関係ないはず。
 じゃあ「国」と言うならそういう端っこの集まりでできてるし、沖縄なんてこれまで、ずっと犠牲になってきて。
 そこには韓国や中国との歴史の流れもあれば、遡れば南洋系の人たちとか、何千何万年もかけてそこら中から渡ってきてたり、元々いた人やらいろんな人々がいたわけで、時の権力者にそぐわなかったら追いやられ、「鬼」とか「狐」、「土蜘蛛」なんて呼ばれてたみたいで。刺青モンだったり、、
 実際ダメな人もいるとは思うけど、刺青無くても最低なの沢山いるし。もうそろそろ、そういうことを更新しないと。

●聞いていると、永山さんからイメージされるものが多いような、、

N:結局全部、自分を守ろうとしてるのかもしれないですね(笑)。
 やばい。結局のところ、自分の居場所が欲しいだけなのかもしれない(爆)。
 あとはやっぱり、「豊田」って土壌は大きいんです。豊田はきれいな街というか、産業で栄えた「TOYOTAの国」だから、もともとは挙母(ころも)村っていう名前だったのが豊田市になって。
 小さい時から、あそこにはライブハウスとかクラブとか、一つもないんですよ。娯楽施設もなくて、おかげで、逆にオレたちにとって「ライブをやる」というのは、自分たちで発電機とアンプを持って、街中でゲリラでやるのが普通だった。だからノルマとか、箱代払って音楽をやるってこと自体、「なんで金出してロックしなきゃいけないんだ」って思ったし。

●タートル(アイランド)も「橋の下」も、自然な文脈の上にある。

N:今思えば、そうなのかなと思います。それが特別なことじゃなかった。そういう意味で貧しいとか思わなかったし、今思えばむしろおかげで豊かになったやん、て思えます。

●「亀」って必ずしも格好良いとされる動物じゃない気がするんですが、なぜあえてタートル?

N:いろいろあるんですけど、一番には「亀が好き」という(笑)。何となく格好良いし、それで遅かったり、でも実はあいつらって、川にいる亀とかって実はめっちゃ早かったり、「忍者みたいだ」って。
 あとはネイティブ・アメリカンとかの考え方に影響をかなり受けまして、その時に読んだ神話の話から「タートルアイランド」って決めるきっかけになったんです。その「大地」、「地球」という意味で「タートル」。
 ネイティブ・アメリカンの場合はアメリカ大陸を指してるけど、中国とか日本にも似たような「亀の甲羅から大地ができた」みたいな話はあって、だから自分たちの「母胎」ということで、「タートルアイランド」。

●タートルとALKDOの活動の比率は?

N:ALKDOはライブ年間100数十本。タートルは所帯が大きいので最近では年間2、30本くらいしか動けないので、ソロやAKLDOで繋がったり見てきたりしたものを、タートルや「橋の下」に還元してることが多いです。
 それに、こっちの数が少なけりゃ少ないほど何か感じとる力は増す気もするし、ALKDOや一人で旅するのはライフワーク。

●タートルは2014年にグランストンベリー・フェス(英)のメインステージに出ています。今後、海外もあるんですか?

N:今度、内モンゴルと北京に行きます。アジアにいっぱい行きたいですね。

橋の下世界音楽祭
http://soulbeatasia.com/