Interview by Riddim
2020年4月にRiddimOnlineに掲載された記事です。
“グラディ”アンダーソンのピアノ・アルバム『カリビアン・ブリーズ』が31年という長い時を経てついにアナログ化された。このアルバムのエグゼクティブである石井は、80年代初めにジャマイカを舞台にした映画『Rockers』の日本配給を行い、1984年から始まったジャマイカ詣でが高じて90年代にはジャマイカの大人気アーティスト、スリラーUのマネージメントやプロデュースなど、当時としては異色の体験をしてきた。
●なぜ、わざわざジャマイカまで行ってジャマイカ人のアルバムを作ることになったんですか?
石井志津男(以下、EC):このグラディのアルバムを作る3年前だけど、「アンダー・ミ・スレンテン」で世界的なヒットを出したウエイン・スミスのシングルを、Men’s BIGIのためにレコーディングしたんだ。それ以降もキングストンに行ってRoots Radicsを使ってクリスマス・アルバムを作ったり、MUTE B EATの『DUB WISE』というリミックス・アルバムのためにKing Tubbyに制作を頼んだり、ライセンスのレゲエ・アルバムはその頃には10枚以上出していたし、日本人ものはイギリスでデヴューしたSALON MUSICというデュオやMUTE BEATをレコーディングしてたから、その流れだね。
●そうは言ってもジャマイカにもたくさんのアーティストがいます。なぜグラディに決めたんですか?
EC:その時すでにグラディの才能に気づいていて『Don’t Look Back』というアルバムと、ハリー・ムーディーからのライセンスで『カリビアン・サンセット(原題It May Sound Silly)』の2枚を日本でリリースしていたし、もっというとグラディを来日までさせてGladdy meets MUTE BEATというコンサートも大盛況のうちに終えていた。そのころは手紙が2週間くらいかかるんだけど、オーダスタス・パブロとグラディの2人には手紙でやりとりしていて、キングストンに行けば必ずグラディとは会うし、とても仲良しになっていた。兎にも角にもアルバムを作りたいというグラディの強い想いに負けたし、実は俺も『It May Sound Silly』みたいなアルバムを作りたかったということだね。
●なるほど、レコーディングしようというきっかけは何だったんですか?
EC:その頃にキングストンでよく泊まっていたホテルというのが旧コートリー・ホテルで、そこはプールの脇にバーがあって、時間があるとグラディたちとそこでビールを飲みながらグダグダとジャマイカの昔話を聞いていたんだ。夕方になるとラジオからロックステディとかのジャマイカン・オールディーズがず〜っと流れてきて、グラディが「この曲は俺がやった、この曲も、この曲も」とか言い始めて、それでも半分は嘘だろうと思いながらもアルバムを作りたいねって話になったんだ。まあ、流れてる良い曲とビールで話が盛り上がったってことだけど。でも始まるのはそれから3年くらいかかったね。スタジオは、グラディが一番いいタフゴングを使いたいと言うし、というか世の中は打ち込み旋風が吹き荒れていて、もはやスタジオからは生ピアノが無くなってる時代だったから実際にタフゴングにしかピアノが無かったんだ。グラディは、とにかくアルバムを作りたいからローランドでもいいって言うんだけど、俺はどうしても生ピアノで作りたかった。ミュージシャンは全部グラディが決めて、ホーンのリクエストだけは俺がして。
当時は暗くなってからハーフウェイ・トゥリーのスケートランドの広場に行くと、灯りもない暗闇の中に20人くらいがうろうろしてて、マイティ・ダイアモンズのバニーとかグレゴリィ・アイザックスとかがただ普通に突っ立ってるんだ。そこで「明日どこそこのスタジオでレコーディングするから来てくれ」と約束するとちゃんと現れる。
まだ電話が全家庭になかったから、そこが情報交換の場で、メッセンジャーボーイ的な若いやつに「サックスのディーン・フレイザーに今夜9時にタフゴングに来るように」って伝言を頼むと歩いてどこかに出かけていくんだけど、ちゃんとナンボ・ロビンソン(トロンボーン)まで一緒に現れるっていうそんな時代だった。
●グラディはシンガーでもあるのに、このアルバムはインストですよね?
EC:その頃俺が関係していたMute BeatっていうグループがインストのDUBバンドだったから、インストを作りたかった。インストが好きなんだよ。最近だってMatt Soundsはインストのアルバムだよ。Mute Beatは、若いのに全員音楽性が高かった。ニュー・ウエーブ、パンク、Hip Hop、レゲエ、ファンクなどを好きなツワモノ集団がMute Beatだった。マネージメントの俺なんて知ったかぶりして着いて行くのが良い意味で大変でね(笑)。
宮崎(DMX)くんが開発に関わったからってディスコ・ミキサーを売りに現れたり、Gota(屋敷豪太)は、打ち込みを始めて「マニピュレーターです」みたいなことを言い始めたり、80年代中頃とはいえ、みんな鋭かったよね。ベースの松永(孝義)くんは音大出のロック・ベーシストでありアルゼンチン・タンゴやレゲエのベーシスト、それに無口だけど頭はいいからちょっと怖い(笑)。
あるとき事務所に一人でいた時だけど、グラディにもらった埃まみれのリン・テイトのインストアルバム『Rocksteady Greatest Hits』ってLPを水道水で洗って少しシャリシャリするのを「いいなァ」って爆音で聴いてた。そこにひょっこり松永くんが現れて、俺はちょっとアセったんだ。さっきも言ったようにMute BeatはタフでストロングでクリエイティブなライブDUBバンド。インストのエレベーター・ミュージックみたいなのを聴いてるところを見られたくなくて、俺はとっさに「これどうよ?」って聴いたんだ。すると松永くんは「サイコウです!」って拳を突き上げて言ったんだよ。あれ?脇道に逸れたか?
まあ、インストのバンドなんだよ、このリン・テイト&ザ・ジェッツというバンドは。グラディがピアノで全面参加していて、そんな風にグラディが入り口でジャマイカの60年代の音楽の虜になっていたから、グラディのアルバムを作りたいと思うのは自然なことだったんだよね、今思うと。
●“グラディ”アンダーソンという人はどういう人物でしたか?
EC:映画のRuffn’ Tuffでもグラディが言ってるようにデューク・リードのトレジャー・アイル・レコードの音楽的な柱なんだろうね。人間としては本当の音楽バカってことかな。すごく正直な人でピアノを弾いていたら本当に何も要らない人。1度我が家にも来たことがあって、娘の部屋のドアがちょっとだけ開いててピアノが見えたんだ。俺でも入らない娘の部屋にいきなり入っていってピアノの前に座って、勝手に蓋を開けると鍵盤をしばらく愛でるように眺めるとブギウギを弾きだした(笑)。そういう人。でも逆にレコーディングの時にはある種の鬼になるようなところもあったね。これは名前を出したらマズイけど、音がとれないベースに「スクールボーイ!!」って怒鳴ってたからね。
●石井さんの家にグラディが行ったのはいつの話ですか?
EC:1992年だったと思う。カールトン&ザ・シューズやザ・メロディアンズのブレン・ダウなどを来日させたクアトロの「The Rock Steady Night」の時だったと思う。
●ということは、この『カリビアン・ブリーズ』をCDでリリースした後ですね?
EC:そうだね。だから、グラディとしてはOVERHEATレコードの3枚目になるね。この時期はCD全盛の時代だからアナログはリリースできなかったんだ。このアルバムは絶対にアナログのための音なんだけど、レコード店からアナログの棚が消え去った時代。今回31年目にしてようやくアナログでリリースできた。それもオリジナル・マスターからだから、本望だよ。これに参加してるナンボ・ロビンソンもグラディも、もういない。こんな自由なアルバムはもう作れないね。
●自由なアルバムとはどういう意味ですか?
EC:売りたいとか、売ろうとか、売れてる人を目標にとかが全く無い、作りたいものを作るというインディーズならではの正しいアルバムということだよ。ジャマイカのレーベルは全部がインディーズ。たまにはアメリカやイギリスの資本で作られるのもあるけど、それは当然欧米のマーケットを意識している。しかしこのグラディの『カリビアン・ブリーズ』は、現地ジャマイカのマーケットさえ意識してなかった(笑)。
だってこのころのジャマイカだったら、打ち込みが主流だし、ダンスホール・スタイルだったし、ヴォーカルものだったろうしね(笑)。だけど無いものを作ってこそアーティストだからね。そうはいってもドラムはスティーリィ&クリーヴィのクリーヴィ・ブラウン、つまり当時の打ち込みトラックの半分くらいをやってた男。彼らは「ヒット曲の80%が俺たちのトラックだった」って豪語してたからね。グラディはそのドラムをちゃんと連れてきた。単なる懐古趣味のアルバムを作る気はさらさら無いのがグラディだった。
2015年に81歳で亡くなったけど、具合が悪いって娘のエリカから連絡が入ってキングストンまですっ飛んで行ったら、もう自分では起き上がれないほど弱っていて目も見えないしあまり話せなくなっていた。
俺の耳元でかすれる声をふりしぼって「もっとレコーディングしたい」って言ってた。そういう男だったよ。スライ・ダンバーとか、イギリスのデニス・ボーヴェルとか色々な人にグラディについてコメントをもらったことがあって、みんなが「オリジナルのピアノだ」っていうことで一致するんだよ。つまり、グラディの音楽は流行りとかとは無縁の普遍だということ。