CULTURE

ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド

 
   

Text by 池城美菜子/Minako Ikeshiro 

2012年5月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

『RM(レゲエ・マガジン)』に就職が決まって、嬉しさのあまりどう見てもヒッピー上がりのお好み焼き屋の親父さんに張り切って報告したら、「ボブ・マーリーが死んだら、レゲエも終わったんだよ」とにべもなくこう返された。吉祥寺にまだまだ怪しげな場所が多かった頃の話。有名なお店だったけれど、その後に食べたお好み焼きは、不味いなんてものではなかった。

以来、 レゲエとボブ・マーリーはどちらが有名なのだろう、というしょうもない命題を、時々、私は考える。

『ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド』は、レゲエの神様と呼ばれる男性の一生を追ったドキュメンタリー映画である。USでは4月20日に公開になったので、初日にマンハッタンのサンシャイン・シネマで一足先に観て来た。これまでもボブ・マーリーを題材にした映画はあったが、ここまで全面的に家族の協力を得てしっかり制作された作品はなかったので、伝記であれば「オフィシャル」もしくは「オーソライズド」と付いて然るべき作品だ。監督は、ケヴィン・マクドナルド。62年のミュンヘン・オリンピックのテロ事件を扱った『ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実』で99年にアカデミー賞を受賞、06年にはウガンダの独裁者イディ・アミンを題材にした『ラスト・キング・オブ・スコットランド』も撮っている。後者は主役を演じたフォレスト・ウィットテイカーの怪演が話題になり、彼に最優秀主演男優賞でオスカーをもたらした。 こちらは、ハラハラドキドキ、スリリングで面白い映画だったので、未見の人はぜひ。
 ボブ・マーリーの伝記映画を作るにあたって、実績のある監督が起用されたわけだが、ウィキペディアによると、最初に手を挙げたのはなんとマーティン・スコセッシ(『タクシー・ドライバー』、『ディパーテッド』……補足不要ですね)、それがスケジュールの都合でジョナサン・デミ(『羊達の沈黙』、『ファラデルフィア』)に代わり、プロデューサーの一人 と気が合わなくてマクドナルド氏に話が回ったそうだ。えー、びっくり。本当ですか。スコセッシもデミも音楽に造詣が深く、スコセッシがマイケル・ジャクソンの“Bad”のMVを撮ったのは有名な話だし、デミの出世作はトーキング・ヘッズのツアーを追った『ストップ・メイキング・センス』だから、「あり」な話だとは思うが、それにしても相当な巨匠に話が行ったものである。スコセッシで実現していたら、ボブが必要以上に暗—く描かれたかもしれないし、「スコセッシの“マーリー”」という括りで話題になっていただろう。見たかった気もするが。 

結局、彼らより二回りくらい若いケヴィン・マクドナルドが起用され、生前のボブを知る家族、知人、関係者60人以上の証言と、写真、インタヴューとステージの映像で構成した正攻法のバイオピックとなっている。これで、十二分。ボブ・マーリーの一生は波瀾万丈、そのままでドラマティックだから、それを淡々と追った方が、説得力が増すというもの。ものすごく乱暴にまとめてしまうと、初老の白人男性が気まぐれに植民地の地元女性に手を出し、その結果、トタン屋根の家で生まれた混血の男の子が、母と一緒にキングストンへ上京、ゲットーのトレンチ・タウンで切磋琢磨しながら音楽の道を目指し、仲間を見つけ、ラスタファリに父の代わりを見いだし、様々な偏見と音楽業界の厳しさに負けず人気者となり、生まれたばかりのレゲエとともに国境を越え、影響力を持ち過ぎたがためにジャマイカの政治闘争に巻き込まれ、ウェイラーズ、アイ・スリーズとともに世界にレゲエと「ワン・ラヴ」の精神を広げる過程で多くの女性から愛され、ルーツであるアフリカでもヒーローとなり、快進撃でひたすら壁を壊していくものの、最後はガンに冒されて36歳という若さで亡くなるという、立身出世の物語である。……まとめ過ぎたかな。彼を崇めている人に怒られそうだ。しかし、私の使命は、神様を人間に戻して、そこからさらに深い共感と理解へと誘うことなので(たぶん)、このまま続ける。全編2時間半弱という長尺の作品だが、レゲエとジャマイカが好きな人だったら、絶対に飽きない 。なにしろ、準主役がこの二つであり、ボブについて学びながら、レゲエとジャマイカの歴史も学べる仕掛けになっているのだ。ボブ・マーリーの曲は知っているけれど …、という初心者レベルの人だったら、視覚と聴覚両方を使ってボブの一生を学べるのはとても幸せな経験だろうし、ボブの伝記くらいは読んだ、という中級者も知らなかったことがたくさん出て来るだろうし、一般に流布されている史実との違いをつい見つけたくなるような上級者であっても、些細なことはさておき、「わー、ジミーだ、クライヴ・チンだー、ファミリーマンだー、おー、若い頃のリー・ペリーだ」と素直に楽しんだ方がいいと思う。

言葉とリリックの一つ一つ、映像の一こま一こまがこちらの気持ちに染み入るが、ボブ・マーリーがアーティストとして花開く過程は、ちょうどジャマイカの音楽がスカ〜ロック・ステディ〜レゲエと成熟し、商業化される過程と重なるので、始まって4分の1の「成長期/青春期」がとくに心が躍る。この時期のジャマイカン・ミュージックが好きな人は必ずやワクワクするだろうし、そういった人(&私)には堪えられない名前もしくは本人も、たくさん出て来る。日本での公開も決まったとのことで、これから観る人のじゃまにならないように、具体的なネタばれをしないように気をつけつつ、見どころなるポイントだけを挙げて行こう。一番、私がハッとさせられたのが、希代のリリシストでもあったボブの歌は、彼の本物の生活感情から出ているというシンプルな事実だ。それ以外の何物からも出ていない。歌詞とは本来そういうもの、と言われたらそれまでだが、聞こえがいいだけの言葉を混ぜてしまうケースも多々あるはずだろうから、ボブ・マーリーの歌が言語や肌の色、文化を越えて聴く人の心にスッと届くのは、改めてすごいことなのだと思った。元々、それが強みである上、この作品では、時代背景や彼個人の体験が映像と共に語られ、何千回と聴いてきたおなじみの曲が、さらに色鮮やかに、さらに深く響いて新鮮だ。この感覚を、ぜひ味わって欲しいと思う。
 もう一つ。証言をする人々がみんな真摯で、誠実に質問に答えているのがすばらしい。私は取材を仕事の中心に据えているので、恐らく、ほかの人よりこの点に関しては敏感だと思うが、記録するために話をしてもらう場合、ほとんどの人が身構えるし、無意識に自分をよく見せようとする。こういう映画だと、どれくらい自分がボブにとって重要だったか強調する人が出そうなものだが、マクドナルド監督の聞き方がいいのか(編集のなせる技でもあるだろうが)、みんな冷静で全編に渡って信頼性が高い。様々な要素でコラージュのように構成しているにもかかわらず、非常に間がいいというか、一定のリズム感−−レゲエのリズムだ−−で進んで行き、それがある種の説得力をもたらしている。ジャマイカの言葉特有の心地よさや、バニー・ウェイラーを始め、チャーミングな話し手が多いのももちろんあるけれど、それ以上に語り手達のボブに対する愛情や尊敬の念が、ファンである私たちの気持ちと重なり、引き込まれる。

 一つだけ、ネタばれを許して欲しい。クリス・ブラックウェルが、「検診を受けていたら長生きしたかも知れないのに」と発言する箇所があり、頭では「そうだよなぁ」と一瞬、同意しても、彼の成し遂げたことの大きさ、作った音楽の永続性を思うと、やはり36年で幕を閉じる運命だったのだろうとも納得した。

レゲエとボブ・マーリーはどちらが有名か、という最初の命題にこの映画を観てから立ち戻ると、ボブ・マーリーはレゲエそのものであり、分けて考えること自体、間違っていることに気づく。

 だから。すべてのレゲエ好きにとって、映画『マーリー』を真っ正面から受け止めるのは、とても大切なことなのだ。楽しみにしていて下さい。

日本公開情報:
「9/1(土)~ 角川シネマ有楽町・ヒューマントラストシネマ渋谷他にて3週限定ロードショー!」

●エグゼクティブ・プロデューサー:ジギー・マーリー 
●監督:ケヴィン・マクドナルド
 ●配給:角川映画
(C)SHANGRI-LA ENTERTAINMENT LLC AND TUFF GONG PICTURES LP 2012