Interview by Hajime Oishi(大石始)
2012年9月にRiddimOnlineに掲載された記事です。
実に7年ぶりのニュー・アルバム『Freddie Di Captain』を引っさげて、フレディ・マクレガーが日本にやってきた。初めての来日は〈レゲエ・サンスプラッシュ・ジャパン'85〉が行われた85年。以降幾度となく日本を訪れ、その歌声を届けてくれたフレディ。ジャマイカが独立を果たしてから今年で50年、来年は自身の音楽人生50周年を迎えるという節目の年ということもあって、今回の来日公演でもジャマイカ音楽史を俯瞰するようなレパートリーを披露してくれた。
そんなフレディをキャッチしたのはBLUE NOTE TOKYOでの公演が終わった翌日、9月16日のことだった。ジャマイカが独立を果たした62年のこと、彼にとっての音楽学校だったスタジオ・ワンのこと、最初期のフレディが参加していたヴォーカル・グループ、クラレンドニアンズのこと、そして新作『Freddie Di Captain』のこと――約1時間に渡ってフレディに話を訊いた。
●昨日のショウ、本当に素晴らしかったです。歌声が昔と全然変わりませんが、その歌声をキープをする秘訣があれば教えてください。
FREDDIE McGREGOR(以下、F):ハハハ、確かにみんな〈昔と変わらないですね〉って言うんだよ。別に何か特別なことをしているわけじゃないし、薬を飲んでるわけでもない。強いて言えばサトウキビをよく食べること、無理をしない、よく休む。それぐらいかな。
●昨日はデニス・ブラウンの曲を2曲やってましたね(“Here I come”と“Revolution”)。MCでデニスのことを〈マイ・ブラザー〉と紹介していましたが、彼に対する思いを改めて聞かせてください。
F:彼は本当のブラザーだったんだ。音楽を通じた親しい友人でもあったし、アーティストのなかでも、最も近い存在だった。12トライブス・オブ・イスラエル(イスラエル12部族)というラスタのコミュニティーのなかでデニスは〈ジョセフ〉という部族に属していて、私は〈リーヴァイ〉に属していた。お互いの才能を認め合う仲だったし、私たちは本当にたくさんのものを共有していたんだ。
●あなたはこれまでも90年代の『Jamaican Classics』シリーズなどで過去の名曲をカヴァーし、若い世代にその魅力を伝えてきました。そこに込められた思いを教えてください。
F:カヴァーやセルフ・リメイクをする場合、自分にとって意味のある曲だけを選んでいるんだ。例えば(ニューヨークのソウル・グループ、メイン・イングリーディエントのカヴァー)“Just don't want to be lonely”はデビューしたての頃ホテルのラウンジでよく歌っていたものだし、(シカゴのソウル・シンガー、ジーン・チャンドラーの70年曲“Groovy situation”のリメイク)“That girl”はポリドールに所属していた時期の曲というように、ステージはもちろん、アルバムでも意味のあるものを選んでいるんだよ。それと、ボブ・マーリーはいろんな人がカヴァーしているので私があえてやる必要もないかもしれないけれど、デニス・ブラウンに関しては私が歌わないといけないと思っているし、私が一番うまく歌えるとも思っている。彼がどんな人物で何をしてきたか、それを次世代に伝えるのが私の仕事のひとつでもあるからね。
●今年はジャマイカが独立してから50年目にあたるわけですが、ジャマイカが独立した62年、フレディさんは6歳でしたよね?
F:そうだね。
●62年の夏のことは覚えていますか?
F:今となっては大事な年だったと思い返すことができるけど、当時のことは微かにしか覚えてないね。ただ、みんなが興奮していて、街角に立てられていたイギリスの国旗が次々にジャマイカのものへと変えられていったことは覚えている。祝賀ムードに溢れていたことは確かだけど、なにせ子供だったからその理由までは分かっていなかったんだ。それから50年目を迎えるわけだけど、今年はとても重要な年だと思っている。我々はどこから来て、次の50年どこに向かっていくべきなのか。そのことを考えるべき年だと思うし、我々にとっても転機の年になるんじゃないかな。
●62年はまだ(ジャマイカ中央部の)クラレンドンにいた頃ですよね?キングストンだけじゃなく、クラレンドンもそういう興奮状態にあったわけですか?
F:当時田舎の人たちは、なかなかキングストンに行けなかったし、テレビもなかったから詳しい情報も入ってきてなかったと思うんだけど、その日なにが起きているのかはみんな分かっていたと思う。キングストン以外の田舎でもお祭り騒ぎだったと聞いているよ。
●その興奮状態がスカをさらに盛り上げる要因になったと言われますが。
F:確かにそれも一因だろうね。58年あたりからスカに反応する層が増え始め、59~60年でその人気に火が点いた。私がスタジオ・ワンに出入りするようになった63年ごろは既にスカの終焉が始まっていて、徐々にロックステディに移り変わっていたけどね。
●フレディさんがスタジオ・ワンに出入りするようになったのは7歳の頃ですよね。まだ子供だったあなたの目にキングストンの音楽業界はどのように映ったのでしょうか。
F:まるで映画のようだったね。クラレンドニアンズの仲間だったアーネスト・ウィルソンとピーター・オースティンがキングストンにレコーディングに行くというので、アーネストの母親にお金を借りて私も付いていったんだ。当時は何も分からなかったんだけど、キングストンはとにかく刺激的だった。〈アーネスト、あれは誰?〉〈ドン・ドラモンドだよ!〉〈あれは?〉〈ジャッキー・ミトゥー!〉〈あれは?〉〈ボブ・マーリー!〉〈あれは?〉〈レスター・スターリン!〉〈ゲイラッズ!〉〈ジョー・ヒグス!〉……本当にクレイジーだったね(笑)。まったく分からなかったぐらい。当時〈僕はアーティストになるんだ!〉と夢見ていたわけでもなくて、単に流れに身を任せてキングストンに行ったような感覚だったんだ。当時のスタジオ・ワンでは私が最年少のアーティストだったから、みんなに〈リクル・フレディ〉って呼ばれて可愛がってもらったし、ミスター・ドッド(コクソン・ドッド)の家に3年間住ませてもらって、学校と家とスタジオを行き来するような生活をさせてもらった。私はラッキーだったと思うね。
●では、イギリスから独立したことでジャマイカの何が変わり、何が変わらなかったと思いますか。
F:いい質問だ。我々はもともと英国の法律の元で生活をしていたわけだけど、62年に独立を手にすることになり、経済面などでは厳しい状況をもたらすことになった。ただ、その辛い状況を糧として、ジョー・ヒグスやボブ・マーリーたちは若い世代にメッセージを送っていたわけで、音楽的発展にジャマイカの独立は欠かせなかったと思うんだ。それと、66年に皇帝(エチオピアの皇帝、ハイレ・セラシエⅠ世)がジャマイカに来たことも独立と同じぐらい大きかったね。それまでラスタファリアンはジャマイカ国内で迫害されていたんだけど、皇帝がやってきたことでラスタファリアンはある種の自由を手にしたんだ。今日までジャマイカにやってきたあらゆるリーダーのなかでも皇帝はもっとも重要な存在だったし、文化的にもアフリカとの繋がりを意識させるきっかけになった。我々自体がアフリカからやってきたことを再認識させることにもなり、植民地主義に対する抵抗の意識がさらに高まったんだ。
●で、リリースされたばかりの新作『Freddie Di Captain』へと一気に話が飛びますが……。
F:ハハハ、50年ぐらい飛ぶことになるね。
●今回のアルバムをまとめるにあたって、フレディさんのなかでトータルのヴィジョンはあったんですか。
F:今回は自分のバイオグラフィのようなアルバムを作りたかった。〈リクル・フレディ〉と呼ばれていた時代から〈キャプテン〉と呼ばれるようになった現在までのストーリーを描きたかったんだよ。正式には来年の6月27日に私は音楽人生50周年を迎えるんだけど、その前の年にこの50年の歩みをまとめたかった。それと、近年のジャマイカ音楽がレゲエからダンスホールに傾き過ぎているので、ファウンデーションの大切さを伝える内容にしたいと思っていた。
●だから(フレディの代表曲のひとつである)“Bobby Babylon”のリメイクが収録されているんですね。
F:そうだね。今回はギャッピー・ランクスやエターナを起用しているんだけど、彼らのリスナーに自分の音楽を紹介したいと思っていたし、同時に私のファンにもギャッピー・ランクスやエターナみたいな次世代アーティストを紹介したいという思いもあったんだ。往年の私のファンを満足させるだけのものを作るわけにはいかないんだ。常に次世代の心にも響くものを作るのが私の仕事なんだよ。
●いいアーティストであれば、世代の違いも関係ないと。
F:関係ないよ。私は自分が一緒にやりたいと思うアーティストとしかやらない。例えば、ヴァイブス・カーテルみたいに真逆のタイプのアーティストとはやらないだろう。大事にしているのは、同じ信念、道徳観を持ったアーティストであること。ギャッピー・ランクスやエターナはそういうアーティストだし、彼らはレゲエの向かうべき方向へとリスナーを導くことができる人物だからね。
●ギャッピーやエターナから刺激やインスピレーションを受けることはありましたか?
F:ギャッピー・ランクスのポジティヴさには惹かれたね。若い世代をいかにポジティヴな方向へと導くことができるか、そこはすごく重要な点だと思うし。あと、若い世代のなかではロメイン・ヴァーゴも有望だと思う。彼の活動はできるだけサポートしていきたいと思っているよ。
●カヴァー曲だとビートルズの“You won't see me”には驚かされました。
F:ジャマイカではビートルズのオリジナルはほとんど知られていなくて、クラレンドニアンズのカヴァー・ヴァージョン(66年)のほうが知られているんだ。現在の若い世代はこの曲が誰のカヴァーか知らないだろうから、クラレンドニアンズのヴァージョンに近いスカ調にして、まずは曲を知ってもらおうと思ったんだ。このカヴァーをきっかけにしてクラレンドニアンズを知ってくれたら嬉しいね。
●ちなみにクラレンドニアンズで“You won't see me”をカヴァーするというアイデアは誰の発案だったんですか。
F:ミスター・ドッドだったと思うよ。彼はサトウキビ畑の労働者としてアメリカにもたびたび渡っていたし、向こうにいる間はお気に入りの曲のリストを丹念に作っていたんだ。それをジャマイカに持って帰り、アーネストやピーターに〈この曲を覚えろ〉と指示を出したり、ジャッキー・ミトゥーに〈アレンジを考えろ〉と指示したり。プロデューサーとしてのコクソン・ドッドは有名だけど、策略家としてのミスター・ドッドにも注目すべきだろうね。
●“You won't see me”のようにジャマイカで知られていない曲をカヴァーしてビッグ・ヒットに繋げるあたり、とてもクリエイティヴだと思うんですよ。海外でヒットした曲をリメイクするのは簡単なことですからね。
F:そうだね。私もそう思うし、そこがスタジオ・ワンのミュージシャンの凄さなんだ。ジャマイカでは誰も知らない曲を見つけてきて、まるでオリジナルのように新鮮な形でカヴァーするわけだからね。
●新作に話を戻したいんですが、イギリスのレーベル/プロダクション、スティングレイと頻繁に仕事していますね。
F:スティングレイは単にプロデューサーというだけじゃなくて、私の従兄弟でもあるんだ。ワンドロップを作らせたら最高のプロデューサーだろうし、何よりも素晴らしいのはワンドロップのミックス。現在あんなダブを作れるのはスティングレイだけじゃないかな。
●スティーヴン(・マクレガー)も重要な仕事をしていますね。インタヴューで彼のことを聞かれることもだいぶ増えたんじゃないですか。
F:そうだね(笑)。みんなスティーヴンのことを〈ジーニアス〉と呼ぶんだけど、私から見てもスタジオでの彼はジーニアスだと思う。私はレコーディング・ルーム、息子はエンジニア・ルームで作業をするわけだけど、息子から的確な指示が飛んでくるたびに嬉しくなるんだ(笑)。
●石井志津男:マイティ・ダイアモンズの“Africa”とヘプトーンズの“Equal Rights”をカヴァーした理由は?
F:“Africa”は昔から大好きな曲だったんだけど、若い世代には馴染みのない曲だと思うんだよね。それがこの曲を選んだ理由。ヘプトーンズの“Equal Rights”を選んだのは……ここに込められたメッセージがとても重要だから。〈Every man has an equal right to live and be free, No matter what color, class or race he may be〉――これはとても重要なメッセージだ。
●八幡浩司(24×7 RECORDS):フレディがリロイ・シブルスと親密でヘプトーンズと強い絆で結ばれてるということは知ってましたけど、マイティ・ダイアモンズともそうだったんですか?
F:ファウンデーション・アーティストはみんな友達なんだ。ダンスホールとファウンデーションのアーティストの最大の違いは、前者の間には〈War〉があり、後者の間には〈Love〉があるということ。コンサートに行ってみれば分かるけど、ダンスホールのアーティストはクルー同士で固まっているけれど、ファウンデーションのコンサートではケン・ブースとマーシャ・グリフィス、マイティ・ダイアモンズ、ビッグ・ユースが談笑していたりする。我々はお互いをリスペクトし合っているし、愛し合っているんだ。ロメイン・ヴァーゴはそのことの重要性をいち早く理解していたし、それゆえに私は彼をサポートしているんだ。
●現在のジャマイカの音楽シーンについてはどう思いますか?
F:再構築が必要だろうね。スティーヴンは〈リディム〉の制作をできるプロデューサーだけど、若いプロデューサーはビートのパーツや音の断片を作ることはできても、〈リディムを作る〉という概念があまりないように思うんだ。みんなコンピュータで制作するから、スティーヴンがひとつのリディムを作るとみんな同じようなものを量産していくけど、彼はそこからさらに踏み込んだものを作り続けている。それをさらに模倣したリディムが出てきて……その繰り返しだね。私としては、偉大なるジャマイカン・ミュージックの魅力を世にもっとアピールしていきたい。ルシアーノやベレス・ハモンド、マーシャ・グリフィスが築いてきたようなレゲエを。最近の若手のなかではトーラス・ライリーやロメイン・ヴァーゴ、クリストファー・マーティン、もちろんチーノたちがその役目を果たしてくれると信じている。
●今の発言のなかにあった〈リディム〉と〈ビート〉の違いとは?
F:今のアメリカの流行を模倣したものが〈ビート〉であり、〈リディム〉とは背景にレゲエがしっかりと存在している音。今の若いプロデューサーはアメリカのヒップホップばかり追いかけているけれど、かつてデイヴ・ケリーが作ったようなリアルなダンスホール・ミュージックの根っこには常に〈リディム〉があるんだ。
詳しいFREDDIE McGREGORHの情報は
http://www.247reggae.com/247/release/2012.html