STREET

Eric Dressen

 
   

Interview by “CB” Ishii Photo by Grant Brittain, EC

2017年・Riddim #344に掲載したものです。

80年代後半、Christian HosoiとTony Hawkの2大スーパースターによるライバル対決がバーチカルを席巻していたその裏でSanta Cruzのビデオ「Speed Freaks(1989年)」がリリースされた。Eric Dressenはダウンヒルやウォールライド、さらにEricが発明したサラダ・グラインドを収録したワイルドでスピード感のある超人的なパートで一気に世界中のキッズのハートを掴んだ。90年代に入るとバーチカルが衰退して空前のストリートブームになったことを考えるとTommy Guerreroたちと並んでEricもストリート・スケーティングの重要な火付け役である。ちなみにサラダ・グラインドという名前はDressenの発音がドレッシングに近いことからドレッセン・グラインドがドレッシング・グラインドになり、サラダ・グラインドになったそうだ。

●昨年来日した時に一緒に滑った渋谷の宮下公園が今は無くなってしまったのが本当に残念です。

Eric Dressen(以下、E):あのパークは世界中でも大好きなパークの1つだったよ。パークのコースが好きというより場所自体に緑があって日本らしくネオンも見えるし好きだった。あそこで滑っていたCBやローカルたちもとてもクールだしね。あそこでは何度も会ったよね。だから今はちょっと残念だよ。もしクローズすることをもっと早く知っていたら日本まで飛んできて、あの木に自分を縛り付けて「クローズに反対だ」って訴えただろうね。それくらい好きだったよ。

●今は何歳になりましたか?

E:今49歳だよ。ロサンゼルスで生まれて今もなおベニスビーチに住んでいるよ。

●スケートを始めてどれくらい経ちますか?

E:42年になるよ。

●プロとしてのキャリアはどれくらいですか?

E:1977年からだから今年で40年だね。僕は11歳の時にはスケートで給料をもらうようになったから当時は最年少のプロだった。プロとしてコンテストに初めて出場したのは12歳だよ。今はもっと若いプロがいるだろうけどね。

●スケートボードに興味を持ち始めたのはどうしてですか?

E:子供の時に映画”The Endless Summer”を見てサーフィンをやりたくなったんだ。だけど周囲の人たちは「だったらスケートボードから始めた方がいいよ」と助言してくれて、父がクレイウィール(粘度で出来た硬いウィール)の付いたスケートボードを買ってきてくれたんだ。だからサーフィンをやってる気分で毎日スケートをしていたよ。でも実際は当時住んでいた家がビーチから遠くて誰かの車に乗せてもらわない限りなかなかサーフィンには行けなかったんだ。そんな時、Gregg Weaverが表紙になったSkateboarder Magazineを見つけたんだ。Greggがプールでカービングをしている表紙で、それを見て「これだ!」ってスケートボードの方がサーフィンより凄いなと悟ったんだ。

●プール・スケーティングとストリート・スケーティングのどちらを先に興味を持ったんですか?

E:最初は歩道をクネクネしながら滑るようなサイドウォーク・サーフィンだよ。裸足でサーフィンの様に滑っている時代だったからね。でもそのうちバンクやプールを滑るようになったんだ。僕が子供の頃はフリースタイルとスラロームが主流だったけど、僕はバンクでスケートするのが好きだった。Dog Townのスタイルに憧れたんだ。Tony Alva, Jay Adams, Shogo Kuboとかね。僕が10歳の時だったけど、女子プロスケーターのLaura Thornhillがトーランスのバックヤード・プールで滑っていた僕を見出してくれてLogan Earth Skiからスポンサードされることになり、その2日後にはカリフォルニア州Buena Parkに新しくSkatopiaというスケートパークがグランドオープンしたんだ。そしてまたLauraがSkateboarder Magazine誌のスタッフに僕を紹介してくれて、”Who’s Hot!”のページに掲載されたんだ。

●初めての来日は?

E:1988年に日本で開催されたコンテストに招待選手として来日したよ。たしかJesse Martinez, Scott Oster, Ben Schroederなんかも一緒に来日してたと思う。

●それはきっと船橋の池のある公園で開催された船橋産業祭スケートボードコンテストだと思う。僕も10歳くらいでスケートを始めて1〜2年でそのコンテストに出て、池に落っこちたんだ(笑)。さんざんだったよ。

E:その翌年には大きなインドア(たぶん晴美展示場)のコンテストで日本に来たよ。ここ最近の5年くらいは年に1度来日してスケートの次に好きなタトゥーをしている。

●僕はその晴海も見に行ったよ。チビの僕がスケートを持っていたからだと思うけどゲーター(Mark Rogowski)がデッキをくれて、あなたは肘に付けていたレクターのエルボーパッドをくれたんだ。すごく嬉しくて今でもはっきり覚えているよ。ではタトゥーはどのようにしてのめり込んだんですか?

E:友達に腕の良い彫り師がいて彼に彫ってもらっていたんだけど、ちょうど何も仕事をしてない時期があってそこの床掃除とか針の消毒などのショップヘルパーとして手伝うことになり、少し慣れてきた頃に日本人の彫り師のJiroの見習いになったんだ。だけど今はタトゥーをやっていなくて今はスケートボーダーだよ。Santa Cruzが僕に仕事を振ってくるし、今はVansが世界中を飛び回らせてくれている。僕が毎日やりたいのはスケーターとしてだからね。

●小さい時に絵は描いていたんですか?

E:いや、全くやってないよ。ははは! やるべきだったね。僕の父はファインアートのシルクスクリーンをやっていて、僕の友達にはアーティストが多かった。だからやっぱりアートには興味があったけど、どのようにやるのか分かってなかったんだ。スケートボードのグラフィックもずっとやってみたくて自分でも手本にしているグラフィックがあったけど、描くためのちょっとしたコツが分かっていなかった。でも今はスキルがある様に見せる術だけは身につけたかもね、わっはっは!!

●もしいまあなたにタトゥーを彫ってもらいたかったらどうすれば良いですか?LAに行けば彫ってもらえるのかな?

E:いや、今はどこのタトゥーショップにも籍を置いてないから、むしろ日本に来た時にアポイントメントを入れてくれたら上手くいくかもね。でも今は本当にスケートをしたい気分だね。

●ではVansのLegend Teamについて聞かせて下さい。

E:Tony Alva, Steve Caballero, Christian Hosoi, Jeff Grossoなどがいて、彼らは僕より年齢がちょっと上のクラスなんだけど、僕は”Skateboarding Hall Of Fame 2017”を受賞してVansはとても喜んでくれて、僕を今まで以上に後押ししてくれるようになった。とても嬉しいね。

●そうでしたね! おめでとうございます! Hall Of FameはTony Hawk, Stacy Peralta, Gonz, Devo, Grant Brittain, Steve Olson, Tommy GuerreroにJim Phillipsなどレジェンドばかりですよね。そういえばやっぱりChristian Hosoiは来日出来ないのかな?

E:法律上の問題でまだダメだと思うよ。でも今回はTony Alva, Steve Caballeroと僕の3人で日本に来れてとても光栄だよ。Greenroom Fesも楽しいけど本当はスケート・トリップとしてやって来たいよね。今はスケートしたい気持がとても強いんだ。

●プールやバートなどのRをメインにしたコンテストではベテラン用の”Masters Class”がありますがストリートのコンテストは存在しません。ああいうクラスもあった方が良いと思いますか?

E:いや、それはたしか昔カナダのバンクーバーで行われていた”SLAM CITY JAM”っていうコンテストが試しにやったんだよ。たしかベテラン出場者に一斉に10分間だけコースで滑ってもらうジャム・セッションというスタイルをやったんだけど3〜4分したらみんな疲れて滑れなくなっちゃったというのがオチだったんだ(笑) 。ストリートはオーリーをするから膝にきて大変なんだよ。

●たしかにね。特にあなたのスケートはとてもワイルドでスピードがあります。それでは今までであなたの一番のトリックは何ですか?

E:そうだなァ、それは未だにスケートに乗っていることじゃないかな(笑)。 もう少しで50歳になるけど今も毎日スケートしてグラインドもしてるから。