MUSIC

Chronixx

 
   

Interview & Photo by Minako Ikewshiro池城美菜子

2014年9月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

 3ヶ月前。アルバム(LP)と呼ぶには尺が足りないけれど、ミニ・アルバム(EP)にしては贅沢な『Dread and Terrible』で、デジタル・デビューを果たしたクロニクスに、本拠地で話を聞いた。2012年の後半に“Behind Curtain”と“Warrior”で存在を知り、即ファンになってから1年半、ヒットを連発してソロ・アーティストとしてインターナショナルな存在になっただけでなく、ルーツ・レゲエ・リヴァイバル・ブームのリーダーとして目されている真っ最中だ。サンフェス連続出場、モンティ・アレクサンダーやアーネスト・ラングリンの「ジャズ・ジャマイカ」なおじさまたちから声がかかってブルーノートでセッションを敢行、 バンドのジンク・フェンス・レデンプションを率いてヨーロッパ・ツアーを成功させたばかりだ。かと思えば、ブルックリンのクラッシュでは彼のダブがなければ話にならないレヴェルまで支持を受け、めったにレゲエを取り上げない全国ネットのトーク・ショウのミュージック・ゲストとして出演し……という全方位的な活躍を見せている彼は、弱冠21才。EPのタイトルにひっかけて、「アンファン・テリブル(恐るべき子どもたち)」と思わず呼びたくなる若さだが、作詞はもちろん、トラックのプロデュースも手がけると聞いて、ライター的にはほぼ禁句の「天才」の称号を使いたくなった。まず、ジャマール・ローランド・マクノートンがクロニクスになるまでの道のりから話をスタート。

●あなたのお父さんがシンガーのクロニカルというのは有名ですが、兄弟は何人いますか?

Cronixx以下、C:3人の兄弟と3人の姉妹、従兄弟ひとりと住んでいたよ。もうひとり、兄が近くに住んでいたけれど、2007年に弟を亡くしている……神様の思し召しだから、仕方ないね。そのうち3人はお母さんかお父さんが違う。

●ジャマイカらしい家族構成ですね。

C:ジャマイカらしいと言い切るのは違うと思うけど。なかなか約束通りには、生きていけないものだからね。結婚も最初の一回でうまく行くとは限らない。失敗した場合は、家族でも再構築しないといけないでしょ。でも、ハッピーな家族だったよ。

●愛されて育ったヴァイブはとても伝わってきます。兄弟姉妹に、音楽をやっている人はいますか?

C:家族の中で音楽の仕事をしているのは、父と俺だけだよ。

●お父さんが近しかったサウンドシステムは?

C:キラマンジャロとマッシヴ・B。ボビー・コンダースと一緒に音楽活動をしていたんだ。ブロ・バンタンと同じ時期。それまではジャマイカにいたけれど、契約してからは海外と行き来することが多くなった。

●小さいときに、影響を受けたのはどんな音楽はでしょう?

C:幼い頃はダンスホール・カルチャーに感化されていた。初期のダンスホールは、音楽だけを指すのではなくて、サウンド・システムやアーティストたちキャラクターとかひっくるめた文化だったでしょ。ダンスホール(の現場)では、<リアル・ロック>とか元々はファンデーションに入るリディムがプレイされていてあまり境がなかった。いまでは、デジタルのリディムでも、ルーツって呼ばれたりするように、(音楽の)呼ばれ方って変わる。俺が小さいときにハマった音楽は、ルーツ・ロックではないけれど、いまではファンデーションと言われてたりする。ブリガディア・ジェリーやブロ・バンタン、スーパー・キャットといったアーティストもそうだし、ブジュ・バンタンだってそうだよ。バウンティ・キラーの“Fed Up”はカルチュラルだけれど、カテゴリーとしてはダンスホールだ。

●何才からダンスに行っても良かったのですか?

C:許可されたことはないかな…両親が厳しかったわけではなくて、子どものときから自分たちでダンスをキープする方が好きだったんだ。スパニッシュ・タウンで育って、兄弟や友だちと小さなタレント・ショウやダンス、サウンド・クラッシュまでやっていたよ。子どもは子どもらしくしていた方がいい。無理やり大人のダンスホールに行って、汚い言葉を聞いたり、お酒を飲んだりいろんなものを吸っていたりするのを見る必要はないと思うんだ。そういうのは、精神面がしっかり形成されて、自分で考えられるようになってから、触れた方がいい。

●教会でも歌っていたそうですね。

C:聖歌隊の一員だったし、教会にある楽器は全部いじったし、聖歌隊のディレクターとしてハーモニーのアレンジを担当したこともある。礼拝のリーダーもやっていた。でも、俺にとって、教会は聖書やスプリチュアリティを学ぶ場ではあったけれど、宗教活動ではなかった。とくに、俺自身が人間として成長するために 教会の教えは関係ない、と気がついてからは、その点は切り離していたね。音楽に取り組むための場だった。実は、当時作っていた音楽と、いまやっている音楽はほとんど同じなんだ。

●教会で音楽の基礎を学んだレゲエ・アーティストは実は多いですよね。

C:俺の教会は、とても音楽に力を入れていて、ベースやギター、キーボード、パーカッションが全部揃ったビッグバンドがあった。それから、当時いた牧師さんはジャーメイン・エドワーズと言って、いま、ジャマイカでとても有名なゴスペル・アーティストになっている。その頃、彼から多大な影響を受けた。彼がゴスペル・アーティストとしてツアーするようになったことにも、インスピレーションを受けたし。いまでも連絡を取っていて、この間、一緒に曲を作ったんだ。

●あなたが書くリリックも、こうやって話しているときの言葉遣いも、あまり21才らしくないというか、とても大人っぽいですね。

C:俺は、昔からほとんど変わっていない。信念が揺らがないタイプ。いつでも人道的な視点に立って、物事を見ている。自分を、創造主から託されて、人間の世話係だと思っているんだ。いつからかハッキリとは分からないけれど、そう自覚している。記憶がある限り、そういう意識があった。

 クロニクスは「神」にあたる「創造主」をクリエイションと呼ぶ。そして、自分を「Care Taker」とも。信念を強く持ち、使命感に突き動かされて生きている人だというのが、言葉の端々から伝わって来た。「教会に行くのは止めたのは16才くらい」、「ヨーロッパ流の考え方を植え付ける学校は嫌い」と、サラッと権威に抗う言葉を口にするが、シズラやケイプルトンみたいに、話している端から義憤がにじみ出て相手を萎縮させるタイプではない。なんか、もっと柔らかいのだ。
 マッシヴ・Bの話が出たので、後日、ボビー・コンダースにお父さんのクロニカルの話を聞いた。「94年くらいだったかな、クロニカルはダブで有名で、サウンドマンには人気があるアーティストだったけれど、それ以上は知られていなかったから、ちゃんとレコーディングをしよう、って声をかけた。いい歌い手だよ。息子が音楽をやっているって電話で言われたと思ったら、すぐにヒットし始めたのはビックリしたね。この間も、“お前の息子、絶好調だな”って言ったら、電話口で笑っていたよ。

 
 話を、キングストンの山腹にいる、絶好調の息子に戻そう。

●5才のときから作詞をしていたそうですが。

C:子どもの頃からラジオを聞いては、衣装を考えてレゲエ・アーティストのマネをしていたし、作詞もしていた。筋が通っていなくても気にしないでやっていたね。亡くなった弟と、ニンジャマンとスーパー・キャットの有名なクラッシュのマネをしたし、バウンティ・キラーのクラッシュもマネしたなぁ。

●あなたがスーパー・キャット役だった気がします。

C:そうだね、俺はスーパー・キャットだった。

●あのクラッシュ自体が、あなたが生まれた92年の前年、91年の暮れの出来事です。

C:そういうエネルギーが世間に満ちていたんだよ。ジャマイカの音楽のシナジーを受けて、生まれて来たんだ。生を受けたときから、俺はミュージシャン、アーティストだよ。

●早熟だったわけですね。

C:子どもの頃から、俺と弟はデュオとしていろんなところパフォームして、パーティーを盛り上げた。それで、ほかの子どもよりアイスクリームやケーキを多くもらっていたよ(笑)。セレクターをやっていたことだってある。

●プロデュースも手がけるそうですが、プロデュースと作詞、シンガーはどの順番で身につけたのでしょう?

C:一番、真剣にやっていたのはプロデュース。いまも、自分でプロツールなど、デジタル器機を使ってトラックを作る。最初にキーボードで土台を作って、そこから組み立てる。『Dread & Terrible』では「Capture Land」と「Clean Like A Whistle」をテフロンと一緒にここのスタジオで作っているよ。プロデュースは約6年やっている。

●ほかのアーティストにもトラックを提供しているそうですが、両方の立場から音楽に取り組めるのはプラスが多そうに思います。

C:プロダクションに携わって、たくさんのアーティストと仕事をする機会に恵まれると、それまで見えてなかったことが分かって来るのは事実だね。すごく有名なアーティストでも、音程を外す人がいてビックリしたりね。

●自分で作ったトラックで、特に良く出来たな、と自負しているのは?

C:ルータン・ファイアーの「Ambition」だね。

●彼はいいアーティストなのに、過小評価されている気がします。

C:単に“いい”アーティストではないよ、彼はジャマイカでベスト・アーティストのひとりだ。歌唱力において、完ぺきだと思う。

●どうやってプロデュースのやり方を身につけたのですか?

C:独学だよ。スタジオで多くのエンジニアやプロデューサーがしていることを観察した。(ドノヴァン・)ジャーメインや、スティーヴン・マクレガーやエンジニアのコートニーの仕事ぶりを見ているうちに分かって来た。クロニカルの息子ってことで、スティーリー&クリーヴィーとか、たくさんのプロデューサーのスタジオに出入りできたんだ。

●ベレスはお父様が音楽業界の厳しさを知っていたためにデビュー前は止められた、と言っていました。お父さんのクロニカルはどういう反応でしたか?

C:父もアーティストとして苦労したけれど、俺に止めておいた方がいい、と言ったことはなかった。逆に、プロになれって、押し付けられたこともない。両親はただ見守っていただけだ。俺は、まじめな子どもだったからさ。ただ、革命的なタイプだっただけで。様々なシステムに疑問を持っていて、学校や教会のやり方で自分に合わないと思ったら、従わなかった。学校は初日から嫌いだったな。8時スタートなら、9時半に着くような子どもだった。教会で髪を切れって言われて、従わなかった。自然に髪を伸ばすことは悪いことじゃないのに、ヨーロッパの人たちみたいな髪型にさせようとするのはおかしいだろ。父もハッパの形をしたペンダントをして教会に行って、騒ぎを起こしていたな。まぁ、ダダの場合は、クールな父親なだけだったけれど。俺には、そういう挑戦的なところがあるから、一緒にいて居心地悪く思う人も多いかもしれない。独裁者とか社会主義者、共産主義者とか言われたよ。

●学校でのあだ名とは思えない、すごい呼ばれ方ですね。そろそろ、『Dread & Terrible』の話をしましょう。反応はいかがですか?

C:好評だよ。まず、デジタルで出して、もう少ししたらフィジカル(CDとレコード盤)で出す。もともと、EPのプロジェクトだったから、7曲+ダブ・ミックスという構成になっていた正式なデビュー・アルバムの発売日は設定していない。明日にでも出したいけれど。

●「Behind The Curtain」や「Ain’t No Giving In」が入っていないのは、そういう理由もあるのですね。デビュー・アルバムの準備は別に進めているのですか?

C:音楽を始めたときから、ずっと準備をしているね。どの曲を収録するかは分からないけれど、とにかくたくさんの人と曲を作っている。昨日もスライ&ロビーとセッションをしたばかりだし。

●最新シングルの「Rastaman Wheel Out」はラス・カサのヴィデオとともに評判になっています。

C:ヴィデオは、映画の『ロッカーズ』のいち場面から取っている。ヴィデオが面白いとよく言われているけれど、曲自体はシリアスな内容だよ。ジャマイカで毎日のように起こっている出来事…いまでもラスタは、世間から半無視されたり、理解されずに嫌がらせを受けたりする。ラスタファリが実践しているスピリチュアルな生き方は、ジャマイカから世界への最高のギフトのひとつであり、ジャマイカ国内でもすばらしいのに。ハーブを吸う習慣や、服装といった些細なことでシステムからつまはじきにされていることを歌っているね。

●あのヴィデオで自然な演技を披露していますよね。俳優業にも興味はありますか?

C:ない。俺はミュージシャンであり、アーティストだ。学校ではヴィジュアル・アーツが好きだった。グラフィック・デザインや絵画、写真にも興味があったよ。音と同じくらい視覚がとにかく大事で、どの音にも色があるし、テクスチャーがある。3Dや4Dどころじゃなくて、5次元の世界。あと、角度もね。ディレイをかけると、音が角ができてトライアングルや渦巻きみたいになる。音は色彩であり、イメージなんだ。俺は音楽的な実験をし続けているし、革新的な音を探求するのが好きだ。ダブはそれができるから、好きだ。

●ジャズのモンティ・アレクサンダーとアーネスト・ラングリンと共演したように、ジャー・シャカあたりとステージで組んだらオモシロそうですね。

C:そういう可能性についてはオープンでいたいし、彼と仕事をする可能性は高いと思う。

●パフォーマンスは、絶対にバンド・ショウでしかやらない、ということでもあなたは有名です。ジンク・フェンス・レデンプションについて教えて下さい。

C:別々に音楽活動をしていた仲間で結成した。何回かメンバー・チェンジもあったけれど、ほとんどがオリジナル・メンバーだ。俺はリード・ボーカルであり、バックアップ・コーラスでもある。

●ソロ・シンガーであり、バンドの一員、という意識もあるんですね。

C:ハイプなことが嫌いなんだよ。DJは気が利いた衣装を着て、面白いことを言って聴衆を盛り上げるといったことも大切な要素だけれど、一番大事なのは音楽だ。音楽とソウルフルネスが大事で、それがバンドだと実現しやすく、伝えやすいと思う。

●最初のレコーディングがダニー・ブラウニーのところだったそうですが。

C:初めての本格的なレコーディングは、彼のところだけれど、それはクロニクスを名乗る前の話だ。兄弟姉妹でゴスペル・グループを組んでいたから、2003年か2004年、ダニーがゴスペルのプロジェクトに取り組んでいたときに呼ばれた。

●11才くらいですよね。

C:クロニクスとしては「Tell Me Now」が最初。正式にはリリースしていないけれど、知っている人も多い。その頃に「Behind Curtain」や「Warrior」もレコーディングしている。 09年くらいからぼちぼち始めて、2010年の頭から本腰になった。

●どの曲もパーソナルな心情が入っているとは思いますが、歌っていてちょっと感情移入してしまうほど、個人的な曲というのはありますか?

C:そこまでパーソナルな曲はないかな…そういう曲も作ったけれど、リリースしていない(笑)。

●「They Don’t Know」はだいぶ内面を吐露した内容です。

C:あの曲はたしかに俺の内側の深いところからにじみ出た曲だ。あれは、音楽に真剣に取り組み始めてすぐに作った曲だ…そうだね、あれが一番、パーソナルな曲だね。

●プロトジェやジェシ・ロイヤル、カバカ・ピラミッドやジャー・ナインなど、あなたと仲がいいルーツ系のアーティストも注目されて来て、ムーヴメントになっていることについては?

C:意識的にひとつのムーヴメントにしているつもりはいけれど、コンシャスな言葉を伝えたい同士が自然に集まったんだと思う。そういう波が、来ているんだ。

 整理をすると、子どもの頃から音楽中心の生活をしていて、高校を卒業したかしていないかのタイミングで、本格的にレコーディングを開始。「いま、ヒットしている曲でだいぶ前に作った曲は多い」と言うから(彼の“だいぶ前”は、5年前だ)、17才か18才で、全世界のレゲエ・ファンを震撼させるような曲を作ったことになる。神童、とか、天才、とか、煽っちゃいけないと思いつつ、もうほかに言葉が見つからない。私は、去年は5回、今年に入って3回ステージを見ている。ジンク・フェンス・レデンプションの演奏を含めて、どんどん研ぎ澄まされ、新人とはとても言えないレヴェルに達している。その一方で、インタヴューの途中で「日が暮れる前にサッカーをやりたいんだけど」と、ごねる21才らしい面も。
 クロニクスがまだよちよち歩きだった頃、 お父さんのクロニカルがレコーディングをしていたブルックリンのマッシヴ・Bのスタジオは、ビギー・スモールズことノトーリアス・B.I.G.が生まれ育ち、街角でラップをしていた場所と同じブロックだ。「ヒップホップ・アーティストで興味があるのは、ルーペ・フィアスコ」と、なかなか鋭い人選をしたクロニクスに、その事実を伝えたら「だから、俺はそういうシナジーの元に生まれたんだって」と、きっと言うだろう。DNAレヴェルで使命を請け負っているクロニクスからは、急に売れた若いアーティスト特有の危うさは感じない。真っ直ぐに延びる、自分の道が見えている人。それが、クロニクスだ。