MUSIC

西内徹

 
   

Text by Hajime Oishi 大石始 

2012年10月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

〈優れた日本産レゲエ・アルバムの影に西内徹あり〉――そう思えるほど、ルーツ~ラヴァーズ~ダンスホール~スカを横断しながら神出鬼没的活動を展開してきたサックス奏者、西内徹。膨大なセッション/ライヴに参加する一方、川上つよしと彼のムードメイカーズやREGGAE DISCO ROCKERSのメンバーとして活躍。さらにはゆらゆら帝国~坂本慎太郎のソロワークへの参加や自身が率いるチンドン・ブラス・バンドの西内隊などなど、ありとあらゆる作品/ライヴに力強いブロウで彩りを加えてきた西内。そんな彼の初リーダー・アルバム『TETSU NISHIUCHI AND THE BAND』が完成。一部では〈日本のディーン・フレイザー〉とも呼ばれる彼の力強いプレイが詰まった、スウィートでストロングなレゲエ・アルバムとなった。「オレみたいなのがアルバムを出せるなんてねえ」と謙遜する西内に話を訊いてみよう。

●61年生まれということは、最初にハマった音楽はパンク?

N:そうですね、やっぱりパンクですねえ。ピストルズ、クラッシュ、ダムド、バズコックス、ストラングラーズ。それからちょっとしてポップ・グループとかジェイムス・チャンス(コントーションズ)あたりを聞き出して。地元が北海道なんで、パンクを聴いてる人は仲間うちに2、3人いるぐらいだったけど。

●バンドを始めたのは?

N:高校生のとき、学祭でドラムを叩いてたぐらい。パブリック・イメージ(・リミテッド)の“Religion”のトラックで古文の教科書を朗読してましたね(笑)。今考えてみたら、あまりにヘタすぎてカヴァーにもなってなかったと思うけど。

●レゲエを聴きだしたのは?

N:パンクを知ってから少しした後、スティール・パルスを知ったんだと思う。それか『Harder They Come』のサントラかな。とにかく、ダブっていうのは凄いもんなんだなあと驚いて。レヴォリューショナリーズの『Outlaw Dub』あたりでびっくりしちゃった。当時はポップ・グループも同じような感覚で聴いてましたね。

●北海道大学に入学後、パンクやレゲエを聴く一方、長唄や民謡も聴くようになるんですよね。どういうルートでそうした日本の伝統に入っていったんですか。

N:そのときは……〈日本人としてのルーツを探ろう〉と大真面目に考えてて。ちょうどワールドミュージック・ブームの気配もあったので、日本人ならではのものもできるんじゃないかと思ってたんですね。それで篠笛も吹いてみたり。

●サックスを始めたきっかけは?

N:七尾(茂大/DRY&HEAVY)の兄貴から借金のカタとしてサックスをもらったんです(笑)。だから、サックスをやろうと思って手に入れたわけじゃなくて、流れでサックスをやるようになったんですね。それが21とか22ぐらい。そのころ、(エマーソン)北村と多重録音して遊んでましたね。

●それはどんな音楽性だったんですか。

N:なんというか、フリーなセッションですよ。サックスもロクに吹けないわけだから、レゲエをやろうと思ってもできなくて。北村はそのときから上手かったし、スタイルが完成してましたよ。今と昔でスタイルが変わってない。

●そのセッションの録音は残ってないんですか?

N:テープで録ってるよ。でも、恥ずかしくて聴かせられないです(笑)。

●サックス奏者としてのデビューというと、チャッピーさんや佐川修さんがやっていたランキン・タクシーさんのバックバンド(通称:チャッピー佐川バンド)ですよね?

N:そうです、そうです。

●Riddim誌にそのバンドのメンバー募集が載って、そのとき応募してきたのが西内さんとTHE Kさん(現LIKKLE MAI BAND)だと聞いたんですが。

N:そうなんですよ。それまでダンスホールはほとんど聴いてなかったけど、Riddim誌で募集してるっていうことを知って応募してみたんです。最新のレゲエは85年ぐらいから追わなくなっちゃったんで……。

●コンピュータライズドになってから気持ちが離れちゃった?

N:いやいや、あれはあれで気持ちいいんですけど……もしかしたらデカイ音で聴いてなかったから最初ダンスホールにハマれなかったのかも。サウンドシステムで聴かないとコンピュータライズドのトラックの良さは分からないからね。そのころはまだ〈トラック〉っていう概念が自分のなかになかったので、とにかくいろいろ聴いてましたね。そうやって続けていくうちにダンスホールの楽しさが分かってきたんです。

●その楽しさとは?

N:まず、お客さんが盛り上がりますからね。そこが全然違いますよ。チャッピー佐川バンドでは野音もやりましたね、そういえば。

●最初のバンドで野音のステージに立っているわけだから、考えてみると凄いことですよね。

N:うん、超ラッキー(笑)。

●それと同時に、30歳のときからはチンドン屋に入りますね。

N:『チンドン大行進』っていうLPが60年代に出てたんですけど、それが大好きで。“恋の季節”みたいな歌謡曲や民謡のカヴァーも入ってて、洋楽器で演奏されているのに和楽器に聴こえたんですよ。なかでもお囃子を管楽器でやってる曲がおもしろかった。歌舞伎の下座音楽としてのお囃子ですね。民謡や純邦楽も好きだったけど、チンドンが一番しっくりきたんです。それでいろいろあってチンドン屋に入ることになって。

●チンドン屋に入って学んだこととは?

N:サックス以外はみんな打楽器ですから、ひとりでリズム以外の部分を成立させないといけないんですね、チンドンは。主旋律をサックス一本で吹き切らないといけないわけでね、そこは勉強になりました。

●西内さんのサックスには歌心というか、太いメロディーで吹ききる感覚みたいなものがあると思うんですが、そうした感覚はそのころ培われたものなのかもしれませんね。サム・テイラー感というか。

N:ああ、なるほど(笑)。そういえばジャマイカの古いサックス奏者も演歌心ありますよね、トミー・マクックもローランド・アルフォンソも。

●その後さまざまなバンドを経て、今回のファースト・アルバム『TETSU NISHIUCHI AND THE BAND』へと辿り着いたわけですが、制作のきっかけは何だったんですか。

N:(ポジティヴ・プロダクションのディレクター)松本さんにだいぶ前からアルバムを出そう出そうと言ってもらってて、〈まだ早い!〉とずっと渋ってたんですけど、年を取ってきていつ何があるか分からないから、〈そろそろやんないといけないかな〉と思うようになったんです。

●参加メンバーも気心知れたメンバーばかりですよね。エマーソン北村さん、森俊也さん、小粥鐵人さん、ワダマコトさんなどなど。

N:もうね、好きな人、一緒にやってて〈“やまん”な人〉に集まっていただきました。曲も純粋に好きな曲を選んだ感じ。(ジョン・レノンの)“Jealous Guy”はあのメロディーを土生くん(土生“TICO”剛/LITTLE TEMPO)の(スティール)パンで聴いたら気持ちいいだろうな、と思って。

●カヴァー曲のなかではパット・メセニーの“Travels”がちょっと意外なセレクションでした。

N:メセニーはいい曲が多いんですよね。昔から大好きです。

●友部正人さんのカヴァー“夕日は昇る”では松竹谷清さんが素晴らしい歌声を聴かせてますね。

N:素晴らしいですよね、本当に。これは松本さんのアイデアで。

松本(ポジティヴ・プロダクション):このアルバムを作るとき、シンガーを入れるべきかどうかという話が出てきたんですけど、入れるのであれば誰がいいのか、それこそキリがなくて。でも、清さんだったら最高だし、北海道つながりもあるし、誰も文句言わないだろうと(笑)。それで清さんに声をかけたら快諾していただきました。

●西内さんのオリジナル曲3曲も入ってますね。

N:オリジナルというか、スタジオで歌った鼻歌をメンバーみんなが何とかしてくれただけですよ(笑)。“Paupers Alright”はグレゴリー(・アイザックス)の“Loving Pauper”のトラックの上でラバダブ的に吹いてみた感じ。“North Of The River Tama”はパブロですね(笑)。“La Man't II”はREGGAE DISCO ROCKERSでやった“La Man't”の続編みたいな感覚。

●録音期間は?

N:全部で3日かな。3日で10曲。でも、もっと頑張れば2日で録れると思う。今回はテープで録らせてもらったんですけど、やっぱりテープはいいですよね。ウッチー(内田直之)が録ってくれたんですけど、もう安心して任せられました。

●普段から多摩川で練習をしてると訊いたんですが……。

N:やってますね。多摩川、いいですよ。外で吹くと気持ちいいし、スタジオでやるのとは違いますからね。スタジオで思いっきり吹くとなんかうるさくて。

●多摩川での練習はプレイスタイルに影響を与えてます?

N:うーん、あると思いたいですけどね。外でやってると音が太くなる気がするんですよね。なんというか……遠くに届くように練習してるんです。部屋のなかだとそういう意識って持ちにくいと思うんですけど。

●〈遠くに届くようなサックス〉って、そこにもチンドン屋の経験が活きてるような。

N:それはありますね、もちろん。

●では、最後に読者へメッセージをお願いします。

N:えーっと、“やまん”なアルバムだと思うので……よろしくお願いします(笑)。