CULTURE

映画『盆唄』が繋ぐ過去と未来

 
   

2019年2月にRiddimOnlineに掲載されたインタビューです。

Text by BIOCRACY Photo by Ai Iwane(without name)

 2月15日(金)封切りの映画『盆唄』(監督:中江裕司)。それがどうジャマイカやレゲエに繋がるかは本文で確認いただくとして、映画に詰まった地域、リズム、福島、盆踊り、まつりといったファクターはまとめて、私たちがつくりたい未来への鍵だった。
 『盆唄』の完成には、そもそもハワイで日系移民をライフワークとして追い続け、311以降は福島をフィルムに残し続けているカメラマン岩根愛の尽力がある。劇中、ハワイで出会ったとっくに生産中止のパノラマカメラで、福島の帰還困難区域に家を持つ方々を撮る岩根の姿も確認できる。
 『盆唄』から受け取れるものが何か、写真集『JAMAICA1982』(OVERHEAT、2018)の石田昌隆氏を招き、キャリアを通じて音楽を追いかけてきたカメラマン同士の対談が実現。最初の邂逅は90年代後半、代々木公園でのDRY&HEAVYのライブという2人の対話をお届けする。

石田(以下、IS): 『盆唄』の試写会ではリクル・マイさんに会ったりして、レゲエの繋がりは普通に感じていました(笑)。

●そもそもなぜ、試写会に石田さんを招待したのでしょう?

岩根(以下、IW):石田さんは絶対この映画を気に入っていただけるんじゃないかと、勝手に思ったんです。私はこれを「音楽映画だ」と思っていて、だからこそ音楽に理解がある人に観てもらいたかった。それは私自身も長く、音楽の撮影の仕事もしてきたので。

IS:作品は観る前から「面白いに決まってる」と思っていました。ただ、映画の前に岩根さんのニコンサロンの写真展にも行っています。そしてそこで見た写真には内容があったんです。
 何十年もいろいろな人の写真を見てきましたが、結構巨匠と言われる人の古典でも、年月を経る中で自分の中の評価が落ちていくことがある。それは「『写真はいいんだけど、意味がダメ』ということがわかってきた」のだと思っています。
 どういうことかと言うと、例えば「写真家の撮る花はつまらない」という言葉があります。それはきっと「花のことをわかってない」感が、心から花を好きな人にはわかってしまうんだろうなと。
 70年代から90年代が写真が特に力を持っていた時代で、リアルタイムで「素晴らしいな」と思っていた写真家の作品はたくさんありました。でもその中で自分の中に残るものと、つまらなくなってしまったものとが明確に分かれてきました。
 写真がうまかったりきれいだったりは大前提であって、加えてすごく「内容がないとダメだな」と思うようになりました。その時に、岩根さんの写真には「すごく内容のある感じ」が素晴らしいと思ったんです。
 岩根さんは、写真を撮る過程で予期せぬ事象と出会っていく。06年からハワイに通うようになって、現地で盆踊りの存在を知り、それが福島と繋がっていることに気づく。「撮る」ことと「何かに気づく」ことが同時進行する。さらに福島では11年に東日本大震災が起こり、映画では触れられなかったけどハワイ島では18年にキラウエア火山の溶岩流が民家にも達した。盆踊り、移民、自然災害、それらが織りなす物語をリアルタイムで発見していく。素晴らしい内容だと思いました。

●映画は、木村伊兵衛賞にノミネートもされた写真集『KIPUKA』(青幻舎)や展示に収まりきらなかった部分がまとめられた、という理解で間違いないでしょうか。

IW:写真では唄そのものは伝えられないので、「そこを何とかしたい」という想いがずっとありました。だから映画のきっかけは、「唄のことを映像にすれば一つの作品ができるはず」という、それをハワイと福島の関係を知るほど確信していきました。そしてそれをお願いできるのは中江監督しかいないと思っていたんです。
 中江監督とは2003年の『白百合クラブ東京へ行く』で、その時写真を担当して以来になります。それからも『ナビィの恋』や『ホテル・ハイビスカス』など、とにかく監督の音楽への愛を知っていたので、ハワイと福島の盆唄の関係を知るうちに「いつか何か撮って欲しい」と思ってきたことが、今回ようやく実現したという経緯でした。

IS:まず、そもそも「盆踊りが音楽的にも面白い」というのは、80年代に河内音頭を錦糸町でやるようになった頃から少しずつ知られるようになった事実です。だから最近で言えば、Soi48とか俚謡山脈のかける音楽も素晴らしいわけです。
 さっき映画が「いいに決まってる」と言いました。でも、「物語としてハワイと福島と311が絡んで素晴らしいものができる」ということは確信していた反面、盆踊りそのもののクオリティは、いくつかよく知られている素晴らしいものがすでにあるので、正直「そこまではいってないだろうな」と思っていたんです。でも、それも思った以上に音が良くて。
 それから、監督が主役の横山(久勝)さんと出会って「これは映画になる」と思ったという話がありました。そして横山さんの太鼓について、友人の方が「微妙にズレるところが格好いい」みたいなことを指摘しているシーンがあって。そこは、音楽評論家的には「すごいポイントをしっかり突いてる」と思ったというか、現場で盆踊りに参加している普通の方がそこを見抜いてることに感心しました。
 とにかくすごく意外だったのは、フクシマオンドがそもそも音楽的に、すでに知られているいくつかの素晴らしい盆踊りに引けを取らないレベルにあったということでした。

IW:ハワイには全国からの移民がいて、最初は生演奏の曲がたくさんあったらしいです。それがどんどん淘汰されていって、今やフクシマオンドだけが残っている状況です。
 オアフ島では山口県の岩国音頭と沖縄の人たちがやっている盆唄があるんですが、山口県は純粋に人口が多いのでわかるんです。かたや福島からの移民は東日本では一番多いものの、特に他と比べてすごく多いわけでもない。でも、あのビートや踊りが愛されてここまで残ってきた感じがするんです。
 今やってる人たちは必ずしも福島を先祖に持つ人たちではなくて、ハワイの盆ダンス=フクシマオンドということになっていて、盆ダンスを演奏したい人は自動的にフクシマオンドを習うとことになっています。

●岩根さんは元々ハワイに通われていました。そして311後通い始めた福島との共通項や、特別なパノラマカメラを見つけたり、どのポイントが最も予想外で、さらに追いかけるテーマとして、一番「これはすごいことだ」と思ったんでしょう?

IW:ハワイの盆ダンスは、踊って写真を撮るのが好きでずっと通ってきました。
 決定的だったのは2011年の夏、ちょうどマウイ島で、地震と津波の被災者約100人が招待されて長期滞在していたんです。双葉郡からも中高生が30人くらい来ていて、彼らが盆ダンスにも来たけれど最初は恥ずかしがっていたのが、マウイ太鼓が生演奏のフクシマオンドを始め途端、急に「あ、これ知ってる!」と言って踊り出したんですね。本当にビックリして、その光景がもう忘れられなくて。
 まず、そういう唄が自分にはありません。そんな若い子たちも聴けば踊り出してしまう、「共に生きてきた唄がある」ということと、それよりも、それは「これは本当に海を渡ってきたんだな」という証明を自分の目で見た瞬間だったので、それが大きなきっかけでした。それで、「フクシマオンドって今も、ハワイでこんなに盛り上がってるんですよ」ということを伝えたいと思ったんです。
 その後マウイ太鼓を福島に呼ぶんですが、自費で12人のメンバーが日本まで来てくれました。その時に横山さんをはじめ、いろいろな福島の太鼓奏者の人たちとの交流が始まったんです。

●映画は、国籍を超えて人々の中に鳴り響く太鼓、ブレイクビーツ、リズムの存在、重要性を示す作品に思えました。

IS:基本的に僕は、ディアスポラ文化に心惹かれます。今回の映画を観る前から「いいに違いない」と思えたのも、これは福島とハワイのディアスポラ文化が関連している音楽だから。かたや河内音頭みたいに土着のもので完成されているのは、言わばアメリカのヒップホップみたいなものというか。
 そういう意味で主流の、正真正銘の地元があってそこで成熟したものに対して、フクシマオンドのような、ディアスポラの系譜が文化的背景にある中で生き延びている音楽には、全然別の文脈に乗った魅力がないわけがないんです。

●石田さんの仰る「ディアスポラ」を、もう少し詳しく説明お願いできますか?

IS:例えばUKレゲエもディアスポラ的と言えます。ああいう寒いロンドンで、ASWADとかJAH SHAKAが出た『バビロン』という映画が1980年くらいにできるんだけど、僕は当時それを観て「イギリスのジャマイカ人を撮りに行かなくちゃ」と強く思いました。
 ジャマイカのジャマイカ人って、イギリスのジャマイカ人への理解がすごく低いというか、気持ちを全然わかっていない(笑)。まるでレゲエとパンクが仲良かったかのように誤解している人も多いけど、本当にレゲエとパンクの両方に親和性を持ってた人たちというのはごくごく一部、ドン・レッツの半径50メートルくらいにしかいなかったというか。だからDRY&HEAVYとかこだまさんみたいな音楽だって、ジャマイカ人にはまず理解できないと思うんです。
 そういった意味で、「時空間を移動して、離れたところでできるもの」には、だいたい惹かれるんですね。

IW:となると、故郷から離れたところで独自に発展したフクシマオンドはドンピシャですね。
 ハワイ島での踊りの場面で「べっちょ、べっちょ」と言ってるいるシーンがあります。あれは、東北弁で女性器のことを指しています。昔は「べっちょ踊り」と呼んでたみたいですが、今東北でそんな風に歌うところはありません。ハワイでも意味がわかって他の島では禁止され、今や世界でもあそこでだけ「べっちょ、べっちょ」と叫んでいるという(笑)。みんなそれで、「あんまり意味は伝えないようにしてる」とか少し恥ずかしそうにしてはいるんですが、そういう意味で、世界で唯一当時の伝統を守ってる場所だったりもするんです。

●映画でフクシマオンドは、ハワイに渡って戦争もあって抑圧された時期があり、でも実は富山からそもそも福島に来た時も抑圧されていたということが描かれています。レゲエも、アフリカから奴隷船でジャマイカに辿り着いた人々が、抑圧と差別の中で生み出したリズムだったことがその強靭さに繋がったと考えると、そこが共通項のように思えました。

IS:ジャマイカ人は西アフリカから来ています。西アフリカの音楽は、ハイライフとかマリの音楽はみんな高音がすごく伸びやかなものが多いのが、奴隷船を経由してジャマイカに着くとすごく低音になる傾向があります。
 モロッコのグナワも、サハラ以南の奴隷の末裔の音楽であり、それもすごく低音の音楽です。だから、奴隷として遠くまで連れて来られると低音が強い音楽になるのかもしれません。

IW:フクシマオンドに関しては、マウイへの移民が1885年頃から始まって、その15年後くらいから福島から人が渡り始めています。だからそこにはすでに先人がつくった移民社会があって、沖縄もだいたい同時期だったとのことです。後から行くと「方言がよくわからない」みたいなことで阻害されることも多く、そういう中で自分たちの言葉で語り、自分たちの唄を歌って、サトウキビ畑の中で盆踊りを始めたといいます。

IS:日系移民の人たちがサトウキビを栽培しながら盆唄を伝承していたというのは、アメリカ南部の黒人奴隷が綿花を紡ぎながら霊歌を歌っていたのと同じ感じを受けます。
 映画で、富山との繋がりが出てきたのは意表をつかれて驚きました。最初は一瞬、「要素が複雑になり過ぎて論点が曖昧になっちゃうのでは」と思ったんだけど、それを描くアニメもよくできていて、重要な要素として作品全体に効いてくる部分になっていました。

IW:監督曰く、あの部分が「希望を描いている」とのことでした。最初は私も、長くなるから反対したんです。でも、あれを入れるのは最終的には監督の判断で、撮影が全部終わってからアニメの製作がはじまって、尺も当初からどんどん長くなって。

●『盆唄』には福島や原発事故のこと、ハワイ移民、福島音頭の歴史、そして人間ドラマもあってそれこそ多様な要素が詰め込まれています。どの部分を一番汲み取って欲しいですか?

IW:ハワイに行くたびに思うのが、同世代の日系人でだいたい4、5世になるんですが、皆さん自分たちの先祖が何をしてきたか、しっかりと語り継いでいるんです。戦争の記憶もそんなに古いことではないし、例えば「これは2世の人のため」とか、先祖供養と盆踊りが直結しています。つまり、自分に繋がる過去をいつもすごく考えている人たちなんです。
 私も実際、マウイ太鼓のメンバーに「あなたのレガシーは何?」と聞かれたことがありました。そんな質問は日本で聞くことも聞かれることも考えたこともないし、でも彼らは、そういうことをいつも考えているんです。
 そして、横山さんや双葉の方々も、「これから盆唄をどう残していくか」という未来をすごく考えています。私は双方から、「自分に直接繋がる過去についてどれだけ考え知っているか、その長さが自分がイメージできる未来に反映される」ということを学びました。
 監督も、原発問題は「目の前で解決できることではなく、100年単位で考えなきゃいけないこと」ということを言っています。それで、土地を移り続ける移民の話を作品に盛り込んだのだと思っています。だから「未来を考えることは自分のルーツを考えること」であり、それをより深く知ろうとすることが、ある意味当たり前のことかもしれませんが、現代社会ではなかなか誰もできていないことだと思います。

●そもそもこの映画の存在は、岩根さんの「中身ある写真」が発端になっています。そしてその完成まで、お金も時間もすごくかかっているのは明らかです。いいクリエイティブ、人の心に響く作品というのは、やはりそれくらいの労力の末にできるものなんでしょうか?

IW:最初に、「マウイ太鼓としてツアーで福島に来てください」ということを突発的に提案して、彼らが「行く」と言ってくれた時、同時に自分の中では「やばい」と思ったんです。自分はツアーなんか組んだことないし、衝動的に言っちゃったら乗ってきてくれちゃって、結果的には東北6ヶ所を巡る大ツアーをすることができました。だからその時は「これでしばらく写真撮れないな」、「自分のプロジェクトが遠のくな」と思ったんです。
 でも、今振り返るとその時に出会った方々との縁で、写真を現像する拠点を福島県の三春町の旧桜中学校に構えられました。つまり、結果的には自分のプロジェクトにとっても一番の近道になったんです。 パノラマカメラはフィルムの長さが2メートルあるので横に長い流しが必要で、その環境に辿り着けたのもツアーのおかげでした。
 でもそれも、よく考えてみると私にとっては、石田さんと出会ったきっかっけにもなったDRY&HEAVYとの経験が活きてるように思います。インプロ的に突き進む、それは2000年の彼らのヨーロッパツアーについて行って学んだことです。「音楽の場にいて旅をしながら写真を撮ること」というか、結局20年前から自分は変わっていない(笑)。

IS:例えば大石始くんもそうだと言えると思うんだけど、レゲエ発盆踊り行きの人って結構いる気がしています(笑)。
 レゲエには確かに、例えば「ボブ・マーリーは天才だ」とか、何人か秀でたミュージシャンがいるんだけれど、他の欧米のほとんどの音楽はその作家の才能によって成立している率がすごく高い気がしています。それに対してレゲエとか盆踊りは、作家の才能とその土地とか文化の地力の拮抗の中から生まれている気がする。もちろん、やっているアーティストの才能もあるんだけど、その個人的な才能の比率よりも、「その土地に宿っているものの力をどれだけすくい取れるか」というところでできているという点で、似ているのかなと思います。

●だからこそ力があり、世代も性別も超えて皆が引き寄せられる。

IW:DRY&HEAVYドラムの七尾(茂大)さんに言われた、「太鼓というのは、裸足で立って叩くことで、その下にいる先祖を呼び起こすためのものだ」という言葉があって。
 盆踊りにはもともと死生観というか、死者に向けたお祭りということがプラス要素にあって、それは本当に古来から日本の魂にあるものだと感じていて。日系人の人たちがあのパノラマカメラで葬式の集合写真を撮っていたということも、「人が死んだ瞬間が何よりも大事」という感性がそうさせるというか。

IS:死者との対話というと、ジンバブエの「ムビラ」という親指ピアノだとか、マダガスカルのギターの音楽とか、レユニオン島のマロヤとか、アフリカ南部からインド洋の島々にかけての音楽はそういったものが多い。
 『ギターマダガスカル』(監督:亀井岳、2015)という映画で語られていることなんだけど、人間には4つ大事な瞬間があって、それは出生と結婚、死ぬことと、もう一つは死んだ後何年後かに墓を掘り起こして対話するという、そしてその4つ目の時に演奏する音楽がすごく重要だということがあるんです。

IW:そういう風に、世界でも当たり前のことなのかもしれませんが、日本人の死に対する考え、姿勢が盆踊りに詰まっているし、それがこの映画『盆唄』で伝えたいことでもありました。