ART

Kads MIIDA 「未来おみやげ展」

 
   

Text & Photo by Shizuo Ishii 石井志津男

2013年5月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

Kads MIIDAにはCDジャケットのアートを頼んだこともあるし彼のライヴ・ペインティングも見たことがある。絵本を買ってサインをねだったこともあったはず。だが、常々ライヴ・ペインティングをやるってどういうことなんだろうと思っていた。Tokyo Cultuart by BEAMSでやる「未来おみやげ展」のメールに添付されていた画像は芹沢銈介の作品からインスパイアされたものだったから、気になって連絡した。

●そもそもMIIDAさんは学校はどこでしたっけ?

Kads MIIDA(以下M):東京造形大学です。グラフィック・デザインですね、好きなんですよね古い印刷とか。89年でしたか、学生時代からなんとか絵で仕事したいなと思って二十歳くらいの時からTシャツのデザインとかをやり始めて、「描かせてくれ」って、街の看板の仕事を受けたりしてました。昔から、アメリカの看板のデザインが好きだったのでそういうのを真似したりして仕事を始めました。

●アメリカの看板って具体的にどういうデザインですか?

M:イラストがあって文字がバンとある、いわゆるポップな看板が好きだったので、それをやってたんですけど。

●それはお店の看板を?そういえばMIIDAさんがやった沖縄のFLEXの看板とかもイイですよね。この間、恵比寿で彼に初めて会いましたよ。

M:ジャマイカ料理のお店やってる江上君ですか?FLEXの。

●そうそう。

M:今でもお店のロゴはよく描いてます。当時そういう仕事をちょっとやらせてくれということで始めて、大学の3年~4年生くらいの時に横浜のBANANA SIZEっていうレゲエのサウンドシステムの人たちが店をやるってことで、本牧のZEMAっていうお店の内装をやることになって壁画を描いたんです。その辺からレゲエっていうか音楽との繋がりもでてきて、そこにはPAPA U-Geeが来たりJr.Deeが来て歌い始めたりして、アートの活動としてはその人たちのサウンドシステムの横でライヴ・ペインティングをやったのが89年とかそれくらいの時代です。

●ライヴペインティングの面白さとはどういうところなんですか?ライヴペインティングっていうのは誰かが見ている状況でやっているわけですよね、グラフィティはまあ見てなくてもいいけど。

M:グラフィティは隠れてやるものですよね。(笑)

●うん、だから二つは違うんでしょう?

M:グラフィティとは明らかに違うと思います。絵は普通は部屋で一人で描くものですけど、ライヴ・ペインティングは廻りから同意を得ながら描いているようなそんな感じもあるんです。みんなに今の自分のスタイルを見てもらえたりとか、驚きを共有したりとか、自分を追い込んでそこでドンってやるというか、自分はミュージシャンにも憧れがあったからミュージシャン的に絵を描くっていうのはどういう事かって考えたらライヴ・ペインティングかなみたいな。ライヴ・ペインティングはかなり音と凄く関係していると思っているんです。みんなスタイルは色々あると思うんですけど、自分のは音と同時進行でこの曲だからこうなったっていうのを出来るだけ出したいです。で、最近使ってる紙なんですけど、ある日ライヴ・ペインティングで呼ばれて北陸に行ったんですよ。そこで「田舎だから何もないんですよ、和紙くらいしか」って言われて「和紙?見たいです」って工場に行ったら手で漉いてて素晴らしい。何百年もカビがつかない和紙があったり。今はそこで頂いた和紙を使ってライヴ・ペインティングをしているんです。筆は広島にライヴ・ペインティングしに行って、泊めてもらった田舎で「うちは田舎で何もなんです、筆しか」って(笑)。そこが熊野っていう最高級品の一本一万円くらいする筆を作ってる村で、そこで筆貰ってきて。

●へえ!

M:そういう出会いがあって、そのうちきっと墨の産地とかね、多分日本中にそういうのがあるから、ちょっとそういう出会いを期待してるんです。今、ちょっとずつ手法も変えていて、そうしたら何も持っていかなくて良いんですよ。墨なんてどこに行っても日本中でコンビニでも買えますよ、筆だけ持っていけば。今はそういうスタイルです。

●じゃあ色を付けない時もあるってこと?

M:色はちょっとだけで、極端な事を言えば習字屋さんの赤いのって分かります?

●分かる、朱ですか。

M:そうです、あれと黒だけで描いたり、青はちょっと絵の具入れたんですけど、木炭と墨だけで描いたりとか。やっとなんか日本人で良かったなみたいな気がしてきて、もっとそういう部分を研ぎ澄ましていっても良いのかなと。

●なるほどね、色が無い事はそれだけ大変なんだろうけど。

M:そういう事です。あとタッチ一発でキメなきゃいけないです。面白いですね。最近自分がやってる事と回りの動きが全て同じ所に向かってる気がするんです。

●89年から、そうやって20年以上ライヴ・ペインティングもやりつつ今回の芹沢銈介をイメージしたBEAMSでやる「未来おみやげ展」との接点というのはどういうことですか?

M:芹沢銈介さんの名前が出てたから、さすが見てるなと思って。やっぱりデザインとかアートが好きな人は言ってきますね「あっ、民芸運動?」とか。

●やっぱり(笑)。

M:「それは今必要かもね」みたいに、そういう気持ちが無いとデザインとかアートとかも今はもう大変な時代になってるからって。

●実はたまたま古本屋で芹沢銈介の本を買って、かみさんに多分好きだろうなってプレゼントしたら、子供のころから凄く好きで銀座の「あけぼの」の団扇を持ってるよ、みたいな。

M:JALの機内で使う印刷物のデザインとかね、そういうの全部やってたんですよね、芹沢先生。僕も季節ごとの日本の何か、そういうものをやりたいですね。今、地方の友達と出会って色んな物を作っているんです。失礼な言い方ですけど昔の枠にとらわれていてデザインしきれていないというか、それが売れないで困ってるとか止まっているような状態で、社長の世代交替もあって「なんか変えたい」と言っている産業もあったりする。そういうモノとコラボをし始めていて、大きい事を言えばそれらをもう一回デザインを加えて再生させたい。僕らは東京で勉強したので、売り方まではわからないですが「こうしたらこうなる」っていうアイディアとか。あと二世代目がレゲエが好きだったりして、僕の絵で何か作りたいとかそういうオファーもあったので、デザインをし直して整理して集められるだけ集めて、BEAMSに良い場所があるからそこで物産展みたいなイメージでみんなで作ったものを出して「これ全部日本製なんだよ」っていうところを再評価させたいなというのが今回のおみやげ展の趣旨なんですけど。

●どのくらいのモノが集まるんですか?

M:20点くらいですかね。

●それは全部MIIDAさんが何かしらデザインか何かで関わってる?

M:そうです、何かをやってるっていう。神戸、京都からは食品のラベル、あと四国の藍染め、ふんどしがきたりとか、昔よくあったペナントを東京の下町のプリント工場で一緒に作っていたりとか。最初はちょっとポップなものから始めて、漆器とか焼き物とかの工芸品までいきたいんですけど、いろいろと無限にありそうで、この先のアートのテーマになるかなと思っています。今は工賃や材料の安い国でいっぱい作らせて他の国でいっぱい売らなきゃいけないっていうシステムでみんながんじがらめになっている。ちょっと値段が高くても長く使えて、しかも日本で作っているものに僕は目を向けた方が面白いなと思っています。 

●本当に日本の物作りってすごくセンスがいいですよね。ものすごかったわけですよね、安土桃山、とくに江戸時代からさ。

M:すごいですよ。

●色のセンスひとつをとってもとんでもないわけで、だからMIIDAさんの今回のは凄く面白い試みだと思うね。

M:芹沢さんの名前出してもらったので分かると思うんですけど、民芸運動が盛んな時代は、芸術家がモノのデザインをするっていうのはタブーだった時代なんですよ。あれってやっぱり変な話ですが筆を汚すみたいな、でも芸術家の視点から日常品をデザインしたから、ものの見方が変わったっていう時代だったと思うのでもう一回そういう事ができたらなあって。

●江戸時代とかにはそんなことは考えてなくて自由だったかもね。物だけじゃなくて版画とかは、風景だってセックスしてるやつだって売ってるわけだからね、もう機能もデザインも最高のものを自由に作るだけの話でさ。

M:江戸時代ってすごいポップアート、江戸ってのはポップな街だったというかポップアートの発祥の地じゃないかなって思うぐらい。

●すごいですよね。

M:そうですね、スタイルが独特っていうか、例えばですけど静岡のお茶筒に和紙を貼ってあるのが昔からあるじゃないですか。あれをデザインしたんですけれど、最後に合わせっていう紙の巻き方があるんですが、それは着物と一緒なんです。ちゃんと右前になっていて左前は死人の合わせなのでタブーなんです。日本独特だと思うんです。合理的っていうよりも縁起を担いだり、そういうことをモノに込めている。あと芹沢先生の版画を見ていたんですけれど、文字のレイアウトが斜めの場合、右上から左下にデザインが右上がりなんです。やっぱりちゃんと縁起とかを担いでるんだなみたいな、特に商品のロゴとかはその辺の事とか考えてるんじゃないかな。

●素晴らしいですね。小村雪岱なんかもデザインをやっていて、資生堂に勤務して香水の瓶をやったりとか、歌舞伎座の舞台美術から泉鏡花の装丁とか、もちろん版画とかにもなってはいるけど、彼は間違いなくアーティストなんですよね。

M:ありますよね、なんか街の看板屋さんが昔はデザイナーだったんじゃないのかな。多分タイポグラフィーとか全部看板屋さんが作ってたんじゃないのかな。よく喫茶店のロゴとか全部手で作ってるじゃないですか。ああいうのは全部看板屋さんがデザイナー兼でやっていたんじゃないかな。「じゃあ俺描けるよ」とかそういう職人的なデザイナーが街にいたんじゃないかなと思って。今はもうフォントで全部世界統一で、それがちょっとなんかつまらない。

●日本語だって勘亭流とかフォントで全部あるもんね。 

M:全部ありますね。それで例えばこういう、魚河岸文字とか分かりますか?

●分かる、跳ねがシュッとなってるやつね。

M:あれを今回デザインして手ぬぐいを作ったんですよ。それはPAPA U-GeeとかJr.Deeの地元の焼津でのことなんですけど、魚河岸文字ってのを調べて自分なりに描いたのですが、手ぬぐいの図柄は逆書きがあってどっちから見ても良いように法則があって、それがちゃんと作業の合理性に合わせてある。現場行って見てなるほど!図柄が裏表を一緒に描いてるのは分かりますか?一枚の手ぬぐいで。

●分からないです、片側だけじゃないの?でもあれは裏写りしてるから裏表には印刷はしていないんでしょう?

M:印刷じゃなくて、染めで一回なので裏写りしても、裏も表もどちらでもいいように文字や図柄の裏表を一緒にレイアウトされているんです。それはどっちから見ても良いっていうのと、要は作る時にはどっちも表なんですよ。そういう面白い法則とかをデザインを通して体験しているんです。

●ところで、出身はどちらでしたか?

M:僕は関西です、京都です。

●京都!?京都は凄すぎるね、古いからこそなんか突き抜ける人も出てくるみたいですね。

M:ポップアートは京都では無理なんですよ、京都には美術とか芸術はあるけどアートっていう街じゃないというか、高校生の頃ちょうどキース・へリングが東京に来たりして描いているのを見て、アート業界に入るんだったら東京の方が面白いなと思って。

●でもまた戻ってるわけですよね。良いモノ造りっていう。

M:そうなんですよ(笑)今回の展覧会をやるきっかけはTokyo Cultuart by BEAMSの責任者の永井さんという人が先輩で、最初の立ち上げから全部やってて、この永井さんは年がら年中Tシャツを売るBEAMS Tっていうのを作った人なんですよ。

●何回か行ったことありますよ、展覧会をやるCultuartには。ここで出してる『アート・フォー・オール』にインタヴューされたこともあります。もとRelaxマガジンの元編集長の岡本仁さんに。

M:そのCultuartの永井さんは俺が昔から商品デザインもやっているのを知っていて「みんなが持って帰れるようなアートを考えてよ」って言われて「じゃあ、おみやげをアートにしましょう」って、今回これをやるんですけど。例えば毎日使うものがアートだったらデザインの革命が起こるんじゃないかなって、今は、日本国中デザインが全部一緒ですし、子供達が描くキャラクターも一緒です。もっとクリエイティヴに地産地消のデザインができても良いんじゃないかな。そういう風に思って今回の展覧会でやるワークショップは子供達にデザインすることを小さい時に体験してもらえればいろんな仕事を選べるんじゃないかなと思って、俺みたいにこんな絵描いて食ってる人がいるんだよとか。

●本当のデザイン・クオリティで更に使えるモノなんて一番凄いよ。つい最近、30年くらい会っていなかったスティーブ・サミオフって男とFacebookでまた繋がったんだけど、彼はLAのSlashっていうパンク・ペーパーを作った男で、現在はコスタリカでホテルをやってるらしいんですが、80年代初期にはLAでよく遊んだりとかしていて、当時インタヴューをしたことがあるんです。Slashはパンク・ペーパーだからピストルズとかラモーンズとかの記事が載ってる新聞で、もう印刷は手が黒くなるような悪いものなんだけど、すごくセンスがあってPhilip K DickのインタヴューやGary Panterの「Jimbo」が載ってるようなペーパーだった。でもある時それを他人に譲っちゃって、今度は自分一人でSTUFFっていうフリー・ペーパーをまた始めるわけです。それがなんと全ページ広告でできてる新聞。本当にアンダー・グラウンドでコマーシャル・ベースを排除していたSlashっていうアンチ・コマーシャルなものから一転して、今度はボーンって一気に広告だけの雑誌をたった一人でやるわけです。そのスティーブに「今度はコマーシャルかい?」って皮肉で聞いたら「全てのアートはコマーシャルだろう」と。「パンを食わないでアートをやってるやつはいないんだよ」って言われた。彼のデザイン・スタジオに行ったらDホックニーのドローイングが2枚壁に貼付けてあって「次の表紙だ」って言ってたね。ある時は夜中に彼のスタジオの前を通ったら電気がついているからちょっと覗いたんですが、一人で壁に真っ白なペンキを塗ってる。それもいきなりギャラリーをやると言って。かと思うとアカペラ・コーラス・グループを結成してレコードを出したり、そんな風に行動力のある男だから、その彼の言葉は今でも忘れてない。要するにそこにはもう既に金が介在してるっていう。

M:そういう事ですね、だから純粋な芸術ってなんだろうなって思いますね俺も。

●まあMIIDAさんの今回のプロジェクトと言うか個展、そんなわけで興味があったわけです。それもBEAMSっていうのがいいですね。俺もスティーブ・サミオフに刺激されて80年代初頭にギャラリーをちょっとやったこともあるんですよ(笑)。

M:今はコンピューターで大概のものは地方にいても全部発注できるんですよ。でもその作り方を知りたいし、電話で一言「できない」って言われてもそこに行って話がしたいんです。もっと根っこを言うと自分なりに3.11以降に何かをしなきゃいけないっていうのがあって、日本のことを考えたりみんなのことを考えたら俺らの仕事は独自のもの作りを復活させることかなって思うんです。政治的な活動は俺には向いてないし、子供たちのワークショップをやってデザインをやってもらって次の世代にデザインを通じて自分の物を持つっていう意識の活動を始めたんです。自分の世界だけの絵っていうのは、年に一回描ければそれでいいかなって、1年の間に1~2週間こもって作品を作れればそれはそれでも良いと思う。

トーキョーカルチャートbyビームス「未来おみやげ展」
http://www.beams.co.jp/news/detail/1544