MUSIC

Ernest Ranglin / “Jamaica Jazz” in Tokyo

 
   

Interview by Shizuo”EC” Ishii, (アシスタント:Akiko Murakami)
Photo by Nathan Hoskin

2011年11月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

“Jamaica Jazz”の来日4人、つまりMonty Alexander、Sly & Robby、Ernest Ranglinの年齢を足したら253歳。しかもギターのErnestは1932年生まれの今年79歳。この4人が揃ってCotton Club,BlueNoteにやって来るという前代未聞の事件。ものすごく乱暴な企画である。いや、もちろん良い意味で。僕自身も80年代からGladdy meets MUTE BEAT、またはMute Beat meets Roland Alphonso、昨年だってDUB CLASHなんていう無謀な企画を色々とやっている。こういう何が起こるか分からないのがオモシロイのである。だから今回のJazzの大御所とジャマイカの最強リズム隊のセッションなんて金輪際見ることができないはずだからLiveが必見なのはもちろんのこと、アーネスト翁にも、ここはひとつ貴重な話をうかがうしかない。だが頂戴した時間は撮影も含めて30分(!)。短時間は仕方ない。大切なLiveの1時間前という忙しい時間を割いてくれたBlue Noteに感謝!

●1932年 6月19日Manchester生まれでまちがいありませんか?ManchesterというのはMandevilleのことですか?

Ernest Ranglin(以下、ER)そう、同じ教区の街です。現在はセント・メリー(島の北側)に住んでいます。

●あなたはジャマイカを代表するギタリストだと思います。ギタリストとしてキャリアをスタートしたきっかけは?ギターはどのように習得したのですか?

ER:独学なんだ。

●僕のジャマイカの友達はギターを始めるにあたってギターを買えなかったから作る所から始めたという人がいたのですが…、あなたはどうですか?

ER:えっ、それは誰のことかな?

●Dwight Pinkney(もとZappow、Roots Radics)です。

ER:ああ、Dwightね!!彼は私よりずっと若いね。

●あなたはどうでしたか?

ER:いや、私は最初から買っていました。

●どうして数ある楽器の中でギターを選んだのですか?

ER:いえ、ギターだけではなくて、私はベースもやればサックスもフルートもピアノも少し演奏するし、一番メインとしてギターをやっているんだが、それと同時にアレンジや作曲もやっている。色々とやっている中でギターもやっているというだけなんだ。

●では音楽を始めようとしたきっかけは何だったのですか?あなたが生まれた街が音楽が盛んだったのですか?

ER:ええ、そう。同じ地域にはたくさんのミュージシャンがいました。ただ、先生を雇うようなお金はなかったから、本を買って全て独学で学んだんだ。

●そうやって音楽を始めて、あなたの初アルバムはIsland Recordsの『Guitar in Ernest』で間違いありませんか?

ER:そうですが、参加作品としてはその以前にも色々なレコードに参加していました。自分名義のアルバムという意味では、それが初めてのレコードだ。

●これがそのアルバムですよね?(と以前Island Recordsの創業者Chris Blackwell氏から頂戴したIsland 35th 記念の「the Story Of Island Records」という本を見せながら)

ER:そう、これです。でもこれはスプリット・アルバムで、片面だけが私のアルバムで、もう片面をLance Haywoodがやってるはずです。多分クレジットがあると思いますが。

●このレコードを出したChris Blackwell氏と出会うきっかけは?

ER:Chris Blackwellのファミリーが経営しているホテルで私の最初のバンドが演奏していたことが、彼と出会ったきっかけだったね。

●それは島の北側ですか?

ER:そうです。ハーフムーン・ホテルです。

●ああ、モンテゴベイの?

ER:あなたはよくジャマイカのことを知っているね!!

●はい、1984年に初めてジャマイカに行って以来、70〜80回行きました。でもほとんどがKingstonです。(007シリーズの原作者、故Ian Fremingは英諜報機関MI6をリタイア後、セント・メリーの邸宅“GoldenEye”で「Dr.No」を書いた。現在はこの邸をChris Blackwellが所有。筆者は昨年ジャマイカの友人に案内されカリブ海を臨む崖に位置する“GoldenEye”に伺い、Chris氏から「the Story Of Island Records」を頂戴した。)
 そう言えば1962年の「007」最初の映画はジャマイカでロケされましたね。あの映画であなたのクレジットを見た気がします。先日、もう一度DVDで探しましたがあなたの名前を発見できませんでした。Chrisさんは、あの映画で現地コーディネーターのようなことをしていましたよね。あなたはサウンド・トラックに参加してますよね?そのサントラ盤にもあなたのクレジットを見つけられませんでした。でも関わっていますよね?

ER:ああ、ジェイムス・ボンド?

●ええ、最初のボンド映画「Dr.NO」です。どんな仕事をしたんですか?

ER:アレンジャーです。

●映画の最初のシーンで3人の殺し屋が登場する時に3 blind miceと歌われている「Kingston calypso」という曲はあなたによるものですか?

ER:ええそうです。そんな昔のことを、あなたはよく知ってますね。でも、私が作曲したものではありません。あれは古い曲なんですよ、トラディショナルをアレンジしました。

●では1964年にMillie Smallが歌った「My boy Lollipop」のディレクターを務めましたよね。これはロンドンでレコーディングされたのですか?

ER:そう、ロンドンです。Chris Blackwellと一緒にやりました。

●これもアレンジャーとして?

ER:そうです。私はもともとはアレンジャーとしてChris Blackwellの為に働いていたんですが、それと同時にジャマイカからロンドンへ向けてのA&Rもしていました。Wilford Edwardsなんかも手掛けたし、他にもたくさんのアーティストを手掛けましたね。

●その「My boy Lollipop」は世界的な大ヒットになった。それによってあなたの環境に何か変化はありましたか?

ER:この曲はChris BlackwellそしてIsland Recordsにとって最初の大ヒット曲でした。なんと全世界で750万枚も売れました。でも私にはなんの変化もありませんでしたが、、(笑)。

●僕の資料では「My boy Lollipop」が64年にヒットして、その年にはあなた名義のアルバムがたてつづけに3枚、IslandとFederalから出ていることになっているのですが、、、。

ER:そうですね。『Reflections』は、Chris BlackwellのIslandから、そして『Guitar in Ernest』(Island盤とは別盤)と『The Exciting Ranglin』はKen KhouriのFederalから出しました。

●どうして同じ年に出たのですか?やっぱり「My boy Lollipop」の大ヒット・デイレクターとしての評価では?

ER:どうしてかな?さあ、もう覚えていないですね。ずっと昔のことなので。

●ではあなたはたくさんのプロデューサーの元でレコーディングをし、アルバムを作っていますが、そのプロデューサーたちについて一言で教えてください。そう、例えばFederalのKen Khouriはどうでした?

ER:ウ〜ン、あまり思い出したくないな(笑)。

●あはは、ではCoxsone Doddはどうでした?

ER:Coxsoneのことは、もっと思い出したくないね(笑)。

●あはは、、ではMerritoneはどうですか?

ER:Merritoneとは何かやったかな?あまりやった記憶がないんですが…。

●あなたのアルバムに、レーベルがFederalとMerritoneの名前が二つならんで出ていたりすることもあるんですけど。

ER:それは多分、Merritoneがサウンドシステムなので、曲のプロモーションの為に彼らの名前を使っていたんじゃないのかな。

●ではSonia PottingerやLeslie Kongの様なプロデューサーはどうですか?

(両手でもう沢山だというような素振りで)

ER:うーん…(苦笑)

●なるほど。では、多分一番長い付き合いのChris Blackwellはどうですか?

ER:Chris Blackwellとは、「My boy Lollipop」だけではなくてOwen Grayや、色んなアーティストを一緒に手掛けましたね。Islandはたくさんのアーティストの作品をリリースしいてたから、彼と一緒にやることによって、沢山のアーティストを手掛けることになりました。

●Chris Blackwellは一番いいプロデューサーでしたか?

ER:それは、難しい質問だね(笑)。取りあえずそういうことにしておきましょうか(笑)。

●では、他に思い入れのあるプロデューサーはいらっしゃいますか?

ER:様々なスタジオでレコーディングし、色々なアーティストやプロデューサーとやってきたけど、私が思うに、一番よいプロデューサーはDuke Reidだったと思います。彼は本当に紳士的だった。

●そうですか。以前、私がJohn HoltやLynn Taittにインタヴューした時(映画Ruffn' Tuffのこと)にもあなたと同じことを言っていました。

ER:ほんとですか?

●あなたがギターを演奏する上で、影響を受けたアーティストや音楽のジャンルを教えて下さい。

ER:私はJAZZミュージシャンとしてスタートしたので、やはりJAZZに影響を受けていますね。
私が一番愛している音楽はJAZZです。裕福ではなかったから、コマーシャル・ミュージックやそれ以外の音楽もやっていただけで…。

●具体的に影響を受けたアーティスト名を挙げるとしたら、どのようなアーティストがいますか?

ER:Charlie Christian、彼は素晴らしいギタープレヤーです。ギタリスト以外だとDizzy GillespieやCharlie Parker、後期のJohn Coltraneも大好きですね。

●先日あなたにお会いした時にGladstone Andersonの新しいCD『Gladdy’s Double Score』を差し上げましたけど、彼とは接点がありますか?

ER:もちろんだよ! 当時のレコーディングと言えば、ほぼ同じようなメンバーがスタジオに集まってやったんだ。とにかく色々なスタジオで毎日やっていた。彼Gladdyとはよく一緒にセッションしてたよ。Gladdyは素晴らしいアーティストだし、彼のおじさんのAubrey Adamsも素晴らしいJAZZピアニストでした。Monty Alexanderも彼からはたくさんのことを学んだはずだよ。

●Aubrey Adamesとは88年だったかな?丁度北側から来ていたAubreyとGladdyの家でお会いしたことがありました。Gladdyとは、主にどこでセッションしましたか?Duke Reidのところ?それともSutudio One?

ER:本当に沢山の場所でセッションしましたが、ほとんどはTreasure Isle(Duke Reid)やFederalなどでした。そういえば数年前にもGladdyとセッションしましたよ。「Rocksteady」というカナダの映画の撮影で、Bob MarleyのTuff Gong Studioで演奏したんです。そのレコーディングでは私がバンドリーダーとして演奏したんですけど、本当はロックステディといえばLynn Taittだから、彼らはLynn Taittもレコーディングに呼びたかったんです。だけどLynn Taittはその時ちょうど病気で、それがかなわなかったんじゃないでしょうか。2年前にカナダに行っ時には彼と会ったんですが元気だった。彼とは本当によい友達だったんですよ。映画の撮影後に電話したら、元気になったって言っていたのに、亡くなったと聞いて本当にびっくりしました。
(※実は,筆者も数年前にTuff Gongスタジオに行った際に「RockSteady」の撮影クルーと偶然遭遇、そこにはGlen DaCosta、Ken Booth、Gladdyなどがいたのを覚えている)

●実は私もドキュメンタリー映画を制作していた時にモントリオール郊外の彼の家までLynn Taittに会いに行き、彼のガレージを改造したスタジオでレコーディングとインタヴュー撮影をしました。あなたはLynn Taittともよくセッションしましたか?

ER:もちろんだ! 彼とはFederalやDuke Reidのスタジオで一緒になることが多かったね。Lynn Taittと一緒にやった『A Mod A Mod Ranglin』というアルバムがあるんだけど、知りませんか?たしかFederalから出したと思うんだけど。とにかくそれ以外でも色々な作品を一緒にやったね。

●遂に今日と明日でこのショー”Jazz Jamaica”も最後になりますが、今回のショーについてはどうでしたか?

ER:こうやって一緒に演奏できることをとても楽しんでいます。Sly & Robbieとはスタジオではよくやっていたんだけどショーは初めてでね。Montyとは本当に長い間一緒にやっている。71年から一緒によくレコーディングしたドイツのレーベルがあってそこで一緒にやっていましたよ。一緒にJAZZアルバムを出しているし、コマーシャル・ミュージックも一緒にやっていましたし、本当に彼とは長くやってきている。最近はヨーロッパ・ツアーが殆ど多いのですが、ニュージィランド、南アフリカ、南米、モントリオール、トロント、カリフォルニアなど、、全世界を一緒に回っていますね。

●では最後に、こんなに長い間ミュージックシーンで活躍してこれた秘訣を教えてくれますか?

ER:強いて言うなら、それは“運”だね(笑)。

この”Jamaica Jazz”5日間のうちの2日目と最終日を見た。2日目のセッションはお互いがまだ探り合いで、それはその緊張感が楽しかったのだが、さすが最終回は立見のオーディエンスも出るほどの評判となり、演奏にも余裕が出ていた。Montyの品の良いピアノ・プレイはとにかく素晴らしかった。NYからの情報だとMontyはDUBアルバムを企画しているという話しも漏れ聞こえてくる。腰痛らしいSly Dunbarはステッキを持っての登場だったが例のミリタント・ビートには何の陰りもなくタイトなリズムを叩き、ついでに被ったヘルメットまで叩くサービスぶり。Robbyに至っては唸るベースの合間にBlack Uhuruの「Shine Eye Gal」やDawn Pennの「No, No, No」を歌っていた。もちろんErnestはあの名曲「Surfin’」も演ってくれた。それはジャマイカ人同士だけが成し得る最高のセッションだった!!