CULTURE

ANARCHYが有太マンの「福島」を聞く。

 
   

2015年5月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

 早々に2ヶ月が経とうとしている、4年目の311。福島市の出版社から一冊の本、「福島 未来を切り拓く」が刊行された。
 320Pに溢れんばかりの想いの語り部は100名超。
 それは例えば福島県内外、国外の研究者と専門家。または、母や農家をはじめとした、唐突に未曾有の「核災」最前線に立たされた福島市民。そして、全国から食と農の復興のボランティアに福島を訪れた消費者代表としての、生協職員。
 それら多様な立場から語られた言葉を紡ぎ、県外では知ってるつもりで知らない、時に県民ですら見失いがちな、311前からそこにある「福島」のかたちが立体的に浮かびあがる。
著者は東京出身の平井有太(マン)。平井は2012年10月から福島に拠点を移し、食と農の復興事業に尽力しながら、ミュージシャンやアーティストの招聘を続け、意識の活性化を試みてきた。
 昨年11月に福島を訪問したANARCHYは、ライブはもちろん、映画「DANCHI NO YUME」上映、市民有志による哲学を軸とした討論会“てつがくカフェ”(以下、“てつカフェ”)参加、さらには被災地視察もした。
 そのANARCHYが、著者平井有太に聞いた。

ANARCHY(以下、ア):考えさせられそう。でもこれ、まだ読めてないけど大丈夫ですか?

平井有太(以下、ひ):むしろそれが良くて。そもそも、読む読まない以前に興味を持ってもらって、手に取るまでのハードルが高いと考えて、今日お願いしました。

ア:もう一度、頭を「福島モード」入れなマズいですね。“てつカフェ”、みたいな。

ひ:あれは「無茶振りだったな」と思いつつ(笑)、でもやっぱり、あれくらいやって届くか、届かないか。それはヒップホップに関して、「今まで自分が何をやろうとしてきたか」って考えると、たぶん「ヒップホップを知らない層に、どう伝えるか」ということが大きくて。

ア:完全そうでしたね。

ひ:インタビューなんて、したことないでしょう?

ア:ないけど、楽しみになってきました(笑)。この本は、なんで書こうと思ったんですか?

ひ:福島で暮らした2年半と、あとは2011年の夏頃から福島との往復を繰り返し、福島のことを考え、文章を書いてきた時間を合わせた約1000日分、なかったことにはできないなと。

ア:どういう人たちに読んでもらいたくて、書こうと思ったんですか?

ひ:2つあって、一つは、福島に住んでる方々への、土地やここまでの経緯について、おさらいの意味を込めて。もう一つは県外、国外の、福島のことを知らない、考えていない人たちにどう福島のことを届けられるか。でも、この分厚さで、最初から「読めない」ってなっちゃうかな。

ア:「痛みの作文」(2008年、ポプラ社。ANARCHYの自伝)よりは絶対厚い(笑)。それに「痛みの作文」は字も大きいし、言葉も簡単すもんね。

ひ:でもこれも、「福島」とか「放射能」、「原発」とかって本の中では、かなり簡単な部類に入るはずで。

ア:これを読んで、知ってもらって、それぞれの気持ちを変えたい部分とかがあるんですか?

ひ:よく言ってるのは、ほんの少しでも、福島を「自分ごと」にしてもらいたい。人ごとでなく、遠いところで起きてることでなく、福島はすぐそこで起きてる、しかも自分自身もそれが起きてる一部であると。

ア:今までもそういう意識で動いている人はいたし、自分らも「そうしよう」と思ったじゃないですか。「これは人ごとじゃないぞ」って、オレも思った瞬間はあったし、ただ「オレらでどうしようもないな」って思う部分もたくさんあって、諦めた人もいっぱいいると思うんですよ。自分の生活もあったり、色んなこと考えながら、福島に対して「何ができるか」っていうのがわからない人の方が多かったんじゃないですかね。この本に書いてあることを知れたとしても、その一歩を踏み出せない人たち、いっぱいいると思う。そういう人たちは、どういう気分になればいいんですかね?

ひ:何もしないとしても、行って、見て、聞いて、という、よく言われることだけど、まずそれらがあると。

ア:オレらなんて東京にいるだけで、関西の友達から「放射能とか浴びまくってんちゃう、自分ら」って言われます。「水呑めへんのちゃう」とか、「料理とか大丈夫なの」、「ご飯屋さんの水は」とか。そういう風になってきちゃうから、例えばチェルノブイリみたいに柵つくって、嫌われようが何だろうが「はい、もう入ったらアカン」ってやればいいんじゃないかって思うんです。それで「悪」になったとしても、助けれるものがあると思う。「悪」がいいひん過ぎて、みんながいい顔しようとしてるから、きれいごとばっかりで済んで、あやふやになってしまってる。

ひ:でも、それは起きなかったし、国はやらなかった。そうしたら今は民間でやれることを考えて、実際にやっていこうと。

ア:現実を目で見て、肌で感じてくると、変わっていくんじゃないかなってことですか?

ひ:その上で、もっとできることって、これは細かいことを端折っていきなり結論になっちゃうんだけど、実は誰にでもできることが明確にあると思っていて。それは、例えば、お金を払う場所を意識する。

ア:寄付ってことですか?

ひ:いや、それは例えば、飲み物や雑誌を買うんでも、コンビニで買うのか、近所の商店、本屋で買うのか。腹が減って、マックに行くのか、町の、ご夫婦でやってるカウンターだけの定食屋で食べるのか。

ア:それ、何が違うんですか?

ひ:それは、僕らの1円、5円、10円、全部それぞれが投票ということ。「この店に頑張って欲しい」、「このジャンルならこれを応援したい」とか、その気持ちを常に、面倒くさいからって近くの何かで済ませないで、そういう日常のことから考え、動く。

ア:でも町のご飯屋さんで食べてたら、近くのコンビニがなくなったりするんでしょう?変わりに地元のコンビニみたいなのがあったら、それは間違いなく使うんですけどね。

ひ:現状よりは、そういうことに近いのかもしれない。今まで安直に、どこかで革命が起きないか、何かが一気にひっくり返らないかって妄想してきたけど、なかなか難しい。しかも一人じゃ絶対無理であると。それでも何かできないか考えると、いきなりそれがゴロッと変わらなくても、結局は小さいことの積み重ねしかなかった。

ア:そうやって選べて、世の中の人たちが電気使わへんようになったら原発いらんくなるのにね。今と同じところに金落とすしかないですよね。発電所が他にあればいいのに。

ひ:オレみたいな素人が知ってる限りでも、徐々に、それぞれが欲しいどこどこ産の電気を選べるような仕組みができつつある。「自由化」も、2016年に控えてる。エネルギーの話は一般的に巨大で、「何もできない」ってなりがちだけど、近い将来変わっていく。

ア:そうやって選べるようになったら、原発は自然になくなるんじゃないですか?「原発はいい」、「原発ラブだ」みたいな人、あんまりいないでしょう。

ひ:ラブではないけど、「稼ぎがなくなる」みたいな人は多いかも。

ア:「知らんがな」って感じじゃないですか。CD売れへんようなっても、「音楽つくってますけど」、みたいな感じですか(笑)。オレ、不思議なんですよね。なんで有太マンは闘ってるんですか?

ひ:いや、オレは単純で。自分だってそういう電気の中で生きてきて、ただ、自分の目の前にある選択肢の中で、たとえ小額でも、金を落とすところは納得できるところから選んでいく。

ア:そんなこと考えんかった。

ひ:その選択は誰でもできるし、突き詰めると、たぶんそれが例えばDELI君の出馬とか、自分の場合は福島に住まわせてもらって、現地の言葉を集めて1冊の本にまとめるとか、それぞれが自分の居場所でできることをやるだけという。

ア:そういうことが、この本に書いてある?

ひ:あんまり書いてない(笑)。本は、もっとそれ以前、「福島」が遠い複雑なものではなく、身近な場所に感じてもらえるように。特に第3章には、福島市民のインタビューが30人くらい入っていて、そもそも福島がどういう土地なのか。または、それこそ原発が爆発してからの苦労話。そういうことを、なるべく脚色なく、そのままの福島が見えてくるように。

ア:でも、一人一人の小さい選択にも意味があるっていうのは、それが九州とか沖縄の人たちがそうしても、福島のことに繋がるっていう気がしないです。

ひ:たぶんそこは、福島が今抱えてる問題と、各地方都市が抱えている問題と構図はすごく似ていて。それはシャッター商店街とか、後継者不足とか、端の方の過疎化とか。

ア:それは岡山でもどこでも、商店街は全部シャッター閉まってて、近くにでかいイオンができてて。でもそのイオンでは何千人、もしかしたらその商店街より多い人間が働いてる可能性もある。そういうことを考えると、相手は原発一つとか電気云々じゃない、もっと大きい力ってことになりますよね。そもそもなんで福島に行ったんですか?

ひ:それは、「世界の最前線が日本にできてしまった」と思ってしまったので。

ア:前々から、ヒップホップのことを話す時に、「最悪の場所からこそ最高のものが生まれる」って。

ひ:福島に関しては、「最悪の場所」という表現は合わないんだけど。

ア:でも、そう言った方がはっきりするんじゃないですか?

ひ:感じるのは、「差別の場所」ということ。もちろん4年も経つと、市民と現場の尽力で、測定を通じて実態はずいぶん見えてきてはいる。でも、これだけのことを起こした当事者サイドが、未だに何かというと、タバコや車に乗るリスクと放射能のリスクを比べて、「こんなに小さいんだから気にするまでもない」と言ってくる。問題は、それぞれが選択できるリスクとは違う、突然自分以外の責任で降ってきた放射性物質のことでしょうと。

ア:嫌われてもいいから、「こんなとこ最悪や」、「出た方がいい」って言いまくるやつがいた方が、よっぽどいいんじゃないですか?

ひ:耐えられない、そして、環境や経済力が許す人はもう県外に出ているし、本には外に出た人より、県内に残っている人の話が多く出てきます。踏みとどまって、すごい努力から生まれた、できるだけの安全と安心を確保しようという取り組みの話も。

ア:福島は言ったら、貧乏な街で育ったのと一緒じゃないですか。

ひ:アナーキーも、生まれた環境の中で、それを普通と思って暮らしてきたけど、「DANCHI NO YUME」(2008年、サム・コール監督。ANARCHYの生い立ちに迫ったドキュメンタリー映画)の観客から、「こんな大変なところで育ったんですか」と言われたりすると。

ア:マイナスを知って、それを武器にできひんかったら最悪ですよね。それは、最悪なことを知った方がいいでしょう。

ひ:副題に、「未来を切り拓く」としたのは、福島は当然、望まずして、こんなことが起きてしまったと。でも、それはもう起きてしまったからこそ、もともとそこにある、しかもそれはたぶん今の日本中にもある問題が、早送りされて露になってしまった。だから、嫌が応でもそれらと向き合わなきゃいけなくなって、その時そこに道を切り拓けたとしたら、それは日本の最先端になる。しかも、そういう問題は実際世界中でも起きてるとすると、世界の最先端にだってなりうる。逆に言えば、それくらい報われて然るべきだと。

ア:もう、一番最先端の最前線みたいなところに行って、「こんなの潰してしまえ!」みたいな、警察に捕まっても「オレが嘘言ってるというのか!」って、実際は、それくらいやってやっと変わりそうじゃないですか?

ひ:それは、そうかもしれない。

ア:この国はデモも起きないし、権力はに聞こえてないし、無視してられるんすよ。「はい、最悪なものね」って言っても、裏では「儲かりました!」みたいな。だから、誰かが突っ込まないと。

ひ:そして、どこに突っ込むか。

ア:でも、変わらないんですよ。言葉だけでは、誰かがいないと、革命が起きない。この本だって、全員読んでくれへんもん。それは、良し悪しじゃないですよ。人に何言われてでも、何か投げ込まないと。そこは、好まれんでいいんです。正しいことやってるやつは、それさえ信じてたら、人に好まれようとしても無理だと思います。常に半々で意見はあるし、全員が一つのこと思うのは絶対無理。でも、嫌われるかもしらんけど、正しいことを言ってるやつが「正しい」って、全員がわかることはできると思う。「最悪や。誰も住むな」とか、オレはそれを言うことも必要やと思うんですね。

ひ:福島で参加させてもらったのは、本当の状況がわからなかったから、とにかく線量の測定をして、実態を把握しようというプロジェクトだった。そして、現地の声を聞いてまわって、どんな意見も受けとめるし、放射能で地域がバラバラになってしまった中で、できたのは「何とか一緒に頑張りましょう」と言うことだけだった。

ア:たぶん、革命家が必要なんですよ。全員がそうである必要はないんで、有太マンがやってることは間違ってない。でも、ほんまにひっくり返すだけの、全部投げ出すようなやつが現れると、何か変わるかもしれないです。オレは、正しいこと言ってる人たちの言葉が聞かれないのが、腹立たしいんです。オレらの音楽と一緒な感じがして。

ひ:さっきから言わんとしていることは、あまり変わらなくて。理想を実現させるには、その文脈、流れをつくりあげないといけない。そういう意味で、なるべく多くの人たちの、それぞれの生活の小さなところから、「意味ないな」とか、「面倒臭いな」とか、それも1万回思ったけど、気付いちゃったらからには、やる。「お前がどのツラ下げて」って言われても仕方ない。この本だって、これですべてなわけはなくて。

ア:変えて欲しいんです。何にしても1人では無理ですが、言い続けることより、どうやったら変えれんのかを見つけたい。どうなるのが成功なんですか?

ひ:今思うのは、「福島からの発信」。福島から県外、国外に発信する態勢ができればと思う。今のままでは、誰もが考えるきっかけ、ちゃんと判断する材料すらない。福島はこの状況に置かれて、かつてないほど「考えた」し、「話し合った」し、「他の場所でできてないことができるようになった」。だから、今度は自分たちから前に出ていく。それが、大きなテーマでは「この出来事を2度と繰り返させないため」みたいなことで動き出したら、それこそオレの出る幕なんかない。

ア:でも「福島が好き」っていうけど、日本で考えたら、福島はどこか別の場所につくれるんじゃないんですか。

ひ:福島がそもそもどういう土地かという話は、この本には結構あって、選択して福島から離れない人が多くいる理由も見つかると思う。2年半福島に住んでわかったことは、想像以上に豊かな土地であると。それは世界遺産があるとか派手な意味ではなく、大自然、絶妙な寒暖差、肥沃な大地、都市部との距離とか、すべてがまんべんなく揃っている贅沢なバランス。それが、江戸時代かもっと前から中央に振り回されてきた歴史はありつつ、それに応えて有り余るくらいあると。

ア:それ、ホンマなんすか?じゃあ、なんでそんなところに原発たててん?

ひ:そこは、表紙の一番下に名前を載せていただいた、若松丈太郎さんが話してくれました。若松さんは南相馬市の詩人で、いつかこういう事態が起きるってことを、約20年前からご自身の詩の中で予言されていた方で。

ア:神ですね。でも、そんな最高なところが壊されてしまったってことは、受けとめた方がよくないですか?正直、何が何やらわからないんですよね。福島の話は、実際わからないことが多過ぎて、モヤモヤする。もちろん好きでそこにいて、「ここでいい」という人たちに、オレらがなんやかんや言う必要はないんやけど。

ひ:オレも決して、福島の方々の想いを代弁することはできない。そもそも、やっと「福島が世界の最先端」、「逆境の中から躍動するものが生まれる」みたいな勝手な思い込みで飛び込んだのを、2年半住む中で、ギリギリ理解していただけるか、どうか。

ア:オレが行きましょか?嫌われてもいいから。

ひ:でも、アナーキーは去年福島に来てくれた時、会場満員だった“てつカフェ“で、「真実はどこにあるんですか?」って、そのまんま問いかけてた。

ア:空気、ちょっと固まってましたもんね。福島は、考えれば考えるほど、何を望んで、どうしたいんかとか、真実が見えなくなってくる。土地の人ですらわかってない状況があって、そうしたら客観的なオレらの言葉の方が正しい可能性すらあるじゃないですか。今日は有太マンからも福島側の言葉がばんばん来るし、それは大事やけど、外からの言葉も必要な気がする。

ひ:福島と東京の往復を続けてきた立場からすると、県外と県内の人たちで、例えば「原発はとんでもない」という意識は一緒なのに、常にどこかでズレている。でも、市民同士の衝突みたいなことって、結局は事故の当事者に利するだけというのが歯がゆくて。だから、一つの問題に対して一緒になれる状態をつくりたくて、本は、それに向けた1冊のつもりでもあります。

ア:それで、そうなってくるともっと大きな力に辿り着いて、「どうしようもないな」ってなるんですよね。はじめはもっとみんな熱かったし、福島のことに対して闘ってる感はあったけど、最近みんな戦意喪失してるじゃないですか。

ひ:諦めというか。

ア:でも、一歩一歩「切り拓いていく」しかないんですね。この本がちょっとでも知られて、読む人が増えて、変わらざるをえないところまで追い込むしかないですよね。

ひ:そこまでもっていくし、自分もそこに参加していく。同時に、政治だけがすべてではないし、さっき言ったみたいな、生活の中から一つ一つやっていくことが、結局は最強の力なんじゃないかと。だって、民主主義と呼ばれるものが本当に多数決の仕組みだとしたら、数はオレらの方が圧倒的に多い。

ア:いつも、「福島」の話題になると、最終的にボロ負けしたみたいな気分になる。だから、変えて欲しいですね。変わって欲しい。言う人がいいひんようになったら終わりです。

ひ:なかなかそれができる国民性でもない。

ア:だから、逆に福島から革命が起きそうな気がしません?僕なんかは、東京でデモ見ても、「そんなんしても変わらへんねんけど」って思ってしまう。だって、音楽と一緒で、注目浴びなかったら、誰も聞いてくれないですもん。例えば、名言残して、爆弾くわえてバーンって爆発するやつがいたら、絶対変わる。

ひ:アナーキーが、それをやる?

ア:オレが思ったらやる。オレが音楽で、「これですべてが変えられる」ってことを閃いたら、爆発しますよ。それで日本のラッパーが全員潤って、全員飯食えるんやったら、やります。それが革命でしょ。有太マンも全然行ったらいいんですよ。

ひ:もう少し、爆発までいく手前に、できることはない?

ア:無駄死にはダメです。そこにホンマのこもったものがあって何万人、何千万人が「うん」って言える言葉が見つかれば。

ひ:そうでもしながら、伝えていく。

ア:伝えたいことって、なかなか伝わらない。だから、実際「死んでもよくて、みんなに届く」って考えると、映画とか音楽になる。アートですね。

ひ:亡くなった菅原文太さんが映画化を考えていたという、井上ひさしさんの「吉里吉里人」(新潮社)という小説があって。それは東北の一部が突然独立宣言をする話なんだけど、その「吉里吉里人」については福島でも、色んな場所で何度も話に出てきました。

ア:とにかく、わかってくれるのが一番早いんですけど、わからへん子どもを「ど突かなしゃあない」みたいな感じですよね。それに福島も、それだけいい街なんでしょうね。いい街じゃなかったら書くことなんかないし、「何で住んでんねん?」って言われて終わりですもんね。喋ってて、それは伝わってくるっす。

ひ:まだ、音楽とかアートってかたちとして現れてなかったとしても、農業や食の復興の現場はすごかった。それに音楽やアートにしても、70年代には日本版ウッドストックと言わてる「ONE STEP」というフェスや、日本のヒッピーやレイヴのはしりとされている「獏原人村」という集落が山奥にある。そこではすでに、地産地消や持続可能、再生可能エネルギーがテーマになっていて。だから、これからのライフスタイルを一番先に実現して証明する、そういう可能性が本当にある。

ア:オレが言う、一気に変わる革命は爆弾がないと起きないかもしれないけど、積もっていって、少しずつ変わっていくかもしれませんね。でも、どこの革命が起きてる場所でも、声を大にして叫ぶヤツがいたはずです。「ヒトヒトリフタリ」っていうのを描いた、仲の良い漫画家の高橋ツトムという人がいます。それはすぐ終わったんですが、総理大臣が原発に反対する漫画で。原発のところまで行って、総理大臣が水汲んで、呑んで「オレはもうちょっとしたら死ぬ。それがお前らに示せることだ」みたいな、それで国民がウワーッてなる。それは、「命かけてでも伝える人がいる」っていう。

ひ:アナーキーは一人が変えると思う?市民、みんなが変えると思う?

ア:一人が2人になるんです。でも、一人から始まるんです。2、3万集まって革命が起きるんじゃなくて、一人が始めて、それが3万、5万、10万、一千万人とかってなって、それで革命が起きるんだと思います。でも、絶対に一人から始まると思う。

ひ:まだ、そういう存在はいない?

ア:いたら聞こえてますもん。若者なんて、そこらへんの固いアタマのおっさんより吸収するし、ちゃんとしたことさえ言ってれば、聞きますよね。オレが思うに、今大人の話を聞かへんのは、しょうもない話ばっかりしてるっていうだけ。簡単に言えば、話が合わへん。だからオレは、意味のわからないおっさんの話は聞きたくないし、有太マンの話なら聞きたい。

ひ:そういう一人が必要だとして、福島で今まで過ごさせてもらって、いくつか顔が浮かびつつ、明確にはわからない。それは、「もっと福島と付き合っていくべき」、ということなのかな。

ア:それは福島の人じゃないかもしらんし。今までこのことに関して色んな人がやってきたことは無駄じゃないし、それで考えて動き出したのもたくさんいたと思うんです。でも、一回思ったからには、「変えたい」っていう気持ちは曲げたくないですよね。オレらの音楽でもそうやけど、「無理やな」って思ってやめるのは嫌じゃないですか。

ひ:たとえ無理でも、「これ以上はできない」って、納得いくまでやらせてもらえたらと思ってます。

ア:オレの場合は音楽を武器にして、そこまで持っていきたいなと思います。まだ爆発も革命も起きてないですが、一つ一つ伝わったり、ファンが増えることはありがたくて、「間違ってへんな」と思います。そして、オレが目指しているのは「音楽業界、ヒップホップで変わってしまったぞ」という革命。アイドルが歌うのは真実じゃないとは言わないですが、REBELミュージックやってるやつの方が、大事なこと歌ってるんじゃないかなと思う。

ひ:「革命」は、自分には大き過ぎるくらいの言葉で。

ア:何かを変えようとは確実にしてますもんね。そうでなければ、福島に行ったり、こういう本を書いたりしいひんと思うし。

ひ:湧きあがってくるものはあります。

ア:歌うことがなくなったら、やめるでしょ。まだまだ伝えなあかんこと、言わなあかんこと、いっぱいあるっすね。しかも、「きれいごとだけじゃ無理やな」って思う。それは音楽も、福島のことも。

ひ:本は、帯をとると、福島でアナーキーと一緒に撮った、飯舘村の汚染土壌置き場の写真も出てきます。福島では、ちょっと街から奥に入って行くと、人目のないところにフレコンバッグが山積みされていて。

ア:覚えてます。恐かったもん、なんか。線量計持って入って、たまにグワーッてあがって、正直たまに息止めてましたもん。意味ないのに(笑)。

ひ:福島では“てつカフェ”に参加してもらって、さらには帰還困難区域のゲートや汚染土壌現場とか、余計なところばかり連れて行って。

ア:全部良かったです。見ないともっと何も言えんし、わからないので。しかも土地の子とも触れ合えたし、あんな風に教授、大学生、高校の先生とかと、レゲエ・バーで飯食って。先生たちに囲まれて、あんな空間なかなかないです。最近は女子大生と喋ることすらない(笑)。

ひ:「見えない」って言われてる放射能だけど、フレコンバッグというかたちでしっかり可視化されていて、でも、それが人目につかないところに積まれている。その状況を表現するため、帯の下に写真を隠しました。

ア:ホンマにこれ、「誰かが飯食うために、『土を削る』ことすらウソだったらヤバくない?」って、そう思ってしまうくらいグリグリになってくる。だって、実際“てつカフェ“には関西から来てる子もいて、「めっちゃいい給料もらってる」とか聞いたら、「ホンマけえ?」みたいな。それで、その子らが福島に来ることで給料を得て、街に金を落とすわけじゃないですか。

ひ:除染作業員の話は出てこないんだけど、1年以上、福島市内の田畑の土の線量を測り続けたチームの話は出てきます。320ページの本だけど、中身は細切れに、色んな立場の人が登場する。もちろん通して読んでも成立するんだけど、時系列、立場ごとに並んでるので、それこそトイレにでも置いて、今日はこの人、明日はこの人みたいに、行ったり来たりしながらでも読める。その日、本を開けたところにたまたま出てきた方から、少しでも福島を身近に感じてもらえたらと思っています。

ア:ありがとうございます。オレ、インタビュー一つもしなかったけど、大丈夫ですか?(笑)

「福島 未来を切り拓く」 平井有太(Amazon)

「てつがくカフェ」当日の様子

「自作を語る」