MUSIC

SHINGO★西成 『ブレない』

 
   

Text by 二木信 Futatugi Shin

2012年7月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

SHINGO★西成が帰って来た!というか昨年末の、、、あの西成のデカイ看板をおっ立てたのを見つけたRIddimが速攻インタヴューをかましてから、今回のアルバム『ブレない』の発売まであっという間の7ヶ月。SHINGO★西成の直球ストレート人生をまたもやチェックしてみた!

●お久しぶりです。最近はどう過ごされてますか?

SHINGO★西成(S):毎日ラッパーでいれたことに感謝です。「音楽やってるな」って実感して生活してました。地元LOVEな行動としては、西成のあいりん地区の三角公園でライヴもします。炊き出しやボランティアはもう10年以上やってますね。1、2年やっただけで、「ボランティアやりました」とか「サラリーマン経験したんで社会人の気持ちわかります」って言われても、なんかオレは違う気ぃするんです。オレはサラリーマンも8年経験したし、ボランティアや炊き出しをやってることも表に出さんとやってた。5年間ぐらいは自分の身内も知らんぐらいやった。それこそ、クラブで「セイ!
ホー!」言うた3時間後に1500人分の炊き出し混ぜてましたから。10年やったら、やってたことを言うても説得力あるかな思って。今回のアルバムの言葉にしても、ラッパーを長年やってきて、やっとシンプルに削ぎ落とすことができるようになってきた感じがしますね。世間一般では、ヒップホップやったら「チェケラチョッ!」とか、レゲエやったら「ヤーマン!」なら、ファッキン40歳になってもファッキン50歳なっても腹からチェケラッチョ言うたろうと決心しました。

●40歳になったんですね!

S:10代20代の時は「素晴らしい」や「頑張る」って言葉は、うさんくさく感じてたし、きれいごとに思えてましたけど、やっとこの前のアルバム『I・N・G』で「頑張ろう」って言葉を曲の中で使えるようになったんです。いろんな経験して使えるようになった言葉、等身大で言えるようになった言葉がありますね。あと、寂しいような曲も表現できるようになった。昔はトタン屋根で育ったとか、やっぱり言うの恥ずかしかったし、家に風呂ないっていうのもカッコ悪かった。今、ファッキン40歳でもまだ風呂のない家に住んでるけど、風呂ある家に住むなら、いきなり自分が納得する家に住みたい。それが明日への原動力になってます。まさにハングリー精神です。

●アルバムの話に行く前に、今年の1月9日にSHINGOさんが統括として主催した「WELCOME 飛田新地2012
第2回新春祭り」の話から聞かせてもらえますか。あのお祭りは、いわば飛田新地を舞台にしたブロック・パーティですよね。経緯をうかがえればと。

S:飛田新地は小学校の通学路だったんですよ。自分の家から小学校に行く途中、日常見る自然な景色だった。呼び込みのおばちゃんに、「大きなったら来てや」って声をかけられる通学路です(笑)。ガキの頃は意味わからないですやん。でも、小学校高学年ぐらいになったらいかがわしいことしてるっていうのが段々わかってくる。幼稚園の頃、飛田新地の遊郭に住んでいる同級生に会いに行く時に、親に「どこ行ってきたん?」って言われて、「○○くんところに行って来た」って答える。そうすると親は「どやった?」って訊いてくるから、「天花粉の匂いがした」って言うてたんです。天花粉は香水の甘~い匂いですね。あと、「うちの家よりちっちゃいビールがあった」言うて。20分の間に一杯飲みたいお客さんに渡す小瓶のビールですよ。そんな記憶があった。それから大人になって、特殊な、歴史があるエリアだということを知るようになるわけです。

●飛田新地について歌った曲(http://www.youtube.com/watch?v=c0Lcvqw-8YA)をYouTubeにアップしてましたよね。

S:あれは、元々あったヒップホップのインストの上に、飛田新地の屋号を連呼するラップを乗せたんです。ほんまはあれ、8、9分ぐらいある曲なんです。
というのも、飛田新地は広くて140軒あるので全部言ってたら長くなりました。でも、飛田新地は街を撮影したらいけないとか、宣伝できないとか広告を打てないとか、やっぱり特殊な決め事があり閉鎖的なところもあるんです。警察も黙認してる場所なんで。それだったら屋号を言うていって、飛田新地の道案内みたいな曲ができたらと思って作ったんです。あとオレが感じている飛田新地のポジティヴなメッセージも歌って。でも、曲をアップしてからちょっとして、怖そうな人から電話かかってきたんです。
「飛田新地の人が呼んでる」って言われました。

●それはもう……

S:まあまあまあ…正直言うて、オレもいろいろ経験してるんで「これは拉致られるな」っていうぐらいの勢いで挨拶しに1人で飛田新地に行きました(笑)
案の定、ごつい男の人が8人ぐらいおって20分ぐらい誰も一言も話さない。
ボス的な飛田新地料理組合長が来てもまたそれから5分話さない。もう1時間ぐらいに感じましたよ。で、いちばん最初に組合長が口を開いて、「誰にも迷惑かけてないなぁ」って言うたら、ごつい男の一人が「はい、かけてません!
いい宣伝になってると思います」って言うてくれたんです。そしたら、ボスの人が、「それやったら、ええんちゃうか」って。それで終わりです。
そのごつい男の人が、ごつい天使に見えました。

●すごい良い話ですね。

S:結果的にそこからいろいろつながったんです。身元もわからんようなお店が繁華街にはいっぱいありますやん。そうじゃなくて、飛田新地はすべて身元も素性もわかっているんです。やっぱりそういう場所は元気なままでいてほしいと話をしました。そんなかで、オレも「できることをさせてください」って言うて、あのお祭りの統括をやったんです。飛田新地は日本で1番デカい遊郭ですから、移動式のサウンド・システムで音楽を鳴らしながら練り歩いたらどうやと。それで、道路使用許可証も取ってやったんです。ただ、過去の経験から、西成は暴動や暴動につながる行動に関してすごい敏感なんです。西成警察はできたら、町を練り歩くようなことはやってほしくないんです。サウンド・システムで音鳴らしたら、みんなついて来ますからね。それでも、オレの予想は100人ぐらいやったんです。それが蓋を開けてみたら、600人ぐらい来たんです。警察のバス一台とジェラルミンの盾を持った機動隊が飛田新地の外側に待機してたんですけど、10分ぐらい練り歩いたら、「これ以上やったら、飛田新地内に入っていくぞ!」と言われて。やっぱ、それは、良くないですやん。だから途中で、お正
月だけ開放している高速の下の駐車場にサウンド・システムを積んだ2トン・トラックを入れて、10分ラバダブして終了しました。

●一回目から大波乱だったんですね。

S:さっき言ったように飛田新地には140軒ものお店があって、年配の女性の方が働いているところ、ポッチャリ太った方が働いているところ、若い娘ばかりが集まっているところ、いろいろなエリアがあるんです。だから、一ヶ所に留まってやってもしょうがない、平等に全部回るために練り歩こうというのがオレの考えだったんです。テーマは、「明けましておめでとうございます!
今年も頑張りましょう!」やったんですけど、気持ちだけ伝わったところはあったと思います。ただ、警察の方(デコチン)はいろいろオレに課題を出してきます。デコチンはレゲエのダンスホールがかかってたら、飛田新地のハッピを着ている組合の人に「この曲は卑猥なこと言うてんちゃうかー?!!」って警察が詰め寄って来たんですよ。「言うてんちゃうかー?!!」ってことは何を言うてるかわかってないんですよ(笑)。それで組合の人が、「SHINGOくん、これ、下品なこと言うてんのか?」って訊いてきて。このタイミングでこの質問しますか?普通…ありえへん。でもオレはもちろん丁寧に、「卑猥なこと言うてないです」って答えて。それから、DJが英語のラップをかけてるのに、「これはSHINGO★西成が歌ってるやろ!歌いながらクルマ動かすのは聞いてない」って言うてきて。歌いながら、呼びかけながら、練り歩いちゃだめなんですよ。歌ってもないのに…だから要は、完璧にいちゃもんですやん(笑)。

●ハハハハハッ。

S:たった10分の間にそんなことがありました。最終的に暴動を扇動するような行動やったということで警察に止められたんです。それが去年の第一回目でした。だから今年は、まずは駐車場で無料ライヴをやろうと。今度は町おこしということで、早い時間は子供らがお年玉としてお菓子をもらえるような催しもして。ただ、元々音楽がなくていい場所でそういうことをやりますし、飛田新地っていう特殊な業種をやっているエリアにいきなり知らん人をぶち込むのは無理ですよね。絆というか、信頼を作っていかんと。あのエリアに女性が来るだけで嫌がる方もいますから。飛田新地で働いている女性もいろいろな事情を抱えていますし、面白いもの見たさで来られるのはやっぱりイヤですよね。そこをオレの方は、「飛田新地を知ってもらうために女性に来てもらってもいいんじゃないでしょうか」と説得して、譲歩してもらったりしました。そういったデリケートな交渉も1年間かけてやりました。

●また来年もやりますか?

S:オレは飛田新地から歩いて2、3分の三角公園で炊き出しをやったり、ライヴをやっていますし、そこでお盆と年末年始にはお祭りもやっているんです。飛田新地の方は要望があれば、またやるかもですね。

●そろそろ新作の話をしたいと思うんですけれど、アルバムには「大阪UP」という曲がありますよね。この曲は、風営法でクラブが厳しく取り締まられている大阪を元気付けようというSHINGOさんなりのメッセージが込められていると感じました。SHINGOさんから見て、大阪のヒップホップやレゲエのクラブの現場はいまどうですか?

S:ぜんぜんビンビン元気ですよ。逆に制限が加わったことで、「やっぱ音楽やCLUBに集まる仲間が好きやねんな」ということを再確認できたと思います。ポジティヴに考えるとね。オレらの歳やったら、クラブの裏方になっているヤツが多いですやん。クラブ行ってたヤツとかクラブ関係者が自分でバーを始めたりして、「クラブやバーに集まって遊ぶの楽しいでー」って伝えて行っているので、輪がどんどん広がっていってますね。やっぱりオレらは音楽で表現していきたい。原発のことも風営法のこともただ反対するんじゃなくて、自分自身や身の回りも見直して考えて行動していかなあかんと思います。オレはずっと、「路地裏や家の前で起こる出来事をラップしてもいい」って言うてきたんですよ。家の前のおばちゃんに挨拶したら、オレがしんどそうなのを感じてくれて、「元気でいきやー!」って言うてくれた。そういう身近で起こる出来事をラップしたのが、「ゲットーの歌です
(こんなんどうDEATH?)」ですやん。パーティーやシャンパンやオネエチャンのことだけを歌うのがラップと思われたら、クラブに来ない人はクラブをもっと敬遠するじゃないですか。悔しいことも哀しいことも寂しいこともあるけど、人との出会いや音楽との出会いがあって、喜びや楽しみを感じて生きてると思ってます…オレは。クラブが1時で終わって仲間と別れて寂しい思いがあって、また次の出会いがある。それで、また明日から頑張ろうってなる。そのくり返しやから。そこの一歩踏み出すきっかけになる、気持ちをアップする音楽をわかり易く作ってもええんちゃうかなって。

●通算三枚目のアルバムになりますけれど、歌うトピックに困ったり、制作の過程で詰まってしまったり、そういうのはありましたか?

S:「チェケラ!」とか「ヤーマン!」とか、「ありがとう」とか「負けない」もそうですけれど、等身大で歌えるまでにファッキン40年間かかりました。それを素直に言うのに時間がかかった。もっと難しく言ってカッコつけるのは簡単やけど、ストレートに伝えたかったんです。失敗してもいいけど、打たれてもええけど「思いっきりストレート投げたろ!」って。40のおっさんが。失敗して思いっきり恥かいてる姿も思いっきり見せたろって。それを笑ってくれてもええし、「このラップのオッちゃん頑張ってるなぁ、オレも頑張ろう」ってなってくれたら嬉しい。「つらい経験をたくさんしても、こんな陽気な歌を歌えるんだ」って感じてくれたら歌っててよかったなぁと思う。

●昭和歌謡か演歌をサンプリングしたようなブルージーな「まんまんちゃんあん」のタイトルの意味は何ですか?

S:炊き立てのご飯をご先祖さんのためにちっちゃいお茶碗に入れて、仏壇に供える時に「まんまんちゃんあん」って言うんです。オレは全国区だと思ってたんですけど、関西や大阪の言葉ですね。ちっちゃい子に、炊き立てのご飯を渡して、「仏さんにまんまんちゃんあんして来て!」って言うんです。先祖を敬って、先祖があって自分がおんねんって確認する言葉です。まさに「ルーツ&カルチャー、父ちゃん、母ちゃん」ですよ。耳ざわりも良い言葉だから使いましたね。カッコつけて、「リスペクト!
先祖!」とかでもオモロイけど、まんまんちゃんあんの方が自然やなと思いました。

●それはさすがにダサいですよ!

S:でしょ(笑)。でも、意味はいま言うたことですよ。先祖がおって、自分がおんねんって。自殺したりする人もおるけど、それって自分ひとりで生きているって考えてしまったからかもしれない。でも、人間、自分ひとりで生きてない。前からオレは「ひとりで生きてないねんで」って歌ってる。家族がおって、仲間がおって、生かされているって。それをセンスよくラップしたい。「ブンブンカッブンブンカッブンブンカッ」っていう暗いビートで、「オヤジに感謝!
イェイ!」言うてても、逆にまずい酒になってしまいますやん。それやったら、わかりやすく、耳ざわり良くやるのがセンスいいと思います。

●「どうすればいい?」なんかも、重いテーマをファンクのリズムに乗せて勢い良くラップしてますよね。「苦労はフロウになる
ホンマ!」って。ところで、大阪は東日本大震災の後、何か大きく変化したことはありますか?

S:必ずあると思ったもんがなくなることもあるっていうことを再確認したんじゃないですか。そのなかで、何が大切なのかってことを感じたんじゃないですかね。
悲しい思い出してたされたり亡くなられた方にご冥福お祈りします。

●大阪や西成の町の雰囲気は変わりました?

S:そういうのは特にないですね。お金を出せばいろんなもんが買えるけど、お金じゃ買えないもんもある。みんな、そこに気づいたんじゃないですか。オレ、いま、きれいごと言ってないですよ。これはマジな話ですよ。オレは、そういう町、西成におるんで。不便というのは、オレは生きていると感じることやなって思うんです。ボタン押したら電気つくけど、暑かったら自分で団扇を扇げばいい。自分の手がずっと動いてたら、生きてるって感じますやん。

● あの西成のデカイ看板はその後どうなってますか?

S:看板のメッセージが「いってらっしゃい」「おかえり」でしょ。「ひとりで寂しい」って感じたことがある人ならわかると思うんです。心の隙間が孤独で埋まるよりはあったかい言葉で埋まったほうがいいじゃないですか。やっぱり西成は普通の町じゃないんで。西成以外から来た町の人が来たら、おっちゃんが「どっから来てん?」って話しかけてきますから。都会ではあり得ないですよね。

●少なくとも東京ではあり得ないですよね。

S:キャッチみたいなものですね。営利目的じゃない愛のある気持ちのキャッチですね(笑)。おっちゃんはほんまに人に興味があるんですよ。1000円しか持ってないおっちゃんから、「遠くからわざわざ西成まで来たんやな!
そうか、これ飲め!」って、100円や200円オゴってもらえるって。こんなあったかい町は他にないですよ。まあ、その反面、酒飲んで暴れる人いますけどね。前のインタビューから変わったことって言えば、看板の前で拝んでいる人が多いらしいです。まあ言うたら、(手を合わせて拝む仕草をしながら)酔っぱらったおっちゃんがこんな感じですよ。下の薬屋のおばちゃんが言うてました。それだけでもありがたい。あと、まったく関係ない下のラーメン屋が繁盛してるみたいです(笑)。東京だったら、ハチ公前とかモヤイ像前とかいろいろあるでしょ。オレは東京をあまり知らん人間やけど。大阪にも、西成にも今の言葉で言うたら、パワースポットを作りたくて看板作ったって感じですね。わざわざ看板の下を通って通勤通学する人も増えたらしいので、何かを感じてくれたらありがたいですね。

●お盆の夏祭りや年末年始に三角公園でライヴをやってらっしゃいますけど、みなさんに「SHINGO★西成はラッパーだ」って認識されてきていますか?

S:10年経ってやっとですね。「あいつ、まだやっとんのかー」って言われるようになりました。それでいいと思う。西成のおっちゃんって直結するんですよ、「お前、まだやっとんのか。じゃあ、オレもやろ」って。ほんま素直なんです。いまは、ボランティアはオレがいなくても人が足りるようになってて、もちろん手が足らん時はいまでも行きますけどね。震災の時は被災地にボランティアに直後行きましたね。にしなりの炊き出しをそのまましました。
あと、西成の炊き出しメニューがカレーの時は、めっちゃ集まるんですよね。じいちゃん、子供、年齢性別問わず、カレーライスがめっちゃ好きなんですよ。カレーの時、炊き出し並ぶ人が2割増すんですよ。でも、作ってるほうはすごいめんどくさい。カレー食べたドンブリはぬるぬるしてるから、洗い物の時間が3倍かかる。西成は食器を捨てないですから。で、ドンブリを1500個洗うところにいると、必然的に1500人と出会うわけですよ。なんも言わんと、「炊き出しは当然や」っていうおっちゃんもおるし、毎回「ありがとう!」って言うてくれるおっちゃんもおる。たくさんの人間と出会える。あと、バナナが配られた日は、めっちゃ面白いんですよ。言うても伝わらないかもしれないけど、町で見かける人、10人いたら10人がポケットにバナナを入れて黄色いのが見えてたり、手にバナナを持ってるんです。さらに、1ブロック先に行ったら、配られたバナナを集めて、3本50円で売ってるおっさんがいたり。あり得ないですよね。

●なるほど! 「バナナ」はそこからきてる曲なんですね!

S:あれはふざけた曲に聴こえるかもですけど、よく聴いていただければめっちゃシリアスな曲なんですよ。いまだバナナが配給されてる町がまだ日本にあるんかっていう話。それをわかってもらえたらなって。楽しそうな曲はシリアスで、暗い曲はポジティヴな気持ちで作ってますね。ずるむけた人間味出してる歌とか失敗してる姿も素直に表現してる歌、そういう歌を歌ってます。

●三角公園でのライヴを僕は映像でしか観たことないんですけれど、クラブやライヴハウスでやる時以上に言葉が聴き取りやすいような歌い方をしていますよね。どういう反応がありますか?

S:いちばんわかりやすいのは「帰れ!」とか「死ね!」じゃないですか。西成では。でも、「帰れ!」って言われて、ほんまに帰ってたら、いまのオレはないんです。それでも歌い続けてきたから、いまの自分がいる。ある時、三角公園でライヴしていて、1曲目と2曲目の間にポーンと隙間が空いた瞬間に、酔っぱらったおっちゃんが、ちっさい声で「死ね」って言ったんですよ。「死ねー!」って怒鳴るんじゃないんですよ。ちっさい声で「死ね」ですよ。あの一言、ドーン来ますよ。ナイフで刺されるより重い言葉やった。でも咄嗟にオレは「生きる!」って言い返した。それで、「オレは大丈夫やな」って思えた。「死ね」って言葉にすぐ「生きる!」って返せたのは、オレのマンパワーというか、人間力やなと思って。ラッパーやってけると思いました。

●逆に前向きな言葉で印象に残っている言葉は?

S:「来年も会おうな」じゃないですか。西成で「来年も会おうな」は凄い言葉ですよ。外で一冬を越えるということですから。西成で一冬越えるのは、想像を絶するような大変なことですよ。「来年も来るわ、お前に会いに!」って言われたら、それは嬉しいですよ。それは普通の家に住んでいる人の「来年会おうな」とか、「来年、またフジロック行くわー!」とはぜんぜん違いますやん。生死かかってますもん。「来年もお前のライヴ観たいから、オレ、元気で頑張るからな」っていうのは音楽の枠を越えてますよ。

●最後に今回のアルバムで本人的にいちばん変化したことは何ですか?

S:それは、「あきらめない」とか「負けない」って言葉をいろんな曲で歌っていることじゃないですか。曲っていうのはリスナーとの出会いやと思います。例えば、ある曲を聴いて、「これがヒップホップか。嫌いや」って言う人もいますやん。オレはヒップホップのラッパーやから、オレの曲をたまたま聴いて、「ええ歌やな。ヒップホップってええな」って感じてくれたら嬉しい。ラッパーだったら、違う曲で同じことをあまり言いたくないというのはあるじゃないですか。「負けない」って前の曲で歌ったら、次の曲では「負けない」って歌わんとか。そこを思い切っていろんな曲で歌ってみた。自分がそういう環境で育ったし、ほんまにそう思ってるから。SHINGO★西成はこういうアーティストだってわかるような、共通するもんがどの曲にもあったほうがええと思ったんです。それに気づいたのが今回ですね…だから「勝つ」じゃない「負けない」なんです。
そのために毎日「ブレない」気持ちと行動が大切なんですラガッ&ラパッ

SHINGO★西成/オフィシャルWeb
http://shingonishinari.jp/