MUSIC

ILL-BOSSTINO PRAYERS (#1)

 
   

Interview by Riddim online

2013年9月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

たまたま、スケジュールが調整できたインタビュー当日は参院選投票日、7月21日(日)だった。 
 選挙結果に、事前から半ば諦めとそれでも淡い期待を混濁させながら、THA BLUE HERBがあの日から2年目の節目に敢行した、岩手県は宮古、大船渡と宮城県は石巻の東北被災地3箇所をまわったツアーと、8月14日に発売されたDVD「PRAYERS」について聞いた。
 聞いた話に胸を熱くしたのも束の間。
 投票結果はご存知の通り、そして東京電力は選挙の次の日、狙い済ましたかのように大量の汚染水の海洋流失を認めた。
 もう、誰に頼るわけでもなく、ただ漫然とヒーローの出現を待つだけでなく、僕たち一人一人が考え、動き、声を出す時ではないか?
 しかし、いざその時になってみると、出し方すら見失いがちな最初の一歩。
「この状況で、声出さなくて、どうすんだよ」
 それを踏み出し続け、体現していることを説得力としながら頼もしく背中を押してくれるのが、ILL-BOSSTINOの言葉である。

●とにかく、今日が今日という日なのでこの質問からお願いします。投票には行かれましたか?

BOSS(以下B):不在者投票してきたよ。

●18時頃の時点で、結局投票率は、前回を相当下回っているとのことでした。

B:そうなの?自分のまわりの状況とは乖離があるね。俺の周りはみんな「当然行く」って。選挙の度に、「自分は少数派なんだな」って気付かされるよね。

●その、「少数派であること」は居心地良いことですか?

B:まさか、全然。むしろ「なんで行かないの?」って、ビックリだよね。

●「こちらが王道である」し、「正論なのに」と。

B:もちろんそう思ってる。でもこの国に生きていると、「正論だから少数派なのかな」とも思えるような気がするね。

●それは「この国」でしょうか?または、世界が全体としてそうなんでしょうか。

B:いや、でも「この国」なんだと思うな。全世界のやつと喋ったわけじゃないけど、どこに行っても、若いやつはもうちょっと意識高いよ。ヨーロッパとか行くと、若いやつでもみんな政治のことに敏感で、もちろん全部を知っているわけじゃないけど、直感でそう感じる。日本でも、少しずつそういう感じになりつつあるのかな?と、思ってはいるけれど。賛成反対、保守革新問わずに周りには意識の高い人達はたくさんいるけれど、投票率の低さが如実に現状の日本を物語ってるよね。

●DVDではステージから、「この状況で声出さなくてどうすんだよ」、「今こそ声が聞きたいよ」と仰っていました。しかし、東北という土地柄からか、「でも、自分よりも大変な人もいるんで」との声も聞こえてきます。それは北海道ともたぶん違う、そもそも我慢を美徳とする文化があるのかもしれません。

B:前に福島のいわきに行った時に、俺は現地の人がもっと怒るべきだと思ってたし、みんな実際に怒っているとばかり思ってた。街中が怒りで満ちてると。それは俺の感じた範囲でだけど、現地の人は意外とそうじゃなくて。それで、「何でなの?」って聞くと、「一生、怒りを抱えて生きるのはしんどいんすよ」って。そう言われた時に「あぁ、確かに」って、何にも言えなくなっちゃった。怒りをキープしたまま生きるって、「それは疲れるよな」となると、人間の本能としてそこを封じるというか、それは東北に限ったことではなく、人間は、日々生きていく過程でそういう方向に本能的に傾いていくのかなって思ったりはしたんだ。やっぱり内側から出てくるものだから。でも、そこは何でなんだろうね。東北の歴史、置かれてきた経緯とか、そこから発展して、色んなことを考える。北海道は開拓の歴史で考えても100年ちょっとで、外から来てるし、ある意味で俺らの先祖なんてアメリカにおける開拓にやって来た白人みたいなもので、アイヌを殺して全部奪ってやってきた。そういう北海道なりの原罪がある。東北の人たちとはそもそも歴史が違う。だから東北の人たちの気持ちややり方に関しては、不思議に思ったことは何度もあるけど、答えは出せてない。

●今回の東北ツアーでは、そのわからない感じを再確認したのか、それとも新たな何かを見出せましたか?

B:まず今の「怒り」ってことに関しては福島の人たちに対して思ったことだけど、今回のDVDに入っている、岩手と宮城3箇所のライブ・ハウスで思ったことは、またちょっと違うんだと思う。

●津波の被災地においては、もっと、言葉にすると「悲しみ」から始まる何かということでしょうか。

B:うん。その方向の方が強くて、もちろん政治や復興に使われるべき金が機能してないということへのフラストレーションは抱えているかもしれない。でも、かといってそれが「怒り」に直結したりしているとは思わなかった。

●もしかすると、福島は今も現在進行形ですし、仰られた「怒り」も絡んできて、その違いがあるから今回のツアーに入っていないのかなとも思いました。

B:いや、まずは今回行った3箇所を金土日で1回で行って、福島にはその約1ヶ月後に行ったのね。だから純粋に「この3箇所に行こう」というのがまずあった。でも、もう一つはさっき言ったみたいに、確かに俺の中で、東北全域に対する気持ちと福島の人に対する気持ちがちょっと違う。やっぱり福島の場合は、震災は勿論だけど、原発の問題がとてつもなくややこしくて、かたや東北は完全に自然災害で。

●また、今回のツアー・タイトルは「CAN’T STOP TALKING TOUR」でした。そこはあえて「RAPPING」じゃなくて「TALKING」?

B:自分でリプレゼントしているアート・フォームの形態として、「ラップ」も「トーク」の中に入る一つという風に思ってるから。

●「トーク」の中にあるのが「ラップ」。

B:それもあるし、「トーク」は相互のものだから、俺が一方通行的に何かしに行くわけではなかった。そこが、特に今回みたいな場所では大事で。俺にも聞きたいことや知りたいことがたくさんあったから、だからそういう、「対話」という気持ちが強かった。

●元々、BOSSさんはラップのスタイルとしても、バンバン韻を踏んでいくというより「喋り」に近い気もします。

B:そこは言われる。でも、そうすると俺は常に「バッチリ韻踏んでるけどね」って答えるんだけど(笑)。

●今公開中の映画「ART OF RAP」を観ました。そこで、モスデフによる「ラップは俺たちのFolk Art(民俗芸能)」という、遠く離れた極東の僕らにしてみれば身も蓋もない定義もありました。そして、ラップは広がりながらその土地、土地にあったかたちに変わっていくと。

B:それは、「東北の三箇所で今回のライブがおこなわれていた」事実とか、日本語の曲の「リリックの深さ」、「日本語独特の表現」とか、それははっきり言って彼等には知りえないことだよね。

●独自の進化が日本にもある。

B:そう思う。だから、モスデフがどう思っているかに関わらず、やっぱり「これが俺ら、日本のヒップホップだよ」っていう風に思うよね。もちろん「民俗芸能」まではいってないけれど。 日本では、ヒップホップが「独特に進化してる」って俺は勝手に思っている。その「俺らにとってのヒップホップ」をやっていて、もちろん彼等がつくりあげたものや歴史にはリスペクトもするし、今も変わらず憧れもあるけど、確実に離れていってる部分もある。その上で、「これが日本のヒップホップだぜ」みたいな。

●ライブでは、頭に「PUBLIC ENEMY NO.1」を挟んでから曲に入ったり、往々にして、仰るような先人たちへのリスペクトを感じました。

B:メチャメチャしてるよね(笑)。そこは、そういう会話ができる人たち、、まあ、どうしても同世代のあの時代のヒップホップを知ってる人たちになっちゃうんだけど。「これわかるでしょ?」みたいな、遊びというか、大事にしている面白いところだよね。

●ライブでは要所要所で拍手が起きています。それが「ラップ」か、「トーク」に対してか、何にせよああいう風に合間合間に拍手の起こるヒップホップのライブは珍しい気がします。

B:日本オリジナルだね~。そこはたぶん、俺、コール&レスポンスをやらないから。「セイ・ホー!」って、もうこの何年間か一度もやったことない。でもたぶん、何らか対話はしたいわけ。それできっと、みんなもたぶんそうなわけ。だから「拍手」はその現れだと思うんだよね。そうであるならばそれは俺も拒まず、レスポンスとして受け取って、という感じ。ま、歓声も、野次も、叫びもいつだってそこにはあるけどね。

●ある意味「演説に近い?」とも思いました。

B:だとも思う。だから、(三宅)洋平とかのを観ていて、「ラップ」というか「演説」というか、「すごく似てるな」と感じる時がある。

●自分もそうですが、今回参院選の全国比例では、用紙に今名前の出た「三宅洋平」と書く人が多いのではと思います。

B:俺も全国では洋平に入れました。ほぼ同世代、お互いタメ口だし、言っている事とかマニフェストとかじゃなくて、シンプルに「洋平だから入れる」という感じでね。

●「俺もいく」とは思わなかった?

B:思わなかった。それもよく、色んな人に言われたんだけどね。

●言われたんですね。

B:ちょうど昨日、洋平のYouTube観ながら「なんで俺はいかないんだろう?」とか、「俺のライブと洋平のこれは、何が違うんだろう?」って、ずっと考えていたんだ。それで、東京の選挙フェス当日=昨日も俺は江ノ島でライブだったんです。約130人規模のライブで、そのライブをやってる途中からだんだんその答えが見えてきて、「俺はこっちだな」みたいに思えたことがあって、それはそのままライブでも言った。それは3・11以降、俺自身も結構政治的なことを曲にしてきたんだけど、でもだからといって国政に向かうんじゃなくて、逆にそこから遠ざかって行く感覚があるというか。人々の生活の場に向かって行く感覚。それは福島のいわきでもそうだし、東北の三箇所にも行ってると、中央がむっちゃ遠く感じるんですね。そこからパッと振り返って東京のことを思うと、当然同じ日本語を話すし、同じ円が使えるけど、とてもじゃないけどリアルタイムで両方が同時進行しているとは思えないくらい遠くに。その事に想いを馳せると、やっぱり「俺はそっちだな」みたいなことを思ったのね。政治的な発言は、結局霞ヶ関とか永田町に対して、そこの人たちに何かを伝えて動かしたくて言うパターンと、そこからすっごく離れている人たちに政治的なことを言うっていうのは、道が分かれてくるなと。それは、「もっと声出していいんだし、もっと学んで賢くならないとどんどん搾取される一方だよ」みたいなことを、「政治的なこと」として言う、というか。だから、そこで洋平の向かう所は俺とは正反対で、彼はどんどん中央に向いていくわけじゃないですか。ほぼ同じ理想を持ちながら、でも進む方向が違うという感覚だね。

●かたや、中央に自ら入っていき、そこから変えようという。

B:そう。洋平の場合はそこに自分も入っていくし、みんなの意見も中央に向いていく。これはどっちが良い、悪いじゃなくて「俺に任せておけ」、「俺が伝えてきてやるよ」みたいな、その「伝えてきてやるよ」という矛先は明らかに中央なんですよね。それに対して昨日ライブやってて思ったのは、俺の場合はもっとまったく正反対というか。

●今聞いたことを整理させていただくと、もっと地方の市井の人々に「どう中央と向き合うべきか」ということを、それこそKRS-1の言葉を借りれば、「エデュテイメント」していく、という。

B:まさにそう。洋平のことはもちろん応援するし、みんなに「洋平しかいないじゃん」って言うし、一票入れるし、でもなぜか自分のやっている事との違いを感じてて、自分の足がなぜかそっちに向かないのかが、「何でなんだ?」って今まで気になっていて。それで俺は「二枚舌なんじゃないか」とか、「結局曲で言ってるだけで実際行動してないんじゃないか」って、もちろんそこまでいくんだけど、昨日ライブをやりながら「いや、違う」みたいな。そういうことを、なぜか今までその答えを導きだせなかったんだけど、昨日現場で「俺はここだ」、「この目の前にいる今夜の130人なんだ」って。しかもみんな、3000円とかを払って来てくれているわけですよ。洋平がやってることはもうそうじゃなくて、1票だし、お金が介在しないもっと全然違うもの。でも俺は3000円をいただいて、ライブして、それが3000円よりも価値があると思ってもらえるかどうかってところでずっと生きてる。だから、普通に仕事なんだよ。

●一労働者、一ワーカーであると。

B:でもそれは、YouTubeで洋平と俺のライブを観てみると、大して言っていることも変わらないし、スタイルも変わらない。でも、「何が変わるか」っていう分かれ目、向いているところが「正反対なんだな」って。そこの答えを昨日、「これだ」って。洋平と俺の違いを知りたいんじゃなくて、俺は一体どうしたいのか、その答えが導き出せた。

●期せずして、絶妙なタイミングのインタビューになりました。

B:そういう、思ったことを言葉でライブで伝えた時、そして、今日のインタビューでこうやって自分の言葉を伝えることによって、また自分の意志が明確に強くなっていく。そうやって「これだ、俺の進む道」、「俺のメイン・ラインはこっちだ」みたいなね、昨日ちょうどそれを見つけたんです。そういうことも面白いなって。 (次週に続く)