MUSIC

ILL-BOSSTINO PRAYERS (#2)

 
   

Interview by Riddim online

2013年9月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

「考え、改めて自分の立ち位置を再確認するきっかけになった」と語る先の参院選を引き合いに出しつつ、自らが音を鳴らし、ライブを続ける根本姿勢に言及してくれたILL-BOSSTINOインタビューの前半。
 後半は、DVDと新曲のタイトル が「PRAYERS」=「祈り」に行き着いた経緯。そしてそれは、満を持して足を向けたつもりの東北の被災地で、自身がかつてないことを体感しながら入っていった、新フェーズの話へと繋がっていった。

●そうして自分の立ち位置、進み方を確かめながら、2年間かけて紡いだ言葉を現場で鍛え上げ、いざ東北で満を持してライブを敢行し、そこでDVDにあったのは「高校生に心動かされてしまった」と。

B:(笑)この一年、昨日までで93本ライブをやってきた。やってて、それが自分の精神修養というか、「これは『修行の道』だな」ということは多々あったよ。ライブを聴いてくれてるお客の周りで、別のお客がふざけたり、色々やってるのもみーんなステージで認知しながらラップして、「何だよコイツら、やる気あんのか」とか、そういうことを思う小さな自分もライブ中出てきたりしながら、「俺っていう人間は本当に変わらないな」ってこともたくさんあって。

●一年でライブ93本は、キャリアにおいては多い?

B:今までのペースとはそんなには変わらないけど、でもまあ、多いとは思う。一年間で47都道府県も全部行ってね。

●それだけやって「喋り足りない」部分は残りますか?

B:今日の段階ではもうない。吐き出しきってる。むしろ、ちょっとインプットしないとヤバいと思うから、今後3ヶ月間、8、9、10月はライブをやらないんだ。

●DVDの楽屋シーン、さっきの「高校生に心動かされた」ということもあれば、最初からガッツポーズのシーンもありました。ガッツポーズが出る時の、その分岐点にあるのは何でしょう?

B:どっちも到達感はあるけどね。特にこのライブ3本に関しては、1本目は自分と東北の被災地の、それは自分の気持ちとお客との噛み合い方からして手探りだったし、そんな中で目の前には、はしゃいでる高校生もいて、気持ちが揺れちゃって。だから結構、宮古でのライブはしんどかった。でもそれも、今思い返すと絶対に必要な過程だった。その「このお客が何を思ってるか」ってのは永遠のテーマだね。これは相方の(DJ)DYEともよく話すんだけど、俺ら的に「がっつりやったけどあんまりお客がついてこなかった」って言うけど、いざ終わって外に出ていくとみんなすごい感動してたとか、俺らがすごいやり切って、最高お客とリンクできたと思うけど、実はそう思わない人も多かったとか、「何を思ってるか」なんてテレパシーの世界だから。それでまず宮古は、お互いの間にそびえ立つ大きな壁を乗り超える難しさ、その目の前に現れた高校生とのコミュニケーションの難しさ、この両立が難しく感じた瞬間があったのは事実だね。でも、最後はやっぱり色んな違いを超えて「イェー!」ってとこまでいけたと思っているんで、バッチリでした。その後、大船渡と石巻では普段のライブとそこまで変わらなかったというか、もちろんその2箇所も被災地ではあるんだけど、俺も被災地の空気を吸った後だったし、その辺が最後のガッツポーズに繋がったのかなって。

●ライブ中には、「このままじゃ操られるだけの、ただの哀れなバカになっちまうぞ」という言葉がありました。そこは、今日であれば無関心を装って投票に行かない人たちが連想されつつ、言葉の矛先は東北に限らず、日本全国に向けて?

B:そうだね。ライブは3月の15、16、17日なんで、あのあたりは特にそういうテンションでセットを組んでいて、それも今はまた違うセットに変わっている。あの頃、かなり気持ち入れて鳴らしてた部分ですね。

●DVDと新曲のタイトルは「PRAYERS」です。今回、どういう経緯で「祈る」という言葉に行き着いたんでしょうか?

B:「祈ってる」というセリフ自体は、「あなた方のことを、俺はちゃんと見続けているよ」とか、「ずっと忘れないよ」、「絶対また帰ってくるよ」みたいな、そういう意味になる言葉として使っていました。「みんなに話し続けるよ」、「物資送り続けるよ」とか、そういう伝えたい気持ちの色んなこと全部が「あなたたちの幸せを祈ってるよ」という、その言葉に集約されたという感じです。俺は特定の宗教を信じているわけではないし、でも「祈る」行為は、神様か誰かに祈って、間接的に何かをしてもらうためにってこともある。でも、俺はそういう感じで祈ってはいないし、鎮魂ではない。東北の地で、亡くなられた方々への鎮魂の祈りを捧げている、今を生きている人に向けた祈りですね。

●「トーク」で言葉を吐き出し続けて「祈り」に辿り着き、その先は見えてきていますか?

B:あとは「行動」だよね。今回のDVDを出すのも俺にとっては行動の延長だし、ここで東北のことを喋ってるのも行動だし、米を送ったりすることもそう。DVDについては、「東北の3日間のああいう夜を、値段つけて売るっていうこと自体、どうなんだ?」って、一瞬そこで誤解を恐れた瞬間もあったけど、でもそこもやっぱり「行動」だよね。行動して、どんどん広めていって、こんなことも一つの瞬間でしかなくて、これから先ももっとやるべきで、俺の「祈り」はそこにある。行動と共にある。ただ座って手を合わせてるだけじゃ何も変わらない。行動を続けなくてはならない。

●「コール&レスポンスはしない」と言いつつ、最後は叫び声でステージとフロアでやりとりされてました。今回聞こえてきた東北の声で、印象的なものは?

B:まだみんな、能動的に、無心に、自分から声を出すところまではいっていないと思うんだ。DVDの最後、みんなが少しずつ喋ってくれたことを入れていて、それを観て「あぁ、そんなこと思ってる人たちが来てたんだ」って逆に思ったくらいで、まだ時間がかかるんじゃないのかな。あの時のことをちゃんと言ったり、さらには歌やアートにしたりっていうのには、もっと俺らが煽っていかないと。当時、眼の前では本当に色んなことが起きてただろうし、無茶苦茶大変だったと思うんだよね。その苦難を超えて、何らかのポジティブな歌にして歌うってところまでいくのは、まだ時間がかかるんだと思う。

●BOSSさんがこれまでは言わずに、今回のツアーで新たに、自然に口から出てきた言葉はありましたか?

B:そこは「東北の人たちに対して何か」という以前に、「俺が行って何ができるんだろう?」とか、自分自身に対する疑いも俺が持っていたというか。東北に行く前、行っている間も、目の前であんな光景を見て、「何か言ったところで死んだ人は生き返らないし、しかも明日になったら帰っちまうようなやつに、何が言えんだよ?」みたいな自問自答が延々と続いていた。行く前は結構思い込みというか、気持ちが溢れてても、実際行って現状を見てしまったら、「ここでお前に何が言えんだよ?」って。そこにずっとビビッていたというか。でも今回のDVDで俺自身が一番好きな「何かが変わった」という瞬間があって、そこは「お前に何が言えるのよ?」って自問してる自分と、「いやでも、言わねえとどうしようもねえんだ、いくしかねえんだ」みたいな、最後は結局東北も目の前の高校生も関係ない「俺の問題」になったというか。

●何があろうといくしかなかった中でもがいて辿り着いたのがそこだった。

B:俺はみんなに対して色々言葉を投げるけど、今回のDVDの中の俺自身を観ていて驚いたのは、自分自身に「お前に何が言えるんだよ」と、「それでもやんねえとダメなんだよ」という自分の中のブチ切れの格闘みたいなのと、そのままほぼゴリ押しで進んでいく状態。そんな姿を、今までステージでわざわざお客さんに観せたことなんかなかったし、自分的にはそこがやっぱり、あの3日間で乗り超えた瞬間だった。

●表現を突き詰めていったら、最後に乗り超えなきゃいけない壁は御自身だった。

B:結局自分だった(笑)。本当にそうだったんだと思う。だって、誰一人俺にそういうネガティブなセリフを直接かけてきたやつなんかいないし、抱えていた恐怖は全部俺が勝手につくりだしたんであって、そこを、観てくれたお客さんにもそれぞれ自身を投影して、乗り超えてもらうしかないよね。

●もう一つ思ったのは、あれだけ剥き出しで、裸で吐き出せば吐き出すほど、これはジャマイカやアメリカの先人たちを見ても明らかですが、常として、その後に一緒に性欲も掻き立てられる気がします。しかし、ブルーハーブの音楽にその要素は感じません。

B:ないね。たぶんね、そこも超えてるんだと思うよ。完全にセクシャリティを超えている。だから目の前に男に混じって今はもう女の子のお客さんもたくさんいるけど、俺にとってはどっちでも有難い。俺らの境地は完全にそこを超えてる。逆に言うと、そこにあまりとらわれたことはないんだけどね。よく昔から、お客が男ばっかりなのを揶揄されて「アイツはホモだ」とか言われることもあった(笑)。それは、外からキャンキャン揶揄してる人間には永遠にわかんねえことなんだ。もっと深いメンタルの部分での対話なんだよね。

●あえて外しているというわけではない。

B:考えたこともないね。肉体的なことを完全に乗り超えてるからじゃないかな。そして来て聴いてくれてるお客も、そこを乗り超えてくれていると信じている。だから、俺のことを外の色んな人間から「教祖」、「宗教」だとか、「ホモ」だとか言われても、俺らのライブに金払って来てくれるのは、そんな雑音を乗り超えて対話してくれてるんだと思ってる。だからこそ俺等も命賭けてライブできる。俺等とお客の信頼はそこまで行ってる。

●それにしても、そんな部分にまで踏み込んでライブをやるようになると、その後にモチベーションが上がらなかったりすることはないんでしょうか?

B:そこは与えられた仕事なんだよ。責任だね。だから何があっても、まずベストの体調をつくるところからはじまるんだ。

●今回3箇所の動員はどれくらいだったんですか?

B:宮古で40~50人くらいかな。あとは大船渡で54人、石巻で120人くらい。石巻はまだ仙台に近いというのもあって、でも、初めて行った街だしね。まだ始まりに過ぎない。当然興行的には大赤字。でも、あっち行ってやってる人たちはみんなそうだと思う。

●この状況のライブを経験し、乗り超えたというのは、今後の確固たる自信に繋がりますか?

B:さっき言ったように、ブルーハーブというのを観にきた目の前のお客とそれぞれの違いを乗り越えて全員で一つになるっていうのは、滅茶苦茶難しいんですよね。いつも一か八かだし、全員で上がれればハッピーだけど、酔ってわけわかんないやつもいるし、そもそも聴いてないやつとか、ひたすら写メ撮ってるやつもいて、でもそういうお客一人一人に俺らの流儀で訴えかけて、時には懐柔して、大きなまとめをつくってドッカーンみたいな、そういうものをつくるのが俺にとってのライブ、責任。でも、東北の今回の三箇所に関しては、お客の抱えている現実の重さが、今まで俺が乗り越えてきたものとは比べようがない程に過酷なものだった。だから単に上がるとか、騒ぐとか楽しむっていう事が、どれほど貴重で、かつ難しいものなのかも考えさせられた。目に見えない何かを、街でも道でも浜辺でもどこででも感じていた。そんな中、今を生きているっていうお客との共通点がとても重いものだった。乗り越える事ができたのは、そんな状況の中でも集まってくれて、俺らの音楽を肯定的にとらえてくれたお客のおかげだ。やってる俺らは常に一杯一杯だったよ。

●そういえば曲間のMCで、「喋らされてる」と仰っていました。

B:夜なんて、酔わないととてもじゃないけど寝れなかった。そこまでライブでこの街の現実に言葉で近づいておいて、ホテル戻ったら一人で、外は風がピューピュー吹いてて怖くて、色んな事がフィードバックしてくる暗黒の夜。だから、そこを乗り超えてちょっとは強くなったというよりも、まず乗り超えること自体が大変だった。でもなんか、「そういうことまで、覚悟として、音楽で触れていくんだ」。「言葉一つで、生と死の間のこの現実に立ち入って行く」みたいな、その腹が座った。「そこまで行くっしょ」、「そこまで入って行かねぇとダメだ」というか、少しは、そういう「覚悟」がついたよね。

Tha Blue Herb Recordings
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