ART

真のアートって何? ではGary Panterに聞いてみよう。

Interview by Shizuo “EC” Ishii, Translation CB Ishii

2020年1月20日にRiddimOnlineに掲載されたインタビューです。

ゲイリー・パンターはペインティング・アーティスト?、カトゥーニスト?、イラストレーター?、デザイナー?、ミュージシャン?いや単に真のアーティストだ。
彼のInstagramには描きかけのドローイングやペインティングはむろんのこと、陶器やレコード、うまそうなブランチ、たまにはビーズのネックレス、ゴジラのフィギュアなどが日々アップされる。ウ〜ム、、、、どうなっているんだ、最近は? iPhoneのFaceTimeでも鳴らしてみるとしよう。

●Hi、元気? アレ、疲れてる?

Gary Pater(以下G) :ふふ、そうだね、今日はアートスクールの授業で教えた後、本当はギャラリーのオープニングへ行く予定だったがちょっと疲れて帰ってきたよ。ふふ、・・

●そういえばテキサスにアトリエを買ったんだって?

G:ホームタウンのテキサスにとても小さなビルを購入した。スタジオを作ろうと思っているんだ。鉄骨建築で1エーカーのコンクリートが敷いてある。だからひまわりをコンクリートのガーデンで育てたいんだ。まだアイデアだけで始まったばかりだ。ビルを解体して、新たに建て直してるんだ。

●じゃあ故郷のテキサスに移住するってこと?

G:いや、テキサスに住んだら僕の頭がおかしくなるからそれはないね。住むのは死ぬ直前だね (笑)。正直いって家族を愛しているしテキサスも愛しているよ。でもとても保守的なドナルド・トランプ・タウンだね。16,000人しかいない小さな町に、なんと86もの教会があるんだぜ。クレイジーだろう?でも食べ物はとても美味しくて、テックスメックスのメキシカンフードにバーベキューなんて最高だよ。動物だって沢山いるからガーデンを作って小さな池に魚を放してなんてことも考えてるけどね。

●そういえば、今はロングヘアーなんだね?

G:そう、今までにもロングヘアーは何度かあるんだけど、今度は4年くらい経ったかな。親も亡くなったし、ひとりで住むようになったし心境の変化ってやつでロングヘアーにしようってね。いつもひとりでいたいとは思わないけど、ひとりの生活も楽しいもんだよ。毎日ドローイングをして寝るっていうのもなかなか悪くないね。

●最近はどんなライフスタイルなのかな?

G:ちょっと歳もとって、去年は病院に行ったりしたから作品作りはマイペースになったね。でもペインティングとカートゥーンはずっと続けていて、先週ちょうどヒッピーコミックが完成したところだね。1960年代のZap Comix(ロバート・クラムが始めたアンダーグラウンド・コミック誌)のような感じだよ。だからそれが新しく発表するものになるね。それ以外にも新しく陶芸を始めていて小さなティーカップを作っている。まず100個作るのが目標だ。でも僕の作るカップはちょっと重いから軽くしなきゃいけないな。
クリエイティブなことはいつだってやっていて、今年の初めにデヴィン、ゲイリー&ロスで『Fog Window』というレコードも出したよ。僕が病気だった1年間は作れなかったけど、最近またLAの友達のデヴィン・フリンがNYに来て新しい曲を作ったんだ。そういうことが誰かと繋がる時間だね。僕は今ひとりで住んでいるし、ひとりでいるのが好きだし、だがお客も来るからずっとひとりというわけじゃないけど、僕はここにいてアートを作るのが好きなんだ。だから音楽をやることは出かける理由にもなって良いね。

●最近GaryがInstagramに陶器をアップしているのを見たよ。どういうきっかけで始めたの?

G:アーティストとして単純に興味を持っただけだよ。ずっと生き続けられるわけじゃないから、出来そうなことは何にでも興味を持つんだ。本を読んで色々と一つずつ試してみるようにしている。実はひとつのプロジェクトがあって、そこに色々なパワーを注ぎ込んでいる。そいつがヒッピー・プロジェクトだ。60’sの小さなアート・プロジェクトみたいなもので、2000年代からヒッピーのような小さいアート・プロジェクトをやってるんだ。来月はマサチューセッツのギャラリーでショウがあるけどヒッピーものを並べるよ。

●数年前にビーズで作った作品を僕に送ってくれたことがあったね。

G:そう、それもヒッピープロジェクトの作品だ。ビーズのネックレス、陶器、block printed textiles (ヒッピー・バンダナ)、大きなキャンドル、ヒッピー・ニュースペーパー、ヒッピー・コミックブック、ヒッピー・ポスターとかね。あとはヒッピー・ミュージックだよ、サイケデリックミュージック。ECが昔(1983年)リリースしてくれたレコード『Pray For Smurph』はサイケデリック・カントリー・ミュージックだよ。今でもサイケデリック・ミュージックをやっていて、今はスキルのあるミュージシャンの友達がたくさん増えて、僕も少しは様になって見えてるはずだよ。(注:『Pray For Smurph』はイアン・マクレガン、カルトバンドのレジデンツ、伝説のスクリーマーズのドラムだったK.K.、小原礼など参加。購入はここ)

●そういえばクリス・ヨハンソンのバンドSun Footと一緒にツアーに出かけたんだよね。(注:Chris Johanson:もともとはベイエリアのスケーター、アーティスト)

G:クリスはいつも僕らに「早くステージから降りろ!」って叫んでたよ、きっと僕たちのプレイがいつも長すぎたからだろう(笑) 。西海岸を3バンドでツアーしてたから、きっと自分たちのプレイ時間がもっと欲しかったんだ。
ある時オレゴン州のマリファナを栽培しているとても小さな町に行ったんだ。
みんなでバンドの荷物を積みこんで、ロングドライブをしてようやく辿り着いたそこはただの牧草地。本当に牛と草しかないところだった。だから僕たちは全員が不機嫌になってたんだ。すると若いやつが向こうからやって来たから「僕たちがプレイする場所はないのか?」ってたずねると「あそこに小さな家があるだろう」って。行ってみるとそこのフロアーは泥と砂利と猫の糞のあるただのガラージで、「さすがにここは最低だ、クレイジーだ、やめよう」って他のバンドのみんなと話していたら、デヴィン・フリンが「いいから車から降りろ! ここでプレイするぞ!、何かまずいことでもあるのか!」って言い出して、僕らも仕方なく泥まみれの床のガラージにセットを組み始めたんだ。

そうやって僕たちのグループが一番始めにプレイし始めたら、少しずつキッズが集まってきて、ガラージの前で焚き火をやりだしたんだ。気がついたらもの凄い人数のキッズが集まっていて全員がLSDでトリップしちゃってるんだ。ガラージにも沢山のキッズが入って来て押し合いへし合いで盛り上がってきた。だから、LAの誰かが持たせてくれた大量のクッキーをみんなに配ったりもしながら、Butthole Surfersの曲をプレイした。すると今度はみんながジャンプして踊りまくってさ、女の子軍団が僕に突っ込んで来たから僕はギターで押し返したら、ギターの弦に女の子の髪の毛が絡まってるんだぜ。とにかくワイルドだった。何もない牧草地の猫の糞と泥まみれのガラージですごくハイエナジーで、とんでもなくクレイジーなショーだった。

それ以外ではもちろん車のパンクも起きたし、ジミ・ヘンドリクスのお墓にも行ったよ。実は80年代のNYで有名だったマーク・クレイマー(カルトバンドShockabilly,Bongwater)も僕らのメンバーとして一緒にツアーしてたんだけど、誰も僕らのバンドなんか気にしてないから誰もクレイマーだなんて気づいてないんだ。ジミヘンのお墓に行ったら大きなモニュメントがあったんだ。
でもクレイマーの頭の中は、もはやかなり遠くまで行っちゃっててさ。
「No! これは絶対違う、墓は違う場所に移されたんだ。俺は本物のジミヘンの墓を今から探しに行く!」って言い出してさ、「いやいや、もう次の街でショウをやらなきゃ!」って説得が大変だったよ。やつはマジでクレイジーだ(笑)。ウエストコーストだけじゃなくカナダもイーストコーストも廻ったけど、お金ばっかりかかってね。言ってみれば“The lose money tour”だよね(笑)。 でも一緒に曲作りはしてるんだ。それが一番だよ!

●どうやらつい最近もレコーディングしてたみたいだけど?

G:Live SkullというバンドのMark Cが所有しているレコーディング・スタジオに行ったりしてるよ。そこはSonic Youthたちが使ったりしてていて、僕らもそこでレコーディングしてるんだ。でも僕らはみんなが一度散らばってしまったから、また新しいレコードを作ろうとしたらあと2年くらいはかかるね。デヴィンはLAと東京、ギターのロスはNY、それに今は若い20代のヒッピーの子が加わってるんだ。彼は非凡な才能を持ったライトショウの若手でサイケデリック・ミュージシャンでもある。Worthlessのカーティス・ゴディーノで調べてみてよ。

●じゃあ60年代のフィルモア・イーストで伝説のライトショーをやってたジョシュア・ホワイトとのショウについて聞かせて下さい。(注:Fillmore Eastは、NY市マンハッタンのイースト・ヴィレッジの2番街と東6丁目の交差点近くにあったビル・グラハム所有のコンサート会場)

G:ジョシュアはおそらく75歳くらいかな?さっき話した僕たちのバンドにいるカーティス・ゴディーノって若いやつ、彼がフロリダの高校生だった頃にジョシュアとコミュニケーションを取り始めて、彼にライトショウに関する質問をしたら、ジョシュアは全てに対して答えてくれたそうだよ。カーティスはフロリダからNYへ出て来てブルックリンでライトショウを始めたんだ。とても良いライトショウでそれをジョシュアが興味をもったらしくジョシュアがカーティスを引き抜いてね。そしてそのカーティスは、今は僕の生徒としてアートスクールでカートゥーニングのレッスンを受けている。

僕のやってるライトショウは、とても小さなライトショウなんだ。ジョシュアとも友達になったし、彼の60年代スタイルのライトショウの手伝いもしたよ。その時はジョシュアがディレクターをやって、僕はほぼ見ていた感じだね(笑)。座ってできるヴィジュアル的なものをやったぐらいで、言って見ればバント・メンバーの一人みたいな感じだったね。だけどもう10年以上も続いていて、たまには大きなショウもあって、テリー・ライリーやルー・リードなどのとても興味深い人達とワシントンDCの大きなギャラリーやNYでもやったよ。それはフルサイズのライトショウなんだ。

ジョシュアは今アナログでライトショウをやっている人達のFacebookの“Psychedelic Light Show Preservation Society” というページで管理人のひとりをしている。
アナログのライトショウというのはオイルと水とライトを使った手法の結晶みたいなもので、コンピュータはあまり使わないんだ。だから僕たちはその手法を維持してアートフォームにまで発展させる。
世界のあるグループはその点にすごく興味を持っているね。オーバーヘッド・プロジェクターを使ってオイルと水やマイラーを使うリキッドライトの方法を、、、ね。でも僕のはもっとアホらしいことをやってるよ。なんとかクールなライトショウには見えてるけど、僕の小さなライトショウはフラッシュライトだけで、クリスマス・ライトやマイラーでやってるから規模が小さいんだ。でもジョシュアのは巨大だ。つい数週間前にジョシュアはロサンゼルスの新しい巨大なビルにメタリカの為のライトショーをやったと思うよ。だから今のカーティスはジョシュアのライトショウにとって重要なメンバーになってエキサイティングだったと思うよ。今の僕はそんなに重要じゃない。また少しだけ手伝うようにはなったけど単にメンバーの一人として、僕が光るものを持ってそれにライトを当ててもらってそれをスクリーンに照らして、それでゴー・ホームだよ。

●ゲイリーといえば、昔からモンスターをはじめちょっと怖い絵を描いているけど、あれはどんなきっかけから?

G:ウ~ン、それは2歳の時だった。僕たち家族はトレーラーハウスに住んでいて、あれはハロウィーンの時だった。ハロウィーン・パーティに出かけたらマスクを被った2人のキッズが僕に向かって走って来たんだ。
ひとりはデビル、もう一人は海賊のスカルだった。僕はマスクを見たことがなかったから死ぬほどビックリしたんだ。母はいうには僕がそのときにモンスターに取り憑かれたって言ってたよ。その2歳の時に変な事件がいくつも起きたんだ。シンク(大きな水桶)で溺れたりね。それと恐竜にとても興味を持つようになり、父が地質学者のトレーラーハウスに連れていってくれたんだ。彼はすごく興味のある化石を持っていて僕はそれをドローイングするようになり、恐竜に関しても学ぶ事が出来たんだ。だが他のことは全く頭に入らなかった。ひょっとしたら僕はパターン化したものしか興味を持たないアスペルガー症候群か何かだったのかもしれない。国語や数学は全然駄目だったし読むことすらもね。だからいつもトラブルが絶えなかった。だけど恐竜に関してだけは名前でも何でも記憶できたしスペルも書けた。そんな感じでいつもモンスターを描いていたんだ(笑)。5年生の時に大きな本にみんなに沢山モンスターを描いてもらってそれをみんなで見ていたら、とつぜん先生が現れて取り上げられて焼かれちゃったんだ。まあ、なんて素晴らしい学校だったんだ(笑)。
それがカレッジに行くようになって初めて色々気づいたんだ。子供の時に興味があったものは“今でも好きだ”ってことだ。それに恐竜を描いても何も問題ないってこともね。

●もし、あなたが影響を受けたアーティストがいるとしたら、それは誰ですか?

G:それは現在でも、昔から好きな人に影響されることが多いね。イギリスのポップアーティストのエドゥアルド・パオロッツィ。イギリスのポップアーティストの中に好きな人が多いけど、でも世界中のポップアーティストというべきかな。ピーター・サウルはもう80代だけどまだ元気だしね。若い時に知ったのは横尾忠則。それと名前こそ知らなかったけど雑誌で小さい写真を見ていた田名網敬一は、最後にECが日本へ呼んでくれた時に彼の本を発見して凄い巨匠なんだって知ったんだ。

だから僕のヒーローは沢山いるよ。アイデアが常に変化していくアーティストが好きだね。だから僕も常に変化していくように今もトライしている。でもほとんどがヒッピーものなんだけど、わっはっは。

●代表作の一つと言ってもいい有名な“JIMBO”はどのようにして生まれましたか?

G:カレッジに通っていた頃にコミックの描き方を学んでいたんだ。

もちろん子供の頃から毎日ドローイングをしていたから、子供の頃に自分でコミックを何冊も作ったよ。でも本気で取り組んだことはなかったんだ。それはコミックというのはものすごくエネルギーが必要だからね。ある日のこと、顔だけを無数に描いていてあのJIMBOにいきついたんだ。その時僕の中で何かが引っかかった。何処からとかなぜっていうのは分からない。単に僕が作り出したものが人格みたいなものをもって、それがアメリカのわんぱくなカートゥーン・キャラクター「Dennis the Menace(わんぱくデニス)」のようにもなって、40〜50年代のボクシング・コミックの「Joe Palooka」にも似てきて、、、それを僕が一番好きというわけではないけどね。さらにちょっと僕のお兄さんにも似てきて、そばかすもアップルパイもアメリカ国旗のアイデアもアメリカのお決まりの感じでね。だからある意味ではとても典型的なキャラクターかなとは思うよ。
Jimboについて考えると彼は常にしっかりしていて、やさぐれているなんてことはない。パンクロッカーの中には「全部破壊してやる!! 俺はパンクロッカーだ」みたいなやつがいたりするけどJimboは物事を冷静に思慮深く考えてサバイブしていこうとしている。数年前にJimboの続編をスタートさせたんだけどまだ終わってないんだ。80ページくらいの本にしたくて、今はまだ60ページくらいかな。だからあと最低でも30ページはアイデアが必要だな。そして僕が歳を取るにつれて僕のカートゥーンに感情が入るようになってきたのも事実なんだ。今まで堅苦しいカートゥーンを沢山やってきたからね。今はもっと抽象的なカートゥーンなんだ、、ふふふ、、笑っちゃうけど花とか蝶とかが多くなったね。
女の子の知り合いがいてその子達に向けてコミックを数年前から描いてるんだ。それはJimboのファンが対象じゃなくて、とてもエモーショナルなコミックで、女の子達を楽しませる為に何年もやっていてそれをとても楽しみながらやっているんだ。

●僕があなたの有名なキャラクターであるRozz-Toxのペインティングを初めて見たのはメルローズ(LA)にあったCity Cafeでやっていたあなたの展覧会でした。たしか1980年だったはずです。僕は驚嘆して、店のマダムにあなたの電話番号を教えてもらい電話して会いに行きました。Rozz-Toxはフランク・ザッパのジャケットにも使われているし、TシャツにいたってはフィリップK.ディックが愛用していました。あれはシカゴにあるピカソの巨大なスカルプチャーからインスパイヤーされたものですよね。僕も実際に観に行きましたが、あれをモチーフに思いついたのはどうして?

G:僕が早い時期にやっていた多くのことは決まったやり方などなかった。多くはミックスさせたもので、これに何かを加えることができるだろうかとか、ジャック・カービーのスーパーヒーローを集めてデイヴィッド・ホックニーのポップアートと融合させるみたいなね。
僕はピカソのファンだし、彼は20世紀の大御所アーティストだ。あれはピカソじゃなきゃダメだったし、ピカソに敬意を表したかったんだ。シカゴはブルースの街だからピカソを使ってジェームズ・ブラウンがやっていそうなポンパドール(女性は前髪をアップに、男性は前髪をオールバックにする髪形) にしてみたんだ。でも僕が思うにあのスカルプチャーは、彼の奥さんだったフランソワーズ・ジローと彼女の飼っていた犬をミックスさせたものだったと思う。なぜなら彼女は鼻の長い美しい犬を飼っていたと思う。ピカソはジョークで奥さんと犬をミックスさせたんだと思う。だから僕はピカソとジェームズ・ブラウンをミックスしたんだ。

●Garyにとってアートとは何ですか?

G:ポエム的な構成ということかな。それはまず静寂でなければならず、可能であるなら人生観の沈黙で、身体であり、あなたが知っている全て、、。 アートによって違うが、あるアートは一つのことをやろうとして、他のアートは違うことをしようとする。でも僕がペインティングに注ぎ込もうとしているのは、僕の知るペインティングの全て、ペインティングの歴史、個人の生活、全てのパラドックスの存在、だからそれらを返さないといけないんだ。ペインティングはなんて言うか、世界を振り返るとでもいう感じかな。だからポエトリーに近いんだよね。多くは沈黙みたいな感じなんだ。だから陶器を作っていてとてもクールだなと思うことが一つある。ペインティングのことを考えると僕の心の中はエゴと歴史でいっぱいになってしまうんだ。だがろくろで陶器を作る時はその材料に集中する必要があるんだ。中心を保っていないとできないし、そこに会話は無い。
ペイントしている時の僕の頭の中には沢山の会話があるけど、陶器をやっている時は静かになれる。ちょっと前にカレッジで“瞑想と歌のアクティビティ”に参加して、僕の頭の中に静かな時間を見つける助けにはなったので、いつでもそこに行けるけどたまに行けない時もある。ご存知の通り僕は話すことが大好きだからね(笑)。
それとアートは進化の助けにもなると思う。僕たち人々がもっと良くなる様に、もっと賢くなる様に、酷くならない様にしている。

●それとこのインタヴューは、雑誌の"Riddim"では絵だけじゃなくて色々な作品をたくさん掲載して26ページの大特集にするつもりだよ。

G:オー、EC!! 僕のことを全く諦めないやつだね! 僕は自分の人生にとってとても適切な量の注目を受けたと思うよ。だからとても感謝している。僕はキース・へリングになる必要はなかった。