Text by: KOJI YAWATA Photo by: SHIZUO “EC” ISHII
Special Thanks to MIGHTY CROWN ENTERTAINMENT
2019年4月にRiddimOnlineに掲載された記事です。
70年代から40年以上にわたってラジオDJ、セレクターとしてジャマイカの音楽の魅力をロンドンから世界に発信し続けてきたDAVID RODIGANが10年振りに来日した。限られた時間の中で貴重な話を聞くことができた。
●昨日は「DAVID RODIGAN AND THE OUTLOOK ORCHESTRA」の動画を見ていました。今回の来日の直前の3月12日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホール(150年の歴史を持つイギリスを代表する劇場)で開催された特別な公演だったと思います。ご自身がホストとなって、数多くのアーティストと共にSKA~ROCKSTEADY~REGGAEの歴史と変遷を紹介する内容となっているように思いました。
DAVID RODIGAN(以下、DR): FREDDIE McGREGOR、MAXI PRIEST、BITTY McLEAN・・、当日は大勢のアーティスト達が出演してオーケストラをバックにそれぞれの時代の楽曲を披露してもらったんだ。素晴らしいショーとなったよ。あと、驚いたのは、出演者を発表する前に何千というチケットが完売してしまったことなんだよ。わずか3時間でだ、信じられるかい? でも、それはいかに多くの人達がジャマイカの音楽を愛しているかを表してもいるよね。若い観客が来てくれていたことも過去のジャマイカの音楽が現在でも魅力的で、新鮮であり続けていて、どの時代にそれと出会っても現在聴く音楽として楽しめることを表していると思うんだ。
●改めてご自身のジャマイカの音楽との出会いを教えてくれますか?
DR:1967年の夏、16歳の時。当時の他の多くの人達と同じ様に自分もジャマイカの音楽、オリジナルのSKA、そいつにノック・アウトされてしまったんだ。THE SKATALITESの「Phoenix City」「Guns Of Navarone」・・、SKAの持つとてつもないエナジー、信じがたいほど素晴らしい音楽に自分は完全に打ちのめされてしまったんだ。
勿論、それ以前に「My Boy Lollipop」(MILLIE SMALL / 65年発表曲)とか、〈BLUE BEAT〉(ジャマイカの音楽をUKでリリースしていたレーベル)を通じて、ジャマイカの音楽は聴いていた。それらを他の〈ATLANTIC〉(USのソウル / R&Bレーベル)とかの音楽と同じような感覚として聴いていた。自分はそれ以前から音楽好きだったから色々な音楽を聴いていた。特にSAM & DAVE、 WILSON PICKETT、ARETHA FRANKLINとかのSOULを好んで聴いていた。ただ、その67年の夏に、ジャマイカのオリジナルのSKAと出会った時に自分は完全にその虜になってしまったんだ。完全にそれまで聴いてきた他の音楽とは違うと感じた。疑うことなくそう感じた。
自分の周りにもSKAにノック・アウトされた友達とかは多かった。でも、その翌年の68年に、SKAからROCKSTEADYへと変わると興味を失っていった。「ビートが足らない」「もっと速いテンポがいい」とか言って周りはROCKを聴くようになっていった。刺激を求めていた若者だったからだとも思う。でも、自分は変わることはなかった。ROCKSTEADYの時代になっても、REGGAEの時代になっても、変わることなくジャマイカの音楽の虜のままだった。周りからはよく「まだジャマイカの音楽を聴いてるのか?」って言われたりもした。そうだね、かなり変わった奴だと思われていたよ。
自分のジャマイカの音楽への欲求は普通ではなかった。とにかくジャマイカの音楽が聴きたくて、そのレコードが欲しくてたまらなかった。DUKE REIDの〈TREASURE ISLE〉とかは最高だったし、COXSONE DODDの〈STUDIO ONE〉もヒット曲ばかりだったしね。〈STUDIO ONE〉は〈MOTOWN〉(USのソウル / R&Bレーベル)のような感覚で最初は聴いていたね。でも、当時は自分の街にはレゲエ専門のレコード店とかはなくてね、それこそブリクストン(ロンドン南部のジャマイカン&カリビアン・コミニュティのある地域)みたいなところではなく、本当に田舎、「村」と言った方が正しいようなところだったからね。毎日寝室で一人きりでUPSETTERSとか、その時に持っていた限られたレコードを繰り返し聴いていた。まるで宇宙人のような気分にさせられていたよ。本当に村の中で、たった一人で聴いていたからね。
ロンドンには大学進学で移ったんだ。最初は経済を学んでいたけど、すぐに役者を目指すことになった。ロンドンに来た時に自分が宇宙人ではないことを知ったよ。首都だからジャマイカン&カリビアンのコミュニティもあるし、当然そこではレゲエが聴かれていたし、そこ以外でも自分のようにレゲエを聴いている人達はたくさんいたからね。あと、ロンドンに移って、LEE’S SOUND CITY、MUSIC CITY、TROJAN RECORDS・・、それらのレコード店とかのレゲエのレコードの在庫量に驚いて、そのレコード棚の前で立ちすくんだよ。「なんてこった・・、こんなに聴かなきゃいけないレコードがあるなんて・・」ってね。
でも、それを買うお金がなかったんだ。それでレコードを自分で卸す仕事を考えついたんだ。ディストリビューターやレコード店からストックを譲ってもらって、それを他の地域のレコード屋に卸すことにしたんだ。それこそオックスフォードとか田舎の店にね。そうすることで自分の欲しいレコードは卸価格で安く買えるし、レコードを売って利益が出たらそれでまたレコードも買えるから自分にとっては最適の仕事だったんだ。うん、結構良いセールス・マンだったよ。いや、まだラジオとか始める前で俳優を目指していた頃だった。舞台の後にそのままの格好でダンスに行ったりもしていた。そこでプレーされる曲を聴きたかったし、知りたかったし、そこでサウンド・システムやサウンドの魅力にも魅了されるようになったんだ。
DJは15歳の時から始めていた。DJも俳優もラジオも、自分で何かを表現することが好きだったんだ。最初のラジオ番組は1978年、BBC RADIO LONDON。その翌年には、CAPITAL RADIOで番組「ROOTS ROCKERS」を開始した。その番組で現在のキャリアの基礎が出来たと思っている。そう、最初から自分が選曲していた。レコードは持っていたし、流したい曲も山ほどあったからね。そこからKISS FM、あと現在はBBC Radio 1Xtraと色々と変わってはいるけど、ずっとラジオは続けている。そうだね、現在は日本からも聴けるのはいい時代だね。
初めてジャマイカに行ったのは1981年。キングストン、マックスフィールド(アヴェニュー)、CHANNEL ONEスタジオ・・、最高の経験だったね・・。ずっと、レコードや本、写真や映像で見ていたり、聞いていた世界が全てそこには存在していたからね。自分が求めていたものが全てそこにはあった。
初めてジャマイカに行った時にはBUNNY WAILERにも会えたんだ。でも、自分から「初めまして、自分はDAVID RODIGANと言います、ロンドンでレゲエのラジオ番組をやってます」と挨拶しても全く相手にされなくてね。結局、その翌日に改めて知り合いを通じて紹介してもらってBUNNY WAILERの取材はできたんだけど、最初はそんな感じだった。
BUNNY WAILERの話もしたから、BOB MARLEYの話もしよう。さっき話した最初のラジオ番組、1978年のBBC RADIO LONDONの話だけど、ロンドンでBOB MARLEYに会ったんだ。BOB MARLEYだぜ・・、78年のBOB MARLEYだぜ・・、そりゃ会った時に「BOB MARLEYだ!!」ってなるのはわかるよね?! それも全くの偶然で会えたんだ。
たまたまロンドンのISLAND RECORDSのオフィスを訪ねた時だったんだ。BOB MARLEYはちょうどアフリカのジンバブエで開催された独立記念公演の帰りにロンドンに立ち寄っていたんだ。そのことは誰にも知らされてないから、階段の上からBOB MARLEYが下りて来た時にはビックリしたよ。しかも、FAMILYMAN(ASTON “FAMILYMAN” BARRETT / THE WAILERSのメンバー / ベーシスト)も一緒だった。他にもTHE WAILERSのメンバーはいたと思う。
その時もBUNNY WAILERの時と同じように「初めまして、自分はDAVID RODIGANと言います、ロンドンでレゲエのラジオ番組をやってます」と挨拶したんだ。「明日自分の番組があります、ゲストに出演してくれませんか?」ってね。そうしたら、BOB MARLEYは曲を聴かせてくれたんだ。
●どの曲を聴かせてくれたんですか?
DR:待ってくれ。その前にまだ話したいことがある。BOB MARLEYは自分の問いに「そうか」といった様子だった。そのまま「新曲を聴くかい?」と言うから、「勿論です」と答えると上の階の部屋に自分を招き入れてくれたんだ。そして、BOB MARLEYが自分でテープのスイッチを押して曲を聴かせてくれたんだ。その曲を自分に聴かせながら「この曲のミックスはどっちに向いてると思う?」と聞くんだ、「AM局向けか?、FM局向けか?」ってね。それで自分は答えたんだ、「FM局向けだと思います」ってね。そうしたら、BOB MARLEYはその曲が入ったテープを自分に渡してくれたんだ。それで自分はその曲を世界で最初に自分の番組で流したんだ・・。
ドゥドゥンドゥン、ドゥドゥドット、ドゥンドゥンドゥン、ドゥドゥンドゥン、ドゥドゥドット、ドゥンドゥン・・、「Could You Be Loved」さ(小声で)。
その時にBOB MARLEYはインタヴューも録らせてくれた。世界先行で「Could You Be Loved」を自分のラジオ番組でプレーさせてもらったこと、BOB MARLEYのインタヴューも放送させてもらったことは、これまでの自分のキャリアの中でもハイライトの一つだね、間違いなく。
あとハイライトと言えば、AUGUSTUS PABLOの話もしたい。1984年、85年かもしれないが、自分はジャマイカでBARRY-G(ジャマイカを代表するラジオDJ)とサウンド・クラッシュをしたんだ。そう、それ自体がハイライトだけど、その時のAUGUSTUS PABLOが自分のためにしてくれたことは特に忘れらない。
そのクラッシュではレコードやダブ・プレート以外にもアーティストも参加させてよかったんだ。でも、自分は事前にAUGUSTUS PABLOには何も依頼とかはしていなかった。わかると思うけど、そういうタイプのアーティストでもないと思っていたし、KING TUBBYのスタジオで一緒になった経験はあってもAUGUSTUS PABLOとはそれぐらいの関係でしかなかったし。
会場は海辺だった。クラッシュしていたら、その途中で突然AUGUSTUS PABLOがやって来たんだ。自分がプレーしている時に、メロディカを手にして、ブースの中にやって来たんだ。だから「おいおい、何してるんだ?」と聞いたんだ。そうしたらPABLOはそのまま自分のプレーしたREAL ROCKのリディムに合わせてメロディカを吹き出したんだ。それで会場は大盛り上がりだよ。その時はもう自分でも何が起きているのかよくわからなかったよ。
あぁ、いいかい、止めてくれ。一晩中話し続けてしまいそうだ。君が話を止めてくれないとずっとこうやって話し続けるからいつでも止めてくれ。時間ももうないだろう。少し急ごう。今度は君の番だ。
●SKAを通じてジャマイカの音楽に出会い、魅了されたことは理解しました。ただ、ご自身はロンドンに移ってから現在までずっとロンドンで暮らしています。ロンドンと言えば、それこそ70年代にPUNKロック・ムーヴメントもそうですけど、ROCKや様々なジャンルの音楽の発火点でもあると思っています。JUNGLE、DRUM&BASS、最近でもGRIMEとか常に新しかったり、刺激的な音楽が生まれる街だとも思っています。その中に居て、ジャマイカの音楽以外の音楽に興味や関心が移ることはなかったのですか?
DR:ずっとジャマイカの音楽以外の音楽も聴いて来たし、現在も聴いてるし、たくさんの刺激を受け続けて来ているよ。最初にも話した通り、僕はジャマイカの音楽と出会う以前から音楽ファンだからね。あと、最初に話した「OUTLOOK ORCHESTRA」の「OUTLOOK」も知っての通り、もともとは存在するフェスティヴァルの名前で、そこにはDRUM & BASSとか所謂BASS MUSICがメインとなっているフェスティヴァルなんだけど、自分は何度も出演していて、そこではストレートにジャマイカの音楽をプレイすることもあるけど、ジャマイカの音源をDRUM&BASSとかにリミックスしてプレーしたりもしているんだ。DRUM&BASSはレゲエから生まれた音楽だしね。そうした全ての音楽、新しい音楽への興味は尽きない。ただ、その中で自分が好むものとそうではないものが存在するのはそれは仕方ないとは思う。
●ご自身はジャマイカ人ではありません。言うまでもなくレゲエはジャマイカの人達が作った音楽ですし、主に「黒人」とされる人達が作った音楽です。その中には「黒人による黒人のための歌」と取れる歌詞の曲や、あるいは黒人以外の人種がその批判や非難の対象となっている歌詞の曲も存在していると思います。そうした曲に触れる際は、それをどう捉えてきましたか?
DR:その通りだね。僕はジャマイカ人ではない、君もね。僕も君もロックス(ドレッド)ではない。
歌詞の話をしよう。まず最初に言いたいのは音楽は「UNIVERSAL LANGUAGE=世界共通の言語)であるということだ。どこの国で生まれた音楽であっても、それは世界の人達を結びつけるものなんだ。ジャマイカで生まれたレゲエのビートは、世界中の人達を結びつけているんだ。自分もそう、MIGHTY CROWNもそう、今ここで君と話しているのも、MR.ECと会っているのもレゲエを通じて結びつけられているんだ。
その上で歌詞の話だ。音楽はどこの国で歌われていても、その歌われていることには他の国の人達も含まれるんだ。黒人が歌うことは白人にも当てはまるだろうし、ジャマイカのラスタファリアンの歌うことはきっとオーストラリアの原住民のアボリジニにも当てはまるだろうし、何人であれ、人が歌うことは自分自身にも当てはまることはあるんだ。仮に自分が誰かの批判の対象となるのなら、それを通じて自分の置かれている状況と、相手の置かれている状況を知り得る機会となるんだ。そうした理解を深め合うことが互いを結びつけることにつながるんだ。
つまりね、確かにレゲエはジャマイカで生まれた音楽で、もともとはジャマイカの人達に向けて作られた音楽だったかもしれない、でも、そのレゲエが特に素晴らしいのは、そのビートは勿論だけど、そのメッセージは世界中のどこの国でも、どの地域でも、どんな人種でも関係なく、自分達のことを歌っている音楽として受け入れられることで、それを通じて自分達のことだけではなく、違う国や地域や人種の人達との理解にもつなげられるということなんだ。音楽が世界の人達を結びつける素晴らしいものなのは言うまでもないと思うけど、その中でもレゲエは特に世界の人々を結びつける素晴らしい音楽なんだ。
なぜ僕がそんなにレゲエに惹かれているのか、なぜ他の音楽よりもずっとレゲエなのか、もし、君がそうしたことを僕に質問したいんだとすれば、それが僕からの回答になると思うよ。
BURNING SPEAR『MARCUS GARVEY』、BOB MARLEY & THE WAILERS『CATCH A FIRE』、あと、JOE GIBBSがCULTUREと最初に作ったアルバム(『TWO SEVENS CLASH』)もそれに含めよう・・、これらのジャマイカのルーツ、そしてカルチャーを伝えたアルバムは聴く者を限定していない。自分は『MARCUS GARVEY』を聴いて、マーカス・ガーヴィーというジャマイカの黒人民族主義の指導者がいたことを知り、ジャマイカにどうやって黒人が連れて来られたのかを学ぶことになり、そこからさらにジャマイカの歴史を学ぶことになった。そしてセラシアイ(ハイレ・セラシエ皇帝)の存在や、彼らがセラシアイを「JAH」と信奉する理由も学んで、どうしてこうした曲を歌うのかも理解していった。そうした行動を通じて理解を深めていった。
いや、ちょっと待ってた。もっと、ストレートに君の質問に答えることにしよう。
音楽、特にレゲエは、「HOPE=希望」のために歌われるものなんだ。
厳しい状況に置かれている人達、それが刑務所に居る人でも、食べる物に困っている人でも、そうではなくても精神的に抑圧されたりしている人でも、どこに暮らそうが、幾つであろうが、日本であろうが、ジャマイカであろうが、サンフランシスコであろうが、聴く人達に希望を与えるために存在しているんだ。決して一部の人種や国民の中だけの音楽ではないんだ、それが音楽の本当の力と美しさなんだ。それをレゲエは確かに兼ね備えている。
そして、もし・・、もし、そのことをレゲエから感じられないとしたら、それはその人には「SOUL=魂」が宿っていないということなんだ・・。僕はそう思っているよ。
●時間です。最後に聞かせてください。ずっとレゲエの歴史、変遷を見続けてきたと思います。その上で現在のレゲエをどう感じていますか??
DR:本質的には変わらないと思うね。ドラムとベース・・、ワン・ドロップ・・、メッセージ・・、そうしたレゲエの基礎になっている音楽的な部分は現在もずっと変わらずに存在し続けていると思う。
若いアーティスト達、CHRONIXX、PROTOJE・・、彼らの音楽にはそれを受け継いでいる部分を確認できるし、それゆえに大きな成功を収めていると思うし、それによってさらに世界に広めていることにもつながっていると思う。それとは別に新たなことを取り入れているアーティスト達も存在して、POPCAAN、あと、誰だっけ?、なんか目がこんな感じの・・、そうそうALKALINE。彼らはダンスホール・アーティストで、HIPHOPとか様々な要素を取り入れて変化させ続けている。ただ、ダンスホールは常にそうやって新しい要素を取り入れながら変化していく音楽で、これまでもずっとそうやって変わり続けてきたことなので、そういう意味でも変わりはないと思う。色々と変化する中で、それを好むか好まないかは聴き手次第かもしれない。だが、そうやって現在も若いアーティスト達が登場して、変化させ続けていることは良いことだと思うよ。CHRONIXXもPOPCAANもどちらもロンドンの公演では1万人も動員した。それは凄いことだよ。それはレゲエとダンスホールが現在も広がり続けていること、新しいファン層を獲得し続けていることを表していると思うよ。
あと、SKA、ROCKSTEADYも変わらずに存在していて、現在では世界各国でSKAバンド、ROCKSTEADYバンドが存在している。中には親がジャマイカ人だったりとか、ジャマイカ人が含まれている場合もあるけど、ジャマイカ人ではない場合も多い、日本にもたくさんいるだろう? それはそれだけその音楽が現在も新鮮で、現在も求められ続けていることを表していると思う。それは最初のアルバート・ホールの公演の話にも通じるけど。
まぁ、でも、若いアーティスト達が次々と登場してくるのもジャマイカの音楽の変わらない魅力だと思う。僕は現在でも若いアーティストの新しい音楽を聴いている。現在の自分がその全ての魅力を理解できているかどうかはわからないけどね。若いアーティスト達は彼らの感性で若い人達に向けて曲を作っているし、それがいいことなんだけど、僕ももう68歳だからね、それを自分が正しく理解できているのかはわからない。でもね、その68歳になる自分が刺激を受けるアーティストや曲は確かに今でもたくさん存在しているのは事実だ、最近ならKOFFEE、あと、SEVENA・・、他にもいるね。そうやって、新しいアーティスト達、新しい音楽に触れていることが自分の若さの理由だとも思うんだ。音楽が自分を若くいさせてくれると思うんだ。
昨晩もそうだった。COJIE(MIGHTY CROWN〕のプレーを聴いていたら、「誰の曲なんだ?」「初めて聴いたぞ」と惹きつけられた曲が何曲かあったんだけど、そうやって、知らないことを知りたくなる欲求と言うのかな、自分がこの歳になっても新しく知ること、それと出会うことが楽しくて仕方ないんだ。音楽はずっとそうした刺激を与えてくれる。音楽には年齢は関係ないよ。全くね。それは本当にそう思っているよ。