CULTURE

David Katz

 
   

Text, Interview: 森本幸代
Photos: Adrian Thomas (白黒写真)、David Katz(カッツ氏とペリー氏の写真)、
Bernard Warin (Black Ark)

2013年10月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

1950年代以降のジャマイカ音楽は、主流がメントからスカ、ロックステディ、レゲエ、ダブ、ダンスホールに変わりつつも、常にいろんなスタイルとメッセージが共存する中で進化している。同時に世界中に広がり、世界各地でかたちを変えながら発展しているのもジャマイカ音楽だ。そんなジャマイカ音楽の“たしかな土台(ソリッド・ファウンデーション)”とは何だろう。
 先日、日本語版追加原稿を加えて、ジャマイカ音楽の歴史をまとめた翻訳本『ソリッド・ファウンデーション:語り継がれるジャマイカ音楽の歴史』が発売された。著者のデイヴィッド・カッツ氏はイギリスに活動拠点を置く音楽ジャーナリストで、すでに日本でも出版されているリー・ペリーの伝記『ピープル・ファニー・ボーイ』の著者としても有名である。いつもジャマイカ音楽の現場を追って世界中を飛び回る彼を、そこまでかき立てるジャマイカ音楽とは、どんな魅力を持っているのか。それを探るために、『ソリッド・ファウンデーション』と『ピープル・ファニー・ボーイ』の日本語版翻訳者である私が依頼を受け、キングストンからSkypeを使ってロンドンの彼に話を聞いてみた。

●まずはジャマイカ音楽にハマったきっかけを教えてください。『ピープル・ファニー・ボーイ』の序章とかに書かれていますけど、その時どう感じたかは書かれていませんよね?

デイヴィッド・カッツ(以下D):たしかに。(笑) ぼくはサンフランシスコの北部にある、ラジオ局が一つしかない小さな町で生まれ育ったんだけど、その唯一のラジオ局KTIMが、毎週土曜の夜10時から夜中の1時まで「ミッドナイト・ドレッド」っていうハードコアなレゲエ番組を放送してたんだ。その番組のディスクジョッキー、ダウグ・ウェントはよくジャマイカに行ってて、ジャマイカからゲストを呼んだり、ダブ・ポエットを出演させたり、「ダブ・ポエトリーとは何か」とか「ナイヤビンギとは何か」っていう説明をしてた。ウェイリング・ソウルズのアルバム「ファイヤー・ハウス・ロック」が出た時も、ウェイリング・ソウルズがその番組に来て、「キングダム・ライズ・キングダム・フォール」とかをアカペラで歌ってたよ。つまりディスクジョッキーのダウグは、レゲエの親善大使みたいなものだったんだ。それまでも姉さんが持ってるボブ・マーリーのアルバムを聞いたりしてたけど、レゲエにハマったのは、その番組がきっかけ。とりつかれたように毎週聞いてたね。あと二本立てで上映してた映画の『ハーダー・ゼイ・カム』と『ロッカーズ』、本の『レゲエ・ブロッドラインズ』にも影響を受けた。まったく別の新しい文化に入っていく、そんな感じの経験だったよ。それから1982年にジャック・ルビーのサウンド・システムがカリフォルニアに来た。もう完全にブッ飛んだね。あんな経験はしたことがなかった。それから1983年、初めてロンドンに行った時、ものすごく大きなジャマイカ人コミュニティがいくつもあって、すごく活気があることを知ったんだ。アスワドやヴィン・ゴードンがいて、さらにもっとサウンド・システムのダンスを体験して、いつもレゲエを流してるDBCとかの海賊放送局がたくさんあった。スタジオ・ワンのオリジナル・ヴァージョンの曲や、ジョー・ギブスやジョンジョ・ロウズの曲もたくさん聞いて、ロンドンで学んだことは多かったよ。それから数ヵ月後にサンフランシスコに戻って大学で勉強を始めたんだけど、近くにオークランドっていう町があって、そこに小さなジャマイカ人コミュニティがあることを知った。『レゲエ・カレンダー』っていう新聞みたいなものが発行されてて、毎日どの時間にどのラジオ局でレゲエが聞けるか書いてあったから、それからは毎日レゲエを聞くようになったよ。ロンドンの方が圧倒的にジャマイカ人の数が多いのに、ほとんど海賊放送局でしかレゲエを聞けない。逆にカリフォルニアではジャマイカ人の数が少ないのに、正規のラジオ局でレゲエが聞けるんだから面白いなぁと思った。それから大学の英文学科を卒業した1987年に、ロンドンでリー・ペリーに会ったんだ。それまでもぼくはアメリカの雑誌でレゲエに関する記事を書いてて、そのインタヴューのためにペリーに会ったんだけど、インタヴューなんかぜんぜんできずに、わけのわからない“儀式”に参加させられた上で“ゴーストライター”に任命されたんだ。それで今のぼくがあるってわけ。(笑)

●で、最初にジャマイカ音楽を聞いた時の印象は?

D:想像してくれよ。ぼくは14歳で、昼間ラジオをつけても、ふつうの音楽しか流れてない。でも「ミッドナイト・ドレッド」で、ジュニア・マーヴィンの「ポリス・アンド・シーヴス」を聞いた。「わぁ、変わってる曲だな」と思ったよ。それ以前でも、ぼくの姉さんや姉さんのルームメートが、ボブ・マーリーの「ラスタマン・ヴァイブレーション」や「アップライジング」のアルバムを持ってて、なんかすごいなぁとは思ってたんだけど。。。

●「すごい?」 それはなんで?

D:なんで? 。。。言葉の使い方や、ベースの目立ち方とか。歌詞にもことわざとかを使っていて、ちょっと考えないといけないから。たとえば〔ボブ・マーリーの「ソー・メニー・ティングス・トゥ・セイ」の中に出てくる歌詞〕「雨が降る時は、みんなの上に降る」とか、どういう意味か考えないといけないだろ? それで考えた末に、「人に起きることはじぶんにも起こりうる」って意味がわかって、もっと知ると、それが西アフリカからきたことわざだってことが分かる。つまり、そのことわざは奴隷制を経てジャマイカで受け継がれてるってことなんだ。でもこういうことは、よく曲を聞いてないと気づかない。そういうのがすごいって思った。あと「ミッドナイト・ドレッド」でコクソン・ドッドのダブ・アルバム「ジュックス・コーポレーション・パート2」がかかった時。。。

●そのアルバム、聞いたことないです。

D:すごいレアなレコードだよ。何年か前に再発されたけどね。その中に『ホーリー・マウント・ザイオン』っていうすごい曲があったんだ。パーカッションが無茶苦茶強調されてるナイヤビンギ調の曲で、ラスタが意味不明のパトワで喋ってるんだ。「アイリー、アイリー、M$$^&QQH」って。(笑) ものすごいエコーがかかっててね。想像してみてよ、感受性の強い10代の子どもがそんなものを聞いた衝撃を! 「これは一体何なんだ??!!」って感じだった。無茶苦茶ブッ飛んでて、それまでの常識をすべてくつがえしたね。と同時に「こりゃすごい!!」とも思った。その頃その番組でマックス・ロメオのアルバム「リヴェレイション・タイム」も聞いた。そのアルバムの「ブロッド・オヴ・ザ・プロフェット」っていう曲は、すごく長い曲だ。歌詞はいろんなイメージで構成されてて意味深だった。「これはどういうことを歌ってるんだろう」ってとても考えさせられたよ。それからロンドンに行って、いろんなサウンド・システムを体験して、サンフランシスコの家の近所にあるレコード屋で初めてダブ・アルバムを買った。たしかジョー・ギブスの「アフリカン・ダブ・チャプター4」で3ドルぐらいだったと思う。その頃ダブの方が原曲より手に入りやすくて、ぼくとルームメイトはダブにハマった。先にダブ・ヴァージョンを聞いて、それから原曲を聞くんだ。それもすごいと思った。ある日そのレコード屋に行ったら、ジャケットに大きな猿人の絵が描かれてあるレコードが置いてあった。表にシールが貼ってあるみたいだったけど、実際はシールじゃなくて、シールに見せかけた絵の一部だった。それをよく見たら、「ダブ・ダブしてもっと黒くなれ!」って書いてあるんだ。(笑) ぼくと友達は、「これは一体何なんだ?!!」って度肝を抜かれたよ。猿人の腹に矢印が描いてあってさ。それがリー・ペリーのアルバム「スーパー・エイプ」だったわけ。そういう風に、ジャマイカの音楽は知れば知るほどいろんな方向に広がっていったし、知れば知るほど魅了されていった。その同じレコード屋の店主が大学ラジオか何かでスカをかけてて、その時初めてスカも聞いた。サックスのソロが素晴らしくて、ローランド・アルフォンソとトミー・マクックのコンビネーションもすごかった。あんなにすごいホーンの演奏は聞いたことがなくて、ビックバンド・スカ・オーケストラの持つヴァイブスに魅せられたよ。それもジャマイカ音楽の持つ別の顔。あとジャマイカの言葉(パトワ)が持つ、絵が目の前に浮かぶ感じ。そういう風に、ジャマイカ音楽の持ついろんな面に魅せられていったんだ。

●カッツさんが『ソリッド・ファウンデーション』を執筆されたきっかけは何だったんでしょう。

D:リー・ペリーの伝記『ピープル・ファニー・ボーイ』を書くために、10年以上かけてすごくたくさんの人にインタヴューしたんだ。でもペリーに関すること以外の部分はその本では使えなかったから、それをなんとか生かしたいと思ったんだ。既に亡くなってしまった人の話もあるし、ほんとうならもっと注目されてしかるべき人の話、たとえばジャッキー・ジャクソンやヒュー・マルコムとかのリアルな声を伝えたいと思ったんだ。そして、その時代にその音楽に直接関わった人の言葉を、できるだけそのままのかたちで伝えたいと思ったからインタヴューを中心に本を構成した。その時代に、その音楽に直接立ち会っていないぼくがいろいろ書くよりも、その方がずっといいと思ったからね。

●『ソリッド・ファウンデーション』の日本版が出来上がって、今どういう思いですか?

D:こうして2003年に出版された『ソリッド・ファウンデーション』に訂正を加えたり、スレンテン以降の章を2章(第13章・14章)も追加できたのは、ほんとうに良かった。その追加章を書き終えたあとでさえもジャマイカ音楽は日々変化していて、また新たな追加が必要だけどね。特にヴァイブス・カーテルはずいぶん変わって、もう別人だ。(笑)

●たしかに。(笑) しかしガザ※ 人気は長いですね。
※「ガザ」とは、ヴァイブス・カーテルと、彼が育てていたアーティスト、そのファン/支持者、それにまつわるスタイルのこと。醒めた目で現実を認識し、シュールな世界観と表現方法が特徴。

D:でもいろんな流れが、常に共存してるのがジャマイカ音楽だからね。『ソリッド・ファウンデーション』の最後の方でも書いたけど、今ジャマイカ音楽は岐路に立っていると思う。主流を占めてるのは、虚無主義者的なものだったり、とにかくパーティ気分を楽しむためのもの、異常に性を強調した音楽。でも同時に、バンドで構成された、すごく立体的な音楽を作ってる人もいる。ターラス・ライリーやローメイン・バーゴみたいなアーティストもいるし、ディーン・フレイザーやシェーン・ブラウン、ストーン・ラヴのローリーみたいな、アーティストを育てるタイプのプロデューサーもいる。レイジング・ファイヤーやルーツ・アンダーグラウンドみたいなバンドがいれば、ジビー&ダブメタルみたいなバンドもいる。80年代初頭ぐらいまでは、レコード会社やメジャーなレーベルがある程度音楽の方向性を決めていたけど、今はプロデューサーがじぶんの好きなように音楽を作れる環境になっているから、ジャマイカの音楽は特に多様化してると思う。でもメントの時代から、常にいろんなスタイルとメッセージが共存してるのがジャマイカの音楽。と同時に、その時々で主流を占めてるスタイルやメッセージは、やっぱりジャマイカの社会・政治的な空気を反映していると思う。

●これからジャマイカ音楽はどこに行くんでしょうね。

D:これはジャマイカ音楽だけじゃなくて、世界のポピュラー音楽全般に関して言えることだけど、当初コンピューター技術はいろんな制限から人を解放し、刺激し、インスピレーションの源になって人を魅了していた。それまで不可能だったことを可能にしたのが電子技術で、その結果として生まれるものはとても興味深いものが多かった。でもいつの間にか、その電子技術が新たな制限を生み出すようにもなった。誰でも簡単に電子技術を手に入れられるようになったから、安っぽいものになったんだ。たとえば、昔は音楽を作るためにはある程度の技術が必要で、スタジオに行って、ある程度のお金をかけないと音楽が作れなかった。だからある程度のクオリティーがないと、そこではじかれていた。でも今はまったく技術がなくても、スタジオに行かなくても、パソコン1台さえあれば、誰にでも音楽が作れる。音楽を作る敷居が低くなったんだから、それはある意味解放的ではあるけれど、スタンダードがなくなったという意味では問題も含んでいる。すべての物作りにはスタンダードが必要だからね。だから安く手に入るようになった技術で、そこから生まれるものが安っぽくなっているとは思う。これはジャマイカ音楽に限ったことではなくて、世界のポピュラー音楽全般、本を出版することとか、すべてにおいて言えることだけど。

●カッツさんの考える、ジャマイカ音楽の魅力とは何でしょう。

D:それは、常にいろんな意味ですべてのルールを破り続けているところだね。

●たしかに。(笑)
2月には世界レゲエ会議でジャマイカに来られるようですが、何か発表をされるんでしょうか。

D:今回はレゲエ・アーティストやヨーロッパのレゲエ関係者を集めたパネル・ディスカッションで、パネリストをつとめるんだ。今ジャマイカ音楽が置かれている状況や、ジャマイカ音楽の持つ影響力、ジャマイカ社会と政治・音楽の関係を話し合うことになっている。英語版『ソリッド・ファウンデーション』の出版記念イベントもやる予定だよ。

『ソリッド・ファウンデーション』
http://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK033