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アナーキー

 
   

Interview by riddimonline

2014年9月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

 avexに移籍、メジャーデビュー・アルバム『NEW YANKEE』と共に全国ツアー中のラッパー、ANARCHY(アナーキー)。現在、主役を務め、日本人ミュージシャンにアメリカ人監督が迫った作品としても貴重なドキュメンタリー映画、“DANCHI NO YUME”が出身の京都で公開中。作品は、東京では渋谷UPLINKで当初2週間の限定上映だったところ満席が続き、結果約1ヶ月半で一旦終了、12月の再上映が決まっている。
 『NEW YANKEE』に至るまで、フリーダウンロード1枚を含む4枚のアルバムをR-RATEDから投下し、確固たる礎と評価を築いてきたアナーキー。遡れば2006年、インディペンデントでのデビュー当初から実話ナックルズの表紙を飾り、週刊SPA!やプレイボーイグラビアに顔を出し、現在ネット上では約倍の値段で取引きされている自伝「痛みの作文」(ポプラ社)を出版するなど、ラッパーとして常に異例の注目を集めてきた。
 アナーキーの存在と言葉が人、社会を惹きつける核にあるのは何か。
 11月には東京、京都以外で初、福島県は福島市での3夜限定“DANCHI NO YUME”上映(7、8、13日)と、それに続くライブ(14日/club NEO)決定のタイミングで、話を聞いた。

●ついさっき沖縄から帰ってきたとのこと。

アナーキー(以下、ア) ライブで4日間、初めて那覇以外で石垣と座間味、本島入れて3つの島に行って。座間味にはコンビニも信号もないんでライブはなかったですが、石垣ではやりました。

●ライブで忙しい?

ア:日本中をまわるのは結構ずっと続けてるんですが、アルバムが出た後ってこともあって、目下ツアー中です。

●福島が“原発”とすると、沖縄は“基地”という問題を抱えている場所です。それを現地で垣間みたり、会話に出てきたり、そういうことは?

ア:いつものほうがそういうこと聞く気がして。今回は飛行機代が半分くらいになって観光客が増えて潤ってるとか、逆に良い話がいっぱいありました。石垣にも欧米人むっちゃいました。

●沖縄での反応はどうですか?

ア:那覇は何回か行って、パ−ティー・ピーポーも多いし普通に人も集まるんですが、石垣は、「実際オレのこと知ってるのいるのかな?」という感覚で行きました。特に大きなハコでやったわけじゃないけど、聴いてくれてる子もいて、「ああ、いんのや」って。

●言葉が届いている感覚、手応えは?

ア:ありました。環境は違えど、色んな問題抱えて、僕の歌ってることに自分を置き換えて聴いてくれたりしてるかな、と。

●自分の生い立ち、団地での生活から生まれた言葉をラップしていて、それが他の地域でどう共感を呼ぶのか、伝わるのか。

ア:今までは団地の奴らとか、「オレらみたいな環境で育った子とかに届けばいいな」ってつくってたんですが、今の意識ではそこだけじゃなく、もっと広い部分。例えば沖縄でそういう問題抱えている人とか、福島で結構逆境に立たされている人とかもいるじゃないですか。「もっと広い人たちに届ける曲をつくりたい」と思って、つくってます。昔と違うところはそこかもしれないです。

●もともとの地元についての曲でも、「ここが特に響いている」と感じる部分はありますか?

ア:ライブを観たらわかってくれるんじゃないかなって。言葉も大事ですが、“バイブス”じゃないですか。「ちょっとでも熱くさせられたらな」って。細かく、「どの言葉で」ってことはわからないんですが。

●恥ずかしくて自分で映画を観てないと聞きました。

ア:一度上映場所には行ったんですが、そこでは観れなかったです。でも後でDVDで一回観ました。

●アメリカ人の監督による「DANCHI NO YUME」ができたということは、国内のみならず、国外でも共感できる何かがあるからだと思います。皆、何に引き寄せられるのか、当事者として感じる部分は?

ア:今になったらできる部分あるっすね。あの当時は、映画になっていることが普通(の日常)だったじゃないですか。あの映画で描かれていることが世の中だと思ってたし、だから今、「そうか。ああいう環境で育ったのは、特別な部分もあったのかな」って。みんな、「現実じゃない」みたいにあの映画を観てるけど、自分にしてみれば普通過ぎて笑けるというか、「こんなん映画にしていいのかな?」みたいな感覚。だから、ちょっと恥ずかしいくらい。でもあそこから来て、あれがルーツなので、それを見せて、もっと曲に深みが増したりもすると思います。

●「DANCHI NO YUME」撮影当時の、2枚目を出す頃と今を比べると、生まれ育った環境を俯瞰できる感覚がある?

ア:でも、まだ外からは見れてないかもしれないです。仲間もみんなあの街にいるし、「何かを変えられたか?」って言ったら全然変えられてない。

●とはいえ、日本人ミュージシャンをそれが誰にせよ、海外の映画監督が撮った実例はないかと思います。

ア:オレも、「何で撮りたいんかな?」と思ったすもん。だって、日本語わからんし、ホンマの意味でラップもわからんじゃないですか。

●アメリカと日本の逆転現象が起きる時期、フェーズに来たのかもしれません。そして実際に映画ができ、それが東京、京都、そして次は福島で上映されるというのも、世界から見れば意味深いことかと思います。

ア:福島は今もグチャグチャなままなところあるんですよね。

●原発近くには警戒区域があるし、放射能の問題もあって、津波被害が今も放置されているところがあります。

ア:放射能があるってわかってて、皆さんそのまま住むことを選んでるんですよね。今は平気でも、後々色んなことが出てきたりして、しかもそれが差別になったりするって聞きます。そこでできることが何なのか、オレ、わからないんです。

●そういうことも突き詰めていくと、別のインタビューで仰っていた、「若者が投票に行かないといけない」というところに繋がっていくのかもしれません。

ア:まず、本当のことをちゃんと教えてあげて欲しいです。反原発運動の人なんかも言ってる、「ホンマのこと教えろ」って。でも国としては、それをやったらおかしくなってしまうんですよね。

●そういった社会的な意識、発言は、以前はなかったものですよね?

ア:オレらも含めて、若い奴は「大人で決めてる」、「そんなんちゃうやろ」とか、文句言ってることが多いじゃないですか。それが、「オレらが参加してないから勝手に上で決まるだけなんじゃないか」という考え方になってきて、オレらが色々言うようになって、それで若い連中が全員言うようになったら、それは聞かないと収まらなくなるわけじゃないですか。例えばそれは、デリ君がやってることもその一つだと思うし、一人一人がその気持ちになればもっとデカくなるし、どんだけ頑固なおっさんが上にいたとしても、そのパワーの方が絶対デカいじゃないですか。

●民主主義は多数決で、だとすれば、数では負けない。

ア:実際めっちゃ賢い大人が言ってることより、こんなアホなオレが言ってることの方が正しいこともいっぱいあると思うんですよ。でも、耳を貸さないわけじゃないですか。だったら「文句を言ってるだけよりは、参加した方がいいんちゃうかな」って。しかも、そういうことをラッパーが言ったらいいと思ったんです。それが一つの立候補じゃないけど、若い奴も、誰かわからんおっさんが言うよりオレが言った方が、「あ、そうやな」と思ってくれるやつもいるわけで。そういう歳にきたのかな。

●定番的な“avex移籍=セルアウト”という批判に加え、“社会的なことを言い出したアナーキー”に「変わった」とか、「いい子ちゃんになった」と言われることはある?

ア:陰で言われてるのかもしれないですけど、別に言われてもいいです。でも、それを「ダサい」と思う時点で、その考え方がおかしいと思う。「セルアウト」とか、言いたいだけでしょ(笑)。みんな売るために頑張ってるし、そのためだけにやってるわけじゃないけど、だから、何て言われても気にならないです。

●さっき、11月の松戸市議選に出るデリ君の名前が出ました。

ア:正直、デリ君がやろうとしてることもはじめわかんなかったんです。色々「協力してくれ」とか言われて、「デリ君がやることやし、協力したいな」とは思ってたんですが、選挙に出て何をしようとしてるのかわからなくて。それでずっと考えて、「ラップとかたちが違うだけで、同じことをやってるんかな?」みたいな。あとは、「そういう人がいないと」という気分にどんどんなってきて、「誰かがやらないと」って。

●気付いた人から。

ア:簡単に言えば、「勝手に決められたくない」って思ったってことですね。オレらも決めたい。

●自分たちで選ぶ、掴みとるというところに、日本全体はもちろん、それこそ福島がそうなると、他にはない説得力があります。

ア:難しいことは言えないんですけど、元気になってくれたりとか、「おっしゃ、やろう」とか、熱くなってくれたらいいなという気持ちです。正直、「福島の人たちに何を言えばいいんだろう」と思う部分もあって、だからオレはただ、全力でライブをやることしかできないかもしれない。ライブまでに言いたいことができたら何かメッセージを伝えるかもしれないですが、もちろん、「頑張れよ」と言うとは思うんですけど、そんなんも他人事じゃないですか。

●アナーキーさんを「おっしゃ、やろう」とさせたのは、少年院に入っていた時にテレビで観たジブラさんでした。あれには特に、「あの言葉が」とか、ありますか?

ア:少年院で、「Hey!Hey!Hey!」観てたらジブラが出てきました。それだけです。

●昨日、NASやPUBLIC ENEMYの来日ライブがありました。タイプは違うかもしれないですが、NASがマイク一本で登りつめた感じに、アナーキーさんの姿が重なる部分ありました。

ア:あんまり意識はしてないです。僕は、その時にやりたいことをやりたい。NASのことは一番好きやったし、全然影響されたし、でも僕がそれをすることはできません。今、昔より「自分は自分」という気持ちがデカいですね。日本人でも、「あんなラッパーになりたい」というのも、もうなくなった。昔なら「マッチョみたいに」、「ジブラみたいに」と思ってたんは、もうなくなったっす。

●自然に消えた?

ア:いつ頃からか、「自分は自分」と思うようになりました。たぶん2枚目、3枚目の頃から、そう思ってたと思う。

●アメリカからヒップホップが日本に伝わり、根付く過程で、ジブラさん世代とアナーキーさんがラップを始める背景は大きく変わったと思います。

ア:これはディスじゃなくて、昔、団地でみんなで集まってラップしながら、「オレらの方がヒップホップじゃん」って思ったことはあったっす。でも、あの人たちがヒップホップをディグって持ってきて、根付かせてくれたおかげで、オレたちがいます。だから、オレたちの子どもはもっとヒップホップになるはずですよね。だってオレらの親はヒップホップを聴いてなかったから。

●アルバム『NEW YANKEE』はメジャー・デビューですが、フリーダウンロードのものも含めると計5枚目です。アルバムそれぞれの、ご自分にとっての意味付け、役割を説明願えますか?

ア:1枚目は、マジ何も考えてなかったのがあの荒さだったと思うし、どんなアルバムになるかイメージもできてなかったし、溜まってたものを詰め込んだ感じでした。2枚目『Dream and Drama』をつくる時は、「“ヒップホップ”より“アナーキー”という音楽をつくりたい」という気持ちでした。「音楽家として認めて欲しい」って気持ちがデカかったっす。コンセプト・アルバムにしたくて、トラック・メイカーもあまり使わず、一つの作品として初めてできたのが2枚目ですね。3枚目は、ちょっと2枚目の延長みたいなところもあったっす。

●それは気持ち的なものの延長として?

ア:MURO君とやった3枚目は、2枚目に続いてコンセプト・アルバムにはまってた部分があったかもしれません。それは、「1枚のアルバムで一つの作品」みたいな。

●そして4枚目はフリーでダウンロード。

ア:あれは、振り幅を広げたかったし、「ラップというもの」が面白くなった時期でした。「自分のカラーがもう少し出せるんじゃないか」って気持ちになった時で、当時2ヶ月くらいアメリカに行ったのが大きかった。アメリカではアルバムをつくるつもりで2曲しかできなかったんですが(笑)、京都の向島で「ここにあるのがヒップホップだ」と思ってたのが、広くなった。「音楽、もっと自由に楽しんでもいいんちゃうかな」って気分で、それまでは「どうメッセージ詰め込むか」、「どうやったら届くか」ばかり考えてたけど、「聞き流せる音楽があってもいい」って思ったり。

●そしてメジャー・デビューに至り、改めて意気込んだ部分もあるのか、リラックスして臨めたのか。

ア:初めて自分のこと知る人もいると思うし、「色んなことをしたい」と思って、チャレンジでもありました。「ヒップホップを聴く人じゃない人にも届けたい」ということは考えてつくりました。

●お父さんのラッキーさんは現役ロッカーで、生きる「格好いい」姿勢を学んだと著書「痛みの作文」にあります。それとは別に、ミュージシャンのもとで育てられ、幼少期から染み付いた、ある意味英才教育を受けた感覚はありますか?

ア:絶対あると思います。それは、今になって余計に思います。だから子どもの頃から迷いがなかったし、「たぶん音楽やるんやろうな」と思っていました。何の音楽かわからなかったですけど。

●楽器をやっていたことはあるんですか?

ア:ないです。

●でも、「音楽をやるんだろうな」と思っていた。

ア:やっぱ、おとんがステージでライブやってるのを見たりして、子供心ながらに「格好いい」と思ってたんでしょうね。

●小さな頃、ライブハウスの爆音鳴るスピーカーの上に乗せられていたと聞きました。

ア:そうですよ、ホンマに。(赤ちゃんを抱える仕草で)こんな状態の頃から連れて行かれてたんで。

●結果、武器としてペンと紙を選んだわけですが、そこに自分の力を発揮する十分な可能性があると思うか、まだまだ足りてないと感じるか。

ア:「もっとできる」とは思っています。それに、どんどん変わっていきたいし、成長していきたい。それを感じれへんようになったら、たぶんオレやめます。面白くないじゃないですか。

●ここまでの過程で他のラッパーへの憧れがなくなり、ではもっと生活面、例えば「いい車、いい家を手に入れて」、みたいなことは?

ア:もちろん。オレ、まだ何も手に入れてないですもん。あるのは、やっと、「ラッパーになれた」。だから、まだスタートに立っただけですね。

●それはいつ思ったことですか?

ア:最近です。

●そこは、すごく大きなことではないですか?

ア:気付いたら「あ、ラッパーになったな」って(笑)。それも、ふと思ったっすね。簡単に「オレ、ラッパーや」って言うのは、15歳からずっと言ってきてるし、でも今、これしかやってへんし、これでご飯食べてるし。同時に、仕事になってる部分もあるじゃないですか。だから、いつかはやりたい音楽だけできる時がくるのも目標やし、それは「お金持ちになる」とかよりもそう。お金持ちには自然になってると思うけど。

●ラップ、ヒップホップは社会的に、「ずいぶん認知されたな」と思う反面、「未だにこれか」と思うところも多々あります。さらに違うレベルでヒップホップを新たな層に広げるため、何が必要でしょう?

ア:「いい音楽」じゃないですか。オレらもいい音楽つくってるけど、「1000人が聴いて1000人がいい音楽と思う音楽をつくれてないだけ」じゃないですか。結局そういうことだと、オレは思ってます。

●それは例えば、小学生からお年寄りまで口ずさめるような、、

ア:それがポップとか云々じゃなくて、オレ、「いい音楽は売れる」と思うんですよ。三木道三の曲(「Lifetime Respect」)とか、めっちゃいい曲じゃないですか。で、めっちゃ売れたじゃないですか。「売れるでしょ、あれは」みたいな、それがヒップホップでも、「誰が聴いてもいい曲」。サザンとかでもあるじゃないですか。そんなもんがヒップホップから生まれたら一発で変わると思うんです。格好いいラッパーも、ラップが上手いやつもいっぱいいるけど、1000人が聴いて1000人が「ヤバい」って言う音楽は、まだ誰もつくれてないんじゃないですか。そういうのがいるっすよね。中にはあんねんけど、あっても今度は聴いてもらえないっていう。だから、メジャーでやるのも「きっかけ」。それで普段聴かへん人も聴くかもしれんし、そう思ってやってます。

●例えば大新聞の記事でヒップホップが説明される時、見出しに「下流リアルに」とありました。つまり格差社会になってきて、下の方の現実が切実になるほど、その中で音楽が強くなる、という文脈です。でも、じゃあ、みんなが幸せになったらヒップホップはなくなる音楽なのか?と。

ア:それは全部そうじゃないですか?「犯罪がなくなったら警察いらなくなる」みたいな。そんなことはないんです。全員が幸せになることなんてない。一生そういう、オレらみたいな「ハート・ミュージック」が必要なんですよね。音楽に助けを求めて、それに助けられる人がいっぱいいるじゃないですか。

●以前の日本は、「総中流社会」と言われてたこともあります。

ア:でも、以外と見えてないだけで、いるっすもんね。どの時代にもゲットーなやつらも、貧乏なやつらも。今やったら福島だって、考え方によってはどの街よりゲットーじゃないですか。放射能バーッとなって、街、滅茶苦茶になって、そこにも住んでる人がいる。そんなん、言ったらゲットーじゃないですか。

●そう捉えた場合、「京都のゲットーからアナーキーが生まれた」と考えると、今後福島からも力強い何かが生まれてくる?

ア:そう思います。

●「ハート・ミュージック」というのは、よく使う言葉ですか?

ア:それは適当に言った言葉で(笑)、今、パッと出てきたっす。でも、間違ってないです。だって、音楽ってすごくないですか。聴けば、その時の気持ちをハッピーにしてくれたりするじゃないですか。CDが必要じゃなくなっても、音楽が必要じゃなくなることはないと思うんです。

ライブ会場:club NEO
http://www.neojpn.com/

映画上映:フォーラム福島
http://www.forum-movie.net/fukushima/

Official Web
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