MUSIC

TANCO

 
   

Text by Naohiro Moro 茂呂尚浩

2012年12月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

ビッグ・フェスのステージの上から、あるいはレコーディング・スタジオのミキシング卓の前から。常に現場の最前線に身を置いて、この15年に渡って国内レゲエ・シーンを見つめ、支え続けてきたHome Grownのリーダー、ベーシストのTanco。彼ほど多くの地域で、多くの歌い手、多くの主催者・関係者、多くの観客たちと交流してきた存在はいないだろう。あっと言う間に2012年も押し詰まり、日本のレゲエ・シーンも更なる大きな転換期を迎えつつある2013年に向けて、今年の締め的な意味も込めて、Tancoに話を聞こう。

●今日は全然リリース・タイミングって訳じゃないし、特に何かのプロモーションて訳じゃないんですけど、、、。

EC:そうそう。そういうんじゃ無いときに聞きたい、ちょうど1年の終わりと言うことで。ほら、やっぱりずっと日本人のアーティストも日本に来た外人(のレゲエ・アーティスト)も、いろいろ実際にプレイしてきてる貴重な人で、現場もやり、レコーディングもしつつ、、、。それでやっぱりオレ、この間の(Chaquraのライヴの)リハをやってもらった時に、アイディアとか判断とかも含めて、改めて凄いと思っちゃってちゃんと聞いとかないとね(笑)。今更言うなって怒られちゃうと思うんだけど(笑)。

●なので今日はゆっくり、いろいろなことを聞かせて下さい。まず、この間のChaquraのライヴの時は、終了後に感想を聞きそびれちゃったんですけど、その辺から伺いたいんですけど、どうでしたか、あの日のChaquraは?

Tanco(以下、T):Chaquraはね、緊張してたと思うんだけど、まあ、そりゃそうだよね。新人でね。しかも先輩たちのバンドを率いてね。東京のど真ん中で。ど緊張してたでしょ。でもね、その割にはリリック飛ばしたりも、ピッチ外したりもしてないし、、、。彼は甲子園球児か何かなんですよね?そういった意味じゃあ度胸座ってんのかなって思うし、将来楽しみだね。緊張してんだけど、ビビってない。

●あのバンドはどうでした?

T:阿吽の呼吸って訳にはいかないけど、1ベース・プレイヤーとしては楽しんで出来ましたよ。実は少人数の編成のバンド好きなんですよ。隙間が多くなるじゃないですか。その分、ひとつひとつの楽器の自由度が増すんで。

●そう言えばちょっと小耳に挟んだんですけど、ちょっと前に3ピースのバンドで大阪でマイジャのバックをやったとか、、、。

T:でもあれはHome Gだから。Mama(R)とYukkyだったから。3人だとほとんどリハもやらなくってもいいっていう。オケさえ分かってれば。前日リハしただけで、当日25曲ぐらいやったのかな。ああいう感じだと、本当、3人ともが縦横無尽にやれるっていう、、、。

●いつも夏フェスの直前リハで平和島のサウンド・シティのスタジオで後ろで見てて思うんですけど、短期間での叩き込み方、ハンパないですよね(笑)。結構いつもMamaの真後ろに座って見てるから、Mama、スゲエなって思うんですよ。

T:うん。そうね。彼女は凄いですよ。

●短期間で、もの凄い曲数を仕上げなきゃいけないから、その集中力もすごいし、全然チャラチャラやってないっていうか。結構ピリピリする時もありますもんね(笑)。どうなんですか、Home Gを一流のレゲエのプロフェッショナルなバッキング・バンドにするために心掛けたことというか、そういった極意みたいなことはありますか?

T:それはね、一番良かったことっていうのはね、日本の他のレゲエ・ミュージシャンをまるで意識しなかったってこと。それまであった日本のレゲエの形態を一切無視して、、、。て言うか知らなかったんだよね、単純に、他のバンドのことを。とにかくジャマイカのバンド、ジャマイカのやり方を研究して、攻めていって、、、。ちゃんとそこを突き詰めて対等なレベルまでやってやろうってバンドが無かったと思う。肌の色は違うけど、黒人と同じレベルまで突き詰めてるバンドなんて無かったんで。最初からそうですね。本場でも通用するバンドになろうって言う。

●レゲエやる以前にアフリカ的なことというか、要するにリズム重視の音楽をやってたでしょ?それもデカい要因かなと、、、。

T:やってた。デカい、それは。決定的にデカい。初ジャマイカ行く前に、もう亡くなっちゃったんだけど、Aja Addyっていうアフリカの人と一緒にやらしてもらったりしてて、それでジャマイカ行ったら「うん?」、「同じだぞ」と(笑)。ただジャマイカ人はDee Jayって言葉だけど、アフリカの場合、Dee Jayするところがトーキング・ドラムだったり、そういう「言葉の役割をする太鼓」だったりするだけで、基本的なところが本当に近いと思ったね。アフリカ人とやってる時は、ベースの役割をする大きい太鼓が2音ぐらいの音程しかないんだけど、それとトーキング・ドラムとのセッションていうのを結構聞いてて、ジャマイカ行ったら、1音2音のベース・ラインとDee Jayみたいな感じで「これ全く一緒のものだな」って。リズムのアクセントに若干の違いはあるけど、基本的には同じだなって最初に思いましたね。

●僕みたいな楽器弾かない人間がこんなこと言うのも何なんですけど、Home Gはもったりしてない。基本、リズムは跳ねてる。そこが決定的な違いだと思ってたんですよ。アフリカだったり、南米だったり、リズム重視の音楽を元々やってたバンドだったってことが。あと、それに加えて元々Home Grownになる前、オアシス・バンドの頃から、Bob Marleyの曲をほぼ全部を演奏出来るバンドでもあったっていう。そこからしてスゲエなと僕は思うんですけどね。

T:元々ヴォーカルのいないバンドだったんで、何かやる時、Bob Marleyの曲をやることが多かったからね。Bob Marley生オケ大会とか。

●90年ぐらいからですか?(葉山の海の家)オアシスにみんなが集まり始めたのは?

T:91年からオレはオアシスに参加してて、92年とかにI-watchに知り合って、Yukkyは93年、、、。Shinji-Manも91年。うん、だからそのくらいからですね。

●90年の夏に江ノ島を中心に湘南界隈でやってた地域イベントで「Surf 90」っていうのがあって、その時に江ノ島から平塚までの砂浜にボード・ウォークが出来たんですけど、その年、Ras Michael が来日してて、そのイベントでもライヴやって、その時Shinji-ManはRas Michael についてたっていう話しを聞いたことがあるんですけど。

T:うん、そうみたいだね。

●それを招聘したのが、ジャマイカ旅行やってたアイランド・ツアー・センターの鶴野さんで、当時、短期間ですけど、僕はそこで見習い社員だったことがあるんですよ。その時に「瓢箪スピーカーの海の家オアシス」っていうのもアイランドに置いてあったチラシで知って。何かあの90年の夏の動きが、葉山から湘南界隈のビーチ・カルチャーとか音楽とかを連動させてのかも知れないですね。その「Surf 90」って、J.C. Lodgeなんかも来てたりして。

EC:それはオレが招聘してたんだよ、江ノ島でしょ?ちょっとニッポン放送に頼まれてさ(笑)。何だかよく分かんないけどやって、海の家に「うるせえ!」って怒られてたよ(笑)。

●そうだったんですね。やっぱりあの辺りでオアシスに人が集まり始めて、じゃあShinji-Manの次にTancoさんが参加して、、、。

T:その前に(ギタリーストの)Nodatinが先に葉山に越して。オレが葉山に引っ越すきっかけがNodatinだから。「葉山いいんだよね」なんて言うから遊びに行ったタイミングで、ちょっと不動産屋寄ってみたら「家賃安いじゃん」みたいなことになって「オレも越しちゃおうかな」みたいな感じで。

●じゃあ91年にNodatinがShinji-Manと知り合って、、、。

T:いや90年。90年にNodatinとMamaがアイランド・ツアー・センターの「サンスプラッシュ御拝聴ツアー」っていうのに参加してて、その時一緒のバンドやってたから。そのバンドのヴォーカルの人も一緒に3人でジャマイカ行って、そのツアーの添乗員ていうのが、初ジャマイカのShinji-Manで(笑)。

●初ジャマイカの人がジャマイカ旅行の添乗員て、デタラメな話しですけどね(笑)。

T:そう、デタラメな話しで(笑)。その時NodatinがShinji-Manから「葉山でオアシスっていう海の家をやってるんだよね」なんて話しを聞いて遊び行って、そこからかな。オレはNodatinの同級生と共通の知り合いがいて、丁度Nodatinがジャマイカから帰って来た後にバンドのメンバーを総取っ替えしてて「レゲエの好きなベースで同い年のヤツが居る」って紹介してもらったのが最初で。

●そうやって徐々に今のメンバーが揃ってきて、オアシス・バンドになってダンスホール・レゲエを演奏するバンドになっていったと、、、。Home Grownのリズム・セクションの話しなんですけど、コンビとしてYukkyは、当然長年一緒にやって来てますから、阿吽の呼吸が充分に出来てる思うんですけど、、、。

T:そうだね。形態としてレゲエって、ドラムの、特にハイ・ハットが、縦軸上、時間軸上で一番前に居た方がいいんですよ。ベースはそれにくっついてその少し後ろに居る方が心地よかったりするのがあって、そういった意味じゃあYukkyとはすごくバランスが良くって。もう本当にそればっかりを心掛けて、15年ぐらい、ずうーっと、そればっかりやってきてる訳で、今みたいになってる。多分最初の頃はそうじゃなかったと思うんだけど。そう言った意味じゃYukkyには信頼を置いてるし、自分と同じというか、体の一部というか、、。だからYukkyと、それとMamaでは、何にも打合せしなくても出来ると言うか。

●ダンスホールをやるに当たってのキーボードの負担て、ものすごいものがありますよね。

T:すごいね。キーボードが一番大変だと思う。どんどん大変になって来てるからね。リズムの役割もやりながら、メロディも弾かなきゃいけないし、コードも弾かなきゃいけない。

●だからMamaぐらいダンスホールやれるキーボードってそうそういないと思うんですけど、、、。

T:確かに、そうそういないね。ウン、いないと思う。彼女の場合、元々がピアノでも無く、オルガンでも無く、エレクトーン奏者なんだよね。元々、こっちでメロディ弾いて、こっちでコード弾いてって、3歳の頃からやってるから。ダンスホールに一番向いてたんだよね。

●なるほど。それは腑に落ちますね。納得です。エレクトーンってその上、足でベースも弾くんですもんね。

T:そうそう。全部違う音色で全身使って演奏するでしょ。だからダンスホールにはすっと入っていけたって彼女は言ってましたよ。

●そんなこんなでこの15年余りなんですが、いろんな風景を見て来たと思うんですけど、特に年々ライヴ会場が大きくなっていく様子とか。もう慣れちゃってるかも知れないけど。

T:いや、いつも新鮮ですよ。やってる曲が変わるからね。ずっと同じことやってきてる様でも、3年もすれば全然違うことやってるし。

●(ジャパニーズ)レゲエはバンドで演奏するダイナミズムが、ここまでフェスの規模を大きくすることを可能にしたと思うんですけど。やっぱり皿では横浜スタジアムには辿り着けないと、、、。

T:そうですね。でも最近、音楽的にはその傾向が変わってきてるところが悲しいところで、何か無理矢理バンドの音に直してやってるみたいなところがあって、、、。とにかく最近のオケは難しいですよ。昔は結局、オケが単純だった分、ライヴでやる時、ダイナミック・レンジを広げるって作業を、バンドがアレンジを変えることでやってたんだけど、今はオケが凝り過ぎてて、バンドがやる時はシンプルに戻すっていう、逆の方向に変わってきてることが多い。あと、シンプルな分、歌い手のスキルが必要だったし、バンドと歌い手ののやり取りでお客さんを楽しませてたと思うんだけど、今、ある程度オケに助けられちゃう分、そういう面が弱くなっちゃってるかな。

●制作に関することもお聞きしたいんですけど、制作ももう随分やって来られたと思うんですけど。何かプロデュース哲学みたいなものとかありますか?

T:まあ外仕事はやっぱり、依頼された人の意向を最優先するから、その人がレゲエじゃない感じのものをと言えばそうするし、Home Grownワークなら各メンバーを活かす方向で考えてくし、自分個人で請けた仕事なら当然自分の趣味に近いところになっていくし、、、。でも結局、生の音が好き。何だかんだ言っても結局は生の音が好きだからそうなっちゃうかな。自分が聞く音楽も生だし、、、。それでも90年代のダンスホールのオケは好きですね。構造が簡単な分、音色への拘りが凄くて。やっぱりDave KellyとかSteely & Clevieとかの作ってた音は「そこでその音色でそんなフレーズを入れて来るのか!」って感じだもんね。今はジャマイカでも、ダンスホールはダンスホールで、そこに「レゲエ」(って言葉が)もう付かないんでしょ?。Steely & Clevieとかは「ダンスホール・レゲエ」じゃないですか。だからプロデュースする時も自然にそういう方向に向かうのかも知れないですよね。Dave Kellyとかはフィルターかけたりゲイトかけたり、一音一音の音色に拘りがすごかったと思う。今の音は華やかだけどシンセのプリセット音ばっかり。

●ウワモノがR & B的にメロウで、ビートがダンスホールみたいな傾向はますます強いですよね。

T:それだったらアメリカの音楽を聞いちゃうし、イギリスの音楽聞いちゃうでしょ。独自の発展をしてきたものが失われちゃってる気がしてジャマイカ音楽好きとしては悲しいですよね。昔は「レゲエ」って言ったら、それこそ「ボサノバ」とか「カリプソ」とか「マンボ」「ルンバ」、いろいろあるけど、それと一緒でビートのことを指してた言葉だったと思うんだけど。

●なるほど。そうですよね。それで、今こういうアーティストをプロデュースしたいなんて居ます?

T:うーん。そうなってくると日本人じゃない人をやってみたいかな。日本語じゃなくて世界で通用出来る様なものは作ってみたいと思いますけどね。

●国内で若い世代とかいませんか?「Riddim Foece」世代とか?

T:うーん。中々厳しいけど、頑張って欲しいヤツとか、そうなると、いい、悪いとかじゃなくてオレの好き嫌いにもなってきちゃうかも知れないけど、、、。この間マイジャのライヴをやってきて思うけど、やっぱいい。先輩たちはやっぱいいもん。Pushimも、Ryoも、Moominも、先輩たちはいいですよ。言ってることが的を得てる。若い子はラヴソングばっかりだし。それかお笑いか。うん。でもやっぱり今年良かったのは「もぐらの歌」かな。嬉しかったのは。Expressのことも昔から知ってるけど「ついにお前やったな」みたいな。Back Yaadie(プロデュース)の仕事いいですよ。オレは好きですね。

●これまでジャパニーズ・レゲエを盛り上げて来た要因は何であって、今は何を失ってしまって、今後のために何を補っていくべきなのか。そういうのって何だと思いますか?

T:とにかくやり始めた頃、全国のいろんな人、いろんなアーティスト、いろんなサウンドと知り合った頃に思ったのは、その頃は、弱小ジャンルでマニアックな音楽なんだけど、それでもクォリティの高いことやってるぞ、っていう自信を持ってる人がすごく多くて、それを知らない人たちに見せつけてやるんだみたいな気持ちがすごくあったんですよ。それで業界もイッキにこっち向いてくれた時期もあったし、みんなイッキにメジャー・デビューしたし。今でもそれは変わってないはずなんだけど、レゲエをやってたはずが、そうじゃないものにもなっていったり、レゲエじゃなかった人がレゲエみたいなことをやって数字取ったり、、、。でも昔は数字なんて全く考えてなかったと思うし、知らない連中に知らしめてやるんだって気持ちでやってたから。デカくなった分、それは薄まった部分てのはあるよね。まあ濃いまんまで居たいとは思ってるんだけどね。

●その先輩たち、兄さん方のスピリッツっていうのは、そのまんま若い世代に受け継がせるっていうのは難しいとは思うんですよね。

T:それは難しいよね。置かれてる状況も違うし、時代も違うし。

●だからある程度、若い奴らのことはそれでいいんだとポジティヴに受けとめつつ、そこから先に目を向けた時、どんなことが必要だと思いますか?

T:やっぱりオレは演奏する側だから、最近のオケのレゲエ離れが激しくて、演奏してて「そのオケつまんねえよ」みたいな感じなことが多くて。本国ジャマイカもそういう傾向だからしょうがないけど、オレは「レゲエに戻ろうよ」って言いたい(笑)。

●よくも悪くも今はみんなオリジナル・オケですからね。コピーするのも大変ですよね。昔、バンド・ショーでレゲが広まっていった頃は、極端な話し、“Punnany”ひとつでそれこそ何十曲もやってた訳でしょ。

T:そうそう。要するにオケが簡単な分、Dee Jayとかシンガーと、バンドやり取りだけで20分なら20分の出番の時間をドラマ作って構成してったのが、減ったよね。オケがデコレーションされてるから、大した歌じゃないのに、オケだけ派手で、、、。それって他のジャンルが散々やってたことで、それじゃないことをやるレゲエが面白くてこっちはやってたって言うのに(笑)。

●で、今後、経費云々てことで、バンドは無しの方向にってなった時、じゃあショーのクォリティはどうなってくんだっていう、、、。

T:やっぱり音の説得力では、人間の演奏する音が出すダイナミズムには勝てる音は無いと思うんだけどね。テレビで見てても分かるよ、口パクと実際の演奏の違いは。

●ていうことは結局そこ。オケに頼らずスキルを磨くこと。それを見直す必要があるってことですかね。エンターテインメントとしての基本の部分ですけど。

T:うん、そうだね。でも、今後レゲエがどうなっていくのかってのも、元々、アメーバ的にいろいろ飲み込みながら発展してる音楽だから、分からないし、本国ジャマイカ自体どうなっていくのかなんて、オレたち日本人がどうのこうの言うところじゃないだろうけどね。でも、思うんだけど、昔、オレはどっちかって言うと「レゲエはこうじゃなきゃいけない」なんていう人じゃなくて、「どんどん自由に新しいものを取り入れればいい」って考え方だったはずなんだけど、今はスカの人がスカに拘ったり、ルーツの人がルーツに拘るのと一緒で「レゲエ」に拘る人になっちゃったのかも知れないね(笑)。何かそんな気がするよ(笑)。

●でもダンスホールやらせてHome Grownに敵うバンドはまだ日本には絶対いないですよ。

T:そうか。じゃあ「ダンスホール・レゲエ」に拘る人になったのかな(笑)。

●多分そういうことなんじゃないですか(笑)。

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