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今が、全盛期。初セルフタイトルアルバム、そして2枚組『THA BLUE HERB』

 
   

Text by BIOCRACY Photo by Cherry Chill Will

2019年7月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

 3.11後、ILL-BOSSTINOのインタビューを敢行するのは何回目になるだろう。
 アルバム『TOTAL』、東北の被災地三ヶ所を巡ったDVD『PRAYERS』、ソロアルバム、本物の嵐を呼び込んだ野音ライブと、節目節目に聞いてきた話が、ある意味一つの必然として、初めてセルフタイトル『THA BLUE HERB』とした2枚組アルバムへと集約されていく感覚。
 今回、文中の「僕」と「オレ」は統一せず、あえてそのまま残した。これはその方が、話を直接伺いながら感じたアルバムに詰めた想い、リスナーへの真摯な姿勢、ここまで築き上げてきたもの、そして完成した作品への自負が、より生なバランスで伝わると判断したからだ。
 話を聞きながら、いつにも増して頭に浮かんできたのは『昭和残侠伝』の高倉健氏。なぜ『仁義なき闘い』の菅原文太氏や梅宮辰夫氏より、全共闘の時代に学生達のシンボルにもなった任侠の姿とILL-BOSSTINOが重なるのか。本人に直接聞くと「自分ではわからないね(笑)。それはいつか、オレも大人になってわかるようになったらいいな」との返答。
 答えは、インタビューの中に隠れているかもしれない。

●以前、野音の後のインタビューで、これから出すつもりの2枚組アルバムについて言及されていました。相変わらずの有言実行と思いました。

BOSS(以下、B): 僕がラップを始めて、今までで一番の作品ができたよ。

●それは、毎回その感覚ではないですか?

B:毎回そうだし、今回もそうだね。しかも、思っていた以上のものができた。
ずっと「2枚組をつくりたい」とは思ってたけど、初めてだからどうなるかもわかっていなかった。でも、ベストなものができた。

●制作中、途中で引っ掛かったり、煮詰まったりはしましたか?

B: しないね。でも、アルバム制作とライブを交互にやってきたので、ライブからアルバム制作に入る時、「アルバムをつくろう」という、止まっていた車輪を動かして加速させなきゃならない、それが一番大変。それがトップスピードに入るまでが、めっちゃ大変なんだ。とはいえ、一旦トップスピードに入っちゃったらあとはやるだけだから。

●2枚組でも1MCというのは、最初から決まってた?

B:「他のラッパーに参加してもらう」って頭はまったくなかった。THA BLUE HERBとしては今の今まで一度もないし、それは絶対ないね。それ以外で、「誰かにコーラスで参加してもらおう」とかいろいろな案がなかったわけじゃないけど、やっていくうちに「言葉は全部オレで、ビートはO.N.Oで2枚組を創ってみたい」という気持ちが強くなって、そのままいった感じだね。

●そしてそれが、平成が終わり、令和になった絶妙なタイミングでドロップされると。

B: 確かに僕らの世代が、「最初から最後まで見た」って意味では平成だよね。そして、令和の次を見れるかと言えば、わからない。
 僕的にはその時代の変わり目ってものに対しては特別な意識は全くなかったですね。

●初の2枚組がこのタイミングということには、特に思い入れもない。

B: まったくないね。なんて言うか、オレらにはオレらの時代があるから。
 そういう意味では、オレらの「ブルーハーブの時代」というのはまだまだ続いていて、その直線的な時代を生きているわけで、入れ物の箱の名前が変わったくらいなもので、何もないです。

●この2枚組には3.11を意識している言葉もたくさんあったなと思いました。平成に戦争はなかったかもしれないけれど、天災、人災にまみれた時代だったなと。

B: 確かにそうだね。それでもやっぱり、平成とか令和みたいな枠の中でものを考えるってことはない。僕の人生で言ったら、それはもちろん3.11含め、いろいろなことを自分自身でつくっていくタイミングにはなっているんだけど、それが別に昭和だろうが関係ない。

●47歳になって、これだけのリリックを書いて2枚組のアルバムを完成させる体力、身体はどう維持してるんですか?

B: 運動はめちゃめちゃしてるよ。でもリリックは毎日出るものだから。だからいいだけ書く、その繰り返しだよ。それだけ。それは最初から変わらない。
 とにかくリリックは、この歳までやってるんでいくらでも書こうと思えば書ける。そこに葛藤もなくて、書きたいと思えば書ける。いい曲だって、つくろうと思えばつくれる。要するに、オレがやる気になるかどうかの問題で、だからよく聞く「降りてくるのを待ってる」とか、そんなことはまったくない。創るべくして創る、書くべくして書く、それだけ。

●聴いていて、ドラマチックな曲が次から次にできてくる感覚を受けます。

B: その源泉がどこにあるかというと、それは「日常に対する注意力」です。

 誰のまわりにだって、ドラマチックなことはいくらでもある。オレには子どもがいないからその辺の話はわからないけど、きっと子どもとの日々なんて驚きや感動の毎日じゃないですか。毎日毎日違うことが起きて。でも、実はそれだけじゃないんだよね。
 友達のこととか、親のこととか、世界のこととか、感動できることなんてどこにでもあるんですよ。だから、そこに対する注意力さえ研ぎ澄ましていれば、世の中にドラマチックなことなんていくらでもあるっていうか。そう思う。
 だから、今回のアルバムはそういう感じです。満員電車で通勤してる人の景色もあれば、女性の話もあるし、それはすべて僕のアンテナに引っ掛かったたくさんの人間のエピソードを組み合わせて楽曲にしていっているので。
 日常的にそういう面白い話、いい話とか、悲しい話とか、それは世の中に溢れてますよ。

●そしてその感覚を研ぎ澄ましてくれるのが、同業者であるライバルたちだというリリックがありました。

B: そうとも言える。それは「ヒップホップ」という小さな世界で言えばだけどね。すごいアーティストはたくさんいるし、例えばそれは昭和(レコード)の3人や、フリースタイルバトルが盛り上がれば盛り上がるほど、僕の中で「じゃあ、オレに何ができるんだ」っていう気持ちが、比例して大きくなるし。自分にも、すべては影響しています。

●ラッパーたち以外ではどんな存在に、 例えば作家とか詩人、職人なのか、自分のやられていることを投影していますか?

B: そんなのいくらでもいるよ。それは全然、普通の人です。インスピレーションの元って話をすれば、Twitterだって溢れてるし、新聞の投書だってメチャメチャ溢れています。
 今日の新聞の投書にだって、息子がダウン症で、普通のことが出来なかったりするけど「歌が大好きで」って。歌をすごく大切にしてて、いつも歌ってて、お母さんが辛い時にも歌ってくれて元気が出て、その子の兄弟の結婚式で長渕の『乾杯』を大きい声で歌ったら会場全員が感動したって。
 これ、オレはすごく感動するし、そのシーンを想像するだけでリリックになる。

●注意力さえ払っていれば、どんなやつの人生にもドラマが詰まっている。

B: そう思う。だって、それがヒップホップでしょ。
 ヒップホップは、街のフッドで何が起きてるか、そこをどうやって抜き取って書いていくか。オレが最初に向こうのヒップホップで好きだったのは、それ。
 ゲットーの黒人が、どういう生活をしてどういうクールな会話しているのかってことを知った時に「あぁ、マジで格好いいな」って思った。

●そういう風に捉えていれば、ラップするネタが尽きることはない。

B: ない。生きてりゃ、いい。街に生きていればいいんです。
 だから僕、自然の中に行くと書けないし、書かないんです。山とか海とか、自然の中に身を投じてしまうと、何も書けないんだよね。やっぱりネタは街の中にあって、人間なんだよね。 
 「47歳しか歌えないことって何ですか?」みたいなことを聞かれるけど、きっとたぶん57歳になっても67歳になっても、同じだけのことがあるんだよ。だってそれはみんなそれぞれの人生なんだから。

●乱暴な言い方ですが、「THA BLUE HERBは、ブレずにここまで来た」ということだと思います。そこで逆に、ここはやりながら学んで、自分を修正した的なことはありますか?

B: どうだろうね、まだ47歳だからね。全然未完成ですよ。酔って、ペラペラわかったようなことを喋って、自分が言っちゃったことを後から「どういう風に思ったかな」って、そんなこともいくらでもあります。まだまだ未完成なやつで、でも、ヒップホップというものがあるから。
 ヒップホップって実は割とルール、マナーがあるじゃないですか。それがあるから、オレみたいなやつでも「ちゃんとしよう」と思えてるのかもしれない。
 だってヒップホップって、そういう奴ばかりじゃん?社会の法律とか、常識とかにかまってないような奴ばっかりいる。そういう奴らが集まって、もちろん「自分のスタイルを誇る」ってことが大事なことだから。ヒップホップのおかげでみんなギリギリ破綻の手前で保ってるというか。そのおかげで、なんとか人並みにこの社会にも居場所がある気がする。

●ラップを続けて、このまま普通に還暦くらいいってしまいそうですね。

B: 何も考えてないけど、やるでしょうね。でも、全然わからないな。まだ未来のことは想像していないし、「そうありたい」とは思うけど。考えてないよ、現役なんで。

●そして遂にタイトルに『THA BLUE HERB』とつくわけですが、これはそのブルーハーブの歴史の中における規定路線でしたか?

B: ここまできたら、このタイトル以外思い浮かばなかったね。

●3.11を受けての『TOTAL』があり、初のソロ、嵐の野音を経て、そこに辿り着いた?

B: なってるでしょうね。なってないことは絶対ありえないけど、でも何というか「ここまでやっと来た」というフィーリングは野音で終わってるんですよ。
 なんかもう、今もう、僕ら、これからなんで。
 今、心技体がめっちゃ充実してるんですよ。それは本当にバッチリ、今までで一番。それにヒップホップそのものも盛り上がってて、聴く人もたくさんいるし、プレイヤーも多いし、それはある意味僕の中で、日本のヒップホップとしては一番いい時代なんですよ。
 90年代のような、メジャーレーベルがどうとかじゃなくて、今は本当にみんながいろいろな価値観を持っていて、地方や地元にいて。あの時は東京のメジャーレーベルと契約した人たちだけが大きなお金を動かしてる時代だったんだけど、今は沖縄だろうが北海道だろうが、どこにいようが、みんな地元で好きなことをやれているわけです。ある意味、僕らが90年代にやろうとしていたことがスタンダードになって、みんな好きにやれている。
 そして、インターネットもあるし、お客さんもそれぞれで楽しめている。
 だから僕らにとっては、今がヒップホップ的に一番面白い時代で、さらには僕らの心技体が一番揃ってるんです。「THA BLUE HERBという奴ら、知ってる?」みたいな、一番フリダシにいるみたいな気持ちなんですよね。僕らのキャリアや、ここまでやってきたことというのは、ある意味野音で一つケジメつけちゃってるんで、そんなのもういいというか。
 その時、じゃあ「今からどうする?」となって、この2枚組で、「思いつきの16小節じゃねえから。考えて、考えて、考え抜いたヒップホップだから」。
 そういうものを一番最初に、そして1番最後に提示するのがオレらなんです。これはオレらの最終到達点じゃないんですよ。ここがスタートでしかない。
 だからこれから先、これを聴いた人が「2枚組でここまでつくる」、「アートフォームとして完成させる」、「パッケージングして残す」ということに意義を見出して欲しい。これは16小節を携帯で撮ってYouTube、SNSとかで一瞬で拡散させて、でも翌日には消えていて、また新しいものが出てくるってアートフォームじゃねえ。
 ずっと残るもの。はっきり言ってホワイト・アルバムだよ。
 そういうようなものを、例えば60年代、70年代から続く音楽の流れの中で、遠藤ミチロウさんだって(忌野)清志郎さんだってそこにいる中で「今、こういうやつがヒップホップでいるんだよ」っていう、そういう系譜ですよ。僕らが生きているタームというのは。
 そういう中で「残す作品」となった時に、タイトルは『THA BLUE HERB』しかないと思ったんですよね。

●地元に残り、そこから発信することで注目を向けさせたというやり方は、ブルーハーブが一番早かったと認識しています。

B: 結果的にはね。オレらの場合は、それしかやり方がなかったから。

●社会はこれから、中央集権から分散された、地域の時代となっていきます。その先駆けだったということも言えるわけですが、どう捉えてますか?

B: それは、音楽に関して言えばインターネットがあるからそうなっただけで、やっぱりネットがなかったらできなかったと思う。僕らがずっとただ札幌に引っ込んでて、「こういう奴らいるぜ」っていうのは、口コミだけでは絶対ここまで広がらなかった。
 やっぱりネットがあるからみんなと繋がれるし、お客さんとも直接レコード会社とかマネージメントとか介さないで話せるし、自分の思ってることはすぐ伝えられる。それは僕たちだけでなく、誰でも。
 僕たちはたまたまそれにハマっただけで、逆に97年当時「やっていくぞ!」という時にネットがなかったら、ここまで来れてたかと言えば、わからない。

●そこは、先ほどから言っている、野音をやれば嵐が来るし、2枚組には令和がついてくるし、今回のリリックにあった「全部運だし、全部実力だし」ということかと思います。

B: ラッキーでしたね。今となっては、ラッキーだったとしか言えないです。そこは、「機会をつくれた」という意味で。

●「売れたか売れないかと言えば、売れた」というリリックもありました。たられば質問は好きではないですが、もしこれまでミリオンセラーとか大ヒットを出していたら、今と同じモチベーションはあったと思いますか?

B: わからない。これは曲でも言ってるけど、やっぱり「『辿り着きたい』と思ってる状態」が一番いいんだよね。だから、あえて自分をそこに置いているっていうのはすごくあると思う。
 「売れたい」っていうのは、今でも思ってるよ。実は未だに、「今度こそ売れるだろう」って思ってる。だからそこはそのまま喋るし、毎回「今度こそいくっしょ!」みたいな。
 「今度こそみんな気づくべ」、「今度こそ売れるべ」って。ずっと、それはファーストシングルから今回のアルバムまで、制作後の帰り道で、いつも言ってる。もう、それは笑い話にすらなってる。
ただ、「メイクマネー」ってことには変わらないです。
 金を稼ぐことを「いいこと」と捉えない考え方ってあるじゃないですか。清貧思想じゃないけど、そういう人たちもいて、「それよりも大切なものがある」という主張も理解は出来る。けど、僕たちは両方持っているというか。
それは長く続けることは勿論、録音するにしても、自主制作だと稼がないとやりたいことが出来ない、それだけです。
 これは、他人様の金でいろいろやってもらって、テメエで汗かかねえで、テメエでフライヤーも撒かねえで、人の金でデカイ冠つくってもらって、そこに出てって、それに乗っかって「金を稼ぐ」っていうのとは、違う。言っておくけど、それとこれとは、全然違う。
同じメイクマネーでも、企業に金出してもらってる連中のメイクマネーとはレベルが違うってこと。

●これまでのアルバムよりも、厳しめの言葉が多いような感覚もありました。それは、これまでもちょいちょいあったとはいえ、例えば「羊の群れ」とか「監獄みたいな国だから」とか。

B: 今回は2枚組だからね。一つのトピックに対して深くなっていくというか、それは日本の政治に対してもそうだけど、これまでは一つのテーマを、ワンバースとかの中に詰めるけど、腰を落ち着けて一つのテーマに対してがっつりつくれたのは、やっぱり2枚組だったからだと思うんです。

●フリダシに戻ったというか、2枚組を出した後の予定は?

B: またライブっすね。
 さっきの止まってた車輪の話じゃないけど、ライブの方の車輪は一年半止めてたので、DJ DYEと2人で押す作業があります。そしてそれをまたトップスピードに持って行ったら、シノギが始まります。制作は今やっと落ち着いてきてるんで。
 これは本当に、僕は今から続く全盛期の、一番若い状態なんで。だから、これからですよ。一番いいのは、

●込められているメッセージも、何というか、ご自分を鼓舞するために言ってるのかなという気もしました。

B: かもしれないですね。これからライブをやっていくので、そうなると自分が唱え続けると、やっぱりもっと自分のものになっていくわけで。これを唱えながら、日本中をまわっていくわけだから。
 聴く人間が好きにとってくれればいいんです。

●オリンピックは楽しみにしていますか?

B: 全然よくわからないですね。「いつだっけ?」みたいな感じで、もう来年なんだっけ。あんまり、こう、みんなが盛り上がると「別にいいかな」と思っちゃう性格だから(笑)。