Text Yosuke”CB” Ishii Photo by Shin Okishima
2016年10月にRiddimOnlineに掲載された記事です。
2016年7月、STÜSSYのI.S.T. BACKYARD POOLが完成。このプールの初ライディングにランス・マウンテン、ブラッド・ボウマン、パット・ノーホー、スティーヴ・オルソン、スティーヴ・アルバという歴戦のレジェンド・スケーター達が来日。同時期に開催されたランスの個展会場でチェック。
Lance Mountain
●STÜSSYのプール(International Stüssy Tribe Backyard Pool)をデザインするきっかけは?
Lance Mountain(以下, L):ミチ(曽根道広)さんやSTÜSSYチームは、もう何年も前からの知り合いで過去にも他のプロジェクトで日本に呼んでくれたこともあったんだ。そして日本でプールを作りたいとずっと前から思っていたことを新しいプロジェクトの中で持ち上がったアイデアなんだ。
●では、このプールはどんな部分にこだわってデザインしましたか?
L : チームにはカリフォルニアに来てもらって僕がデザインしたプールをいくつか滑ってもらったんだ。僕の友人の家のプールでとても気に入ってくれたのがあってそのシェイプとサイズをコピーしたよ。今までスケートに長い間関係してきて感じた経験をもとにデザインした。それを特にランプではなくプールとしてスケートの為に作りたいのであれば、シェイプの中に何を配置するか(深さ、トランジション、それらを上手く融合させること)が一番大事なことだね。深いところ、浅いところ、ヒップ、センターライン、浅いところから深いところへ下るアールの部分など全てのテンプレート(梁受け)を紙に描いてカットし、木材を切り出してくれるところへも送ったよ。
●実際にできあがって自分でスケートしてどうでしたか?
L : それはとても満足しているよ。全てを綿密に準備して計画しても色々なところで間違うことがある。望んでいたように出来るのは簡単ではないよね。
●ストリートでやるスケートとプールでやるスケートは、どこがどう違いますか?
L : スケートの為に作られた物ではないスポットを探して何が出来るかというのと、感覚や本質はとても似ているものだよ。ただスケートの為に作った物は滑りやすいように邪魔な排水溝などを排除してラインを組むというのが一番の大きな違いだね。ストリート・スケーティングは大部分でフラット・トリックや直線になってきているけどまた一緒になっていくと思うよ。
●Brad Bowmanの大ファンなんですよね?
L : 僕は素晴らしいスケーター全員のファンだけど、僕らの為に道を切り開いてくれたスケーターはやはり特別だね。1978~79年頃はそういったスケーターの黄金期で、雑誌にもたくさん掲載されて彼らは最前線にいたんだ。僕はその時はそのバブルの外にいたけど、彼らの輪に入りたいと切望していた。1980年になるとスケート界に変化が起きて81年にはそういう素晴らしいスケーターが消えてしまった。彼ら全員のことが好きだったが、コンテストでのBrad Bowmanはすごく素晴らしくて、トリックに対してとても熱心で写真を見ても驚くことをやっていた。Bradはスケートボードには美学とスタイルがあることを僕らに教えてくれたんだ。
●あなたのショウ“ON MY WALL”でBrad Bowman, Steve Olson, Pat Ngohoを見かけました。Lanceが選んで日本に呼んだのですか?
L : 彼らとSteve Alba(Steveはショウの前に帰国)はスケートボードのパイオニアだよ。Steve Albaは初めて開かれたプールコンテストのチャンピオンで、Steve Olsonは1978年の”Thrasher Skater Of The Year”受賞者でスケートボードにパンクを持ち込んだ人だ。誰一人として彼以上にはなっていないよ。Pat Ngohoはマリーナで一番のスケーターで、今もオールドスクール・スタイルで滑っている。
●渋谷の宮下公園にあるスケートパークはあなたがデザインしたんですか?
L : そうだね、いくつかのディティールは変更したけど。
●その渋谷のスケートパークが取り壊されるとの噂があり個人的に心配しています。取り壊した跡地にはショッピングモールを作り上層階にはホテルが作られるなんて話しもあります。またスケートパークを作ってくれるかもしれませんがもっと狭くなるかもしれないし、作られないかもしれない、それも分からないです。でも同時にIOCは2020年の東京オリンピックにスケートボードを種目に追加しました。個人的に週に一度は行くほど渋谷のパークが大好きなので壊してもらいたくないのですが、、。
L : 壊して欲しくないね。もっと作るしかないね。
●プールをモチーフにしたミニチュアのCoffee Tableを作るアイディアは、いつどのように?
L : 1978年に友達とフィンガーボードを作り始めてプールも作ってみたんだ。それでずっとこれがテーブルになったらクールだなと思っていて15年前に初めてプール・コーヒーテーブルを作ったんだ。
●沖嶋(信)さんプロデュース/出版の2冊の本、「On My Wall」と「Coffee Tables」について聞かせて下さい。
L : 「On My Wall」は、70年代に雑誌から切り抜いたスケーターの写真を壁に飾っていたものを保管していて、それをもとに10~15年前にペインティングしたものでずっと見せたいと思っていたんだ。もう一冊の「Coffee Tables」は、過去に僕が作って滑った有名なバックヤードプールをCoffee Tableにしたものが収録されているんだ。
Steve Olson
ランスの「On My Wall」個展でレジェンド中のレジェンド、スティーヴ・オルソンを発見!ランスのインタヴューで言っている通りSOTYの受賞者。
●STÜSSYのプールを滑ってみて如何でしたか?
Steve Olson(以下, S):あのプールは最高に素晴らしいものだよ。今からプールでスケートしなよ。その良さが分かるはずだよ。
●アメリカにあるプールと同じ様な感じでしたか?
S : うん、同じだね、ワールドクラスだったよ。確実にあれ以上はないね。僕は人生で色々なプールを滑ってきたけど間違いなくそう言えるね。
●いつからスケートをしているんですか?
S : 1966年だね。5歳から滑ってるよ。今は54歳だよ。
●プールは?
S : 1975年からだね。
●初めて滑った時はどうやってプールに行ったんですか?
S : フェンスを乗り越えて不法侵入、スケートしてポリスが来る前にさっさと消える、これだね。
●プール・スケーティングの素晴らしいところは?
S : そこで滑っている全員が出すみなぎる最高のエナジーだね。それとGの力。
●毎日プールで滑っているんですか?
S : 毎日ではないけど滑れる時は滑っているよ。必ずしもプールで滑っているわけではないけどね。
●それではスケートパークも行きますか?
S : もちろんさ、パークも好きだよ。
●スケートをしていない普段は何をしていますすか?
S : もう20年くらいアートを制作しているよ。ペインティング、スカルプチャー、媒体など色々な事をしているよ。
●ウェブサイトは?
S : これだ、 http://www.olsonxolson.com/
追記:息子もスケターであり、しかもBianca Chandon“ “Call Me 917“というブランドをやっているアレックス・オルソン。
Brad Bowman
●Lance Mountainとはいつからの知り合いですか?
Brad Bowman(以下、B):正確には覚えていないが、たぶん79年か80年のWhittier skateparkだったと思うよ。
●Lanceはあなたのファンだと聞きましたが。
B : それは僕にとって最高に元気になるニュースだね! 僕はLanceをスケーターとして、アーティストとして、そして一人の男としてすごく称賛し尊敬している。とても頭が良くてクリエイティブ、しかも寛大で面白くて愛らしい男だ。だから彼の人生に僕が少しでも影響を与えていたなら、それは友達としてすごく幸せだ。お互いに助け合いながら良い影響を与え合い、出来る限り潜在的な可能性を引き出す。これが僕らがここでやっていることなんだ。
●Lanceはあなたがライバルだったとも言っていました。
B : そうだね、僕の中には少しだけそういう熱い血が流れているよ。それが僕の人生の全ての面において、何かに1つにフォーカスした時に上手くやれる助けとなったよ。
●では、今回のSTÜSSYのプールを滑ってみて如何でしたか?
B : 最高だよ!! 非常に優れた滑り心地でプールの全ての部分で流れる様な感触があった。センチメートルの単位で上手く滑れた。もし僕がバックヤードを持つ時があれば、僕のバックヤードにもアイツが欲しいね。
●プールスケーティングの一番の楽しみとは何ですか?
B : 僕にとってプールやボールを友人と滑るというのは高揚感、達成感、そして友情を感じられることだね。僕はかれこれ40年以上もコイツを滑っているんだけど毎回滑る度に何かしら新しい事を学んでいるんだ。それは最大のチャレンジであり、得られるものと言えば終わった時の自己達成感なんだ。この感覚と興奮を友人と分かち合うことができれば、それはさらに満足を得られるんだ。