STREET

Russ Pope

 
   

Interview by “CB” Ishii

2014年12月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

アメリカ・スケート界の表にはあまり現れないが、知る人ぞ知るまちがいなくキーパーソンの1人Russ Pope。BEAMS Tでのアートショーのために来日して、忙しい時間の中で長野や茨城でスケートして、昨日も渋谷の宮下公園で滑っていたというRuss Popeが編集部にやって来た。

●まず軽く自己紹介を。

Russ Pope(以下、R): 1970年生まれの今44歳。この12年間はサザン・カリフォルニアのラグナに住んでいましたがちょうど半年前にボストンへ移りました。

●えっ! ボストンですか? どうしてまた?

R:今Converseで働いているんだよね。

●あれ?! それではもうVans(シューズ)では働いていない?

R:うん、働いてないよ。

●それってCons(Converse Skateboarding)ってこと?

R:ConverseもConverse SkateboardingもJack Purcellも含む北米マーケティングのシニアディレクターだよ。ずっとカリフォルニアに住んでいたからイースト・コーストはまだまだ馴染んでないんだ。

●なぜマーケティングなんでしょうか?

R:今までずっとマーケティングをやってきたんだ。僕は自分の個展やペインティグ等のアーティスト活動と区別して、自分のアート・ワークが付いた商品等は沢山作らずに少しだけ作ってきた。Creatureを立ち上げた時も僕がデザインをせずに、プロダクション・アーティストを雇ってCreatureのデッキ・デザインをさせていたしね。ただ僕のアイデアでディレクションしていたよ。僕が描いたスケッチを見せてこんなシリーズのグラフィックをやって欲しいと言ったりね。僕はペインティングが好きだけど、プロダクション・アートをするのはそんなに好きではなかったんだ。僕からしてみるとプロダクション・アーティストは他の人の意見も聞かなくてはならないからファイン・アートとはだいぶ違っていると思ってた。ペインティングなら、単に自分の好きなことを好きに描くだけだからね。でも今やっているスケート・ブランドのTU(Transportation Unit)は自分で描いてるよ。誰かに見せてOKをもらう必要も全くないし、自分がやりたい様にやって、誰も買わなかったらそれはそれで良いんだ!どうにかするさ(笑)。

●ConverseはTransportation UnitをやることにはOKしているんですか?

R:うん、もちろんだよ。

●80年代ではスポンサードされていたほどスケートが上手かったと聞いていますが?

R:うん、Shorty’sのオーナーのTony BuyalosとかがライダーだったSmall Room Skateboardsっていう80年代後半のブランドと、Spitfire, Thunderからもサポートしてもらっていたよ。

●それではなぜCreatureをスタートさせたのですか?

R:Small Room Skateboardsを辞める頃にサンタクルズに移り住んでいて、NHS社でSMAとSpeed Wheelsのチーム・マネージャーを務めていたんだ。SMAで何年かチーム・マネージャーをやりつつ広告、映像のディレクションなどを経験してたら、何か自分でやりたいと思う様になって、自分の好きなホラー・フィルムのグラフィックのデッキがあったらクールだなって。幽霊を使った薄気味悪い物を作りたいなって。だからCreatureを始めたんだよ。

●それは何年ですか?

R:92年かな。

●その時はプロスケーターだった?

R:いや、プロではないよ。

●それではスポンサーが付く程上手かったけど、どこかでプロになるのを諦めたの?

R:う~ん、まぁもちろんキッズの頃はプロスケーターの夢に憧れて、Jim Thiebaud、Mic-E Reyes、Cardiel、Jason Lee等が出ていたアマチュア・コンテストにも出場してたよ。でもある時期から映像を作ったり、写真を撮ったり、アートピースを作ったり、マーケティングを勉強したり、広告を作ったり、、っていうことがとてもエキサイティングだと思う様になってきて、スケートボードにはコンスタントに乗っていなければダメだというプレッシャーも多かったし、僕はクリエイター・サイドにまわる方が良いと考える様になったんだ。もちろんチームメートとはスケートをしていたし、デモにも極力参加してたよ。チームのスケート・トリップも一緒に出かける様に努めた。でもプロスケーターになっていたら広告を作ったり、動画を撮ったり、スケートボードのグラフィックのアイデアを考えたり、カット&ソーの洋服を作ったりっていう経験は出来ていなかったと思うね。だからこれらのスキルを学びながら僕は今でもスケートをしているんだ。今まで得てきたスキルでお金を作って自分の好きなスケートボード(Transportation Unit)を作ってるけど、お金はそこまで生み出さなくても大丈夫なんだ。自分だけでやってるからプレッシャーは全く無いよ。僕にはそれの方が合ってるんだ。それにみんな僕よりスケートが上手いんだ。例えばJohn Cardiel、Johnは間違いなく僕より上手い、圧巻だった。当時周りにいたスケーターはだいたい僕より上手かったか、もう手に職があった。ハンドレールをみんながトライする様になってきて、どんどん大きなハンドレールに突っ込む様になってもう僕はあれはやりたくないなと。単純に速く滑ってターンして長くグラインドしてってさ。それが僕にとっては一番楽しい。だから今こうなったのも自然な流れだよ。

●Creatureっていうブランド名は誰が名付けたのですか?

R:僕だよ。

●それではあなたがホラーとかゾンビ等の類いが好きだったんですね?

R:今のCreatureは僕が当時スタートした時とは違うものになってるんだけど、、

●昔のCreatureの広告の隅っこに”この住所に$2を送ればステッカーをゲット出来るよ”って書いてあって、僕のスケートの先輩が送ったらちゃんと戻ってきたんだ。

R:それって98年?それとも92年くらい?

●92年だったと思うよ?

R:それだったら僕が送り返してる。その時は全部僕がやってたから(笑)

●スゴイ!(笑)

R:Creatureの動画の編集とかも僕がやってた。昔の白黒で作られたホラー映画が大好きだったから、ポスターのアートワークや霞んだ色などを使ったCreatureのグラフィックはかなり影響されてるんだよ。

●でもあなたがやったわけではないんですよね?

R:僕じゃない。僕はこういうのがやりたいからって伝えて、スケッチを描いてこの色はここにきて、、っていう具合に指示を出してた。だからあのアートワークのスタイルは僕の物ではないけど当時アートワークをやっていた人はあの手のスタイルの物が好きだったから上手く出来ていたと思うよ。

●それではあなたのアートが初めてスケートボード・カンパニーに使われたのはいつなんでしょうか?

R:それはSmall Roomの前のEpic Skateboardsが初めてだよ、高校生ぐらいだったかな。実はSmall Roomの前にEpic Skateboardからも少しサポートをしてもらっていてAlan Petersen, Don Pendleton, Sal Barbier等が所属していて、そこにグラフィックを提供していたんだ。単純にドローイングを見せに行くと、これを使いたいって言われたりしてね。だからグラフィック・デザイナーとしてじゃなくて、自分の落書きみたいなものの中から彼らが気に入った物がデッキに使われたりしてた。Small Roomのライダーだったからみんなと滑ったりビール飲んだりしている時に遊び感覚で描いたものが使われたりとかね。だたNHS社からCreatureをスタートした時はNHSにはアート・デパートメントがあったから僕はグラフィックをやる必要は無かったんだ。Scarecrowをスタートした最初の幾つかだけはやったけど、それ以外はBen Horton(現在はSlave Skateboardsでデザインしているアーティスト)が担当していたよ。

●Scarecrow Skateboardはまだ存在しているんですか?たしか最後はABC Board SupplyがFrank Hirataなどをライダーに抱えて運営していたような気が、、。

R:そう、僕がABC Board Supplyに売ったんだけどScarecrowは今はないよ。Scarecrowは最初の数年間をHaunted House Distributionがやってたんだ。まぁ僕のカンパニーだったんだけどね。Creatureから離れた僕は、銀行でローンを組んでCCSの創設者とパートナーシップを組んでHaunted House Distributionを立ち上げた。それを何年かしてからそのABC Board Supplyに売ったんだよね。ABCはデッキ工場だったからScarecrowのデッキも作ってもらっていたしね。だからFrank Hirataがライダーだった時代には僕はもう全然関係ないんだよ。

●まだABC Board Supplyは存在していますか?

R:いや、もうなくなっていると思うよ。

●それではMyrtle Skateboardsは?

R:Myrtle Skateboardsは今やっているTransportation Unitを始める前に僕がグラフィックも全てやっていたブランドなんだけど、でも1年くらいしかやってないね。ちょっと長い話しになるけど僕はScarecrowをCCSの創設者とABC Board Supplyに売却した後、CCSのマーケティング・ディレクターとして少し働くんだけど、CCSの創始者もニューヨークの企業にCCSを売却しちゃうんだ。だから僕はサザンカリフォルニアに移住してJohn LuceroがやっているBlack labelの運営を任せられた。なぜならLuceroは全く働く気のない人でいつも遊んではビール飲んでいるような人だからね(笑)。その後はDuffs ShoesでLouie Barletta、Jason Adams、Adam Alfaro、Slash、Lizard Kingなどをライダーとしてピックアップして働いてたんだけどそれも終わって、Myrtle Skateboardsをスタートした。会社をスタートした時には6人のパートナーがいた。僕以外の5人は全てTechnine Snowboardsなどのスノー関係の人だった。みんなでお金を出しあってBrandbaseという会社にしたんだ。他の5人のブランドも僕のブランドも少しづつビジネスは成長していって凄く調子も良かった。ただ他の5人はスノーボーダーだったからみんなコロラドに住んでいて、僕だけがカリフォルニアに住んでいた。だから他の5人が突然会社を売却するって言い始めて、、。それも売却先ってのがMitt Romneyの投資資本グループだったんだ。Mitt Romneyって知ってる?Mitt Romneyは2012年の大統領候補者でベンチャー・キャピタリストなんだ。ある日僕のところにその投資会社から”あなたのパートナーはBrandbaseを弊社に売却しました”と一通のメールが来て、えっ、どうなってるんだ?!ってコロラドへ飛んでミーティングに臨んだら、つい昨日までパートナーだった人達が僕を見るなり、「おー!待ってたよ! 会えるのを楽しみにしていたよ!」って興奮気味に話してきて、Tシャツの僕以外はみんなスーツにネクタイをビシッと締めてミーティングに参加してるんだ。そしてビジネスマン達は「あなたのアートを愛しています、Myrtle Skateboardsも最高です!」って言ってきて、当時ロングボード・ビジネスは急成長している頃でベストセラーだったのがSector 9 Longboardsだった。彼らは「私たちはあなたのスケートボードを取り扱える事をとても感動しています」って言われたんだ。そのビジネスマン達はアメリカのBig 5などのスポーツグッズの会社と太いパイプがあって、彼らはMyrtle SkateboardsをSector 9と競わせたかったんだ。だから彼らはMyrtle Skateboardsにロングボードやクレイジーなクルーザー・ボードを大学生がこれ見よがしにキャンパスで乗り回す様なスケートボードに僕のアートを付けて作りたかった。だから僕は「話しは理解出来ましたが、僕には出来ません」って答えた。すると「出来ますよ、出来るよ」って答えが返ってきて「出来なければMyrtle Skateboardsはなくなることになります」と言われて「じゃあなくなって構いません」と答えたんだ。だって僕の名前がデッキにプリントされるし、ロングボード・ブランドになるなんて嫌だったからね。すぐカリフォルニアに戻ったよ。Myrtle Skateboardsのお金は支払ってもらったけど1年で終了する羽目になった。本当に何が僕に起きたのかよく分からないくらいおかしな出来事だったよ。でも僕の人生にとっては良い勉強になったんだ。

●今回の来日のきっかけは?

R:Zio Ziegler、Yusuke Hanai、Gregg KaplanとBeams Tで”Airmail”という合同アートショウをしにきました。

●誰のアイデアなのですか?

R:僕のアイデアですよ。僕とYusukeがよくAirmailしているし、住む場所も僕がボストン、Zioがサンフランシスコ、Greggがマウイ、Yusukeが東京とバラバラの土地に住んでいるし、4人が合作を作ったら面白いのではと思って本当に封筒にイラストを描いてそれを次の人にAirmailで送って、最後に4人のイラストが封筒に描かれる物も作りました。

●必ずみんなに聞くことなんですけど、なぜスケーターはクリエイティブな事に興味を持つのでしょうか?

R:これは現在でも当てはまるかどうかは分からないけど、スケートは今はメインストリームになったけど昔はクリスマス・プレゼントにみんながもらえる様な物ではなかった。だから昔はスケートに興味があるといったら他のキッズとは一線を画していたんだよね。だから頭の構造もちょっとひん曲がっているっていうかね(笑)。僕は音楽ではなくてアートに興味があってスケートもしてっていう、、オーガナイズされたスポーツは好きじゃなかったし、僕はスケートに乗って自分がやりたいことをしたかった。スケートは己との戦いだから自分のやり方で新しいトリックを学んでいく。クリエイティブなんだよね。昔は今みたいにこんなに沢山トリックも無かったし、自分だけのトリックを発明することもあった。だからNatas KaupasやGonzがキックフリップをやっているのを見た時は目ん玉が飛び出てこれは絶対出来ないと思ったよ。だから身体の動かし方一つにしてもターン一つにしてもクリエイティブであるわけで、スケートパークに行ってもどこのラインを通って滑ろうかと考えるよね。でもベースボールには1塁2塁3塁とあってホームベースからいきなり3塁は踏めないわけだ。それがルールだから。でもスケートパークにはルールは無い。なぜなら自分がルールだから。そいういうマインドがギターやドラム、ペインティングやドローイング、映画を作ったりポエムを書いたりっていう人を生み出すんじゃないかな。

●少しさっきの話しに戻りますが、正直な話し実はアーティストだけで食べていきたいのでしょうか?それとも現在の様にConverseで働きながらアーティスト活動をしてきたいのでしょうか?

R:今はマーケティング・ディレクターとして働くのも好きです。もちろんいつかはアートだけになると思います。きっとリタイアする時になるだろうね。僕は会社ではプロフェッショナル問題解決係みたいなもので、みんなが抱えている問題を聞いてアドバイスをする役目なんだよね。「僕ならこうするけどこれより良いアイデアがあるなら言ってみてくれる?無いのであれば僕のアイデアを試してみてよ。」っていう感じにね。もちろんたまには僕より良いアイデアを持ってくる人がいるからそれは「よし!それでいいよ!」って指示を出してね。だから凄く楽しいよ。僕は人と関わることが好きだし、Converseも今回みたいに世界各地に飛び回ることも許してくれているし、アートとワーク(仕事)を両立するおかげで色々な人に出会えているし、今でもスケート業界で働いているからね。だからとてもラッキーだと思ってるよ。スケート業界で働いていなかったら今だってここに座ってCBと話していることなんてなかっただろうし。アートとスケートが友達の輪を広げてくれたし今は両方やるのがベストだと思ってるよ。

●今までに作品集を出したことはありますか?

R:Zineであれば沢山出してきました。カラーでも白黒でも。でももう少しで200ページのイラストレーションの本が出る予定です。僕のinstagramを見ているとわかりますが、毎日描いている様なドローイングの中から自分が好きな物が掲載される予定です。

http://www.russpope.com