Interview by CB Ishii(石井洋介)
2015年6月にRiddimOnlineに掲載された記事です。
押しも押されもしない天才スケーターとして活躍すし超多忙なアート・サーリは、実は優れたカメラマンでもある。
ARTO SAARI(以下、A):名前はアート・サーリ。フィンランドで育って1993年にスケートボードを始めた。スケートが僕をカリフォルニアに導いてくれたおかげで、この素晴らしい天候に恵まれたロサンゼルスに住んでいる。今はスケートボードとフォトグラファーの両方をやっているよ。シューティングにはとても時間を割くからスケートとの両立はバランス良くやっていきたいと思ってるんだ。
●もちろんまだFLIPからシグネチャー・デッキはリリースされていますよね?プロスケーターとしてもサラリーが発生しているんですよね?
A:そう、FLIPからデッキは出てるよ。あとはNew Balance NumericとVolcomのライダーでもある。Volcomはどちらかというとフォトグラファー業の比重が多くて、New Balance Numericはスケート、Flipは半々ぐらいかな。サポートしてもらっているどのブランドもスケート以外の事も手伝ったりしているから、今はそこんなにスケートをハードにやらなくても良いっていうか、、。まぁもちろん僕の身体が許してくれる限りスケートはしているんだけど、膝は6回も手術しているから今はどちらかというとステアーやハンドレールではなくてトランジッションやプールの方をよく滑っている。だから昔の様には滑れなくなっているのは明らかなんだ。
●初めてアメリカに渡って来る前はフィンランドでプロだったんですか?
A:いや、フィンランドの会社からデッキやシューズをサポートしてもらってはいたけどプロじゃなかった。アメリカに来てからコンテストに出場して、ビデオや写真を一生懸命撮ってもらったりしてFlipがすぐにプロにしてくれた感じかな。
●ビザはどうしたんですか?
A:カリフォルニアに渡って1年ぐらいでFlipがワーキングビザを出してくれて今はグリーンカードになったよ。ワーキングビザは3年で更新しなきゃいけなかったので何度も更新したてたんだけど、このまましばらくはカリフォルニアに住むだろうなと思ったのでグリーンカードを申請したよ。もうアメリカに長く住んでいるから今はここがホームと呼べるかもね。
●フォトグラフィーはどのように学んだのですか?
A:最初はただ周りのスケーターとの思い出や風景等のスナップショットを撮っていただけだけど、だんだんとハマッてきて常にカメラを持ち運ぶ様になったんだ。周りにはスケートフォトグラファーが沢山いるから色々と質問も出来たしね。だから学校とかには通っていないよ。
●何処かのインタビューでSkin Phillipsにチートシートをもらっていたと読んだことがあるのですが?
A:そうそう。マイアミでFlipの「Sorry」のビデオを撮影をしていた時に初めて本物志向のNikonを買ったんだ。そのツアー中はSkinと2週間同じ部屋だったから、その時に彼が白黒で写真を撮る場合のシャッタースピードや露出などを分かり易く書いてくれたチートシートをくれたんだ。写真を撮り始めた当初の話しだ。そこからフラッシュだとか色々覚えていったよ。
●映像にも興味があるんでしょうか?
A:そうだね、ここ何年かは映像も撮ったりしてるよ。今までにもお互いのスケート映像を撮り合ったりしてるからね。そう考えるとまだフィンランドに居た13歳の時にハンディカムでスケートを撮る楽しさを知ったからから、どちらかというと映像の方が先に興味を持ったのかもね。Oakleyの創設者が始めたRed Cameraという有名なデジタル・シネマカメラ・カンパニーがあって、今はそのRed Cameraでビデオ撮影をしているよ。
●昨年10月にフィンランドのヘルシンキ空港で行われたフィンエアーとFinaviaのイベント、「Match Made in HEL」について詳しく聞かせて下さい。
A:実は「エアポートでスケートをしませんか?」ってメールが届いて、最初はジョークかスパムメールだろうと思っていたんだ。でも最終的にはスケーターを何人かヘルシンキに招待できて空港でスケートが出来るなんてとてもワイルドな経験だったね。
●どなたのアイデアだったんでしょうか?
A:広告代理店のアイデアで、フィルミングを担当したPablo FilmsはフィンランドでCMを撮ったりしているプロダクション・カンパニーだ。Pablo Filmsはスケーター仲間でもあったので僕に話しが来ました。普段通り通常営業している空港だったから、最初はこれが本当にできるのか半信半疑だったけど、滑走路やバッゲジグレイムなど空港内のどこでも出入りできたしとても楽しかったよ。その広告代理店とヘルシンキ空港が昔からの長い関係だったみたいで、この今までに無い独創的なアイデアが受け入れられたみたいだね。
●傷や破損したりしてなんて苦情等はなかったの?
A:いや、なかったみたいだよ。足首を捻ってしまったスケーターがいたくらいかな?僕が何も苦情を聞いていないだけで本当はあったのかな?(笑)
●スケーターはArtoがピックアップしたんですよね?
A:うん、何人かプロを招待したのと、世界中からビデオを公募して僕が決めたよ。
●日本からはVolcomのHIRO(松尾裕幸)が招待されてましたが、その時が初対面ですか?
A:うん、Hiroはヤバかったよ! クリーンに滑る素晴らしいスケーターだね。
●それでは、Volcomとはどのような経緯で働くことになったのでしょうか?
A:あるトレードショウでVolcomブースに顔を出してライダーやスタッフと喋っていたら、そこで1日が終わっちゃったんだよ。「ちょっと待て、10年、15年知っている僕の友達のほとんどがここにいるじゃないかって気が付いて、数ヶ月してからだけど「Volcomで何か出来ることがあればやらせてもらいたい」って話したらツアーに同行させてもらえたりして、、だから自然な流れだね。今は史上最高のスケート・ビデオを作ろうとフィルミングに励んでいる。だからこれからは世界中にスケート・トリップに出掛けることになるんだ。たぶん毎週末に何処かに出掛けることになる。だから日本にも行くことになるかもね。僕はRune Glifbergにあの北海道の三笠パークをもう一度滑ってもらいたいね。
●ちょうど10日くらい前にSpitfireのインスタグラムでJohn Cardielがあなたの家のバックヤード・プールで滑っている動画を見たんですが。
A:そう、あれは僕の家のプールだ。Greg HuntがVansのビデオ撮影をしに来ていて、そこに立ち寄ったCardielを撮影したんだよね。とても楽しいセッションだったよ。Cardielはヤバすぎたね。
●Cardielがそちらに行ったのは2回目になるのかな?
A:そうだね、1回目は2012年だったかな?グラインドしている写真を僕が撮ったよ。
●それがSpitfireのフォトTシャツになりましたよね?
A:そうそう! 光栄だよね。プールが家にあるととても不思議なことが起きるよ。その時もRay Barbeeが来ていたし、プールがあるだけでAlvaやLance Mountainなんていう今までの僕だったら一緒にセッションしてないだろうスケーターが沢山来る様になって、パークで会うよりもずっと距離感も近くなるし、もっとタイトなセッションになるから嬉しいね。とてもラッキーだと思うよ。ミニランプだったら老朽化しちゃうからコンクリートなら大丈夫かな?って思って作ったんだけどね。今度CBもロサンゼルスに来たら、ぜひプールに遊びにきてよ!