Text & Photo by Shizuo “EC” Ishii
2017年9月にRiddimOnlineに掲載されたインタビューです。
Text & Photo by Shizuo “EC” Ishii
前編から続く「レゲエの話、あれこれ」。「Gladdy Unlimited」で共演するKODAMA And THE DUB STATION BANDとMatt Sounds、この2つのバンドから森俊也、キーボードのHAKASE、そしてトランペットのこだま和文の3人に話を聞く後編、どうぞ!
●ドラムの森さんとしてはどうですか、その辺りは。
こだま(以下、K):森シュン(俊也)の前でおこがましいんだけど、ハッハッハ(笑)。
森(以下、M):いやあ、面白いなと思って聞いていた。でも、そうだと思いますね。カッティングが中心っていうのは、全く同じ意見ですね。1拍目というお話も凄く納得するし。なんていうかレゲエのリズムって色んな音楽の究極の省略系みたいなイメージを僕は感じちゃうんですよね。何もかも省略していったら、こうなりましたみたいな形なのかな。で、尚且つメチャメチャ踊れるっていう側面があって。
●HAKASEは、どうですか。
HAKASE(以下、H):その辺は、今日集まっている3人は実際に今一緒に音を出しているので、理屈にならない部分、目に見えない部分の駆け引きみたいなものがあって、その駆け引きが無い音楽はバンドとしてというか音楽としてというか、あまり残っていかない。只のムードで終わっちゃう様な物はレゲエとは違うかなと。そこのリズム的な駆け引きを今のDUB STATION BANDでは大事にしているというか、まあミュージシャンの本能というか。そういうのは今度10月6日に初めての方にも観て頂ければ。特別難しい事は何もやっていない。
M:そうですね。
H:基本8分(音符)というか。
K:難しくないっていうのは良いですね。そこがやっぱ凄いのかな、レゲエは。
H:そこで、テンションと緊張感を保つというのがバンドの醍醐味でお互いの人間関係もあるし、レゲエやってる歴史が出る。
K:レゲエはやっぱりつくづくレゲエだと思いますよ。他の音楽とは違う。
●ではこんなにいいのに(笑)、何でもっと広まらないんだろう。
K:それだけ深いからでしょう。超絶技巧みたいな事で、すぐに表面的に説得できたりしない。音楽の核みたいなものがあるわけだから、凄い音楽ファンじゃないと中に入っていけないと思いますよ。だから時間がかかるんでしょう。だけど、ひとたびそこをキャッチしたら抜け出せなくなるというね。
M:そうですね。
K:そういうものでしょう。だから怖いですよ、レゲエは。数多くいる著名なミュージシャン、海外問わずジャズでもロックでも、ひとたびレゲエを一緒にやろうとしてやれる人はもの凄く限られてくるんですよ。その人本人がもの凄くレゲエを理解していないと、好きじゃないと、どんなに上手に楽器を弾ける人でも演奏出来ないんですよ、レゲエは。逆に、そんなに技術的に卓越した人じゃなくても、レゲエが本当に好きで、そこから音楽をやろうとした人だったら、そんなに技術的に高いレベルを持っていなくても、音楽として良い音楽を聴かせる事が出来る。それがレゲエなんですよ。だから、僕はいつの頃からかレゲエはやっぱり怖いと思いました。それを皆は「心地良い」とか、やわらかい表現でアピールしてきたけど。それはジャマイカの現状とか、ジャマイカの歴史とか、レゲエが出来て来る時の状況を思えばレゲエはやっぱり怖い。或は強引に繋げれば、ウサイン・ボルトみたいな誰よりも速く走れる人がジャマイカに生まれ育つわけでしょ、そんなの諸々トータルに考え合わせると、なかなか行き着く事の出来ない大きなものなんですよ。レゲエの歴史はたかだか60年代からすれば、50〜60年しか経ってないわけでしょ。
●奴隷解放はアメリカよりも早いし、カリブ海のイギリス植民地の中では最初に独立を達成してるしね。
K:こじつければ、そういう所に行き着きますよね。あの過酷なアフリカから無理矢理選ばれて、駄目なやつは海に捨てられた人もいながら生き残って、カリブ海に辿り着くわけですよね。それで、生き残った人が更に島の中で生き残ってそれがウサイン・ボルトのようになる。これはあえて言えばですけど、その中から出て来た音楽だから、それはね凄いなといつも思いますよ。ジャマイカンの人達、森シュンは、しょっちゅうジャマイカから来てくれたミュージシャンとかシンガーの人達と再三やっているからよく感じてると思いますけど。
●そうだね。森さん苦労してもらってます(笑)。もう6チームやったんだっけ?
M:そうですね。
●1番最初の犠牲者は、80年代のミュート・ビートか(笑)。同じ事をやっているんだな、俺はヒドいな(笑)。
K:しかも森シュンのMatt(Sounds)の時はドラマーの場合が多いから、これはやっぱり凄い事ですよ。シンガーさえ日本に来てもらえれば、ジャマイカとそう変わりないライヴを楽しめるっていう状況を作ったっていうのは感心しますよ。ミュート・ビートの時じゃ、まだ全然みんなが追いついてなかったから。
●でも、お蔵にしてあった『Gladdy meets Mute Beat』の映像を何であれを出したかっていうと、ある時グラディのアルバムを出そうと思って、資料を引っ張り出したらVHSが出て来て、観たら「ミュートはこんなにスゴかったか!」と、今さらながら俺はビックリしちゃった。まだみんな20代だよね。
K:でも今までやってきた自分から見れば当時はまだまだ。例えばスカとかロックステディなんていう、もの凄く微妙なニュアンスを持った音楽、しかもドラムとしては、これはもの凄いアプローチなんですよ。
●たしかに!細かい事もあり奥が深い。やろうとしてもロックステディになってないのがあるけど、そこがMattはリズムに関してジャマイカ人からは何も言われないよね。
M:そうですね。「ベースラインが違う」とか(笑)。
K:ジャマイカであれだけの演奏をするバンドを見つけるのは、逆に大変なんじゃないですかね。やらせればやってくれるかもしれないけど。
●ロックステディっぽい、ああいうリズムは普通もう叩いてないからね。
K:そうでしょ。もの凄い豊かな事でしょう。あれだけホーンがいて、それでシンガーの人が来さえすれば、どの曲でも演奏できるよっていう状態のバンドって、そうそう無いと思いますよ。
●リハの時にジャマイカンが本当に喜ぶよね。不安そうにやって来て、いちばん最初のリハの時に音を聞いて喜ぶ。それが分かります。本当に貴重です。
K:本当に凄いと思いますよ。今Mattが色んな人とやってきたのを見て、本当に我々は日本にいながらこういうライヴが観られるんだなとつくづく思いますよ。なんの違和感もなく楽しめる。僕も20歳代とかにレゲエをやりだした頃はなかなかそこまではいけなかったですよ。何かレゲエが野暮ったいっていう、つまりワンドロップをやろうが、スカをやろうが、何か自分が思っているところには、なかなかいけないものだったんですよ。ましてや観客はボーカリストだけ招聘してステージを組んでも絶対にブーイングしていましたね。表にこそ出さなくても「何だよバックは日本人のバンドか」って、ひとつそこで頭ごなしに負い目を喰らっちゃうっていう。ところが今はMattを聴く限りではそういう事が無いですね。「Mattだったらオーケーだよ」って、さりげなくそうなったのが凄いと思います。それはあの石井の無茶ぶりっていうので鍛えられるというかさ。
●申し訳ない、80年代から(笑)。
K:大変な思いをしながら。
●申し訳ない。ここで謝らなきゃいけないな、やっぱり(笑)。
K:大変なんですよ。この20年くらいで今のMattが普通にあるようになってきたのが凄い事だって思いますよ。
H:そのおかげで日本のロックステディ・シーンっていうのが、一応残っているというか、それがずっと繋がっているわけですよね。
K:そうそう、コアなオーセンティックなスカ・バンドとかね。もちろんスカパラ含めて(スカ)フレイムスもそうですよ。
●日本人はなかなかマニアックだよね。
M:そうですね、どういう執念なんだろうと思いますけどね。
K:向こうの国の状況なり音楽的シーンとは全く裏腹にか、あまりそんな事にこだわらずにか、レゲエとかスカのアーティストが常にやってくるっていうのは不思議だよね。またこれも僕がそこそこやってきたから言うんだけど、レゲエのリスナーはうるさいですよ。アーティストとリスナーはレゲエが好きなことで共通しているわけだよ。ダブとかキング・タビーなんかを自宅で聴いてるやつとか、日頃リー・ペリーを聴いてる人って、じゃあどういうやつなんだっていう事がまたあるわけでしょう。ちょっと聴いたくらいじゃなかなか分からない良さを「これが最高なんだよ」って聴いている人が、日本でダブやレゲエを演ってるのを「どうかな?」って聴くわけです。そこが何かジャズ・ファンとか、それまでの音楽ファンとは違うんですよ。そこも含めてレゲエって怖いなという事ですよ。
●リスナーの中には1枚のアルバムのその音とか、ある時の凝縮されているものにこだわって止まっている人もいるけど、バンドのほうはただのコピー・バンドならいいけど、21世紀の今やっているわけだから当然違うわけじゃないですか。70年代60年代、80年代にあったネタを元にそれを今やっていて、そういう観客とかレコードのリスナーにただ応えるだけでは意味が無い。DUB STATIONは、そういう意識は?
K:そういうこだわりもずっとあったし、何か自分達なりのオリジナルなものをと努力してきた時もありますけど、今はもうあまり思わないですね。自分が好きで吸収してきたし、学んだ事で出来る事を只やるっていう感じですね。それは何か小さい事だなと思ってる。とやかく言うんですよ人は。つまりオリジナル・ジャマイカンじゃ無いから、オリジネーターじゃ無いわけですよ。そうすると、どんな音楽のジャンルでもそうですけど、いつも厳しい事を言われるんですよね。「只コピーして、こんな音楽できますじゃ駄目だろう、何かもっと自分なりの物を出せ」みたいな話しは。でも無理しなくたってもうあるんですよ、やれば。
H:にじみ出るんですよ。
K:嫌でも自分でしかないんですよ。
●去年UNITにストレンジャー・コールが来て、こだま君がフィーチャリングで出演してもらった。それをあとでビデオで観てたら、こだま君が2〜3小節吹いたらストレンジャー・コールが「オオッ!」ってアドリブのところでビックリして喜んでいるんだよね。
K:僕も嬉しかったですよ。
H:こだまさんみたいに吹く人は、なかなかいないと思いますよ。今の時代というか。
K:もう無意識なんですよね。自分なりの大事な事ではありますけどね。残念ながら、日本人として色んな物を借りたリズム、形態の中で音楽をやっていかざるを得なかったわけですよ。自分が邦楽で三味線なり、尺八なりをやっていれば、また違った捉え方もあったかもしれない。聴く音楽で新しい音楽を見つけてはそこでそれをやってきたわけですから。だからあまりオリジナル、オリジナルと言われても、そんなものはしょうがない。でもレゲエを好きならまずは、レゲエを徹底的にやってみようっていう事ですよ。それでもどうしようも無い程自分が出てしまうんですよ。そんな感じで今はいますけどね。
●あっというまにもう1時間過ぎた。森さん何か言いたいことありますか?
K:僕ばっかり喋ってる。石井が僕を見るから。
H:普段なかなか、こだまさんのそういう話しも聞けないので。
K:ほら、最初に言ったバンドの中ではほとんど話さないって。
H:一応リハーサルが終わった後に、2回に1回は、軽く飲み会をするんですよ。
K:でも、しょうもない話しだもんね。
M:よもやま話し、世間話ですね。
●じゃあ、またそのうちに。今日はありがとうございました。
ということで、限られた時間の中で濃い話が聞けた。ぜひ10月6日は、この2つのバンドが共演する「Gladdy Unlimited」に足をお運びください。当日は写真家の石田昌隆のスライド・ショーの企画もあり、グラッドストーン”Gladdy”アンダーソンたち,ジャマイカのレジェンドたちに捧げる素晴らしいイベントとなるはずだ。