Text & Photo by 石田昌隆(Massataka Ishida)
2012年4月にRiddimOnlineに掲載された記事です。
ローレンス・ワトソンの写真展「The World Is... Yours。が、4月8日(日)まで、渋谷 GEOGRAPHのアトリエ 'Thug For Life' で開催されている。09年に出版された同名の写真集からセレクトされたものが飾られている。
ローレンスは、63年にロンドンのハマースミスで生まれ育ち、16歳で写真を始めた。83年頃から『NME』紙に掲載されるようになり、それから第一線で活躍し続けていて、最近も『ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ』(11年)の18ヵ月におよぶレコーディングに密着したドキュメンタリーを撮影して売れっ子ぶりを示している。
しかし今回の写真展は、有名なミュージシャンの写真がたくさん登場してくるが、セレブの肖像を並べたというようなものではない。全体で音楽を通して見続けてきた時代の記録になっているところがポイントなのだ。レゲエへの愛情も強く、登場してくるミュージシャンのセレクションは、拙著『オルタナティヴ・ミュージック』とかなり被っていた。
●初めて撮影したミュージシャンは誰ですか?
L:ゴスのあまり有名ではないバンドです。『NME』に小さく掲載されました。82年か83年の話しです。パンクとレゲエが広まった77年は13~14歳で、まだコンサートに行けなかった。できればもう少し早く生まれたかった。
●ザ・スミスを撮っていますね。ぼくも84年にグラストンベリーで撮影しました。ローレンスさんも来ていましたか?
L:私がグラストンベリーに初めて行ったのは90年代初頭だった。ペーペーだったので。
●ペーペーだったという理由は意外です。初期のランDMCとか、早い時期から重要な写真を撮影しているじゃないですか。
L:ランDMCを初めて撮影したのは84年です。『NME』の仕事でアメリカまで行った。わざわざイギリスから、しかも白人のカメラマンが来たということで驚かれました。『NME』は先見の明があった。ランDMCは、本人たちはどう思っているか知らないけどレゲエに影響を受けていると思う。
●『レイジング・ヘル』(86年)より前ですね。イギリスではロックと黒人音楽の両方を撮るの珍しいのでは?
Lawrence Watson(以下、L):自分が撮っているのは、良い音楽を作っているミュージシャンで、ロックか黒人音楽かと区別しているわけではないですね。
●でも80年代半ばの『NME』でたくさん写真を撮っていたアントン・コービンは、あまり黒人ミュージシャンを撮らないですよね。
L:彼はオランダ人だから。ぼくはロンドンで育ったから周りにカリビアンがけっこういて、レゲエを聴いて育ったのです。ポートベロ・マーケットとか、ラドブローク・グローブが近かったし、ダブ・ベンダーで7インチをよく買った。そもそも人類の文明がエチオピアから始まったわけだし、音楽も黒人音楽から始まっているんじゃないかな。
●7インチでは、何が思い出深いですか。
L:デニス・ブラウンの〈Money In My Pocket〉とか、グレゴリー・アイザックス、シュガー・マイノット、ティパ・アイリーとか。南ロンドンのクリスタル・パレスでやったデニス・ブラウンが出たレゲエ・サンスプラッシュにも行きました。
●84年のですか。
L:そうです。
●ぼくも行きました。デニス・ブラウンはものすごい人気でしたね。写真集『The World Is... Yours』は、デヴィッド・ボーイ、ポール・ウェラー、ジーザス&メリーチェイン、プライマル・スクリーム、ストーン・ローゼス、オアシス、ブラーなどの写真に混ぜて、80年代半ばのUKダンスホール・レゲエのスマイリー・カルチャーとアシャー・セネターの写真を使っているところが素晴らしいですね。
L:サクソン・スタジオ・インターナショナルのコンピレーションが出たとき何人か撮影したのです。
●『Great British M.C.'s』(85年)ですね。ぼくもパパ・リーヴァイ、ティパ・アイリー、スマイリー・カルチャーは撮影しました。スマイリー・カルチャーは89年に撮影したのですが、当時すでに携帯電話を使っていましたね。
L:スマイリーは贅沢な生活と新しいものが好きですね。亡くなってしまいましたが。
●ラドブローク・グローブからノッティング・ヒルにかけてのあたりは、80年代前半のころとすごく風景が変わりましたね。
L:80年代は貧しい人が多いエリアでぼろぼろの家が多かった。アイルランドやカリブ海からの移民が多かった。
●アスワドはラドブローク・グローブが拠点のバンドですね。
L:アスワドの『Distant Thunder』(88年)のジャケット写真は私がパノラマカメラで撮影したものです。ドラミーが前面に出てきたアルバムです。
●ぼくはアスワドは80年代前半の作品が大好きですが、大ヒットしたのは『Distant Thunder』です。あのジャケット写真もローレンスさんだったのですね。あのあたりから、ソウル・ll・ソウル、ローレンスさんも撮影しているキャロン・ウィラーが出てくるあたりは印象深いです。ロンドンの街が急速に変貌していきました。
L:ちょうどその頃、私は妻になる女性とつき合っていて、彼女がソウル・ll・ソウルのビデオを撮る仕事をしていたのです。ネリー・フーパーはワイルド・バンチ時代から知り合いでした。
●ぼくはブリストルの音楽に目覚めたのがマッシヴ・アタックの『Blue Lines』(91年)以後だったのですが、さすがですね。
L:でもブリストルのミュージシャンの写真もロンドンで撮影したものが多いです。
●ペットショップ・ボーイズの写真は日本で撮影したものですね。
L:ポール・ウェラーのエレベーターの中に立っている写真も、日本で撮影したものです。レインボー・ブリッジに近いリハーサル・スタジオのエレベーターです。
●日本は何度も来ているのですか?
L:ペットショップ・ボーイズ、ジャイルズ・ピーターソン、ガリアーノ、ポール・ウェラー、ノエル・ギャラガーの来日に同行して10回ぐらい来ていますね。
●ポール・ウェラーの写真がたくさん出てきます。特別な存在なのですか?
L:私が撮影した写真が『Wild Wood』(94年)のジャケットに使われました。それがきっかけでレコード会社から直接大きな仕事が貰えるようになったのです。昔から大好きなミュージシャン。00年代になってからは撮りたくなるようなミュージシャンは減ったけど、ポール・ウェラーは撮り続けています。
●ストーン・ローゼスも特別な思い入れがあるのですか?
L:ストーン・ローゼスの全盛期はビデオを撮っていて、写真はあまり撮っていなかったんですよ。イアン・ブラウンのソロ『Unfinished Money Business』(98年)に収録さている曲〈Corpses In Their Mouths〉のMVは私が撮りました。
●エコー&ザ・バニーメンの写真が3人なのは残念ですね。
L:ピート・デ・フレイタスが交通事故で亡くなったとき(89年)は、私の周りの人も悲しんでました。
●ヒップホップの写真も時代を感じさせるオールド・スクール中心ですね。
L: LL・クール・Jのライヴ写真は、フィラデルフィアで撮ったものです。とてもパワフルです。
●ニューヨークの路上で撮影したエリックBとチャックDの写真は素晴らしいですね。場所はどこですか?
L:CBGBの近くです。デフ・ジャム・レコーディングスのオフィスがすぐ近くにありました。当時はまだ2部屋しかない小さな事務所でした。エリックBがロールス・ロイスを好きだった時代です。
●撮れて嬉しかったミュージシャンは誰ですか?
L:アル・グリーンを撮れたのは嬉しかった。
●P・ファンク関係もしっかり撮っていますね。カメラは何を使っていますか?
L:ニコンFMとハッセルブラッド。マミヤの645やフジのパノラマカメラです。最近はニコンのデジカメも使いますけど。
●ミュージシャンを撮影するという人生を選び取ったわけですが、振り返ってみて思うことは何ですか?
L:幸せだなと思います。素晴らしいミュージシャンとたくさん仕事することが出来た。とにかく写真を撮ることが好きなのです。
ローレンス・ワトソンさんは、熊系のおっとりした人だった。写真展や写真集から立ち上ってくる、彼が記録してきた時代の雰囲気に、ぜひ接してほしいと思う。
会期:2012年3月31日(土)~4月8日(日)
Thug For Life
東京都渋谷区円山町28-8