MUSIC

ERROL DUNKLEY来日中!!

 
   

text by OVERHEAT / Translation assistance by Tommy Far East

ロックステディ期から活躍するレジェンド・シンガー、Errol Dunkley(エロール・ダンクリー)とルーツ・レゲエのAnthony Selassie(アントニー・セラシェ)が、Reggae Revolution Bandを従えて来日ツアー中ということで、エロールから連絡があり会うことになった。短時間だったが簡単なバイオとツアー・スケジュールを聞いたので緊急アップ。
すでに8月3日(日)の横浜から全国15公演のジャパン・ツアーが始まっている。ただし、スケジュールにキャンセルなどの変更があるかもしれないので、主催者または会場に確認することをお勧めします。

●あなたは若くしてデヴューしました。何歳から?

11〜12歳のころにプリンス・バスターのところで初めてレコーディングしたけど、それは1962年だった。しかし発売はもっとあとだった。バスターのところでは「My Qeen」と「My featur like a head of me」, 「Cherry」,それと「Love Me Forever」の4曲をレコーディングしたが成功というわけにはいかなかった。

それから14歳になったころだ、Amalgamatedレーベルのジョー・ギブスのところに行ったんだが、まだ学校に通っていた時だよ。「Love Brother」など8曲をレコーディングしたが、その中でも「Please Stop Your Lying」(1967)がビッグ・ヒットになったよ。

ジョーギブスの後にはルーピー・エドワーズ、バニー・リーなどのインディペンデントのプロデューサーたちと仕事をして、ヒットした「Black Cinderella」はFE-ME-TIME レーベルのロイド”ジミー”ラドウェイがスタジオ・ワンにライセンスした曲だ。デューク・リードとは「When The Party is Off」をレコーディングしたが、ジョン・ホルトとアルトン・エリスの曲のバッキングコーラスも2曲やったんだ。

その頃、72年ごろかな?グレゴリー・アイザックスとアフリカンミュージアムというレーベルを始めて「Movie Star」(73年)をレコーディングしパレードのチャンセリー・レーンにショップも始まったんだ。

なぜレーベルを始めたかって? それは当時プロデューサーと仕事をするのが普通だったが、自分たちにも使えるスタジオやミュージシャンがいたから一緒に投資してビジネスを始めることにしたんだ。その中でも自分は最も若いプロデューサーだった。なぜアフリカン・ミュージアムを自分がすぐやめたかというと、それはポリティカル(政治的)なリスクが理由でイギリスに行ったからだ。1970年代後半から80年代の初めのジャマイカは政治的に最悪だった。俺はゲットーユースだったから日々の生活環境では犯罪が多くて、それに関わりたくはなかったし全く関わったたこともなかった。イギリスに住むようになる前にもイギリス、カナダやキューバにも行っていた。

(編集注):1972年にはキューバ/ソ連寄りの人民国家党(PNP)から出馬したマイケル・マンリーが選挙に勝利し、4年後の1976年の選挙もPNPとジャマイカ労働党(JLP)の激しい対立の中でPNPが再び勝利した。しかし、アメリカ合衆国の内政干渉などにより1980年の選挙は「アメリカ合衆国とキューバの代理戦争」とも呼ばれ、両国に支援された両派の激しい抗争のために655人の死者を出したとされる市街戦を伴い、与党のPNPが破れ、JLPから出馬した親米派のエドワード・シアガが勝利した。

自分はイギリスに1973年に移住して2年間イギリスで過ごして、また75年にジャマイカに戻ったんだが、政治的な問題はさらにひどくなっていて、まるでポリティカルな戦争だった。
イギリスにいた時にはイギリスのシェリーレコードと契約をしていてその時にレコーディングした3曲がヒットをしたから、ジャマイカに戻ってチャンネル・ワン・スタジオでアルバム『OK Fred』をレコーディングして、それをイギリスのレコード会社シェリーにライセンスしたんだ。シングル「OK Fred」は大ヒットだった。

(編集注):1979年にジョン・ホルト作曲のカヴァー「OK Fred」はUKシングルチャートで11位のブレイク、次に1980年リリースした「Sit Down And Cry」もチャート入りした。

それ以外にもいくつかのプロデューサーとレコーディングをしたが、97年にジャマイカに戻ってからはジャマイカから他の国にトラベルするようにしている。それでもイギリスには毎年ライブや仕事で行くから、自分のマネージャーはイギリスにいる。去年はベネズエラ、コロンビア、ペルー、ブラジルなど南アメリカの7カ国にツアーしたしヨーロッパにはデニス・アルカポン、ジョセフ・スコット、アール・シックスティーン、エコー・マイノットたちとツアーした。

●では最後に、今回のジャパン・ツアーの意気込みを!

97年に日本に来てからずっと長い間このツアーを待っていたんだ。すごくエキサイトしているよ!
(インタヴューの中で年号の記憶違いとも取れる場合もあるが、明らかな間違い以外はそのまま掲載している)

ツアースケジュールのキャンセルや中止があり、
主催または会場に確認をして行動することをお勧めします。

主催者Instagram: @musical_attack_promotions