Interview & Photo by Shizuo “EC” Ishii
2014年12月にRiddimOnlineに掲載された記事です。
●DOZANがリリシストだっていうのはみんなが知っているけど、今回のアルバム『Japan be Irie!!』を聴いて、とてもメロディーが素晴らしくてびっくり。もともとディー・ジェイだからなのか、譜割りのカッコ良さにも改めて感心したんだよ。日本語って譜割が難しくて、それでずるずるでかっこわるくなったりもするわけだから。
DOZAN11(以下、D):元々シング・ジェイだったじゃないですか、たまにシンギングもしてたし。僕のこれは自慢なんですけど、スティ・クリ(Steely & Clevie)のところ、Studio 2000に「I Say」って曲なんですけどオケとミックスを頼みに行った時があって、スティーリー1人やったかな、真っ暗な部屋でミックスやりだして「明日取りにきてくれ」みたいな感じに言われて。曲はサビの部分を英語で8小節だけ繰り返しで、あとはずっとディー・ジェイしてるっていう構成で、次の日に行ったらまだスティーリーが来てなかったけど秘書のお姉ちゃんがいて「Hey ,you know what? You’re lucky…」とか褒めてくるから「何だ」って言ったら、「He was crying by your song」みたいなこと言って、俺の英語の歌詞とメロディーを聴いてスティーリー泣いてたよって、それがもう自分の心の勲章ですね。だから昔からシンギングしてたんですよ、そんな上手くなかったですけど。
●なかなか素晴らしいアルバムだった。このインタヴューを読んでる全員が『Japan be Irie!!』の曲を聴いてるわけじゃないから、コレを読んで興味を持って曲を聴く手助けになったら良いなと思って、今日は洗いざらい色々と聞くんでよろしく。まずは活動を中止していたその理由からだね?
D:中止したきっかけは、もう色々、複合的ですね。精神的な理由もあるし肉体的な理由もあるし、ちょっとここらでいっぺんストップだなって思ったんです。
●でもその間は他の人に曲を作ったりしてたと資料にもあるけど、それは何曲くらい作ったの?
D:何曲くらいかな、30曲とか40曲とかそんなもんじゃないですか。
●あっ、そんなに作ったんだ。では活動を停止してから12年ぶりでまた歌うことになったんだけどその間がやっぱり長いね。
D:そうですね、オリンピック3回分ですから。
●去年だっけ?ここに来た時に「今、また歌いたくなってる事があるんだ」って言ってたから、やりだすのは知っていたけど、その言いたい事、歌いたい事っていうのをここで言って欲しいんだけど。さっきも言った様にアルバムをまだ聴いてない人もこのインタヴューも読むからね。
D:ざっくり言うとまた日本のことをもっと歌いたいという気持ちになりました。日本の、そして日本人の為のBGMとしてもうちょっと聴いて欲しいものが湧いてきてたし。遡ると前回のって13年前で、アルバムは『Lifetime Respect』っていうタイトルじゃないですか。あの頃は非常に色々思考を巡らせていて色んな宗教だとか価値観だとか民族だとか国民だとか、そういうのの真ん中において、みんなを繋ぐというか、通じ合う様な価値観は無いものかなと一生懸命考えてたんですよ。それからジャマイカに行き来していて、キラー(Bounty Killer)のオケをその当時作ってた、誰だっけ?
●Jazzwadかな?
D:そう、Jazzwadだ。彼にMOOMINとの『月光』のオケを頼んだんですけど、僕はその時、ポラロイドを持ち歩いていて、写真を撮っては「何かメッセージを書いてよ」って言ってて、それで多分山本(大和レコーディングス)さんと(Jazzwad)の写真に”Lifetime Respect”って書いてくれたんですよ。それがいい言葉やな、と思って。あの歌が先かどっちか忘れたけど、多分同じ様な時期やったんでしょうね、タイトルにもなったし。宗教だったら、例えばキリスト教なら“Love”って言うじゃないですか、最も高い価値観というか、東洋だったら“仁”とかあるじゃないですか、Loveなんか裏返る事も往々にしてあるし、仁だって言っても東洋哲学を他の文化圏に説くっていうのは難しいなと思っていて、“Respect”というのはひょっとしたらそれ(みんなの真ん中に置ける価値観)になりうるなと思ったんですね、仮説ですけど。若い時から、出来得るならばとても良い生き方をしたいなと思っていて、人類全員に素晴らしい生き方ってどんなんだろうかなと、行動が伴ったかどうかは別として、それってどういう生き方だろう、どういう価値観だろうなという事を考えていたんですね。その時に仮説で辿り着いたのが“Respect”というものだったんです。ちょっと大きな話しになっちゃいますけど同時にどういうのが人類の素晴らしい形かなと考えたら、色んなところで様々な文化がそれぞれで咲き誇っていて、素晴らしさが躍動感をもって盛り上がったり受け継がれたりしてる状態なんだろうと思ったんですよ。僕は日本人だし、子供の時から大の日本ファンですから、日本の事を担当する以外選択肢が無いのは当然で。 全人類のなんだかんだってのも意義がある事ですけど、そんなこと言っても僕が歌うのは日本語だし、英語でジョン・レノンやマイケル・ジャクソンが出来なかった事を俺に出来るのかっていうところもあって、だったらせめて日本の事は高らかに歌い続けたいなと、日本人の為の人生のBGMを提供したいなというところがあって。元々デビューが「JAPAN一番」ですから、今回のアルバムでは、それに帰ったという事でもあるし、引き続きそういう気持ちをまた全面に出したっていうことでもありますね。
●今回、歌いだすにあたって他の人に作ってきた曲をセルフカバーしてます。世界愛とか人類愛とか仲間愛とか、そういうのは今回のアルバムの新曲じゃなくても、過去の例えばMoominに書いた「栽培したい」とかもそういう内容ですね。
D:そうですね、ずっとそういう事を書いてますよね。
●でも、自分で歌い始めるっていうのはまたちょっと違います。そのきっかけは何なの?
D:もういっぺんやろうかみたいな事は何回かあったんですよ。でも環境であったり、体調であったりがなかなか嵌まり切らなかったんですね。で、そろそろここでやらなきゃ、体力的にも精神や情熱的にももういいやって事になっちゃいかねないし、もうステージは今から訓練し直しですけど、さらに年齢が経ってだったらさらに難しいし、その最終リミットで、今動かなきゃなっていう。ちょっとストップしようってのも、もう1回やろうってのも、ひとつの決定的な何かがあってというよりも複合的で、その中でも、3.11の日本の受難も相当大きいですし、あとRED SPIDERのプロデュースをした若手のやつに、ほぼ全部JUNIORと一緒にプロデュースというか歌を書くのを手伝う形で参加したんですけどそれもある。それまでBESとはずっとやってますけど、BESと携わる前なんかはレゲエに対する興味が相当落ちていましたから。
●BESとやりだしのは何年くらい前?
D:僕、カレンダーが非常に曖昧ですが、たぶん4〜5年前ですかね。僕は昔から自分以外のはあまり聴こうとしないんですよ、被ったり影響を受けるのを良しと思わないっていうのもあるし、また、他の人の物のファンになれないから自分がやるっていうのもあるし。だから他の日本のレゲエをチェックしてBESのもそれっぽくしようという気持ちが全くなかったけど、JUNIORが連れて来た若い連中のを手伝って、彼らが作る作品に携わることになったら自分が好むところまでもっていくわけですよ。で、「ああ、この連中の作品いいな」と、自分が入ってるからそう感じるんですけど。こんな感じだったらもっと日本の真ん中にいってもいいんじゃないかって思って。音楽って、大げさですけどその国の、もしくはその時代の顔のひとつじゃないですか。その顔がもうちょっと自分好みの顔になって欲しいなっていうのはありますから、それにもうちょっと貢献したいなと。自分の好みですけどね。
●自分好みじゃないっていうのは例えばどういうところなの。
D:それは、自分好みのものじゃ無いものですよ(笑)。もうちょっと自分好みのものが真ん中に増えて欲しいなというのがやっぱりあるんでしょうね。完璧に自分好みのものっていったら自分でやるしか無いし、発信しようと思ったらやっぱり自分が前に出なきゃパワーが弱いですから、プロデューサーやライターとしてじゃなく自分でかなあというか、まだ役割というか余地があるかなという気持ちがあって。色んなレゲエ・アーティスト、また色んな音楽がもの凄い今増えてるじゃないですか、簡単に作れる様になって、もう音楽が多すぎて、もう俺やんなくてもいいやって気持ちもあったんですけどね。誰が出しても埋もれていくし。
●そうだよね、今まで出てる昔の曲だけだって限りなくいっぱいあるんだしね。
D:逆にだから、もう凄く良いのだけを語り継げばもう出さなくてもいいんじゃないのって。だから今度はカバー・アルバムとかやりたいですね。みんなやるけど自分もやりたい気持ちがありますね、もう名曲だけみんなで歌ったらっていう(笑)。
●それは自分で作った曲のカバーっていう意味じゃなくて?
D:MOOMINにやったのもう1曲ありますよね、あれとかもやりたいし、世界の名曲も出来たらなと思います。ブラジルなんかもう原曲誰やねんってくらいみんな歌い回してるから辿らなきゃなかなか分らないですね。それでいいじゃんっていう。100年後に歌だけ残ればっていう。
●MOOMINの話しが出たから聞くけど、他の人にはどういう風に曲を書いてるの?人によって違うの?「栽培したい」だとリリックはDOZANになっていて曲の方はHOME GとMOOMIN になってたんだけど、あれは?
D:そうですよ、知らないですか?
●その現場にはいなかったから、ごめん。自分も関係してるけどさ。あれはトラック貰ってリリックを書いてるの?
D:あれはほぼ出来上がったオケにMOOMINの鼻歌のメロディーがあって。
●そうか、メロディーが出来ていてリリックを書いてくれと。
D:そうそう、あの時初めてDOZANっていう作家名義を使い出してずっとそこから(三木道三でなく)DOZANとしか名乗ってないんですよね。もしくはBESの時は「これからはこの名前にしよう」とか、MUNEHIROの時は「この曲はこの名前でいこう」とかちょっとずつ変えているんでけど(笑)。「栽培したい」は“♪ハハハハハハ〜”みたいな鼻歌に、オケも良くてコード進行も良くてメロディーも良かったから、聴いてザァーっとそのままいきましたよ。考えてやらない歌が一番強いんですよね、勢いで沸いて出るのが。これたまに語るミケランジェロのエピソードなんですけど、石を眺めてるミケランジェロに対して弟子がこう言うわけですよ、「先生何を考えているんですか、どんなものを彫るんですか」って。あ、そうだ、ダビデを彫ってくれって言われたのかな、でミケランジェロは「この中にいるダビデをどうやって取り出そうか考えてるんだ」って言って。その中に完全体として内包されてるものがズボっと出る感じですね。だから音楽でもうまく嵌まるとそういう感じだと思いますね。自分の中にあるものがもちろん多いでしょうし、コード進行とか色々、石は色々あります。
●うんうん、自分の好みのっていうか自分の中にあるコードとかノーツってあるよね。
D:そうですね、だから好みと嵌まったっていうよりも出てきた、そこにそうあるべき物が出てきたっていう様な感じでしたね、少なくとも僕はそんな感じであの時は作ったというか書いたというか。
●BESとの「絶対」とかはあれは2人で作ってるの?
D:今回のカバーのは僕がズボっと書いたのを歌ってもらいましたね、「絶対」って曲は。コンビネーションでやってる曲「誇り」は一緒に作りましたね、BESとはもう何曲も作ってるからだいぶ気心も知れてますねキャッチボールしながら、ピヤッピヤッとお互い出して、いいねいいね、みたいな感じで、歌詞もそうやし。
●個人的には結構これが好きだね。男の世界、日本人の。
D:でも女の子も好きですって言います。これ人気ありますね、やっぱり日本人の感じなのかな。
●そうか、構成とかも良くて、車の中で聴いていてちょっとグってなったよ。
D:僕もやっぱり先輩というか親方というか兄貴達とかに、育てられましたからめちゃくちゃ。本当に彼等無しに今の自分は無いですね。アキ・ソル、BPさん、この辺はもうレゲエの巨人、直接薫陶を受けて世に身を立たせてもらいましたけど、本当にあれ無しには無かったですね、山本さんもそう。その前に死んじゃったMC Christianってやつも。同い年ですけど。
●沖縄の?俺知ってるよ。
D:そうそうそう。
●ええっ、あいつ死んじゃったの?
D:とっくに自殺しましたよ。
●牧師の息子かなんかじゃなかった?話しが余分なとこにいっちゃうけど、90年代の初めだったけど俺がやってたさMCコンテストに沖縄から東京まで2度くらい出て来てたんだよ。会場でだけど話しした事あるよ。
D:天才でしたね、はっきり言って。沖縄の亀甲墓までお参りに行きましたけどね、悲しかったですね。
●そういう仲間とか先輩から影響を受けて。
D:教えられましたねめちゃくちゃ、影響も受けましたし。アキ・ソルの全国ツアーに自分で付いていって、こうやってやるのかと本当にもう原型はそこで作られましたね。あとBPさんにもかなり扉を開いてもらいましたね。今度はその教わった事を、自分のオリジナルも加えてBESとかに接してるって感じですね。
●今度のアルバムの中の事だけど、お寺と神社、これをモチーフにしてる曲ってそんなには無いよね、俺には目から鱗だったけどね。
D:ポップスでは聴いたことはないですね、しかもふざけてませんから。多少面白い要素は入れてますけど。
●いや〜でもね、確かにお参り行ったらさ、俺みたいなヤツでも瞬間、善人になってさ、こう無心で拝むわけだよ。
D:そうです。やっぱり、人間この神妙になる瞬間がいるんじゃないですか。神妙であったり敬虔であったり。僕はあるひとつの宗派に傾倒してるっていうのは無いんですけど、宗教は好きなんですね。なぜ好きかっていうと、ひとつは宗教芸術が素晴らしいからっていうのがありますね。レゲエなんかはもろにそうですけど、あとお寺に神社に教会にモスクに、もう美しいじゃないですか。うっとりしますね。神性を感じるものが好きです、神性っていうのは神の聖(ひじり)じゃなくて、神の性(さが)ですね。神がかりというか、これは何か人事を越えたものが宿ってるみたいなものであったり瞬間であったり芸術であったり、そういうのにこの触れたり立ち会ったり、もしくは生み出せるものなら生み出したり、そういうのが一番の興奮のひとつですね。
●そういうのを歌うのって実はなんか凄く難しい。特定の宗教とかを考えられちゃったりする様なところもあるじゃない。
D:まあね、でもレゲエも「神様!」とか、そんな事ばっかりじゃないですか。審判が下るぞとか、そんなんばっかりじゃないですか。
●でも、俺は別にラスタじゃないから距離をおいてアレを聴いてられるけど、日本に住んでいて神社仏閣が身近にあり、初詣や厄落としに行ったり行かなかったりいい加減な生活だけど、葬式があったら必ず坊さん呼んだりとかはやってるわけです。だから本当はもの凄く日常の話なわけで、こうして歌にするのは、実は凄く当たり前の事だったと気づかされたね。
D:良い意味で?
●もちろん、良い意味で。
D:まあ伝統芸能だとか芸術だとか、もしくはそういう神事だとか仏事だとかに関わる何かが出来たらやっていたかもしれないですけど、そういうのに触れて大人にならなかったもんで、憧れだけでやっとテーマにしては歌えるけど、本当はもっと何だろう雅楽とか出来たらなって思いますけどね。声明とか歌えたらなとか思います。歌というのか詠むというのか分らないですけど。
●俺はねレゲエってやっぱりストリートからきてると思ってるわけですよ。日本でも落語とかお笑いとか芸能はね。今は歌舞伎なんかは偉くなっちゃってストリートじゃない気もするけどね。でも、そのストリートなところから生まれてきたレゲエとかヒップ・ホップとか、落語みたいな芸とか芸人みたいなものっていうのはある意味体制側じゃなくて反体制。そういう位置にDOZANのアルバムもあるの
?
D:体制とか反体制とか?
●そう、そういうのはどうなんだろう?
D:僕はね、それはあまり考えてないですね。簡単にいうと“JAPAN一番”って言ったら右翼的というか、その次に出した曲が「むちゃくちゃやんけ」っていって、どっちかっていったら左翼的というか、なんせ日本を愛していると湧いてくる気持ち、それがこの僕の曲に反映されてるっていう感じですかね。また、色んなさっきも出た価値観ね、その背景である宗教、イデオロギー、生まれ育ち、貧富、国、民族、あちこちに正義があると思うんですよ。全部そいつらからしたら正義だと思うんですよね、だからあんまり「奴ら、この連中が悪だ」という様な言い方は僕はあんま気が進まないですね。その日本の愛する気持ち、憂う気持ちに対して自分なりに「それはやめてほしいな」という様な、まあ長期的、短期的いろいろありますから、もしくは急がば廻れもあるし、もしくは僕の見えないところでもっと悪い事から防いだり守ってもらっているケースもあるから、何かを一概に悪いとは言わないけど、目に見える「それはちょっと俺の理想じゃないな」っていう動きに対しては「こいつらは悪いやつ」みたいな気持ちがあって、だから歌詞にも「悪い奴等の」とか、そういうのはありますけど、誰がとか何がっていうのは前よりは更に慎重になってますね。
●なるほどね。あと「大仕事」という曲も名曲で、それこそこれで俺の奥さん泣いてたけど。
D:それも4年から6年前の歌なんですよ、だからその時吹き込もうかって事だったんですけど体調とか体勢が整わず、それはTELA-C(INFINITY16)のオケですけど、オケ聴いてビャーっとほぼ最後まで原型が一発で出た曲ですね、もう瞬間ですよ。ほぼ原型を書き終わるまで止まらないっていう。ほぼそういう曲ばっかですね、今回のアルバムは。だから自分の中ではかなりパワフルですね。
●そうか、これはずっと前に作ったのか。リリックとしては3.11以降に作ったなと思う内容で、勝手にもう1度自分でパフォーマンスしようという決意の曲だって思ってたけど、そうじゃないんだ。
D:うん違う、全然前です。まあパワフルな歌っていうのは普遍的ですよ。「東北讃歌」っていう曲ですら震災前ですよ。
●えっ、そうなの。それは聞いておいて良かったな。
D:うん。アイディアは最初にあったけど、結構色々考えて、スラッと最後まで書いた曲では無いタイプです。東北に縁が出来て何回か通って、温泉に行き、祭りを見て。そうやって数年かけて書いた曲です。その間に3.11があって。
●では、今後のスタンスというか、アルバムが今回出て、それでライヴはビルボード大阪と東京でやるわけだけど、そのあとのプランは?
D:それがね、まだその後は何も決めてないんです。とりあえずどういうステージになるのか、それを自分で見てみなきゃ分らないところがあって、、、。一昨日沖縄で歌ったんですけど、Raita とMi3っていうギターとキーボードだけ連れていきました。一種のシュミレーションですよね。そういうのを重ねつつ、また僕のリスナーというかオーディエンスも何個か層があって、僕はLifetime(Respect)の前からやってたわけじゃないですか、ジャパニーズ・レゲエの中だったら。
●もちろん。
D:石井さんのSOUL REBELにも呼んでもらって、その頃から。
●カセット『MIKI-FM』もあったしね。
D:そうそう、それが1996年で、その頃から第一線でいたからその時もファンがいて毎回パンパンだったし、めちゃくちゃ盛り上がってたし、それを好んだ人達もいれば、Lifetimeからの人達もいるし、それをきっかけに僕を知りました、レゲエ知りました、好きになりましたっていう人もどうやらいっぱいいるし、レゲエは興味無いけどあの曲だけをめちゃくちゃ聞いた人もいれば、あのアルバムをめちゃくちゃ聞いたっていう人もいて。シングルだけでも90万枚売れたし、アルバムでも50万枚だとか聞いたから相当聴かれてますよね。子供の時に親がずっと聴いてたとか、もしくは借りたとか、貰ったとか色々あって、だからその層もいて。で、今新しいアルバムを出してそれを気に入って聴いて来てくれる人もいるわけで、どんな人がお客にいるか分からないんですよね。だからその辺はもうちょっと距離感を今からジワジワ測りながらやるしかしょうがないですね。あと体力的な事もあるし、すぐに50代60代になると思ってるから、自分もお客さんも座ってやる場面を少なからず想定してますね。例えば、夜じゃないとかね、まだ少なくともカチッとした予定は無いからイメージもステージも決まってるとは言えないですね。
●三木道三って言ったら大和レコーディングスで『Lifetime Respect』があったわけです。今度は山本さんとやらなかったのはどういう理由?
D:彼自身がアーティストだし、今はエンジニアまで全てやる人で、スタジオでもいつ寝てるんですかっていうくらいずっと忙しいわけですよ。そしてまた、マネージメントとなると別の作業だから。でも、歌の録音自体はアルバム中で7曲録ってもらってるんですよ。
●そうなんだ。
D:だからクオリティーは山本さんに支えてもらってます。だからマネージメントであったりイメージ作りの件は、もう僕が主体になってやるべきかなと。大和レコーディングスからじゃ無いという判断はしましたけど、もうかなり支えてもらいましたね。また勉強させてもらいました。
●沖縄でのライブの話に戻るんだけど、MOOMINとも一緒にやったんでしょう?
D:「SUMMER RIDDIM」と「栽培したい」の2曲を歌いましたね。「SUMMER RIDDM」を作ったのも昔のOVERHEATスタジオで、オケ聴いてその場でバーッって書いたのを覚えてますけど、あれも結構瞬間で出来ましたね。あれはオケがスカなんですよ。でも僕がイメージしていたのは、今考えるとあれはソカですね。伝えきれなかったけどもっとガツガツしたものが欲しかったっていうのはあります。今はあちこちカーニバルにも行っててブラジルの北の方の音楽であったり、トリニダードのソカも通過したけど、それがその時はあんまり分らなくて伝えきれなかったんで、上代(学)君がスカを作ってくれて、あれはあれで良かったけど、どうやら自分の頭にあったのはソカですね、あの当時。
●そうなんだ。今回も入ってるよね、ソカ。
D:「Nippon!!」ね、あれも実はだいぶ前にできた歌なんですよ。今度ビルボードでやるモンパチのキヨサク(上江洌清作)とギターの崇と3人でトリニダードに行ったんですよ。そこからもう2年くらいソカだけしか聴かない時期が有りました。ちょっと(活動を)辞めるべ、ってなってから、すぐにブラジル行って、そこでサンバにハマって、サンバしか聴かなくなっちゃって、カーニバル行って、見て、もう感動して「あっ、遠回りしたけど俺はこっちだった」と思っちゃって、その後サンバばっかり聴いて何曲も覚えて、日本語でサンバの歌を作らせたら僕は多分一番上手いって思いますよ、今でも。でも、それ持って帰って来て山本さんに「サンバ作りたいから、プロデュースしてくれ」って言ったら、「無理、俺は無理」って言われました。「何でですか?」って言ったら「サンバを知らない」と。もう民族音楽だから楽譜とかそういうところでは分らない解けないものがあるからって。その後、神戸のサンバ・チームの練習に混ぜてもらいに行ったりだとか、ブラジルにも何回も行ってカーニバルにも何回か行きました。その後トリニダード行って、その後ブラジルの北の方のバイーアっていうとこも行って、そこのカーニバルも見て、そんなこんなギザギザになりながらやっとジャマイカ音楽に帰ったっていうのはありますね。
●なるほど。
D:あともう1回やろうかってきっかけをもうひとつ思い出した。だから何個かあるんですよ。ジャマイカのルーツ系というかワンドロップのゆっくりしたレゲエのリバイバル、これも大きいですね。今のダンスホールに、もう俺の好きなのはこんなのじゃないっていう気持ちにさせられてたっていうのもあります。最近っていってももう10年前とかですよ。僕はデイヴ・ケリーが出てきたあたりからオケが好きじゃなくなっていったんです。バウンティ(キラー)なんかも気持ち的には新しいアーティストの部類に入ってますね。その前のが好きやったから。ガーネット・シルクが死んで、タイガーが再起不能になって、そこで僕のジャマイカン・アーティストへのときめきは終わってましたね。
●分かるなァ。
D:分かるでしょ。だからその後にくるものにはあんまり熱くなれなくて、30も過ぎて良くも悪くも大人になって、でも向こうはダンスホール全盛だし、ここで俺がやりたい事は無いなっていうのもありましたね。かといって昔の音楽をやる人になる気も無くて、ひとつちょっとストップやなっていうきっかけのひとつでもありますね。もう1回歌を作ろうかな、こういうオケだったら乗せて歌いたいなという気持ちさせられたのも最近のジャマイカの傾向ですね。モーガン(ヘリテージ)なんかはずっといい感じにやってますけど。
●どんどん若いルーツ・バンドが出てきたりとかね。
D:クロニクスとかネイチャーとかあの辺いいですね、ジャマイカに制作に行ってやっぱり「これはいい、いつまでもこれを聴きたい」「日本でもこうあるべき」とか思わされるくらいパワーと説得力を久しぶりに感じましたね。昔はそう思って自分もやり出して。またレゲエを好きになった頃の「レゲエ最高やな」って気持ちを感じましたね。これならずっとやりたいなと、それも大きなきっかけのひとつで、だから今回のアルバムには、昔作ったソカっぽい1〜2曲以外は全部そんな感じでしょう?
●確かにどっちかというと歌のアルバムだね。
D:そうですね、だから今からは前みたいに飛び跳ねながら歌うというのはイメージしてないですね。けど昔からの第1層目の人達からは求められちゃったりするから、どうしようかなって(笑)。
●ハッハッハ(笑)。では昔の曲とかは今回のライヴではやるの?
D:沖縄ではもちろん「Lifetime(Respect)」は歌いましたし、「明日の風」とかそういうのは歌ってますけど、MIKI-FM時代のは歌っていないですね。
でもビルボードでは全層が楽しめる様に考えてます!
Japan be Irie!!