ART

Devin Flynn(#1)

 
   

Interview by Shizuo Ishii (石井志津男)

2014年9月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

一筋縄ではいかない多才なアーティスト、ゲイリー・パンターとバンドを組んでいるデヴィン・フリンがダブル・LP『Honeycomb of Chakras』を持って現れた。そのアバンギャルドなバンドDevin Gary & Rossとは?デヴィンとはいったい何者?まず前編はゲイリーとの出会いから。

●まずデヴィンとゲイリー・パンターの出会いについて聞こうか?

Devin Flynn(以下D): これはものすごくクールなストーリーなんだ。僕はLAで育ったんだけど、家の近所のスーパーマーケットでPee Wee’s Playhouse(CBS TVで全米放送されていた有名なキッズ番組)でゲイリーと一緒に働いていたリック・ハイツマン(デザイナーでありパペットの声なども担当)と父が出会うことがあったんだ。父がたまたまレジに並んでいてリックに話しかけたら、彼がPee Wee’s Playhouseで働いていることが分かったんだ。
(※ゲイリーはこの番組でエミー賞を3度受賞)「ワオ! 僕の息子はPee Weeが大好きです! 息子をあなたに会わせたい、近所に住んでいるんですか?」と言うことになって、僕はリックと会ったんです。でもその翌年に僕はNYへ引っ越す事になった。するとリックが「NYに行ったらゲイリーに会いなよ」と言って電話番号をくれたんですが「いやいや、怖いよ、僕は会いたくない」って。それはゲイリーのアートがクレイジーだから僕はとてもナーバスになっていたんだ。だから当時は一度も電話をかけることなんてなかったんだ。

●ははは、よく分かる。

D:僕はまだ18歳だったけど、既にゲイリーの大ファンだったね。しかし僕がゲイリーと会う価値のある人間だとは思っていなかったし、僕もコミック、アニメーション、そしてグラフィティをやっていてグラフィティ・アーティストとしてはLAではかなり名が知られてはいたんだ。僕もそこそこ上手なんだという自信はあったんだけどね、ゲイリーは別格に上手すぎる。彼に比べたら僕はまだまだだったからね。僕が一度も電話をかけていないのを知ったリックから「なぜ電話しないんだよ! ゲイリーはとってもナイスな人だよ」って言われたけどね。僕はNYに住み始めてロードアイランドにあるカレッジでアニメーションを専攻していて、そしてFunny Garbageという会社で働く事になったんだ。

●えええっ?!あのPink Donkeyを制作してた会社?

D:その通り! Pink Donkeyは僕がディレクションをしてた。つまり僕はゲイリーとベストのタイミングで遂に誇りを持って会うことができた。会うのを先延ばしにしていてホントに良かった。会ってみたら、僕たちは音楽やお互いの性格など、、しょっちゅうジョークを言い合ったりとか、好きな事がとても似ていることが分かったんだ。ただ実際の仕事はとても大変でした。Pink Donkeyという作品はCartoon Network(アメリカのアニメ専門TVチャンネル)のインターネット・プログラムの為に描かれていたんです。Cartoon Networkはとても大きい企業だからスーツを着た人達から「調子はどうだ?仕事を見せてみろ?」、「これはダメだ」、「これはやり過ぎだ」、「これは馬鹿げている、これは使えないぞ」と言われて、ただひとり僕がクレイジーなストーリーをキープ出来る様に努めていました。会社は、面白いというよりもシンプルな作品を一日でも早く仕上げて欲しいだけだった。でも僕はもっとアーティスティックでクレイジーな「これがゲイリー・パンターだ」と感じ取れるモノを創り出したかった。ゲイリーは、そこを分かってくれていたから僕はハッピーだったけどね。僕は2シーズンの間Pink Donkeyのためだけに働いたんだけど、会社は違う番組もやると言い出して僕はいくつか違う番組の仕事もするようになったけど、結局自分の好きな事をやり始めて会社からは僕が邪魔者になってきたんだね(笑)。僕はアーティスティック過ぎたというか、理想主義者というかね。僕も当時は25歳と若かったし、馬鹿正直だったから仕事もやり過ぎていた。だから会社から君がもう少し落ち着いて仕事ができるなら居てもいいが、そのままクレイジーでいるならクビだと言ってきたから「はい、僕はこのままクレイジーに生きます!」って、僕は会社を辞めて自分で会社を興しました。だから僕は自分のアニメーション・カンパニーを今やっているんだけど、あの会社を辞めた事も仕事のきっかけを与えてくれた事も今考えればハッピー。当時あの会社に僕が居られてゲイリーと仕事が出来たことも嬉しいよ。

●Pink Donkeyは誰のアイデアなんですか?

D:ゲイリーです。

●ではCartoon Networkに持ちかけたのは誰ですか?

D:それはスタテン・アイランド出身のPeter Girardiと Chris Capuzzoの2人がFunny Garbageという会社を立ち上げてCartoon Networkと仕事をしていたんです。彼らはグラフィティをやっていたというバックグラウンドがあって、僕がカレッジを卒業したころに友達が紹介してくれたんだ。デザイン・カンパニーだけどグラフィティ・アーティストがやっている会社なんて「凄いな! パーフェクトだ!」って興奮したよ。まだ僕はコンピューターを全く扱えなかったから彼らがコンピューターの使い方もアニメーション・プログラムも全部教えてくれた。僕がアニメーション部門で採用された初めての人間だった。PeterとChrisの2人はゲイリーの大ファンで、彼らからゲイリーにコンタクトを取ったんだ。そして彼らはCartoon Networkと初めてアニーメーション・オンライン・コンテンツの契約をしたことを説明したんだ。僕は98年からアニメーション・プログラミングを教えてもらいながら始めて、それを今でもやっているって感じだね。ただ当時はまだインターネットの速度が遅いから、アニメのストリーミングも遅かった。FLASHの出現はサウンドと映像の幅を大きく広げてストリーミングの速さに劇的な変化をもたらしたけれど、それでもまだまだ原始的なものだった。動きも今ほどは良くなかったよね。
 ゲイリーがPink Donkeyのアイデアを話してくれたとき、本当に驚いたよ。今までに彼ほどのクリエイティブな人には会った事がなかった。彼はいつも500%の力を出してきたよ、凄すぎたよ。アイデアもストーリーも信じられないぐらい沢山あって、いつだったか、色んなストーリーが描かれたとても分厚い台本を持ってきてCartoon Networkで働く大企業の人達とミーティングしたんだけど、それを見た彼らは「こりゃ膨大過ぎる、どうしたらいいんだ?」って苦笑いさ。僕の仕事はその膨大なストーリーをどうPink Donkeyに落とし込むかってことだけど、本当にクリエイティブで彼がくれた資料やアイデアは今でも全てキープしてあるよ。素晴らしい作品が多かった。だがそれらの半分も使われることはなかったけどね。とても可笑しくてむしろコミックのようだった。だからその全部をみんなにも見てもらいたいくらいだよ。

●それでは、今日持って来たレコードの話です。あなた達のバンドDevin Gary & Rossについて教えてください。

D:アナログを作る前に、このCD『Devin & Gary』を作ったんだ。きっかけなんだけど、ゲイリーが僕の家に遊びにきたことがあって、僕が音楽制作やプロダクションをやっている事を知っていたんだ。ある時ゲイリーが「僕はこの1曲だけを毎日弾き続けているんだ!」って言うと、そこにいた友達も真剣な表情で「本当だよ、彼は1曲だけ弾けるんだ。毎日毎日部屋で弾いているんだよ」って。それは「Outside Woman Blues」という古いブルーズの曲だった。「僕はこの曲をレコーディングしなかったら、これからもずっとこれをやめるわけにはいかない。だからレコーディングしてくれないか?そうすれば僕は次のステップに行けるんだ」って言うから、僕はOKして一緒に演奏したよ。演ってみたらゲイリーの演奏は、彼のドローイングと同じでクレイジーで、過激で無規律で乱雑なんだけど見事に天才的だった。それでその「Outside…」をレコーディングすることにしたんだ。だけど、それ以外にも曲はたくさんあったんだ。ゲイリーが「レコーディングの準備が出来たら教えて。演奏するから」って言うから、僕はレコーディングしてない振りをしてRECボタンを押したまま「ちょっと練習しといて」と言って近所にスナックを買いに出かけたんだ。帰ったらビックリ、ゲイリーが知っている全ての曲やアイデアを弾いてたんだ。それがあのCD『Devin & Gary/Go Outside!』だよ(笑)。

●だからGo Outsideなんだ。形にハマらないって言う意味でも良いタイトル。

D:彼の曲に沿って僕は全ての楽器でオーヴァーダビングして、バンドでプレイしている様なサウンドにしたから、とてもクレイジーで奇妙なものになった。ゲイリーはFrank ZappaやBeach Boys、 あとは教会とか宗教の曲なのかな?その辺からもインスパイアされていたからファーストCDは本当におかしなサウンドだよ。超クールだと思います。1998年から2000年のPink Donkeyで僕らは友達になって、それからも連絡を取り合いながら2004年にその曲をレコーディングして、2005年にリリースしました。そのCDを制作してからはずっと一緒に演奏していてもう9年になるね。実は今ここに現物は無いけど、これ以外にも1〜2曲リリースしています。それは70年代風の二つ折りのダブル・アルバムみたいな形態で、1枚はサイケデリック・ポップな音楽、もう1枚のレコードはドローイング・ミュージック、奇妙な音風景というかムード音楽というか、、不気味だけどドローイングとか仕事中に音が欲しい人には良いよ!

●あなた達のバンドで最も大切にしていることがあったら教えて?

D:僕たちの音楽で最も重要なのはサウンドで、音楽そのものよりも大事だと思っている。だから僕らは変わった音にとても興味がありヴィンテージのサイケデリック・ポップというか、忘れられたサイケデリック音楽の時代を復活させて、僕らなりのヴァージョンに仕上げた感じだね。自分たちのオリジナルも作っているけどサイケデリックなサウンドの影響を受けているね。ゲイリーがライトショーをやっているの知ってる? だからそれがライトショーの雰囲気にも上手くハマるんだ。最近も伝統的な60'sのライトショー・アーティスト、ジョシュア・ホワイトのライトショーの為の曲も作ったんだ。実はジョシュアがゲイリーのライトショーに出向いてパフォーマンスをしたこともあります。とても小さなギャラリーだったけどプロジェクターでライトを当てたり点滅させたり、切った紙のシルエットが投影されてとても美しい物でした。ハンドメイドで作られたゲイリーのスタイルが良く出たクールなものでした。
 ジョシュアは歴史的にもジミー・ヘンドリクスや、フランク・ザッパなどのパフォーマンスの後ろでライトショーをやっていた有名な人。”Band Of Gypsys”というジミー・ヘンドリクスのアルバム・レコードの中にライトショーの画像があるんだけど、それはジョシュア・ホワイトのものなんだ。ゲイリーは、ジョシュアの功績を愛していたから、当然のように一緒にやることになったよ。2人の偉大なテクニックを融合させて、ゲイリーの原始的でシンプルなテクニックはもの凄く大きなものになった。(持って来たアルバムを指して)このレコード「Lightshow Music」はミュージアムでやったライトショーのインスタレーションのサウンド・トラックなんだ。とても広いミュージアムだったから、この中に収録されている4曲を同時に、4つの角に配置したサウンドシステムから流してたんだ。とてもクールな体験だった。だから4枚揃えないと、ライトショーの追体験が出来ない様にしたんだよ。ジョークでね。でもたぶん誰も揃えてないね(笑)。Youtubeで検索してくれればその時の動画が幾つか出てくるんじゃないかな?ライナーノーツにはジョシュアとどのようにして出会ったかのインタビューが載ってるよ。

●忙しいはずのあなた達のバンドのリハーサルは?

D:どうしてなのか分らないけど、その頃の僕たちはほぼ毎週練習していたね。ゲイリーが8時に僕の家に来て、夕飯を食べて帰ってきて11時ぐらいまでは世間話をして、朝の5時までは演奏するって感じかな。毎回楽しくて仕方ないんだ。ゲイリーも凄く楽しみにしているみたいで、もし他のメンバーに用事があってキャンセルになるとすっごく落ち込んだりしてるよ(笑) 。今の僕はLAに引っ越してきてしまって、もう毎週は出来ないからとても寂しいけど、このプロジェクトは続けていきたいし、更にレコーディングもしたいよね。そうすればどこかの誰かが招待してくれて演奏出来るかもしれないからね。

●クリス・ヨハンセンたちともツアーをやったんだよね?(※Chris Johansen: もともとはベイエリアのスケートボーダー、そしてアーティスト)

D:そう、それはクリスのアイデアでツアーをやったんだよ! 一度彼らのSun Footというバンドとブルックリンで演奏したことがあって、僕らのバンドをとても気に入ってくれて「ウエストコースト・ツアーをしようよ」って気さくに誘ってくれて実現したんだ。
 Mark Kramer(http://www.kramershimmy.com)を知ってますか?KramerはShockabillyやBongwaterなどを始めとした有名カルト・バンドのメンバーなんだけど、80年代にゲイリーはBongwaterのカバー・アートを手がけていたんです。だからKramerとゲイリーは、旧知の仲でKramerがゲイリーにマスタリングしようと連絡してくれたんです。彼はShimmy-Discというレーベルをやっていて、今はマスタリングもやっていて、タダでやってあげると言ってきたんです。なぜならゲイリーは彼のアルバムのアートワークに1セントも請求していなかった。彼はKramerのファンだったからなんだけどね。ゲイリーが音を送ったらKramerがとても気に入って「僕もバンドに入りたい」と言ってきたんです。というよりも、もう彼の中ではそれは決定していて、クリス・ヨハンセンたちのSun Footとの西海岸ツアーにKramerはそのまま同行してしまいました。だからいきなりインディー・ロックのスーパー・アイコンがバンドに加わってツアーが始まってしまったんです。13年の話しですけど、それはとても光栄な出来事だった。
 僕らのバンドは大きな野望は持っているけど、名声や権力には全く興味がない。プロにもなろうと思っていない。共通の趣味を持つ友達とただ楽しくてやっているバンドという感じかな。

●ではあなたの本来のアニメーターとしての仕事は?

D:最近はPink Donkey以外にも色々とゲイリーとコラボもしているよ。LAで有名なTV番組の”Yo Gabba Gabba”のアニメーションも頼んでいる。子供向けの番組なんだけどちょっと日本の教育テレビにも影響を受けた作りなんだ。恐竜を描かせたらゲイリーの右に出る者はいないから、恐竜のアニメーションは当然ゲイリーに頼んだよ。僕はとてもラッキーさ。だってその番組で使われる音楽はジョージ・クリントンが担当しているんだぜ。最近のジョージ・クリントンの音楽はレゲエのヴァイブが少し入っているよ。だから僕とゲイリーが何かを一緒に作り出すと全てが上手くいく感じだ。僕らはお互いをとても信頼しているしね。ある日僕がゲイリーに「なぜ君は誰とコラボしても上手くいくんだい?」って聞いたら「僕はイエスしか言わないからだよ、僕が相手を信頼していて、相手にアイデアがあれば僕は常にイエスなんだ」って言ったんだ。僕は彼から学んだよ。頭が良くて人柄も良ければ何でも起きるんだ。ゲイリーは僕の先生だよ。

●ではFunny Garbageから出版されたCola Madnessというゲイリーの本はどのような経緯で出たんでしょうか?

D:先程話したFunny GarbageをスタートさせたChrisとPeter以外にもう1人、John Carlinというビジネスサイドを受け持っているいわばオーナーがいて、彼はChrisやPeterよりも前からGaryと知り合いだったんだ。

●ずっと以前っていうと、ゲイリーの弁護士だった男がFunny Garbageにいると聞いた気がしますが、、、?

D:そう、Johnは弁護士をしていた時期もありました。だから他の二人、ChrisとPeterはクリエイティブ・サイドを担当していました。その3人が中心でFunny Garbageをやっていましたが、Johnはもう一つRed Hotという会社もやっていてFela Kutiが亡くなった後にAids慈善事業として多くのレコードを作ったりしていたのですが、ゲイリーにCola Madnessという作品があるという話しを聞きつけたJohnがそれを援助したいと作品を見る前から話してきて、ゲイリーの作品を実際に見てリリースを即決したんです。でもCola MadnessのキーパーソンはECです。アレはあなたから始まったんですから。(後半「#2」に続くつもり・・・)