ART

有太マンが3.11をテーマにした最大級の「ソーシャル・アート」展をミラノで開催する!!

 
   

 本年9月から1ヶ月間、3.11をテーマにした過去最大級の「ソーシャル・アート」展を、イタリアのミラノで開催し、その軌跡をまとめた図録を出版したい。
 本気で、この世界の行く末さえ左右するんじゃないかというクラウドファンディング(https://camp-fire.jp/projects/780936/preview)、目標額800万円、どうかどうか、ご支援お願いいたします。
 私・平井有太が発起人となり、3.11と市民の放射能測定を軸に集まったアートコレクティブが「Nippon AWAKES」。この「日本の目覚め」という名称は平井のNYの友人ホセ・パルラが世界的ネットワークでつくった「Wide Awakes」の日本支部です。Wide Awakesはその当時リンカーン大統領を生んだ横に繋がる市民ネットーワークに付けられた名前だそうです。 
 2年前に開催した『AWAKES/みんなの目覚め』という大アート展を今度は「Legacy3.11(http://profile.nipponawakes.com/philosophy.html)」としてミラノで開催し、3.11から生まれた新しくも普遍的な日本発の価値観が、世界に蔓延する社会課題を解決する鍵となる、そのことを証明します。

 3年前の2021年3月11日、その時もRiddim(https://overheat.com/contents/awake/)に掲載いただいたクラファン『3.11、10年目の挑戦!「人間の表現」と「原発事故のファクト」のデータベースをつくりたい』がありました。

 そのクラファン挑戦がはじめてで、唯一の経験。しかも終了2分前に目標達成。歓喜と安堵に包まれた一方、あまりのプレッシャーに「もう二度とやらない」と強く思った記憶が蘇ります。
 ではなぜまたクラファンなのか。
 それは今、待ったなしの気候”崩壊”(”変動”どころか、もう”危機”でも足りない)に加え、2つの戦争、新しいウイルス、格差に貧困に差別と、あらゆる社会課題溢れる世界に必要だから。鍵は3.11直後、私が移住した福島で見つけたものにあります。

 私たちは2021年のクラファン成功後、Nippon AWAKESとして「何よりも先に、お礼と報告をせねば」と話していました。そこに下町・深川の市民芸術祭「本と川と街」からのお声がけで、まず「日本の目覚め」展(The Bee’s Knees、2021)が実現。それはNippon AWAKESメンバーの写真家・中筋純と私の合同展示という内容でした。
 中筋はもともと全国各地の廃墟を撮り続けていた経験から、チェルノブイリも撮影。その先に起きた原発事故後の福島の撮影を執拗し続け、構築した独自のネットワークと巡り合った地元アーティストたちを束ね、南相馬市小高区にまったくDIYの美術館「おれたちの伝承館」をつくってしまった人間です。

 翌年の3月11日には、当時ロシアのウクライナ侵攻が起き、福島以前からチェルノブイリを撮ってきた中筋の写真を中心に「ソーシャル ~測って、生きる。」展(EARTH+GALLERY、2022)を開催。同展は「日本の目覚め」展に来てくれた、木場にある大きなギャラリーのサポートのもと具現化し、社会学者・宮台真司さんもトークイベントに参加くださいました。
 するとある企業の代表の方から、「予算は用意する。そのテーマで、もっと大きな場所でやってみないか」という声がかかります。わらしべ長者のような連鎖が、3.11以降に同文脈では最初の巨大インパクトだった「大友克洋GENGA」展(アーツ千代田3331、2012)と同会場での、「AWAKES みんなの目覚め」展(アーツ千代田3331、2022)に結実しました。

 会期中のある日、訪れたある家族が何か騒がしくしていました。奥さまはどうやら日本人だが、旦那さまは白人。言語も英語じゃないようだが、赤いTシャツにはなぜか(ウーゴ・)チャベスの名が見える。「面白そうだ、話しかけてみよう」。
 それが今回ミラノでの「Legacy3.11」を立案してくれた、グイド・フェリッリ教授でした。

 聞けばIULM大学で経済学を教えているが、3.11はライフワーク。自費で『3.11への文化からの応答 24人のクリエーター・文化人へのインタビュー』(赤々舎、2016)という著書も刊行している。Awakes展を見て、「素晴らしい。ミラノへ持って行こう」という言葉から約1年後、「有太!場所が決まったぞ!」「今やっているのはコレ」と送ってくれた写真に写っていたのは、アンディ・ウォーホル展でした。
 「時期はミラノ・ファッションウィークと重ねた。ミラノに一年で一番人がいる時期!」「ミラノ市と日本領事館の後援もとりつける!」。興奮気味のグイド先生の言葉と、予想をはるかに上回る立て付けにワクワクしながら、正直「おいおい、これはオオゴトだぞ」と心配も芽生えました。

 その漠然とした不安はその後、当時まるで予想できていなかった円安と物価高騰として表出します。また、3.11というテーマはポジティブに「復興」を語れない、天災と人災が複雑に絡み合った複合災害であるがゆえ、もともと日本社会と相性が良くありません。
 そして関係者全員がボランティア、または持ち出しで関わる、草の根のアクティヴィズムにありがちなこの様式には、最も大切な持続可能性もないのです。
 その上2024年は3.11から13年という、10年とか15年の節目でもない。かたや国内では能登をはじめ、自然災害が恒常的に起きています。その中で走り回り、力不足を痛感した結果、私たちは最終的にこのタイミングで、クラファン実施の決断をせざるをえない崖の淵に立っていました。

 今回ミラノの地で私が宣言してくるのは、ある意味でその本場ヨーロッパで「民主主義の次の仕組みが必要」ということです。
 それは今世界を見渡して、「民」を「主」とした仕組みが機能不全を起こしているから。環境を破壊し、人間同士で殺し合うことをやめる。その次にくる社会システムの萌芽こそが、私が東北で、私の立場では特に福島で見つけたものでした。
 地球上において、どれだけ弱者を救い、マイノリティを擁護しても、とどのつまり人間は生態系の圧倒的強者。もちろん、時の為政者に対して民衆を鼓舞することは大前提。ただ現実問題、肝はもっと足元にあり、例えば私たちは私たちを形成してくれているものの根源が、豊かな大地と、さらにはそこに住む微生物であることを思い出す必要があります。
 この惑星がなくなれば、文化も哲学も、政治や経済も、今私たちが真面目な顔で話し合っているすべてが存在できない。今年の暑さに言及するまでもなく、この大変化を、私たち全員が肌で感じながら何もしないほど滑稽なことはありません。

 私はそれを「BIOCRACY(ビオクラシー)」=「生命主義」と名づけました。
 唐突に放射性物質が降った農地で、作物や土壌の放射線を測り、復興に邁進する農家。2011年の4月には市内が現実に毎時24マイクロシーベルトあったという記録が後から出されるような環境の中、妊娠中だったり、幼子を守るためにあらゆる手段を講じる若いお母さん。私が最も学ばせていただいたのは、権力や立場のある存在より、現場で日々を生きる市井の民からでした。
 すべては循環の中にある。
 動物や植物、海、総じて自然が大切なのは言わずもがな。
 結果論ですが、しょせん「民」ごときが「主」であるという態度そのものがおこがましい。現実の体たらくに言及するまでもなく、私たちはもっともっと謙虚でなければ、暮らしているこの地球そのものが持続できません。そしてしわ寄せは必ず、社会的弱者からまず被害を受けるのです。

 自然災害と共存してきた日本には、太古から自然を畏怖し、敬い、共生する意識がDNAに刷り込まれています。
 この説得力は、稀少です。さらに私たちは世界で唯一原爆を、しかも2発、受けている国でもあります。
 その価値観は今後もっともっと有効になる。
 これから地球の人口はさらに増え、食料が必要になります。しかし人類が今の調子で、いくら主張が正論でも、それぞれの取り分を主張しているだけでは、戦争が頻発し地球がただただ消耗していく。そんな未来が目に見えてしまっているのに、何もしないわけにはいかないのです。
 浴びるように聴いてきた音楽、食べてきた美味いもの、心に突き刺さったままの映画、小説、生きる楽しみすべてが消失するかもしれない。
 世界がこのまま崩壊しようという時に、何よりまず私たち自身が、日本史に残る大きな傷跡から、瓦解に歯止めをかける解が生まれてきている事実を認識しましょう。

 目を覚ます。そしてそれが世界の舞台に立つ。
 これはほんのはじまりで、これを成し遂げてすべてが終わるわけでない。ここから、今まで関係してきてくださったすべての方々との協同がはじまるのだと思っています。
 あれだけの事態を乗り越え、語り尽くせぬ想いを抱えた人々には、その苦労と同等かそれ以上に報われる権利があります。原発につきまとう「差別の構造」を突き抜けて、世界に「誰でもできる」可能性を示す希望を示すべく、皆さまの力が必要です。
 もう他人任せの他人事は、お終いにする。自分で考え、選び、自ら動いた蓄積で構築する社会の在り方。顔の見えない大きな何かでなく、小さくとも想いのこもったモノの集合体。
 傷ついた分だけ誇ることができる、その体感を自分ゴトとする上でも、本クラファンをぜひどうか、よろしくお願いいたします。

 私は3.11以降の福島を「ヒップホップを生んだブロンクスが、日本にできてしまった」と捉えて飛び込んだ人間です。
 持たざる者たちがひねり出したヒップホップが50年の時を経て、世界を席巻しています。3.11に、日本のみならず世界を震撼させたカタストロフィのレガシーを、世界に実装させるのです。
 ここで、燃え尽きるわけにはいかない。