MUSIC

First Visit to Japan Christopher Ellis

 
   

Interview by Shizuo”EC” Ishii & “CB” Ishii Photo by EC

2014年10月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

Alton Ellisの息子、Christopher Ellisが初来日。横浜レゲエ祭、ジャパン・ジャマイカ・フェスティバルなど日本各地を廻った。偉大な父を持つサラブレッドはとても育ちの良さそうな気さくな男。

●イギリスで生まれですか?

Christopher Ellis (以下、C) : そう、ロンドンで生まれ育ってるよ。17歳になるまではジャマイカには行った事がなかったよ。僕はいい環境で育ったと思うね。子供の時はJohn HoltやKen Boothがよく父に会いに家に来てたし。

●昨年リリースした5曲入りEP『Beter Than Love』がとても良かったよ。あなたはとても良いシンガーだね。これはジャマイカでレコーディングしたの?

C : いえ、マイアミのJr. Gongのスタジオでレコーディングした。ドラムはJulian Marley、 キーボードはJr. Gongとみんながそれぞれの役割でやってくれたからとても良い物に仕上がったと誇りに思っているよ。この5曲はオリジナルだし、このEPはとてもスペシャルでユニークなものだよ。だってロックステディのEPだよ。ここまでみんなロックステディにはこだわってリリースしてないからね。最近Tarrus Rileyが出したくらいかな。このEPは次に出る僕のアルバムの一部にもなるし『Better Than Love』はイギリスではとても評判が良いから、もし父がこのEPを聞いたらきっと気に入ってくれたと思う。彼のスタイルに近いしね。

●その次にリリース予定のアルバムもEPのようなロックステディ・アルバムになるんですか?

C : もちろんだよ。そうじゃないといけないと思っているしね。EPの何曲かにプラスして新しい曲も入るよ。僕にはそういった音楽をやる義務みたいなものがあるんだ。だからロックステディの曲は必ず入るし、もちろんもっと違ったスタイルの曲も入れて12曲入りになる予定だよ。来年はアルバムを出す予定だけど、充分に曲は揃っていて今は選んでいる段階かな。

●音楽でお父さん以外に影響を受けたアーティストはいますか?

C : USHER、ソウルシンガーのJOEなど色々な音楽を聞いてきた。レゲエだけを聞いていたわけじゃない。ソウル、R&B、ポップス等違うジャンルの音楽も聴いていたから誰か一人に大きな影響を受けたというよりは、色んな人から影響を受けているかな。ただ正直に言って父の影響は大きいけど、それ以外だとDelroy Wilson、Ken Booth、John Holt、Phyllis Dillon等のオールド・スタイルが好きだね。今現在活躍しているアーティストであればTarrus Riley、Jah Cure、Jr. Gongを尊敬しているよ。Chronixxもとてもいいね。

●お父さんからはどういったアドバイスがありましたか?

C : 父は高音の出し方や歌のスタイルはもちろんのこと、1人の人間としてのアドバイスなど沢山だ。11歳の時にKen BoothとJohn Holtと父が出たビッグ・ショウで初めてステージに立って「I’m still in love
を歌って、それからずっとやってここまできた。でも何かを直接アドバイスされたというよりも、父にいつもくっついていた事で目で見て学んだ事の方が多いと思う。父はとても謙虚だったね。Sugar Minottにもお世話になった。父が亡くなった時に埋葬しにジャマイカへ行ったんだけど、Sugarは僕を見るなり”いつでもスタジオに来て、好きに使っていいからね”と言ってくれたんだ。だから数ヵ月後にはハングアウトしたり何曲かレコーディングしたりしながらほぼ毎日Sugarといたよ。Sugarは僕の父が大好き過ぎて、彼の長男をAltonと名付けたくらいだから。Sugarは人間的にとても素晴らしい人で今までに色々なアーティストに手助けをしたんだ。

●俺にも84年にSugarが来日した時に、Gladdyというピアノ・プレイヤーを紹介してくれたんだ。 “この男はひとを押しのけて前に出るタイプではないけどジャマイカの音楽にとても重要な男なんだ“と言ってね。もちろんGladdyはAltonともたくさんプレイしてます。Bob Marleyを始めStudio OneやDuke ReidのTreasure Isleなど沢山の人とレコーディングしています。5〜6年前にDennis Bovellに会った時に”Gladdyを知ってるか?”って尋ねたら”僕はGladdyを真似してピアノをレコーディングしたことがあるよ”って言われたんだ。後でDennisが弾いた曲をYoutubeで検索してみたら本当にGladdyに似ていたんですよね。GladdyとLynn Taittはとても仲が良くて、彼ら2人がロックステェディのある意味キーマンでもあるんです。

C : Lynn Taittはこの音楽にとても重要な人だよね。Sugarを含め彼らはもっと賞賛されるべきだよね。もっと功績を讃えられるべき人達なんだけど彼らは純粋に音楽が好きなだけで目立とうとしなかったからね。Don DrummondとJackie Mittooも重要だった。

●そうだね!

C :父はJackie Mittooが大好きで、父が「I’m still in love」を書いた時にJackieにアレンジしてもらいたくてギターを持って聞かせに行ったんだ。それを聞いたJackieは”OK、OK!”ってあのキーボードのフレーズを乗せてそこで出来上がったのがあの名曲なんだ。だから父はいつもJackie Mittooのことを天才だと褒めていた。母がJackieのライブを見た時には、キーボード・プレーヤーなのに靴を脱いでステージに上がってつま先立ちでプレイしてたって。ヤバいよね!

●ははは、インタビューに戻ろう! Tarrus Riley, Chronixxなど沢山の2世アーティストが活躍していますが、あなたはどうやってお父さんを越えていこうと思っていますか?

C : これからは僕の事を知っていても、僕の父を知らないファンも出てくるはず。だからそういう人達にAlton Ellisとはどういうアーティストだったかを知ってもらう良いきっかけになる。自分のやり方をやっていけばみんな僕の事を分かってくれるしね。僕たちは両親と競争してるわけではないよ。何かを付け足してより良い物にする。だから僕はこの仕事はとても意味のある事だと思うし、素晴らしい使命だと思う。だってこの遺産にさらにプラスしていけるんだよ。

●お父さんの一番のセールスポイントはどこだったと思いますか?声ですか?リリックですか?メロディーですか?

C : 声はとてもユニークだと思う。歌い方にもスタイルがあったし、高音もとても良く出て僕よりもキーが高かったからね。

●お父さんの曲で一番好きな曲は? 僕はAlton自身の一番大好きな曲を知ってますよ! 以前僕に言ってくれた事があるんです。

C : 全部が好きだからピックアップするのが難しいけど、どうしても1曲選ばなければいけないと言われたら「Breaking up
だね。とてもスペシャルでソウルフルだ。

●なるほど。ではAltonが一番大好きだった曲は「Muriel」です。

C : あー、そうか! 確かにそうだと思う。

●Altonがジャマイカで運転していた車を覚えていますか?

C : あっ、フロント・ウインドウに「Muriel」と書いてあった! その車は僕の兄弟がまだ持ってるよ。”Muriel”って書いてあるよ(笑)
父が19歳だった時の一番初めのレコーディング曲だよね。まだシンガーじゃなくてダンサーだったんだよ。それで誰かにトレンチタウンでのコンペティションに出場してみなよって言われて出たんだよね。でも当時、父はソロ・アーティストではなくて相方のEddyとデュオで「Muriel
を歌ったんだよ。優勝者はアメリカに行けて大物アーティストの前座を出来るというものだった。そうしたら2人は優勝したんだけどチケットは1枚しかなかった。父は優しいからEddyに行かせたんだよね。そうしたらEddyはアメリカで半年間Sam CookeとMarvin Gayeの前座をやりながらツアーに同行出来たんだ。でもジャマイカに帰ってきたらEddyはビッグになりすぎてしまってすぐにデュオを解消しちゃうんだ。そこで父はCoxsonのところへ行って「Dance Crasher」を出して大ヒットするんだよ。そこからはみんなも知っている通りヒット曲を連発してスターになるんだけどEddyはヒットには恵まれず、今はアメリカの田舎町で工場で働いているらしい。

●お父さんが亡くなる前に何か聞いておけば良かったと思う事はありますか?

C : ないよ。なぜなら僕は父の熱狂的なファンだったから、毎日連絡して会っていて、母には”あなたは取り憑かれているわ”って言われていたよ(笑)。それに僕には1個だけタトゥーがあるんだけどAlton Ellisと彫ってある。でも亡くなってから彫ったんじゃない。10年前に彫ったんだよ。兄弟はお父さんがなくなってから焦って入れてたけどね(笑)。 だからお父さんは僕のこのタトゥーを見ているよ。だから一つ悔いが残るとすれば僕が作ったこの曲を聴かせてあげられない事だね。でも何も後悔はしてないよ。

●では、ファースト・アルバムを期待しています。そしてこれはとてもパーソナルな事なんですが、、最後に一つだけ確認したいことがあるんだ。Altonに特に用事があったわけでもないのですが彼に電話をかけたんです。”あれっ、今イギリスは夜中の2時でダメだな”と思って受話器を置いたんです。それが日本の10月11日の朝、イギリスは10月10日です。

C : それはきっとお父さんがなくなったくらいの時間だね。夜中の2時に息を引き取ったから。僕はお父さんと病院にいたよ。