Text by有太マン Photo by RealShot MASATO
2019年11月にRiddimOnlineに掲載されたインタビューです。
日本語ラップにおける「BUDDHA BRAND」の名の、受け取り方に多様性はあれ(10/17放送のテレビ朝日・アメトーーク!「ラップ大好き芸人」参照)、その存在の大きさを認めない人間はいないだろう。
フロントマンだったDEV LARGEの逝去が伝えられたのは2015年。その衝撃から4年が経ち、いまだ人々の心から消えないうちに、新アルバムが発売される。
タイトルは『これがブッダブランド!!』。
今回いただいたのはラッパーのお2人、函館に移住したデミさんことNIPPS、蒲田在住のクリさんことCQが揃う貴重な機会。そこに、コン(またはヒデ)さんことDEV LARGEのNY時代からの親友であり、ブッダよりデビューが早かったことでライバル視もされていたクボタタケシさんに同席いただき、画期的な鼎談が実現した。
●僕自身が最初に『人間発電所』を聴いたのが、渋谷Organ Barオープン直後頃、クボタくんと毎週金曜日にDJをやらせてもらっていた時でした。当時コン(デブラージ)さんがたまに顔を出して、プロモをクボタくんに渡し、それを聴かせてもらって「超ヤバい、、!」みたいな。
NIPPS(以下、N):サイコーです。
クボタタケシ(以下、クボタ):今回いきなり連絡あって、ビックリしたよね。また「誰か何かあったのか?」って。
CQ(以下、C):たぶんデブラージは、すごいライバル視してたね。「先にCD出しやがった!」みたいな。
●「キミドリ」ですね。
C:それでたぶん、ムキになってデモテープを送りつけてたでしょう?(笑)
クボタ:手描きのデモテープ。本当のデモね。それで、オレはそういうテープを石田(ECD)さんとかみんなに渡して。
N:そうだー。
C:最初はじゃあ、クボタ「さん」が(笑)。
●そこでまず、ブッダの新しいアルバムがかたちになった背景やエピソード、経緯を伺えたらと思います。収録曲は、すでに完成品としてあったものを再発掘したり、いろいろな理由で未発表だったりしたものということで間違いないしょうか?
N:それもあるし、掘り起こしたり、新しくボーカルを入れた曲もある。あとは、前に録っててリリースしなかったものを入れたり、本当に昔の昔、最初の頃に「やろう、やろう」と言っててやらなかった曲を遂にやって入れたり。
C:整理をして、出てきたという感じかな。それは、エンジニアの人にお金を払ってなかったり、そういうこともイロイロあったのを整理して見つけてきたというか。
自分的には「世に出なくてもいいや」、「恥ずかしい」と思ってた方だから、でも「せっかくあるやつはみんなに発表してみようか」ということになって。
クボタ:出るっていうのは、もともと決まってたの?
N:全然決まってなかったよ。ただ、なんか「やらない?」って話になって、「何やるの」みたいなことになった時に、未発表曲が出てきて「これ寝かしておくのももったいないから、かたちにした方がいいんじゃない?」みたいな。タイミングもよかったし。
クボタ:コンは、出さない理由はあったの?
N:そんなことはない。出す予定だったやつも、結局(体が)具合悪くなっちゃったりとか、オレと連絡つかないとか。
C:溜まってから出そうと思ってたんだろうけど、途中ですぐ次の曲っていう風にいかなくなって、身体も弱ってきて、制作しなくなって、それでいなくなっちゃったという。本当はもっとちゃんとしたというか、10何曲入ってる、今回みたいな6曲入りじゃあたぶん出さないだろうし、病気したり、延びて延びて。だからこれも、6曲以上無理してつくって出してもしょうがないという判断で。
トラックなんかは他にもいっぱいあるんです。
N:あるある。残ってる。
C:でもそれを、何の相談もなく勝手に出すのはデブラージに悪いので、「やろう」と思ってたやつだけをまとめたんです。
●では、お2人にしてみると「懐かしい」みたいな感じですか?
N:というより、忘れてたよね。「こんなのあったんだね」みたいな。
●ディスコ大ネタの曲とか、ダンスフロアでのスマッシュヒットを予見して、満を持して出そうと
していたんだろうなという気がしました。
C:あいつ、昔からディスコも意外と好きだったよね。
N:一番最初につくった曲もやっぱりディスコをサンプリングしてたもん。
C:初期のデモテープでは、『Saturday Night Fever』とか使ってたし。すごい初期、出ないで終わったけど。
N:あれも出なかったね。
●サンプル許可が難しいとか、、?
N:それよりも、そもそも曲がそんなに仕上がってなかったよね。つくりはじめの頃で、生々しいと言えば生々しいというか。その後につくる音とは、ちょっとサウンドが違うというか、時代も違うし。アーリー80’sだからね。
●お2人とクボタくんはNY時代から交流あったんですか?
クボタ:ないない。でも、コンとは88年から、あいつがNYでオレがニュージャージーにいて、一緒にレコード屋行ったり、あいつの家に遊びに行ったりして。そしたら自作の、ビッグ・ダディ・ケインをずっとループしたビデオを観せられて。
N:(笑)
C:ええ、知らない(笑)。
クボタ:ケインが大きくなったり、小さくなったり(笑)。それはまだ、あいつがやり出す前だから。
C:すごい髪型してた?
クボタ:KID ’N’ PLAYみたいな髪型してたよ(笑)。こういう、何て言うんだっけ、、
N:ハイトップフェイド。その前はロン毛でね(笑)。
クボタ:それはメタル好きだから(笑)。
N:ハンク・ショック・リーが大好きだった。ボム・スクワッド。
クボタ:いつも自分でおにぎりつくって、マンハッタン来て、レコード屋行って。「そこのチャイニーズ行こうよ」って言っても、その頃から身体気をつけてたのかな?
C:お金持ってないだけでしょ(笑)。
N:いつも水筒持ってたもん。
クボタ:持ってた、持ってた。
●コンさんとクボタくんとの、本当に最初の出会いのきっかけというのは何なんですか?
クボタ:出会ったのは1988年。オレの10代初めニュージャージー時代の親友が、コンと同じ茅ヶ崎の高校の同級生。そいつが「ヒップホップがすごい好きな面白いやついるよ」ということで紹介してくれて。それであいつの親もウチの親もNYに住んでて、いや、コンは高校卒業してもう戻ってたのか。で、里帰り的な感じでNYに帰ったりした時に会って、「パブリックエナミー出た」だの「ウルトラマグネティック出た」だので一緒にレコード屋まわって。
●そこの出会いと、お2人との出会いはまたちょっと違うんですね。
クボタ:あいつとオレは同級生だけど、2人は上だもんね。
N:あんまり関係なかったけど。最初から下も上もないって感じで。
●デミさん(NIPPS)はいつからNYにいらしたんですか?
N:オレは生まれて8ヶ月からあっちに小学校5年までいて、その頃日本に戻って中学2、3年やって次はカナダに行って、カナダから戻って就職したんだけど、2年くらいやったんだけどまたNYに行っちゃった。
NYに戻ったのが85年なんだけど、その前に渋谷に「ヒップホップ」って店があって、当時そこでやってたDJ YUTAKAが好きで、Tool’s BarのYUTAKAの日とかレゲエの日とかも行って、オレはわりと何でも聴くから。
それでヒップホップにいた時に、「これからバブルで有明とかにクラブできる」とかいう時期だったんだけど、そこで「お前も来て欲しい」とか言われても、なんか「つまらなそうだな」って。日本がつまらなくなってきちゃってて、「今20歳でNY戻ったらどんな感じなんだろうか」と思って、何か見つけに行こうって戻ったんだよね。
●85年のNYと言えばカルチャーの黄金期です。
N:でも実は81、2年もちょっとだけいるんだよ。当時はまだ、ヒップホップというジャンルがまだまだ、白人のバイヤーがいるレコード屋にヒップホップとかラップというジャンルそのものがなかったよね。専門店に行かないと、バイヤーがまだ手を出してなかった。
ラジオもすごい分散されてて、白人が後で買収したような感じのラジオ局ではなく、ブラック・ラジオではチャック・チルアウトやレッド・アラートが、本当に良かれと思ってかける曲だけをかけて、逆に言えば変な曲がかかってなかった。
●CQさんは、NYでデミさんと会ったことでヒップホップへの理解を含めていった感じでしょうか。
C:そうだね。日本でも聴いてはいたけど、全然そんなに詳しくはなかったよね。
それでデミが、当時ロッカフェラーセンターで毎朝撮影してたズームイン朝の照明のバイトをやってて、マスターキーがデミを紹介してくれて。
N:最初、マスターと友達になって(笑)。
照明やってると、「あれ、あの子先週も先々週も来てたな」とか思って。「寂しいのかな?」と思って、それにカラーズみたいな、それっぽい格好してるから「ヒップホップ好きなの?」ってオレから声かけて、「好きなんだー」みたいな話をして。「これこれこういう理由でNYに来て、これからいろいろ学んで行きたいと思う」的なことだったので、じゃあ「とりあえず一服しながら、ミュージック・ファクトリーに行こうよ」って言って連れて行ったの。
クボタ:それ何年だったの?
N:86、7年くらいじゃない?オレが21ぐらいの時だから、88年にはもう知り合ってて、がんがんハウスかかってた。ハウスもよく聴いた。
C:ハウスで踊ってたもんね。ハウスもレゲエも全部聴いてたよね。途中でヒップホップがハウスに負けだして、つまんなくなってヒップハウスみたいになっちゃって、それくらいの頃は厳しかったけど、それも今聴くといいのかもしれないけど。
●そこにコンさんを誰がどのように連れて来るんでしょうか?
N:ヒデ(デブラージ)が働いてたレストランに、マスターがビデオの配達をしてたの。それをやってたらヒデがそこで働いてて、そこでもやっぱり音楽の話が出たんじゃない?たぶん、オレと同じような知り合い方だったと思うんだけど。
C:当時日本人がそんなにいなくて、しかもそれなりの格好しているやつがいないから、見ると「ヒップホップ好きなの?」とか、そもそも日本語喋れなくて寂しいから、自然につるむようになっていくんだよね。
N:特にそれ以上の広がりはないんだけどね。
●その後、ブッダになったじゃないですか(笑)。
C:クラブ行っても、アジア人自体がいなかったよね。観光客もわかるしさ、でも、ナンパしてもすごい嫌われて。
N:だから、マスターに紹介してもらったの。初めて会った時のことも覚えてて、100回くらい名前聞き直して、すげー嫌な顔してた。「何だっけ、君の名前?」って、何回も言うんもんだから。
全員:(笑)
C:オレは「いくつですか?」って敬語使ってて、自分より絶対年上だと思ってて。
N:おっさんだと思ってたもん、オレ。
全員:(笑)
N:「19なわけないじゃん」、「先輩やめてくださいよ」みたいな。5つ離れてるから。
C:「え、年下じゃん」ってなって。
●そこは、外から見ているブッダはコンさんが前面に出ていて、意外な部分でもあります。
N:出たがり屋だからね(笑)。
C:NYにいる頃はそんなでもなかったんだけど、ブッダとして日本に帰ってきて、あいつがしっかりしないとどうにもならなかったから。最初はマスターキーがリーダーだとか、勝手に言ってたんだけど。
N:名前だけのリーダーで、何も進まないってなって(笑)。「ナンニモ専務」ね。オレは「ヘンタイ課長」。そこでヒデは、「オレの役割多いから、取り分も多く」とか言い出して(笑)。
C:下手するとライブの時でも、「オレのバースが長くあるから、その分くれ」って言ってた時あるもんね(笑)。結局はそこまで払ったことないけど、でもそれ言い出したら、デミの名前で来るお客さんの方が多いかもしれないんだから、分量じゃないじゃん。
●コンさんはラップで、デミさんに大きな影響を受けていると聞いています。
C:だから、あいつの本当は思ってなくてもそれを口に出しちゃうことがあるみたいな、わかるでしょ?(笑)
●クボタくんとの関係性でも、そういう部分はありましたか?
クボタ:いや、真面目なんだよね。ハジけるところハジけるんだけど、例えば言っちゃいけないこととか言うと、「お前、さっきのあれ何だったんだよ」とかさ。「いいじゃん、そこ流せよ、お前」とか言うんだけど(笑)。
N:(笑)
C:自分で冗談言っておいて、他の人が言うと冗談が通ない時とかあるでしょ。
クボタ:それで急に「おいクボタ、悔しかったらオレにドーンとぶつかってこい」とか、全然意味がわからないこと言ってきたり。「どうだ、悔しいだろう」、「かかってこい」って(笑)。
N:あいつ、ホント変態なんだよね(笑)。
●では本当にずっと、お互い切磋琢磨し合う関係だったというか。
クボタ:オレは「すごいな」と思ってただけで、ただ作品をオレの方が早くやっただけで、こっちはこっちで。
でも、テープを聴いた時からこの3人はすごかったから「すげえのが出てきたな」と思ったし、だからこそみんなに聴かせて、やっぱりどんどん行くわけじゃん?
だからオレは「悔しいな」とか、そういうんじゃなかったけどね。純粋に「すごいな」って。
●ブッダの魅力を、少し詳しく、お話できますか?
クボタ:ラップが3人ともそれぞれ違ってて、それまでの日本語のラップで聴いたことなかったよね。
C:デミとかすごくて、「あ、デミみたいになりたいな」と思っても、同じにならないんだよね、同じことやってるつもりでも、全然。昔ってもう、「どうやってラップするの?」という感じだったじゃない。すごく格好いい日本語でラップする人がいないから、「オレなんかでもできるんじゃないか」って感じで、どうすればいいかわからないウチに、3人とも全然違う感じになったんだよね。なんだかんだ、似たようになっちゃうグループもあると思うんだ。
N:でも3人、共通点はあるよ。
クボタ:言葉のチョイスとか、、
N:言ってること、言わんとしていることが似てるよね。違うワードプレイだけど、パターン的には3人とも一緒というか。
C:つるんでるのは、結構重要だと思うんだよね。しょっちゅう遊んでるとかさ。
クボタ:これはコンにも聞いたんだけど、最初デモテープを聴いた時、デミさんの声がすごいビースティのMCAに似てると思ったの。言われたことない?それか、キング・オブ・プレッシャー。
N:顔は大滝秀治。
全員:(笑)
クボタ:あとはラップももちろんそうだけど、曲のループが「これか!」みたいな。デモテープ聴いた時で「うわ、すげえな」って思ったよね。だから、「これはくる」と思って、すぐにみんなに配って。
●そして、その通りになりました。
N:おかげさまで(笑)。
●ラップの韻やフロウに一番こだわってたのは、、
N:デブラージじゃない?あいつが一番厳しいもん。自分に対しても、人に対しても。
クボタ:ラップで、例えば2人が録ってる時に「これ違うよ」とか言う時あるの?
N:違うの。逆にあいつはオレたちにやられちゃうの。で、やられちゃっても曲げたくないから、すごい頑張っちゃうの。
もちろんオレも当然頑張ってたけど、オレはただ「自分の声をアナログで2枚がけしたら面白いだろうな」という、それだけ。「1枚アナログ切れたらいいかな」くらいのスタートだったの。
●意気込んで「日本のシーンをつくってやる」とかではなかった。
N:全然違う。人の前に立ってラップするなんて、考えてもなかったけど、ただやってるうちにそうなっちゃった。だから、あいつはオレたちからすごい重圧を感じてたと思う。
C:あいつは3人録った後に、リリックさえ変えてくるからね。
N:あいつ、みんな敵だから。
全員:(笑)
N:「相手にしない」とかじゃないんだよね。「あんなのいいよ」とかじゃない。小物までもライバル意識持つっていうか、小物から大物全部に対してライバル意識持つし、同じグループのやつからまで重圧かけられて。
C:とにかく、「自分のところだけ格好良ければいい」って感じなんだよ。まあ、みんなそうなんだけど、それでもそこに達するまですげえリリックを変えてくるの。昔の金ない時代でも、スタジオ代までかけて変えてくるからね。
というか、そもそも「どういうリリックやります」とかそういう相談もまったくなくその場で出すから、それぞれ「こうきたか」ってなって、その中で「これはフックでどうにかなるか」みたいな、だからこそ三者三様になるんだけど。
クボタ:それがよかったんじゃない?
●トラックは事前に聴いてるんですか?
N: トラックはやつがつくって、その中から「どれ使おう」ってみんなでなって、でもだいたいヒデには「これやりたい」というのがあって、それで手をつけていく感じだね。
ーネタで特に驚いた曲はありますか?
クボタ: 「このネタ、オレは使わない」と思ったけど、実際やったらすごい格好いいなってのはあったね。まあでも、やっぱり『人間発電所』は最初に聴いてビックリした。
オレはブッダ全盛期の頃、一瞬仲悪かったけど、90年代終わり頃からは一緒にDJもやるようになったけど、DJ以外の時はあいつずっとカウンターに座ってリリック書いてるのね。「もうちょっと呑めよ、絡めよ」って言っても、「ちょっと待ってくれよ」って。
C:それか落書きだね。
N:それか自分の垢でピラミッドをつくってるか。
全員:(笑)
C:それ、タイトルでいいんじゃない?
C・N: 「自分の垢でピラミッドをつくった男」(笑)。
●一応、アルバムの聴きどころとか、ベタな質問をしてもよいでしょうか?
N: 『Kushokan』って曲があるんだけど、あれはもともと『黒船』のアナログに入ってる
スキットだよね。それで、あれ格好いいから、その上にラップ乗っけてみたんだよね。だから、もともとあったインストの曲で、それで7インチも切って。
クボタ:オレは一番最後の曲が好きだった。
C:それは『Matador』で、あと『Kushokan』は新しくオレとデミさんでラップを入れて、デブラージはトラックとスクラッチで参加みたいな感じでブッダということになって。それが最終的には『これもー、、』いや、『これがブッダブランド!!』ってなったんだよね。
厳密にはデブラージがいないから違うのかもしれないけど、でも「これがー」って、意味深な感じにしてみました。
クボタ:あとさ、このアルバムのジャケットって、オレが一番最初にもらったデモテープの、そのカセットのアートワークなんだよね。だから、これに手描きで色がついてるやつ、最初にもらった。
C:そうなんだ。あのおっぱいのやつが最初じゃないの?知らなかった(笑)。
クボタ:オレがもらったのは94、5年だよね。この原画をあいつはコンビニでコピーして、塗り絵みたいにしてたんだね。今回その一番最初のやつがジャケになってたから、ビックリしたんだよね。
C:オレが知ってるのは、あの象のやつ。
N:あったね。あとは女の、DOLEMITEっぽいやつと。
クボタ:象のやつは「噂のチャンネル」じゃない?
C:そうだ!でも中身はたぶん、今聴くともう「恥ずかしくて捨ててくれ」っていう、何が入ってるんだろう(笑)。
●初期であっても作品にはすごいこだわりが詰まっていて、捨てるのはもったいないのではないですか?
N:オレ、全部恥ずかしいから。
C:オレとかも、たぶんすげえ「歌い直した方がいい」って感じだと思うよ。当時はスタジオで1、2回しか時間がないから。
クボタ: 「噂のチャンネル」の頃から格好良かったよ。それにしても、あいつは絵も本当に最初から描いてたな。
C:いつも何かしら描いてたね。喋ってても、ヒマだと特に、ずーっと絵を描いてた。
N:あいつは、学校に必ず彫刻刀でチンポつくるやついるじゃん?チョークでチンポ描いたりさ、クラスに絶対一人いる、ヒデはああいうやつだったよね。
●常に制作意欲が溢れていた、、
C:好きでやってただけじゃない?
N:後で「この制作が金に繋がる」って知ってから、圧がかかったよね。
全員:(笑)
N:だんだん拍車がかかってきて。「オレがやるんだ」みたいな、まったくオレたちの意見は聞かずに。
●逆に意見がすんなり通る瞬間もあるんでしょうか?
N:あるよ。二人で何気なく喋ってて、「ヒデさ、あれはこうでこうでこうだから、オレはこう思うんだよね」みたいな話は、絶対実行してた。あいつ、オレの言ったことに関しては、意外とやってた。
あいつは、人の話を聞いて、それで信じるんだよね。
●それはデミさんへの信頼の証じゃないでしょうか。
クボタ:それはそうだよ(笑)。
N:そうかもしれないね。まあ、だって、オレもすごいヘッズだからね。
C:そもそもあいつ、ミーティングすごい好きだったよね。
クボタ:あいつ本当にミーティング好きだよね。
N:安心したいんだよ。自分が考えている理想について、他の人がどう思うかっていうリアクションが欲しくて。あと、自分を乗せて欲しいんだよね。
C:意外と影響されやすいよね。雷に「なんでお前らは英語を使うんだ。日本人だったら日本語でラップしろ」とか言われると、デミにも「英語は使うな」とか言い出すし。
全員:(笑)
N:なんでオレなんだよって(笑)。だから『ブッダの休日』は日本語が多い。
C:でもそんなのさ、「オレはこういうスタイルだ」って言えばそれで済んじゃうことを、そう言われたからって「日本語で書こうよ」ってなったりすんだよね。
今は、「そんなの関係ない」って感じじゃん、いろんな人がいるからさ。そもそも当時は、英語使ったりする人がいなかったんだよ。たぶんだから、オレもラッパーになれたんだと思う。今15歳くらいだったら競争率が激しくて、たまたま、いつの間にかここにいるって感じ。
N:オレだってそうだよ。気づいたらこんなことやってて。
C:「夢はラッパーになること」とか、そんなの全然なかった。
●さっきからコンさんのいい話に着地させようと試みているんですが、全然そうならないんですが、、
C:それは、いい話はできないんだけど、ヒデの悪口を言ってるやつがいたら、オレが怒るよ。そういうことだよ。兄弟みたいなもんだよ。
クボタ:それ、超いいじゃん。
N:オレは、誰かがヒデの悪口言ってたら、もっと教えてあげる。
全員:(笑)
C:家族みたいに、自分は悪口言うけど、言われたら「そんなことないよ。いいとこもあるよ」って、そういうこと。
N:オレなんか仲悪い説あって、全然仲悪くないよ。オレは大好きだよ、あいつのこと。あいつはオレのこと嫌いかもしれないけど(笑)。LOVE & HATEだね。
C:デブラージはNIPPSといる時、おかしくなるんだよね。デミに合わせて、デミが困るくらいおかしくなるんだけど、デミは最初付き合うんだけど、そのうち「何やってんの?」みたいな、イヤになっちゃって(笑)。
N:あいつ、オレのギャグもパクるから。
クボタ:(笑)
C:だから、好きなんだよ。ていうか、いい人だよね。いい人というか、、
N:いい人だった(笑)。
●そして、コンさんが「日本社会に何とかヒップホップを食い込ませよう」という、そこの熱意で実現されたことは、確かにたくさんある?
N:熱意と努力は認める。
C:すごいしてた。
N:あいつのおかげだよ。あとはクボタくん、石田(ECD)さんとか、ファンだってもちろんそうだし、サポートしてくれた皆さんのおかげ。だから今回これが出せたってことだよね。
C:今回はやっぱり、デブラージのトラック。ブッダブランドはやっぱり、トラックが違うと別のものになっちゃう。
N:ブッタブランドじゃなくなっちゃう。
●つくり出す音の完成度には、全幅の信頼を置かれてきたと。
N:聴き慣れているというか(笑)。やっぱりあれだからこそ、ブッダブランドになりやすい。
C:ブッダブランドって、音はデブラージしかやったことないんじゃない?
N:そう。あいつのトラックにNIPPS、CQが乗っかれば絶対ブッダブランドになる。
サンプリングのセンスは本当に信頼してたね。使い方とか、世界観もいいし。
クボタ:そうだ、一番最初にカセットテープが送られてくるさらに前、あいつのヘッタクソな2枚がけのループがすごい送られてきていて。
C:それはダブルカセットをこう、手マンみたいにカカカッてやって、あいつはポーズ使いの達人なんだよね。カラオケマシーンの、あれを駆使してすごい上手くて、テープ編集がすごい。当時機材もないから、その送られてきてるやつは、それでやってるはずだよ。
クボタ:「これ、すごいループだな」と思ってたら後で使われてたやつもいっぱいあるし。
●クボタくんから見た、デブラージ節みたいな、魅力はどこにありますか?
クボタ: あいつがオレによく言ってたのは、キミドリの『自己嫌悪』がすごい好きで。もちろんファンキーな部分もあるけど、何というか、すごい胸キュンみたいな、、
N:ロマンチストなんだよ。あいつはロマンテスターなの(笑)。
クボタ:だから、『人間発電所』も『ブッダの休日』もそうだし、メローなの大好き。
N:サンプルチョイスがいいよ。あいつの好みというか、「こういうの好きなんだ」って、全部聴いてるとよくわかるよね。かと思うと意外な、ハチャメチャなトラックもつくるし。
C:あれはたぶん、「聴けば誰でもこう使うのかな?」って思うんだけど、たぶん違うんだろうね。
クボタ:そう、違う。
N:今あいつが生きてたらすごいと思うよ。またブーンバップが戻ってきてるから、今つくらせたら機材も変わってきてるし、全然すごいのつくると思う。
クボタ:あいつ、サンプルは意外とごっそりいくんだけど、「これは大胆すぎて使わないだろうな」っていうのも、それをループしてあいつがやると「うわ、すごいハマるわ」っていうのはいっぱいあった。
C:あいつは、機材の操作を「自分でできない」っていうのがすごい強いんだよね。アタマで構築したやつを人にやらせて、普通「これとこれ合わねえや」みたいなのを、人に「うまくやってくれよ」って言うと、その人が無理矢理必死こいてやるじゃん。
それでその時にすごいことを言うから、最後は「よくやってくれた!」という、すごいのができるんだよね。だから、あいつは逆に、自分で機材を持ってないのが強いんだよね。
クボタ:すごいよね。だってそのループのカセットだって、ターンテーブルを一台しか持ってなかったからできたものであって。
C:カセットのダビングの機能を、こっちでプレイしてこっちで巻き戻して、パッパッてやるのがすごい技で。
クボタ:だから最初に言ったビッグ・ダディ・ケインの編集ビデオとかも、自分で勝手につくっちゃって、それもビデオデッキの機能を駆使して、ケインが大きくなったり小さくなって「クボタ、どうだー」って。
全員:(笑)
N:ヘンタイだよね(笑)。
C:そういうところあったよ。一人の人を喜ばすために、すごい手間をかけてくるみたいな(笑)。そういう遊びの時の方が、もしかしたらすごいモノがあったかもね。
クボタ:それでちゃんと絵まで描いてジャケをつけて、、
N:子どもだよね。ある意味。
●究極の一人を楽しませる行為が、その先で多くの人に届いていく。
クボタ:それは、それがよかったから。それがすごいものだったからだよね。
C:オレはやっぱり昔の印象がすごく強い。体調悪くなってからは可哀想だったしね。
N:あいつ、「ライブの反省会」とか言ってた時もあったよね(笑)。一回も出たことないけど。
C:そんなわりに、リハーサルもやらないという時もあった。「リハはやらない方が格好いい」みたいな(笑)。
N:それで後で怒られるみたいな。よくラッパーが、「オレはリハーサルなしでかますぜ」って言う、それを真に受けちゃうんだよ(笑)。
全員:(笑)
N: 「ラップなんだから落ち着けよ」とか言って。
C:あとリハーサルもやると50人くらい人が来て、普通のショーみたいになっちゃって、終わると拍手とかもらっちゃうんだよ。だからそれを受けて、リハはあんまりやらないか、デブラージがすげえデカい声でリハやって、本番前に声が潰れちゃうっていう(笑)。
●ブッダの中でも全然予定調和はなく、むしろそこにあった緊張感が僕らリスナーにも届いて魅力になっていたという気がします。
C:あいつ一回自分でレーベルやったじゃん?その時に、自分ももともと無茶苦茶で操れなかったのに、いろいろあってしっかりし出したんじゃないかって。
でも実際ラッパーなんて下の人も言うこときかないから、言うこときくラッパーは面白みが、、あ、でも今だとそっちがいいのかもしれないけど(笑)。でもとにかく、エルドラドから「やっぱり売れないと格好悪い」とか言い出した気がするんだよな。
クボタ:チャートのこととか、オリコンがとか、しょっちゅう言ってたからね。
C:「何位にならないと格好つかない」とか、「いいやつ出せばいいんじゃないの?」って言っても、「いや、何万枚売れないと」とか。
N:だからもともとね、格好悪いやつが格好良くなっちゃたのが失敗なんだよね。
全員:(笑)
クボタ:またそっちいっちゃった(笑)。