ART

Alexis Ross

 
   

Interview by Yosuke ”CB” Ishii Photo by “EC” Ishii

2019年9月にRiddimOnlineに掲載されたインタビューです。

2019年7月下旬から8月の頭までの1週間、RVCA史上最大のツアー“RVCA WORLD TOUR TOKYO”が開催された。この種のというか、ストリート系ブランド界では前代未聞の総勢50名以上の海外アーティスト、スケーター、サーファー、格闘家たちが来日し、渋谷/原宿でアートショーやイベントが行われた。
RVCAは有名無名のアーティストたちをArtist Network Program(ANP)という洗練されたセンスでサポートし、我々をインスパイアしてきた。そのサポートはTim HendricksやBarry McGeeなどのようにすでに成功しているアーティストだけではなく世界では120名を超えるという。日本でもショップ(RVCA SHIBUYA)の2Fにはギャラリーを併設しクリエイティヴなセンスを発信しているのだ。
今回の“RVCA WORLD TOUR TOKYO” にはEd Templeton、Aaron Rose、Barry McGee、Christian Fletcherなどに混じってAlexis Rossがいた。彼は親しい友人やスケーターとのプライベートプロジェクト“Boys Of Summer”での成功によりここ数年はスケーターからも注目されているアーティストだ。

●Riddimという雑誌で、これが前回発行したものです。

Alexis (以下、A):(表紙を一目見るなり)Gary Panterか。彼はマエストロだ。

●子供時代はどのように過ごしましたか?

A : 僕はサザンカリフォルニア育ちで、本名はJason”Alexis” Rossだ、Jasonなんて名前はクラスに何人もいるからグラフィティを描き始めた高校生からミドルネームのAlexisで呼ばれるようになってたね。母はシングルマザーの事務職だったから決して裕福ではなかったね。他の子たちは何でも持っているのに僕は持っていないなんてことが多かったから、学校でもあまりフィットしていない感じだったかな。

●どうしてアートをやる様になったのですか?

A :サーフィンのやり方も知らなかったし、ギャングにも属さず、特にスポーツもやらなかったから選択肢がそんなになかったね。だからドローイングでも練習したほうがいいかなってね。今のキッズも同じかもしれないけど、授業といえば美術以外は興味がなかった。アートの世界に入ったのはそういうことかな。

●アートスクールには通ったの?

A : 2年間は行ったよ。高校の最終学年の時にローカルの工具店で働いて、常連のおばさんと友達になって彼女がちょっと僕の面倒を見てくれるようになったんだ。僕は母の言うことには全く耳を傾けないやつだったけど、そのおばさんが僕に世の中の常識とかを教えてくれてね。サラダドレッシングの作り方や、上手なキスの仕方、、、いやいや待て、正しいハグの仕方だ。あとはカレッジに行くようにと背中を押してくれた。僕にはカレッジに行く選択はなかったから、ゴミ収集作業員になるか地元のコミュニティカレッジに行くかってずっと考えて、結局僕は東海岸に移り住んでブルックリンでバカをやってて上手くいかなくなったんだ。ドローイングのテクニックは分かっていたけど、今ほどアートに対して興味を持っていなかったし情熱もフォーカスもしていなかった。まあFucked Upだ、頭をおかしくしている方に興味があった。ハイになったり、器物破損、窃盗、そういう類の自己中心的な“面白い”ことだよね。

●気になったり尊敬しているアーティストはいますか?

A : グラフィティをやっていた若い頃はトッド・ジェームス。16歳の時にトッドに出会ったんだけど、彼にはとても影響を受けたね。今ならスティーブン・パワーズもユーモアがあって良いよね。
ペインターで気にしていたのはホモセクシャル・アーティストのトム・オブ・フィンランド(トウコ・ラークソネン)。彼は製図の達人で、同性愛者の性的なイラストを描いていたんだ。
1993年にイギリスのグラフィックデザインの雑誌“Eye Magazine”をパクったんだ、そこには日本人コラージュ・アーティストの大竹伸朗が紹介されていてすごく気になったんだ。まだ今ほどインターネットが普及していない時代だ。それまでだって僕は色々なコラージュを見てきていたのにね。そして日本に来るといつも脳裏に大竹伸朗の名前があって、ある時、日本で一緒に仕事をしていた人に大竹伸朗のことを話したら、ちょうど彼のアートショウが開催されていると教えられて出かけたんだ(2006年9月「大竹伸朗 全景 1955-2006」東京都現代美術館)。それは今まで僕が行ったアートショウの中でもベストのものだった。あの回顧展を見て、きっと大竹伸朗は歳をとった50代のアーティストだと思ったよ。だって彼の仕事量の多さとバラエティに富んだ作品数にめまいがしたんだ。今でもあの時の作品集を大切に持っている。半分まではとても良い影響を受けて「オ〜、イエス! アートを作るのはとてもクールだ!」ってね。だけどそのまま残り半分を読み続けるとその本をひっそりと閉じて全くアートを作らなくなっちゃうんだ。ははは、分かるかい?『無しだ無しだ、この人がもう全部やっちゃってる』ってね。スタイルに影響されるというよりは、自分が怠け者だと思わされるような感じかもね。「早くケツを上げて仕事しろ!」みたいにね。ははは。

●この前の来日の時に、ここ(ロンハーマン千駄ヶ谷)で来日中のデヴィン・フリンと仲良く話してましたね。デヴィンは、Riddimでもインタヴューしたし、Gary Panterの親友だから、僕らも知り合いなんです。

A : デヴィンは年齢でいえば僕の1世代上のグラフィティライターで、LAで同じ時期にグラフィティを描いていたオリジナルの1人さ。そうなるとさっきの影響を受けた人の質問に戻るけど、デヴィンも間違いなく影響を受けた1人になるね。彼はグラフィティライターの達人で、笑いの達人だ。それが今はアニメーターの達人になっちまった。デヴィンの作品を知ってるよね?彼もかなりのおバカで、最高だ。最終兵器だよ、「お前なんか俺の兄貴がけちょんけちょんにしちまうぜ」みたいな感覚だな、彼を誇りに思っている。彼はオレの友達のヤバいデヴィンだぞ、オラ!って感じだな。

●サーフィンをやらないようですが作品にはよく波が出てきます。

A : 身体がきついからサーフィンはやらないけど海には行くんだ。たまにフィンを持って行ってボディーサーフィンはするよ。一度13歳の時に母にねだってクリスマスプレゼントで中古のサーフボードを手に入れて、12月のクソ寒いクリスマスにウェットスーツを借りてベニスの海に入ってサーフィンに挑戦したんだ。1回目の波で頭から波に飲まれて「スゲ〜冷たいな!これは!!」ってさ。そうしたら「クソッ、メガネをかけっぱなしで海に入ってるじゃんよ」って気づいたんだ。

●ははは

A : それは実はすごく恥ずかしいことだ。僕が育ったベニスは今とは全然違ってて、スケートボードとサーフィンはすごくタフなカルチャーだった。とても暴力的だったしお互いがとても意地悪だった。だからメガネを外して振り返って”Fuck Surfing!”ってね。
そうやって育ってきたんだよ。もし何か出来ないことや何か怖いことがあれば”Fuck That!”ってさ。まあダサいやつらの言い訳さ(笑)。それ以来サーフボードは触ってないね。でもボディーサーフィンは楽しいね。

●まだやってるんですよね?

A : うん、やってる。でも肩が以前よりも悪くなってきているし太ってるからね。でもRVCAが僕にウェットスーツを提供してくれる限りはやるよね。

●ブリック(レンガ)もよく描いていますよね?

A : そうだね、波とブリックはサザンカリフォルニアのキッズの基本だ。例えば僕がパブリック・スクールに通っていて、歴史の授業の時にテキストブックが配られてそれを開けると、最低5年は使い回されているからすでにたくさんのキッズがこのテキストブックを使ってるんだ。表紙をめくれば必ず誰かが波を描いてたり、“S”が描いてあったりね。たまに点線でラインが描いてあって、そのラインを繋げていくと “S”が出来上がるんだ。それをやるとブロック体を描く時に必要な3Dの描き方を学べるんだよ。だから色々なドローイングを目にしたしドローイングのやり方を学べたんだ。さらにギャングのライティングとかね。
LAのヒップホップとかグラフィティなどのちょっと前の時代のテキストブックにはギャングライティングが描かれていたんだ。もし授業に興味を持っていなかったらこれが最初に学校で習うドローイングだね。
まだ大人になりきれていないキッズたちの通過する道っていうのかな。そう考えると面白いよ、僕たちは今”RVCA WORLD TOUR“に参加している中年なわけだけど、これは誓ってもいい、今回来日している誰もがあの波の描き方を知っているってことだ。みんなに波を描いてくれって聞いたら絶対みんなが描けるよ。遺伝みたいなものだ(笑)。

●2008年にラフォーレ原宿でタトゥーマシーンのワークショップが開催された時に、僕は初めてあなたの絵を拝見しました。その時はあなたと会話しませんでしたが、2009年になってロサンゼルスのChoke Motorcycle Shop(スクーターや原付バイクの販売・修理屋。オープン当初はエスプレッソコーヒーも出していた)へ行き、そこであなたと少しだけ会話をしました。Chokeに存在していたのが”Cafe Legs”ですが、あれはどの様にスタートしたのですか?ここ千駄ヶ谷のロンハーマンの中にあるのが”Cafe Legs #3”ですよね。

A : Chokeっていうのは友達のJeff Johnsenのお店で、Jeffはコーヒーについても知識があるやつだった。だからJeffはChokeではバリスタでありメカニックでもあった。エスプレッソを作り、スクーターや原付バイクを修理していた。僕はよくたむろをしてChokeのサイン(看板)をペイントしてたんだ。だからJeffがコーヒーの作り方を見せてくれたりしていたんだけど、時間が経つとJeffはコーヒーを淹れるのに飽きちゃってエスプレッソマシーンを売って修理屋だけになって僕が近所でコーヒーを飲む場所がなくなっちゃったんだ。

だから“Cafe Legs”は僕のアイデアだ。僕は原付が好きじゃなかった。あんなの超つまらない。だからChokeでグダグダ座りながら次は何をするか考えていたら、Chokeに来たJeffのお客さんが支払いを1杯用のシングル・グループ・エスプレッソマシーンとトレードしたんだ。小さいマシーンだ。僕はちょうどチリのサンティアゴから帰って来たところだった。サンティアゴにCafe Legsというエスプレッソを頼んでサーブしてくれた女性とハグをしてタバコを吸う。まあそれより先はないんだけどね。すごく店の入り口が狭いそういう場所があったんだ。その場所からアイデアをもらってCafe Legsという名前をつけたんだ。だからまあ僕のアイディアではあるけれど、Jeffと2人で一緒に何かを作ろうという熱意でChokeのバックヤードで初めて誕生した掘っ建て小屋がCafe Legsなんだよ。

●Jeffとはどの様に知り合ったのですか?

A : Aaron Roseが「誰かがスクーターの修理屋をオープンしたらしいけど、そこはエスプレッソを出すらしいぞ」って教えてくれて、僕は「そりゃまた恐ろしいことを考える奴がいるもんだね」って答えたんだ。

●ははは

A : バカみたいだろ?でもある日僕がAaronと一緒にChokeへ行ってJeffに会ったんだ。そうしたらJeffはとても若くて良いやつに見えた。というのはあのお店があるコミュニティに対してとても良いことをしているとわかったんだ。Jeffはトレンディーなことをやろうとしていたわけじゃなくて、Jeff自身が興味のあることをやって、キッズたちにも目を配っていた。あのエリアはすごくタフなシチュエーションで、育ち盛りのキッズがたくさんいるんだ。

●僕も初めてChokeへ行った時にすぐにそれを感じました。車で1ブロック回っただけで家を囲う柵の高さや窓の鉄格子の物々しさでこのエリアは危ないエリアだとすぐに分かりました。

A : その通りだ。だからJeffはすぐに近所のキッズの面倒を見てやる様になって、あの場所がキッズの立ち寄り場所、要するに安全な場所になったんだ。そんなエリアだから金属を集めて売るどこかのヤツがChokeの家具をなん度も盗んでいた。僕は家に帰ってスペイン語で“家具に触るな!”って書いたサインを作ってChokeのフェンスに貼り付けた。そこからはJeffとより親しい友達になって、他のChokeのサインもやったりしてね、だから今でも親友だよ。

●今でもCafe Legsを作るときは一緒なんですよね?

A : そうだね、Cafe Legsに関することは一緒にやってるね。ただ結局のところJeffはスクーター修理業、僕には本業があったわけだ。だからこれらすべてのプロジェクトは僕らのフリータイムで行われていたことなんだ。僕には養わなきゃいけない家族がいてCafe Legsとアートプロジェクトは二の次なんだ。

●以前本業は何かTV関係の仕事をしていると言ってましたが?

A : そう、僕はこの20年くらいTVコマーシャルなどのプロダクションデザイナーをやってるよ。ロサンゼルスのTVコマーシャルで働く組合員と話し合ったり、美術部門を受け持ったりしてね。だから初めて日本へ来たときはTVコマーシャルの仕事だよ。サッポロのコマーシャルだった。

●ではスケート映像をDVDとYouTubeにアップして、アパレルを作ったりしているBoys Of Summerというプロジェクトについて聞かせてください。

A : Boys Of Summerっていうのは映像のタイトルで今は#1と#2と二作品出ている。要は”スケーター”のグループと”友達”のグループの集まりで、スケートしている時もしていない時もほとんどの仲間が動画撮影をしている奴らだね。おそらくBoys Of Summerっていうのは今は100人くらいの仲間がいてみんながフッテージ(映像)をシェアして、Jeff Kutterが#1を編集した。プレミアショーをやってBoys Of Summerのグッズをみんなに投げて配るためにね。僕の役割としてはサポート役だね。プロダクトのグラフィックを僕がやってる。スケートボード業界の構造っていうのはボードスポンサーやシューズスポンサーからサポートを受けてスケートトリップに出かけるけど、その枠に入れてない仲間にBoys Of Summerのプロダクトの収益をスケートトリップに使ってもらう感じだね。正直友情が基本だよ。だから彼らがスケートとフィルミングをし続ける仲間である限りサポートしていきたい。それは僕のことをスケート界で再度スポットライトを当てさせてくれたからさ。まあ実は子供の頃にサーフィンだけじゃなくてスケートについても「あんなのクソだ、アホらしい」って言ってたんだけどね(笑)。

●ビデオを編集しているJeff Kutterとはどの様な出会いですか?

A : 実は日本で会ったんだよ。StussyとNikeのイベントでAaron Roseと一緒に来日した時だ。KawsとTodd Jamesも参加していて、Aaronから君も参加してサイン・ペインティングをやらないかって誘われて来たんだ。Jeff Kutterは当時Supremeで働いていて、正確には今もちょっとは仕事してると思うけど、彼はイベントを撮影しに来ていたんだ。何かを一緒にやるまでの仲になるのはずっと後だけど、初めて会ったのは日本なんだ。

●あなたにとってRVCAとは何でしょうか?

A : RVCAっていうのは創設者のパット・テノーリそのものだね。Aaron Roseを介してRVCAを知るんだけど、Aaronは僕のフリータイムを見つけるコツを持った特殊な能力のある初めての男で、そのタイミングで頼んできたんだ。忙しくて僕はオファーを断ってきたからね。Aaronだけが僕のことをよく知っていて僕の首を縦に振らせることが出来たんだ。パット・テノーリは今までに沢山の事を多くの人にしてきた。パットは典型的な面倒見の良い人間なんだ。
彼がCafe Legs #2をやってくれと言ってきた時に僕には全く興味がなかった。だけどパットの助けになるチャンスかなとも思ったよ。今まで彼が他人のためにやってきた多くのことを考えれば、そのアイディアを受けるに値する男だった。僕はRVCAからサポートされている多くの人とは違うし、今も正式にサポートされているわけではないし、僕には本業があってそれが僕を支えているしね。RVCAというブランドと繋がっているだけだから完全にパット・テノーリありきで、彼の力になれるのであれば光栄だし、そういうことを客観的に考えると、パット・テノーリの才能の一つに、彼には人を集める力があるってことだね。
外から見ている僕でも明らかに分かることは、彼はアートをサポートしている。もっと言えばポジティブなことであればなんでもだね。偽りではない、何かに対してとても情熱的な人間を見れば、自分も熱くなりたくなるよね?それに今や本物のサーファーとも知り合えることにもなったぜ。「サーファーなんてクソだ、あいつらは変わり者だ」って僕が毒づいていた奴らと今は世界中を回り、コスタメサで一緒にサンドイッチを齧ったりしてるんだからな、わっはっは。