Interview by Riddim / Photo by Masataka Ishida
2006年9月にRiddimに掲載された記事です。
『Ruffn' Tuff(ラフン・タフ)』というジャマイカ音楽のドキュメント映画をEC(石井志津男)が制作中だ。どんな内容なのか? 「内容が無いよ!」なんてオヤジギャグをかまされそうな気もするが、ここは取りあえず勝手にしゃべらせてみよう。ジャマイカにヤラレて26年、もはや再起不能らしいですから、ここはひとつ大目に見てやって下さい。
●なぜドキュメンタリー映画を撮ろうと思ったんですか? そのきっかけは何ですか?
EC:なぜ? う~ん....それはず~っと漠然と思っていたことだね。80年代の中頃から色んなジャマイカ人と知り合いになり、飯を食ってレコーディングしてきて、ジャマイカの音楽のパワーの源について興味を持った結果だね。自分が好きになったSkaやロックステディを誰がクリエイトしたのかをずっと色んな人に無駄話みたいな感じで聞いてきて、自分なりにまとめておきたいという気持ちもどっかにはあったからね。だってさ、「Skaはオレが作った」とか、「ギターから生まれたんだ」とか言ってる人がいたしね。例えばずっと前にフルトン(ブルックリンのコクソン・ドッドの店)でコクソンに訊いたら「オレだ」って言ってたしね(笑)。えっ?て感じでしょ?
以前トミー・マクックにスカタライツの名前の由来を訊いたら「Skaが流行っていたからSkaと当時一番の話題だった人工衛星(サテライト)に因んでつけた」って言ってたから、Skaを作ったのはスカタライツじゃないってのは知ってたよ。Skaを流行らせた重要なグループではあるけどね。
●それだけ?
EC:いや、ホントは違う(笑)。3年くらい前にキングストンでグラディ(グラッドストン・アンダーソン)にビデオ・インタヴューしたんだ。そしたら彼が「2年前に大病したからもう思い出せないよ、勘弁して」って、翌日、自分が昔ラジオ番組に出演してジャマイカのヴィンテージ・ミュージックについて語っているCD-Rを持ってきたんだ。そうだ、みんな忘れちゃうな、死んじゃうなってマジで思った。そうしたらコクソン、オーガスタス・パブロ、ローランド・アルフォンソ、トミー・マクック、デニス・ブラウン、デルロイ・ウイルソン…俺が好きで多少は知り合いになった人たちがどんどん亡くなってる。こんなに楽しませてもらってるジャマイカの音楽の起源について誰かナマの話を訊いておいてくれ、もうみんなヤバいぞってね。勿論、ジャマイカ人がやるのが一番正しいし....きっとイギリス人がやるだろうなって思ってたんだ。そんなことがずっとひっかかってる時に今回のプロデューサーの(今井)ミミちゃんにGary Panterの来日パーティ(BAPEギャラリー)で10年ぶりに会ったんだ。「何か映画のアイディアはないの?」って言われて、飲んでたワインのおかげで調子にのって「ありますよ」って言ったら、1ヶ月くらいしたらほんとにOVERHEATに現れて、マジでプロジェクトをスタートさせてくれたんだ。
●ジャマイカで撮影したんだから苦労もあったはずですよね?
EC:レコーディングに比べたら何にもないと言える。編集も撮影もアルティコの上山君と松田君がやってくれたし、近衛さんていうキャリアのある人も同行してくれたし、NYからオレの弟のソニー(落合)が来たり。写真は石田昌隆さんだし、スタッフは完璧だった。しかも制作工程もホントのドキュメンタリー。撮影する予定は前日の夜に決めるか、朝に決めてた。20年で50回以上通った経験から、予定したってその通りなんか行かないのがジャマイカだって身をもって体験してきたから、フラストレーションが溜まらない方法は、予定しないで幾つかのアイディアを頭に置いといて「今からこいつの所に行きます」って、オレは運転手をやってた。
●でも、予定が狂うじゃないですか、あの国は。時間が全く止まっちゃう時があるっていうか日本とは違うサイクルで物事が進行する事が…。
EC:だから雨が降ったら雨を撮りに、予定が吹っ飛んだらロケハンかプールか飯って調子。
●それじゃいつまで経っても終わらないですよね?
EC:ところがスゴいんだ、イギリスにいるはずのアルトン・エリスもプリンス・バスターもキングストンにいたんだよ。以前はカリフォルニアに住んでたストレンジャー・コールとU-ロイも。マイアミからはボブ・アンディも。向こうからこのプロジェクトのために近よって来てくれていた(笑)。約束して頼んだって無理な人達だよ。スタッフもひっくるめてこういう千載一遇の出会いがあってこそいい仕事ができるわけだね。すげえだろう。先日U-ロイが来日したけど、その時にほぼできたこのビデオを観せたんだ。そしたらすっごく喜んでくれた。
●たしかBlood & Fireのスティーヴ・バロウも一緒に来てましたが。
EC:ハハハ、それそれ。彼もその時ちょこっと観ただけで「イギリスでは公開しないのか、ヨーロッパは?」って。特に動いてるキング・タビーの映像にはぶっ飛んでたね。だってその直前にどっかの雑誌にキング・タビーの事をインタビューされてて、その後でオレのビデオでキング・タビーを観たんだからな。ヤバかったんじゃない? U-ロイもタビーが死んで以来、初めて彼を観たって言ってたし。
●しつこいですが、ホントは何か苦労があったんじゃないですか?
EC:そう、実はね、これは音楽映画なわけだよね。最大の苦労は使いたいオリジナル音源が使えないってのが一番苦労したことかな。その当時の音源を使おうとしたらすごく高い金額を言われたり、某イギリスの有名レーベルは噂通りメチャクチャいい加減で、権利を持ってるのか怪しかったりね。このレーベルについてはスティーヴ(・バロウ)も「モラルがない、以前仕事をしたけど反省してる」とも言ってたな。もしアーティストに金が払われないんだったら、この映画の精神に反するから、どうしても使いたい曲はオリジナル・アーティストにもう一度レコーディングしてもらったんだ。そっちの方が金を払えるってことでU-ロイ、ストレンジャー・コール、グラディ、(スカタライツの)ジョニー・ムーアとはレコーディングしたんだ。さらにジャマイカで予算をつかいはたしてたから一人でビデオカメラを持ってモントリオール(カナダ)までリン・テイトのインタビューがてらレコーディングにも行ったよ。これが最高に大当たりだった。たった数十秒のために1週間かけてカナダまで行った甲斐があったんだ。だってロック・ステディが生まれた秘密が分かっただけでなく、エンディングで使う曲も彼のガレージを改造したスタジオでオリジナル曲を録ったんだぜ。これがめちゃいい曲。そうしたら彼が「イシイ、出版の権利もお前が買え!タイトルもお前がつけろ!」って言われてつけましたよ、オレが、「 Under The Hellshire Moon」って。これはヘルシャー・ビーチまでリロイ・シブルスと撮影に行った時におきたマジックを思い出してつけたんだ。その日のキングストンは大雨、だけどヘルシャーはなんと夕焼け、リロイがギター持ってきてるから近くにいた連中がゾロゾロ集まってきて最後には勝手にコーラスしてるんだ。終わったら「オレのギャラは要らないからあいつらにビールでも買ってやってくれ」だって。こういう感じでジャマイカでは全てがいい方向に進んだんだよ、だからもう、やりたい放題。
結局60年代のオリジナル曲は、Randysのクライヴ・チンがホントに気持ち良く予算内で貸してくれたし、メッセージまでくれたんだ。そうそうビティ・マクリーンはイギリス2位の大ヒット曲「It Keeps Rainin’」まで貸してくれた。
● こんな所をチェックして欲しいなんてのは?
EC:日本はキーボード、ギター、ターンテーブルなどたくさんの楽器を輸出している。でも、音楽というソフトはなぜか輸出できてない。ヒット曲はあるかもしれないけど、デカく言えばオリジナリティやハミ出し者を許容できないのに、ちょっと変な政治家には圧倒的な支持する大衆がいるよね? 今の日本の右へならえ的な気分がイヤだから、そんなとこまで考えてくれたら嬉しいかな。音楽だってワールド・カップのNHKのテーマ・ミュージックなんてガッカリしたよ、オレは。それに比べて地球の反対側のオレ達の国までドルを稼ぎに来れる音楽を作ってるジャマイカ人のオリジナリティには頭が下がりますよ。バカはこんな映画を作っちゃうしね。
●制作していて特に注意した点はありましたか?
EC:今さら監督とか映像作家になりたいわけじゃないから2作は作らない。でも、昔は、少しは映像の仕事もやってたから実はすごく細かい奴なんだけど、今回はどうでも良かった、細かいとこは。でも、音楽の出だしとか、言ってる事には注意した。それとオレができるだけ観光客にならない、オレは観光映画は作れない。ただの好き者の視点で作った点かな。しょせん日本人なんだけど、20年以上通い続けてるんだからただの観光客じゃねえぞ! ジャマイカ人よ、お前らより知ってる事もあるんだぞ!ってとこだね。