MUSIC

tha BOSS

 
   

Interview by 平井有太(マン) Photo by cherry chill will , Susie

2015年10月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

THA BLUE HERBのフロントマン、ILL-BOSSTINO=tha BOSSがソロを出す。
 前回のインタビューは、三宅洋平氏が出馬した2013年参院選の投票日当日。最後に会ったのは、これはまったく予想外に、愛知県豊田市で開催されるフェス「橋の下音楽祭」にて。そして今回は9月15日、「明日には安保法案強行採決か」という(結果、採決は19日未明)、その最中。
 「橋の下」については、曰く「去年は出演して、今年は遊びに行って、オレ、ウッドストック知らないけど『これ知ってたら大丈夫だ』って思えるくらい」。「あれは、カルチャーショックだった」と、ジャンルを超え、強い表現から受けた衝動を真っ直ぐ受け止める、BOSS氏。
 その上で、これまでも、これからも、嫌というほど向き合っていくヒップホップに捧げた、初めてのソロ作品。
 アルバム・タイトル誕生の裏にあった邂逅、うねり続ける世の中で言葉を紡ぎ続ける行為について、聞いた。

●ソロのアイディアは、いつから?

BOSS(以下、B): 前作『TOTAL』をつくり終わった直後だね。

●できあがったものに『TOTAL』とつけるくらいのものを完成させてから。

B:オレとO.N.Oという、1対1でつくるヒップホップとしては、かなり表現を極めちゃったんで。あの70何分かに込められてる、1秒ずつの緻密さ、精密さというものに対してパーフェクトなところまでいって、「次また5枚目のアルバムか」って、とても言えないくらいのでかい山を登って、降りてきたので。
 ヒップホップって、「色んな人のビートでライブをする」っていうのも楽しみの一つで、プロダクションではオレとO.N.Oだけだけど、ライブは割と、自分の好きなインストとかを使ってやってきた。そういう意味でも、「日本のビートメイカーと『illmatic』みたいなアルバムをつくってみたい」、そういう夢はあって。

●頭にあったのは『illmatic』なんですね。

B:間違いない。『illmatic』は自分の中に永遠にあるね。

●ソロでやることに対して、O.N.Oさんは?

B:オレからは「ソロをやり遂げたら、またO.N.Oのトラックに戻ってくるよ」、「OK、それまで磨いておくよ」くらいの一言、二言のメールのやりとりだったと思う。

●短いですね。

B:もう20年以上だからね。本人も絶対、「いつかやるだろうな」と思ってたと思うし。

●今回のソロ、または今までのアルバムも含め、時代の流れをどこまで見ながら、つくっているんでしょう?

B:『TOTAL』は思いっきりそうだった。今回に関しては、(安保法案や国会前のデモのタイミングは)はっきり言わせてもらえれば「アルバム完成に合わせて向こうからやってきた」って感じだよね。でも正直、今回のアルバムは、つくってる時の段階では、世の流れはそんなに意識していなかった。とはいえ自分の思想、立場ってものが明確になりやすい時代だし、311直後の『TOTAL』はそれが最も際立っていた。あの頃、感情的にほぼみんながある方向に揺れる時期というか。でもあれから時間が経って、向こう側への揺り戻しもたくさんあって。

●結果、政権をとってるのが安倍首相です。

B:気付けばオレらがとった立場が少数派になっちゃって。でもそういう立場を、今回も曲の中では明確にしているし、実際『TOTAL』の時、自分の立場が少数派だとは思ってなかったのね。
 そこで、今まさに少数派と言われているやつらが、自分たちの声を届けるために頑張って色々やっているというのは、「リンクしてるな」とは思う。狙ってたわけじゃないけどね。

●そこに、「ここからだと 煽っていくのがラッパーっしょ」というラインが、はまります。

B:あのバース一つとっても、そこに込められていることはオレ自身のことなんだよ。でも「今の時代がそれをそうさせない」というか。

●好きに解釈して欲しい。

B:好きに使って、コスッて、サンプリングして、ループして欲しいって感じだね。

●今回のプロデューサー陣、中でも2曲やられているのは、KAZZ-Kさんと、INGENIOUS DJ MAKINOさん。

B:その2人も、他のみんなも、すごい職人だよ。

●皆さん、どんな基準で選ばれたんですか?

B:基本的にはここ18年のマイク稼業の間に出会って、友達になって、ビートをつくってて、それがファットで、という人だよね。割とみんな、超ベテランよ。みんな東京なわけじゃないし、それぞれの街にライブで呼ばれた時に出会ってリンクして、という感じの人たちだね。

●特に印象的なエピソードは?

B:NGENIOUS DJ MAKINOは小倉に住んでる人間なんだけど、小倉はある意味、あの時代のシカゴに近いというか、なかなかハードな街に住んでて、同い歳で。彼がオレにビートをくれたのは3、4年前。それからずっとオレはライブ活動してて、彼はこの日が来るのを待っててくれて。そういう人たちが多い。長い時間の中で、「やっとできたね」って人がいっぱいいる。
 DJ YASは、2000年初頭にレコーディングして、その時オレはギャラをもらってなくて、「いつかビートで返してよ」って言ってて。だから今回、YASに電話して「いつかの約束覚えてる?」って言ったら、「もちろん覚えてるよ」。「ビート、用意するよ」って、結構みんなそういう、仁義だね。
 だからここに、金で買い叩いたトラックは一つもない。この18年間ヒップホップやってきて、オレなりに、こんなどうしようもなく調子のいいチャランポランなやつなんだけど、それでもなんとか誠実にやろうとして生きてきた。色んな人を傷つけもしたし、怒らせも、モメたりもしたけど、それでもこれだけの人達と一緒にアルバムをつくるところまでこれた。ありがたい。

●先ほど『illmatic』の話がありました。今回の作品には確かに90年代、あの時代の手触りがある気がしました。そういう音を希望したわけではない?

B:実際オレもその時代のヒップホップが入り口だし、それに対してブルーハーブでのO.N.Oのトラックっていうのは、そこから飛躍したことによって個性的なものが、突然変異的に生まれたという。

●ブルーハーブの音は必ずしもあの頃の音ではないですね。

B:全然違う。むしろ「そこから自由になろうとした結果できちゃった」というのが、正直なところ。

●DJ YASさん、KRUSHさんのトラックが、あまりの“ドープシット”でした。このタイミング、この機会でこれを出してくるのかと。あれは、いくつかの中から選んだのか、ピンポイントであれだったのか。

B:YASもKRUSHさんも、ほぼあの一個だったね。オレが先にリリックを送って、その上で送ってくれて「これでいきましょう」って。

●フィーチャリングのラッパー陣は?

B:ビートメイカーと同じで、この稼業の中で出会って深めてきた友達というか、歳も全然違うんだけど、オレが「友人だ」と思ってる人だよね。みんな、長年世話になった、それぞれの地元に招いてくれた人たちであり、B.I.G. JOEにいたっては同じ札幌で20年以上だし。YOU(THE ROCK★)だけは、またちょっと違ってね。

●YASさんのトラックが、そのYOUさんとご一緒された曲です。リリックの内容も、一語一句聴き逃せません。

B:正直オレは、YOU THE ROCK★をディスしてこの世界にエントリーしてきた人間だから。あの時代、日本のさんピンに出てたやつらが幅きかせてたのをどかして、札幌から出てきて、自分の居場所つくって、シノギつくって、ここまで来た。直接だろうが間接だろうが、俺の出所はそこだ。それに対して後ろめたさも負い目もないけど、言葉は自分に返ってくる。だから、結局オレがYOUに「何を言ったか」、「どういうやり方をしたか」というのはずっと思ってて、そしてYOUはオレと同い歳で。
 あれからも3年に一回とかは現場で会うことがあって、いつかオレも、その確執というか、昔のオレのやらかしたことを、「ごめん」ということは言わずに、「なんとかポジティブな方向に持っていきたい」と思ってたんだよね。それも、誰かが招いてくれるんじゃなくて、オレ自身がその場所をつくりたかった。だから、YOUを招いて、「一曲つくろうよ」ってことをしたいと思っていて。
 それで、中目の駅にYOU THE ROCK★と待ち合わせて、居酒屋でがっつり呑んで、、。

●そこに、お2人の顔がわかるB-BOYが入ってきたら、異常事態過ぎます(笑)。

B:それほどでもないよ(笑)。でも特にYOUは、ここ最近いろいろあったから。だからオレは、YOU THE ROCK★って人間がすげー調子よかった時代も知ってるし、世の中みんなそうだと思うんだけど、苦しかったり、孤独になったり、トラブルがあった以降の彼の言葉を、逆に「聴きたい」と思ったの。
 あれだけ楽天的で、あれだけ、陰と陽なら陽のバイブスを振りまいてた男が、現状としてどんな場所にいて、どんな言葉を吐いて、それを一番聴かせたかった。それをその通り、YOUに言ったし。つうか、「お前、まだやってるんだから、オレが場所つくるから、ちょっとそれ証明しろ」みたいな。「オレはお前の客奪ってここまで来たんだから、お前もオレの場所奪うくらいのバース書け」って言ったら、YOUも「やってやるよ、コノヤロウ」みたいな、すごいいい感じで。「じゃあ、ビートはYASにつくってもらおう」って、しかも3人とも44歳で。
 だから、今の20代とかそれこそ高校生も、「バトル」っていうものをやってる。あれはまあ、競技のような一定のルールの下でやってるんだろうけど、オレら実際あの頃、ガチで、命かけて、自分たちのシノギをつくるために意地や誇りをぶつけ合って、そこから20年くらいが経って。
 今までやり続けて、ヒップホップを信じ続けてたら、またこうやって曲つくって、「仲直り」じゃないけど、「再生して、ポジティブにユナイトできるんだよ」っていう風な曲になったんだよね。彼とオレの因縁が。
 その時に、今回のアルバムのタイトルが、一番最初に思い浮かんだね。
 YOUも居酒屋で、「ヒップホップずっとやり続けてれば、こんな日がくるんだね」みたいなことを、酒呑みながら喋ってて。
 「ヒップホップがあったからまた会えたな」って。

●そこでアルバムのタイトルが生まれた。

B:「『IN THE NAME OF HIPHOP』としか言いようがないね」なんて言って。

●そしてサビは、2人で同じリリックを代わる代わる言い合うという。

B:あれは、一瞬だったよ。あのサビはスタジオで一緒につくったから、本当に、すごい一瞬、1、2回のテイクで終わった感じ。

●阿吽の呼吸で。

B:居酒屋での喋りがすでにリリックと同じ感じだったよね。

●別の曲には、「オレは今ピークにいる」というリリックがありました。「常にそういう姿勢でやってるよ」ということでしょうか。

B:今も本当にそう思ってるよ。だって、この44という若さでさ、たっぷり経験は積んでるし、ばっちりだと思ってる。

●しっかり『TOTAL』の先に着地できた。

B:ビートメイカーもラッパーもエンジニアも、全部合わせると20人、それぞれと向かい合って曲をつくったので。その人それぞれと連絡をとって、それぞれとビジョンを共有するというのは結構大変だったけど、「曲を書く」という意味では、そんなに難しくはなかった。

●「実現した妄想」、「やりたい放題、大往生」という言葉もありました。

B:本当にそんな感じで。そんなこと、今の時代を考えると、やりたくても誰もができることじゃないし、「幸運だな」って。だからこそ、「やれることは全部やろう」と思えて、その通りやりました。

●「FREE GAZA」、「FREE LHASA」との言葉もありました。パレスチナやチベット、やはり、ご自分がやられていることと世界が繋がってる意識ですか?

B:常にあるね。新聞読んでれば、誰だってそうなるよ。 

●SEALDsの奥田愛基さんという方が、今日先ほど、参議院であった中央公聴会で「そこからまた始まっていくのです」と発言していました。そして今回のアルバムの中ではYOUさん、BOSSさんが、「俺はこれからだ」と。

B:政治も生活もHIPHOPも、そうとしか言いようがないよね。
 今はデモに出たり、政治に関わったり、反対賛成と、みんなの意見があって、そういう時代。その集約もされてないというか、混沌から生まれるというか、俺的には結論も焦ってないというか。だって、あと2世代も経ったら、日本なんかもっとぶっ壊れまくって、今のアメリカみたいになるんだから。
 そう考えると、「法律」っていうものは確かに一度決められると簡単には動かせないけど、世の中の価値観とか流れは、どっちみちそっちに向いていくとは思う。それをわかってるからお国も締め付けようとしてるんであって、でも流れはどっちみち、今のシステムは破綻する方向にいくと思うよ。オレはそう思ってる。

●基礎、思想、理論、遺書、偉業、理想、希望といった言葉が、ご自分にとってのヒップホップを説明する上でありました。それでもまだ語り尽くせてないヒップホップの要素はある?

B:「IN THE NAME OF HIPHOP」ということに関しては、結構この、特典の曲を含めて16曲に込めたワードで、オレの中ではばっちり体系づけた。これで僕の想うヒップホップは、理論づけることができたと思ってる。

●それを、どこに届けたいですか?

B:オレは門戸を全開に広げてるから、誰でもいい。でもKRUSHさんやYOUとYASとの曲に関しては、あの時代、2000年代前後にヒップホップにはまってた人たちに届いて欲しいと思う。「今もやってる」って意味でも、オレたちみたいな40代中盤になっても、「ヒップホップで歌われるべきことがある」し、「昔のように全てが思い通りにいかないけれど、それでもそれすらもかっこよく歌うこともできる」という、「そこにどうしようもなく負けず嫌いなヒップホップのロマンを感じて欲しい」というのもある。同時に、いつだって、誰だっていいですよ。
 あえて「ヒップホップ」って付けたのもあるけど、レゲエとかパンクとかロックを聴く人にとっても、ヒップホップにも色んなかたちがあるけど、「今の日本のヒップホップはこれだから」みたいなこともある。「ヒップホップっつったら、これ」。「まず、こっから入りなよ」みたいな。それはもちろん、今回一緒にやってくれた人も含めて。

●アメリカのアルバムでも、たぶんここまで真っ直ぐなタイトルは、なかったかと。

B:そうだよね。オレも一瞬、こんなタイトルを付けることにビビッた。でも、44の「この若さだったら付けられるな」と思った。

●若さ、、

B:この「若さ」だから、「それくらいのテンションで行けちゃうな」って。ヒップホップの中じゃあベテランだけど、44歳だよ。ボブ・ディランとかの視点から見たら、超ガキ(笑)。逆に、だからこそ、「そんなことドサクサで言えるのは、今しかない」って思ったんだよ。