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Gladstone“Gladdy”Anderson
スカ〜ロックステディ時代から活躍するジャマイカ・ミュージック・シーンの生き証人、ゴッドファーザー・オブ・レゲエ・ミュージックと称されるベテラン・ピアニスト&シンガー。スカタライツやスーパーソニックスでピアノを担当する一方、フェデラルやトレジャー・アイルで多くのスカやロックステディをレコーディングした。シンガーとしても多数のレコーディングがあるが、ストレンジャー・コールとのデュエット「Just Like A River」は有名。72年にリリースされたファースト・アルバム『It May Sound Silly』は、87年に『Caribbean Sunset』というタイトルで日本盤としてOVERHEATからリリースされた。同年に初来日し、MUTE BEATと共演。88年には4thアルバム『Caribbean Breeze』をキングストンで石井と共同制作している。 |
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Lloyd Parks
48年ジャマイカ生まれ。ウェントワース・バーナルとターマイツを結成し、スタジオ・ワンからアルバム『Do The Rock Steady』でデビュー。その後はソロをはじめ、75年に結成した自身のウィ・ザ・ピープル・バンドでデニス・ブラウンのバックなどを務めた。今回はベーシストとしてレコーディングに参加。 |
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Lynn Taitt
トリニダード・トバゴ生まれのギタリスト。自身のバンド、リン・テイト&ジェッツで発表した『Rock Steady』が有名。もちろんこのアルバムもグラディが参加。ロックステディの名演の陰には必ず彼のギターがあった。今回はオリジナル曲を含め3曲レコーディングした。エンディングで流れる「Under The Hellshire Moon」はこの映画のために作られたオリジナル。 |
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Clive Hunt
52年ジャマイカ生まれ。ミュージシャン&プロデューサー。クラシックを学んだ数少ないレゲエ・ミュージシャン。代表作にはジョー・ギブスでのデニス・ブラウンのアルバムやアビシニアンズの『SATTA MASSAGANA』などが挙げられる。ジミー・クリフの「I Can See Clearly Now」を手がけたことでも有名。 |
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Steven Stanley
数多くのアーティストのレコーディングとトラック・ダウンを手がけてきたジャマイカのトップ・エンジニア。アイランド・レコードのコンパスポイント・スタジオ(バハマ)でのキャリアもありインターナショナルなセンスを持つ。ペントハウス・レーベルやエクスターミネーター・レーベルなどでの大ヒットで彼の活躍をみることができる。日本のMoominやPushimのミックスも手がけている。 |
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Leroy Sibbles
ロックステディ期に活躍していた人気コーラス・トリオ、ヘプトーンズのリード・ヴォーカリスト。スタジオ・ワンから数々の名曲を発表し、人気・実力・セールスともに群を抜いていた。70年代中期からはソロ・シンガーとして活躍中。石井とは80年代中期にリリースした日本盤『ON TOP』が出会い。今回の撮影では、ヘルシャー・ビーチでギター片手に「I Shall Be Released」や「Fatty Fatty」を披露。 |
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Bob Andy
44年ジャマイカ生まれ。パラゴンズのオリジナル・メンバー。脱退後はマーシャ・グリフィスとのデュエットやソロで数々の名曲を残した。ソロでの代表作はコクソン・ドッドの下での『Song Book』。OVERHEATとは、84年にリリースした『Friends』からの付き合い。 |
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Winston Riley
44年ジャマイカ生まれ。元テクニークスのリーダーでもあった彼は、そのグループ名を自分のレーベルに残しプロデューサー兼レコード・ショップのオーナーとして活躍している。スーパー・キャット、ブジュ・バントンなど多くの大物アーティストをプロデュースしている。 |
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Gregory Isaacs
50年キングストン生まれ。シンガーの中では珍しくスタジオ・ワンでの経験はなく、自身のプロデュースで70〜80年代に多くのヒットを放った。天性の甘い声でミスター・クール・ルーラーと呼ばれ、多くのアルバムを残し庶民からの信望も厚い。今年(06年)も来日した。 |
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高津 直由
全国に熱狂的なファンをもつ、伝説的な日本のスカ・バンド、デタミネーションズのパーカッショニスト&ヴォーカリスト。デタミネーションズは、OVERHEATから『Full Of Determination』『This Is Determination』の2枚のアルバムをリリースしている。 |
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John Holt
47年キングストン生まれ。ファースト・シングルは63年、レスリー・コングのビヴァリーズ・レーベルからの『I Cried A Tear』。65年〜70年はパラゴンズのメイン・ヴォーカルとして多くのヒット曲を放ち大活躍。「Tide Is High」は80年にはアメリカのブロンディがカバーし全米1位の大ヒット。現在は日本の某アルコール飲料のCMにも使われ未だに広く聴かれている名曲。 |
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Bobby“DIGITAL”Dixon
キング・ジャミーズのエンジニアとして働いていたが、87年に独立し、自己のレーベル、デジタルBを発足。シャバ・ランクス、ニンジャマン、ココ・ティーなど多くのアーティストを手がけ、次々とヒットを放つ。90年、世界に先がけていち早く『Best Of Digital-B』を日本でシリーズ発売したのが石井だった。 |
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U-ROY
42年キングストン生まれ。キング・タビーのシステム、ホーム・タウン・ハイ・ファイのDJとしてスタート。70年に「Rule The Nation」「Wear You To The Ball」などのシングルをヒットさせ、トースティング・スタイルによるレゲエDJを確立、多くのフォロアーを生んだ。今なお進行形の伝説のDJ。今回はこの映画のために新たに「Rule The Nation」を再レコーディング。 |
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Yellowman
60年生まれ。先天性色素欠乏症というハンディキャップを背負いながらも、ウィットと機知に富んだ歌詞で多くの聴衆を喜ばせスターダムに昇りつめた。アメリカのCBSからアルバムをリリースし、レゲエに“DJスタイル”があることを世界中に広く知らしめた。OVERHEAT主催のコンサートで来日経験もある。 |
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Noel“Scully”Simms
本名Noel Simms。パーカッショニスト。50年代にはスカリー&バニーのシンガーとして活躍していた。2004年には、Johnny Mooreと共に“JAMAICA ALL STARS”というバンドでフジロックに出演している。 |
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King Tubby
41年キングストン生まれ。89年没。60年後半にタビーズ・ホーム・タウン・ハイ・ファイを興した。その後スタジオも完成し、エンジニア、プロデューサーとして活躍。ミックス・ダウンの最中に、ヴォーカルや楽器の音を抜き差ししたり、ディレイやリヴァーブをかけたりしてDUBを発案した。石井の提言で88年にMUTE BEATのDub Mixを行う。映画では、貴重な姿を見ることができる。 |
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Johnny Moore
スカタライツのトランペッター。スカタライツは単なるバックバンドにおさまらず、次々とバンド名義でアルバムを発表。しかし、トミー・マクックとドン・ドラモンドが商売敵のレーベル、トレジャー・アイルへと移籍してしまい、スカタライツはシーンから姿を消すことになったが、彼らの残した素晴しい音楽は今なお世界中に深く根を下ろしている。今回の映画では、インタビューだけでなく高津直由のレコーディングにも参加した。 |
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Carlton Manning
カールトン、ドナルド、リンフォードのマニング3兄弟からなるコーラス・トリオ、カールトン&ザ・シューズのメンバー。『Love Me Forever』 『This Heart Of Mine』など、歴史に残る名盤を発表。95年には新作『Sweet Feeling』を、02年には『Music For Lovers』をOVERHEATから発表している。多くのファンが、彼らの繊細で美しいコーラス・ワークを絶賛している。 |
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Alton Ellis
キングストン生まれのロックステディを代表するシンガー。スカの名曲「Dance Crasher」や「Rock Steady」などのヒットを続発。R&Bやソウルの影響が色濃い多くのヒット曲が生まれた。“ミスター・ソウル・オブ・ジャマイカ”の称号をもつ。 |
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Stranger Cole
スカ、ロックステディ時代のヒットメーカー。スカからレゲエまで、幅広く歌い上げた。「Ruff And Tuff」や、グラディとのデュエット曲「Just Like A River」がヒットした。この映画のサントラでは「Home Home Home」と「Just Like A River」を聴くことができる。 |
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Cleveland“Clevie”Brownie
本名クリーヴランド“クリーヴィ”ブラウニー。フレディ・マクレガーのバックを務めるスタジオ・ワン・バンドなどのドラムを担当していたが、70年代後期にはスティーリィと共にスティーリィ&クリーヴィというプロデュース・チームを結成し、ジャマイカだけでなくアメリカの仕事もこなす。このころのヒット曲のほとんどが彼らの演奏によるトラックである。95年の初来日コンサートはOVERHEATが行う。 |
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Rita Marley
ボブ・マーリィの妻であり、ウェイラーズにコーラスとして参加したのちにアイ・スリーズを結成。シングル「One Draw」は有名。ソロシンガーとして「Pied Piper」などが大ヒット。現在はタフ・ゴング・スタジオやボブ・マーリィ・ファミリーをマネージメントしている。 |
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Dean Fraser
サックス・プレイヤーの傍ら、ソニー・ブラッドショウのもとで音楽ビジネスを学ぶ。その後、ロイド・パークスのバンド、ウィ・ザ・ピープルに参加し、デニス・ブラウンのバックなどで活躍。78年には初のアルバム『Black Horn Man』をリリースした。現在でも多層に渡るファンの支持を得て活躍している。 |
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Anthony Red Roze
「Tempo」のヒットで知られる人。アントニー・マルヴォとレーベル、オユフィセダ?を立ち上げ、シンガーとしてもプロデューサーとしても絶対的ポジションを築く。現在はRegga dejeyというレーベルを主宰。テリー・リネンのプロデューサーでもある。 |
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Owen“OB”Brown
ジャマイカでもトップクラスの人気を誇るキングストンのラジオ局、RJR(Real Jamaican Radio)のプレゼンター・プロデューサーの肩書きをもつベテラン・ディスク・ジョッキー。OVERHEAT主催の「レゲエ・スーパー・バッシュ」のMCとして3度の来日を果たす。 |
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Lynford“Fatta”Marshall
スライ&ロビー、スティーリィ&クリーヴィというジャマイカを代表するトラック・メイカー、プロデューサー・チームのミックスを担当。90年代に一気にエンジニアとして頭角を現す。バルビー(エンジニア)とともにFat Eyesというレーベルも持ちプロデューサーとしても活躍中。 |