ART

ORIENTAL ELEMENTS 2 TOKYO TOSHIKAZU NOZAKA x USUGROW

 
   

Text by Taku Takemura(竹村卓) Photo by Yoshifumi Egami ,Miki Matsushima

2013年11月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

スケートボーダーであり彫師、そしてアーティストとして活動する野坂稔和。パンクやハードコアバンドのジャケット、フライヤー、スケートボード、ファッションブランドなど数多くのアートワークをはじめ、グループ展のキュレーションなども手がけるアーティストのUSUGROW。この二人が「ORIENTAL ELEMENTS 2 TOKYO」と題し、東京のGALLERY COMMONで二人展を行なう。スケートボードやハードコアなどの世界で名が知られるが、彼らの作品からは日本の美しさが感じられる。そんな二人に今までのこと、展示のこと、そしてこれからのことを聞いた。

●二人の出会いは?

野坂(以下野):当時、たしか19才だったときに下北沢にあったスケートショップ、バイオレントグラインドにUSUGROWが電話してきて、「野坂くんいますか?」と。19才の時に会ったこともない18才のヤツからインタビューしたいって言われて、すごい度肝を抜かれた。そのあと手紙とファックスでインタビューをして。手紙ですよ。なんかいい加減な自分が出ちゃったなって。

USUGROW(以下U):そんなことないですよ。すっごく字が綺麗で。ビシッっと書いてあって。ものづくりのこととか絵のことやその時にやっていることを聞いたんです。当時フリーペーパーを作っていて野坂さんにインタビューしたかったんです。

●野坂くんのことはどうやって知ったのですか?

U:当時は福島に住んでいて、なかなか東京に出てこれなかったので。雑誌を見たりとか、よく通っていたお店で野坂さんのことを知って。フリーペーパーの内容は地元のバンドのライブ情報とかも載せたり、あと絵とか載せたり。

野:でもそれから実際に会うのは10年後くらいなんですよ。でも、いつ出会っていつ頃からちゃんと話すようになったのかまったく覚えていなくて。

U:オレは野坂さんが何かをやっているときは影ながらチェックしていました。

野:自分の絵のショーをやるようになったのが10年くらい前だったけど、2回目のショーを中目黒でやったときくらいからよく話すようになったんだ。本当にこの10年くらい。だから20代の10年間は会ってもいないし連絡もとっていなかったね。

U:フリーペーパーをやったりしていた10代の時は自分の意識が完全に外に向いていたんです。そして20代になってからは逆に自分のことだけを見るようになって。

●それは自分の作品作りとか?

U:そうです。作品作りとかバンドのこととか。10代の時は社交的だったんですけれど。

●野坂くんは彫り師をやっていて自分の作品を発表するようになったのはいつ頃から?

野:30才になってから。絵は描いてはいたんだけど、僕の場合、20代の10年間は彫り物の世界で仕事していたんで。その10年は彫り師として時間を使っていた。だから地方へ彫り物の出張に行っていました。それがひと段落ついて、これからは日本の彫り物の世界も変わってくるんじゃないかなと思って、絵も頑張ってみようと。僕はスケートボーダーでそのあと彫り師になったんで、まずはスケートボードの展示と彫り物の展示をそれぞれ発表して、絵の展示はそれからにしたいなと勝手に決めて。とりあえずは僕を知っている人たちにスケーターとしてのルーツや表現と、彫り師としての考え方をそれぞれ発表してから絵描きとして作品発表ができるようになりたいなと思ったんです。

●USUGROWさんは?

U:最初はレコードジャケットとかフライヤーから始めて、それをずっとやっていて、10年くらい前に東京に移ってきて、それからですね、ギャラリーとかで展示するようになったのは。野坂さんが展示をするようになったときと同時期くらいに個展をやって。それまでずっと絵で食ってきていたんですけど、東京に来てから1年間だけ仕事に就いて働きながら趣味で絵を描くという生活をしたんです。その1年間だけというのが大きかったんですよね。

●絵で食べていくって大変。絵を仕事として受けるということも簡単ではなさそうですね。

U:基本的に自分の絵が好きで頼んでくれる人がほとんどなんですけれど、それでもちょっと疲れちゃって、一度趣味として絵を描いてみようと1年間は仕事をしながら絵を描いていたら、楽しく絵を描くことをちょっとずつ思い出せたしリフレッシュしたんです。そんなときスケートしてて脚の骨を折っちゃったんです。

野:スケートで脚折ったっんだ。スケーターとしたらそれって勲章じゃん(笑)。

U:それどころじゃなかったんですよ!仕事ができなくなって家賃とか大変で。その時にいろいろ気持ちも柔らかくなった分、また外のことがちゃんと見られるようになって、そしてもう一度絵でやっていこうって。

●そんな二人が10年越しで話すようになったのは?

野:10年前は絵を描いてアートショーで作品を発表している人って多くなかった。そのときお互い考えている方向が一致していた時期だったんだと思う。だからよく話すようになったし、彫り物の話しとか絵の話しとかをするようになった。オレもずっとひとりでやっているし、USUGUROWもとても独立した人だから、そういう部分で歯車が合うようになったんだと思う。そして5年くらい前にスタジオをシェアしてみようという話になった。そのあたりからアートショーで海外を一緒に廻ったりもすることもあったりして。

●スタジオをシェアするきっかけは?

野:住んでいるところが近所だったから。

U:ギャラリーとかで作品を発表するようにもなって自宅だと手狭になったんで。

●今回ふたりでこの「ORIENTAL ELEMENTS 2 TOKYO」をすることになったきっかけは?

野:2011年にメルボルンで二人のアートショーをやってたんで、今回また二人でショーをやろうと。今まで4年間二人でスタジオをシェアしてきて、そろそろまたセパレートしようという話になったけど、4年間も一緒にいたから別々になる前に何か形になることをやりたいねということになって。メルボルンでやったときのタイトルと同じ「ORIENTAL ELEMENTS」が、いろいろ考えた結果、それに「2」が付いた。メルボルンの人たちが見た時に自分たちの作品を表わすタイトルはなんだろう?って考えてこのタイトルになったんだけど、結構気に入っています。メンバーも同じだし、今回もこのタイトルでいこうとなった。

●シェアしているスタジオってどんな感じ?

U:お互いの部屋とリビングがあります。

●お互いにどんな会話をするの?

野:話すときはすごく話すけれど、会わないときは週に1、2回くらいしか会わない。基本的に僕が昼でUSUGROWが夜の人間なので。僕は朝の9時に来て夜の6時でぴったりに帰る人間なんですよ。夕飯の支度あるんで、みたいな。USUGROWは夜からエンジンがかかってきて朝の10時くらいまでやっている感じだよね。

U:そうですね。昼くらいに起きて3時くらいにスタジオに行って、ああでもないこうでもないって言いながら朝になっちゃいますね。野坂さんが、朝来る頃にはおかしなテンションになっちゃっていることが多いですね。

野:簡単に言うと、僕がうるさい太陽でUSUGROWは静かなお月さま。

●それって作品にもあらわれているかもしれないね。

野:僕もスタジオに籠もって描いているのも好きなんだけど、でもそれをずっと続けるのは無理なんですよ。体が苛ついちゃってダメ。すぐ飲みに行っちゃうし。

●ひとりで描くときと二人で同じキャンバスに描くときの違いは?

野:ライブペイントの時はいくら打ち合わせしていても、最初に一筆を入れた人に引っ張られるんですよね。誰が始めに一筆いれるか?みたいな。結局はそれを中心にどうやって自分のスキルを表現していくのかっていう感じになりますね。バトルではないんですが、より上手にかぶせてお客さんに喜んでもうらか、みたいな。逆にアートピースでは一緒に描いたことはなくて、僕が描いて渡して、重ねてもらって、またそれを戻してもらってまた描き加えて、それをまた最後仕上げるみたいな。2往復くらいして完成させる感じですね。

●二人がスタジオをシェアしていて、その二人がアートショーをするってなんか分かりやすいし気持ちの良い展示ですね。

野:二人の生活を見るとまったく行動も別だし、タイプも真逆。本当に月と太陽。例えば1年の間に二人で飲みに行ったことも1回あるかないかだし。だけど時々夜とか一緒の時間に話しをすると、やっぱり同じ惑星から来ているんだなっていう感覚があるんですよね。他の人から見られるイメージは、ハードコアが好きとか彫り物をやっているとか、パンクバンドのジャケットの絵を描いているからそういう感じの人に思われることが多いんだけれど、実はふたりとも全然そのイメージと違っていて、ものすごく綺麗な物が好きで、純粋に美しい物を追求しているし、僕も日本の彫り物とかが美しいと思ってやっているので。ストリート・アートっていう言葉が使われるようになって、そういう感じに見られることもあるけれど自分はそういうつもりでやってきたことはないしね。

●そうなんですね。作品を見ているとその感じはわかります。野坂くんからみたUSUGROWさんはどんな人?

野:修行僧だね。横文字でいうならインク・モンスターっていう感じ。まだそのことを考えていて、まだそれを追求したくて、まだ寝ていないんだ!っていういうくらい徹底的に追求している。本当に痕つめている人だね。だから彼はたぶん机の上でラフスケッチしたペンを持って描きながらバタッって死ぬんだろうなーって思っている。毎朝スタジオに来るたびに死んでないかっ、大丈夫か?って確認しちゃうくらい(笑)。本当にすごいですよ。

U:さっき言ってましたけれど、野坂さんはハードコアなイメージに思われることが多いんですが、でも本当はナイーブで破天荒のように見せているけれど、ちゃんと手順を踏む品の良さというのが作品によく現れていると思います。良いことを言ってもらった後にこういう話しもなんなんですが、僕は結構適当なんです。画材の話しとかしていても、野坂さんは「ここはちゃんと下地を作らないと」とか言ってくれるんですよ。手順を踏むんです。それって伝統を守る人とか、そういう意識がある人にとっては不可欠なことだと思うんです。そういう意味で品があるんだと思います。彫り物の話になっちゃうんですが、あまりタトゥーアーティストが描く絵とかには興味がなくて、それは絵に対してなにかが欠落しているような気がしちゃって。でも野坂さんの描く絵が他の人と違うのはそういう基本的なことがちゃんとできているからなんです。

野:そんなに言われると今回もその手順を踏めているかどうか、プレッシャーになるね。頑張ります。

U:つい合理化で飛ばしてしまうことをちゃんとやる人なんです。

野:自分のあこがれがどこにあるか?ということだと思う。ストリートのグラフィティとかに憧れた人は初めからそういう手順を求めるだろうし、僕が美しいと思っているのは江戸末期から明治にかけての日本画だったり、絹本という絹に描いた掛け軸だったり、そこにすごく日本の極みを感じるんです。一生かけてなれるようなレベルではないんですけれど、そこに憧れているんです。

●じゃあそこを目指そうとするとその人たちがやってきた手順を取り入れるのは自然のことですね。

野:まったく同じ物をつくろうとは思っていないですが、誰のおかげで今、絵を描いているのかって考えると自分のオリジナルなんてなくて、エッセンスをいただいた人が何人かいる。そういうのは逆に明確にした方がいいんですよね。誰々さんがやっていて、それはこういう意味合いがあるから必要なんだって。

●お互い実際に制作しているとこを見て感じたことって何かありますか?

野:USUGROWの作品を見て感心したのは、この点描で修正ペンを使わずに描ききる為に、どのくらい下絵を描くんだろう?って興味があったんだけど、やっぱり下絵にすごい時間を掛けているんですよね。陰とかを永遠に描いている。それは本当にすばらしいと思いましたね。さすが出会った時から絵一本でやっている人だなって。20数年にわたる成果なんだなって。全ての動きに無駄がないレベルに彼は達しているんです。僕は彫り物は長いけれど、仕事として絵で食べていこうと思ったのは最近なので未だに悩むことが多いです。

U:僕はまったく反対のこと考えていて、下書きをたくさん描くのがとてもイヤで。感覚でいきたいって思っているんです。それを野坂さんはやっていて、「そこはパッションだからっ」って(笑)。そういうところとか、お互いないに惹かれるんだと思いますよ。

●ふたりで制作していて難しいところ、楽しいところってありますか?

野:展示をするとき、一緒に設営するじゃないですか。その時ふたりの性格が良くわかる。僕はササッと目検討でやっちゃうんです。30分とか1時間くらいで。パパッとやって「ヨシ、終わり。飲みに行こう!」ってなるんですよね。だからどちらかというとスケートボーダーっぽい感じなんです。だけどUSUGUROWはキチッっとやる。だいたい飾る前にどこにどの絵を飾るのかを想像している。

U:僕はとにかくダラダラしちゃいますね。

野:ひとつの物事をどう捉えるのかというのが違うだけで、向かっているところは同じなんですよ。でもスケートボードって人の見ていないところのカゲ連が重要で。イザという場面があるじゃないですか。アイツの前で一発メイクできるのか失敗するのかっていう。そこにかかっているんです。スケートボードの大会にもずっと出ていたから、ずっとそういう感覚があるんですよね。絵も普段から何もしないように見えても僕は図書館に行って、こっそりコピーした一部分を家に持ち帰って、描き写したりとか。そういうことなんです。

●同じ方向を向いているけれどとらえ方が違うんですね。お互いにやっていて難しかったことは?

野:ないですね。お互い干渉しあわないですから。例えば僕が設営し終わって、USUGROWのを手伝えるところもあるんだろうけれど、その必要すらないみたいな。「じゃあ、自分のところ終わったんで飲みいってきます」「あっ、どうぞ」で終われるんです。

U:ある程度年齢を重ねてきて、自分を守るべきところと相手にあわせられるところがちゃんと分かっているので。今までひとりでやってきたのは、そういうことを分かっている人がいなかったからなんです。お互いに甘えなくて大丈夫。それぞれが独立しているのが良いんです。それって僕が何かを誰かとするときの最低条件。どちらかというと人と何かをやるのが苦手なタイプなので。シンガリストといって僕の他に4人のアーティストとショーをやったり本を出したりしたことがあるんですが、その時もそういう人だけを集めてやりました。ちゃんと独立している人とじゃないとやらないです。仕事の仕方、人との接し方とかちゃんとしている人とやりたいんです。

●じゃあその場になってああだこうだってないんですね。

野:4年くらい一緒にいても喧嘩することもなければ不満に思ったこともないよ。オレは…。

U:僕はちょっと寝起きが悪くて…。

野:あっ、あったね。朝スタジオで。朝の挨拶くらいちゃんとしろって。でもよく考えるとそれって違ったんだよね。USUGROWの中でその時間は朝じゃないから。夜中からずっとやっていてテンションがおかしくなっているときで。自分は朝の9時とかに自転車で来て「おはよう!」って大声で言っちゃうんで。(笑)迷惑かけていることはいっぱいあるんですよ。ベロベロに酔っ払って、「昨日見た夢がこんなので」って絡んだりして。描かないといけないのに、酔っ払いの夢の話しに付き合わせちゃったり…。3回に1回くらい強烈に歯車が合う会話があるよね。

U:ありますね。そういうときはやばいですね。

●さて、今回の展示のテーマはなんですか?

野:ある意味でライバルでもあるし。目標でもある人なので。お客さんに見ていただく為のショーなんですけれど、4年間一緒にスタジオをシェアしてきたおかげでこういういう作品ができたよ、というのを逆にUSUGROWに見せたい部分もあるんです。

U:制作途中とかを見たことはあるんですけど、こうしてギャラリーに飾られた作品をパブリックなところに並べて客観的に見たいですね。

野:個人的には二人でやってきた4年間の一区切りという思いでやってみたい。4年の記しにしたいんです。僕とUSUGROWの両方の絵が好きという人もいるし、そういう人達に対しても二人でこういう作品が生まれたんだっていうのを見てもらいたいです。

●今回ショーをやろうと言いだしたのは?

U:僕が今年の正月くらいに、仕事場を移したいということを言い出して。来年からいろいろ変わることもあるので、それだったら最後にやろうと。常に淡々といつも通り見せたいです。野坂さんとの作品をちゃんとギャラリーに並べて客観的に見たいですね。お互い正装して。

野:結局のところ、毎月こなさないといけない仕事をこなしながら、寝る時間を削って作品を作らないといけなくて。今年はいろいろあって本当に大変だったんです。良くも悪くも追い詰められた状況で、どんな物が生まれるのかというのも実力次第じゃないですか。それが20年後30年後にあのときのショーはこんなんだった、みたいに思い出せたらいいなと。記しになると思っているので。未来の自分に対して恥ずかしくないくらい突っ走っていこうと思っています。

U:たぶん僕たちが何か変わる直前のお記しなんだと思います。シェアしている間に地震があったり色々なことが起こりましたから。お互いの生活もあったし、この4年間本当に清々しく生活できたかというと、実はそういう事より悩んだり、考えたりそういう事ばかりでしたから。

野:あったね。

U:そういう時期だったんだです。そうだったからひとりでこもって考えてるんじゃなくて違った人といることで、自分にはないアイデアをお互いに取り入れたりして新しいビジョンが見えたりしました。僕にとってそういう時期だったんだって思います。地震の後とか本当にいろいろ考えました。

野:結局話し相手がいるのが良かった。本当のことを話せる人が少ないから。

U:世の中的に色々あった時期に色々話せたことは本当に良かったと思います。もちろんこういういきさつを知らない人でも楽しめる作品を作るというのも当たり前のことですけれど。

野:今が一番良くも悪くもピークだと思って生きているので。