STREET

Todd Francis

 
   

Inteview by Yosuke “CB” Ishii Photo by Masataka Ishida

2018年5月にRiddimOnlineに掲載されたインタビューです。

HUF原宿店のオープニングでトッド・フランシスが来日。あのAnti Heroのイーグル・ロゴのデザインやKeith Hufnagelとの出会いについて聞いた。

●昨年全米をツアーしたアートショウ”Worst of the Worst”はいかがでしたか?

Todd Francis(以下、T):とっても楽しかったよ。色々と準備が大変だったけど沢山の人が来てくれたし、とても良い時間が過ごせたよ。すごく価値あるものだったと思う。ニューヨークから始まったんだ。ブルックリンのHouse of Vansで開催したんだけど、H09909(ホラーと読むらしい)のバンド・プレイも素晴らしかったし、とても大きなイベントだった。その後はバンクーバー、サンフランシスコと周り、最後はロサンゼルスのShepard Faireyが所有しているSubliminal Projectsというギャラリーでやったんだ。僕が今住んでいるのはロサンゼルスだから、僕の家族や古くからの友人も集まってくれて、彼らはあまり僕の作品を見たことがなかったから、それも最高だったよ。

●そこではアートは販売していたのですか?

T:過去のアーカイブのデッキも展示はしていたけど販売はしなかった。だけどそのショウの為にAnti Heroから以前出したJulien Strangerのデッキで犬が警官の顔に噛み付いているK-9というモデルだけは150本だけ作って販売したよ。オリジナルアートもきちんとフレームして、いくつかのペインティングを販売したよ。オリジナルのAnti Heroのアートグラフィックは買えたんだ。

●羨ましい!!最近は誰と仕事をする事が多いですか?

T:Anti Hero, Vans, HUF, あとは雑誌のPenthouseには挿絵を送ってるよ。それ以外でも小さい仕事は定期的にあるけどね、最近はEmojiカンパニーのEmoJamというアプリとも仕事してるけど、メインは最初に挙げた4つのブランドかな。

●DLX Distribution(サンフランシスコにあるAnti Hero, REAL Thunder, Krooked, Spitfireを抱えるスケートボード・ディストリビューター)で働き始めたきっかけは?

T:カレッジを卒業した後にサンフランシスコに引っ越したんだ。それが1993年でDLXが人材を探していると耳にして、自分のポートフォリオを握りしめてDLXへ車で行って採用してもらった。まあ最初はたいした仕事じゃなかったけど商品の制作アーティストで、それ以来ずっとやっているね。もうすごく昔の話みたいだよ。

●Anti Heroの、あのイーグルロゴはどのように生まれたんですか?

T:ちょっと笑える話なんだけど、Anti Heroがスタートした時にはすでにいくつかロゴがあったんだ。その頃はボードのグラフィックの方が優先で、Anti Heroにとってロゴはあまり重要視していなかった。いくつかロゴはあったけどハマってるってほどじゃなかった。そこにピジョンのロゴが生まれて僕たちは凄く気に入っていた。だけど残念なことにあまり売れなかったんだ。Anti Heroはまだ1歳にも満たない時期だったし、スケートボード業界もまだ小さなものだったからね。だから当時のDLXの社長だったJeff Klindtは、REALとAnti Heroが合同でツアーに出かけて、彼らが留守にしている時にアートルームへやって来て「ピジョンはやめろ、もっとタフでアメリカを象徴するようなもので、デッキにうまくハマる新しいロゴを考えてくれ」と言ったんだ。それでタトゥーの本などを見たりして94年か95年にあのイーグルに行きついたんだ。

●それじゃあ基本的にはToddのアイデアということで良いのかな?

T:うん、まあ、そうだね。でもJeffがタフなモノって言ってきたからでもある。典型的な愛国心を現すイーグルではなくてもうちょっとタフでタトゥーっぽくてバイカーっぽいイーグルになったね。

●イーグルとピジョン以外では他にどういう候補があったんですか?

T:ひとつは炎と水がミックスされたロゴとか、タトゥー・タッチの海賊船の帆にANTI HEROと書かれているものだったり、あとは自分で自分の顔にパンチを入れているものだったり、見ざる聞かざる言わざるの三猿を書いたり、スーツにネクタイを締めたビジネスマンなんだけど歯がないものとかね。それはデッキにはとてもフィットしていたんだけどTシャツのデザインには合わなかった。でも当時は本当にロゴに関しては全然気にかけていなかったから正式なロゴが決まるまでは時間がかかったんだ。

●Anti Heroはブランドが立ち上がった当初からChris JohansonやJef Whiteheadのデッキを出していたと思いますがそれらは誰のアイデアだったのですか?

T:Julien Strangerは彼ら2人と仲が良くてJef Whiteheadが初めてAnti Heroのデッキをやった時はJefがタトゥー・アーティストとして名前が知られるようになる直前で、Chris JohansonにしてもAnti Heroのデッキをデザインした時はアーティストとして有名になる前の話しだよ。僕が彼らから送られてきたデザインをどのようにデッキに落とし込むかを話し合いながらやったんだ。でもそれが終わったら次に何か他のものをやらなきゃいけないって事になり、もうアーティストにもギャラが払えないから社内でやるしかなくて必然的に僕がやる比率が上がっていったんだよ(笑)。

●それでは定期的にJulien StrangerとAnti HeroのアートディレクターのNovakとミーティングをしたりするんですか?

T:NovakはもうAnti Heroでは働いていないんだ。いまは新しい人になってその人も素晴らしいよ。僕たちはビジネスマン的なミーティングじゃなくて、だいたい僕とJulienは電話で話すだけだね。僕が描いた落書き程度の下描きを送ったり、Julienにアイデアが浮かぶと電話をかけて来たりっていう基本的にお互いのアイデアを投げ合ってるだけだね。だけど今は商品数も多いから2人のやり取りはとても多いよ。2〜3日に1度は必ず連絡を取り合ってる。だいたいは僕の落描きから始まってそれをJulienが膨らませていく。Julienはとてもクリエイティブでアイデアも素晴らしい。Julienと働くのは大変なのでは?と思っている人も多いと思うけど「これはダメだな、これはもっとこうした方がいいなとJulienがはっきりと言ってくれるからとてもうまくいってるんだよ。

●99年にLAに引っ越してGiant Distribution(90年代にNew Deal, Mad Circle, 411 Video Magazine, Mad Circleなどを抱えていたディストリビューター)で働きましたよね?そしてまたAnti Heroと働くようになりましたが経緯は?

T:結婚して子供ができるからLAに戻ることになって、もうスケートブランドのグラフィックはやらないだろうなと思っていた。でも僕の友人のNatas Kaupasがその時にGiantで働いていてNew DealやElementのグラフィックをデザインしていたんだ。それで彼が僕をGiantに誘ってくれて彼と仕事を数年やったんだけど最高に楽しかったね。でもNatasはQuiksilverからクリエイティブ・ディレクターのオファーを受けて移ってしまったんだ。でもGiantもアーティストが必要だったから僕はElementのハードグッズのアートディレクターになり4年間フルタイムで働いていたよ。そして僕の給料が高かったのか、働く姿勢が悪かったのか(笑)必要ないと突然切られた。首を切られた日、車を運転して帰っているとJim Thiebaudから電話がかかってきたんだ。「Todd聞いてくれ、君に戻ってきてもらいたい。Anti Heroが君を必要としている、僕らも君を必要としている、戻ってきなよ」ってね。
 アーティストという仕事はとてもハードで生活も安定もしない。だから僕はその時は正直怖かった。今までスケートボードのデザインの仕事でずっと生計を立ててきた。それに子供もいた。自分が本心からやりたいと思える仕事でなくとも子供を育て住む家をキープするために犠牲にしなくてはいけないことさえあった。だから僕は本当に怖かった。子供を授かるときに子供には苦労をさせないと誓ってこの世に誕生させたわけだ。だからJimが電話をくれた時に僕は泣きながら運転したよね。LAに行っても僕はJulienと常に連絡を取り合っていたしすんなりAnti Heroに戻ったよ、6年前かな。 Anti Heroと物作りをすることは僕にとってもすごく馬が合うしAnti Heroの一部となれてとても光栄だよね。

●今までポリティカル(政治的)なモチーフや残酷なものなどを描いてきていますがそれはなぜですか?

T:僕はPenthouse誌に挿絵を提供しているんだけど、それが楽しい。それはAnti Heroにも同じことが言えるんだ。政治的なモチーフはいつも楽しくやっているし環境問題やこの世界をワルが支配しようとしていることもとても気にしている。僕は学生時代には雑誌や新聞に政治的なことを描くカトゥーニスト(漫画家)になろうと思っていたんだ。でもそれはとても難しい職業だから周囲からも遠回しに止められていた(笑)。だけど今はPenthouseとAnti Heroでそれをやっているわけで、政治的なことはスゴく気になるし、世界がより良い場所になって欲しいよね。

●ということはAnti Heroのグラフィックなどをやっている上でみんなに世界で何が起きているかを考えるきっかけになって欲しいという願いもありますか?

T:もちろんだよ。スケートショップにそういうモノが並んでいるのも面白いことだよね。僕たちみんなの世の中なのに、僕たちのマインドを誘導しようとしている人たちに僕らは見られているんだ。ちょっとクレイジーな感じだけど、これが僕なりの世の中を良くしていく為の方法みたいなものかな。みんなは考えたくないことかもしれないけれどみんなに考えさせるっていうかね。普通ならスケートショップは政治的な判断を下す場所ではないけれど、まあ僕はきっと変わってるんだろうけど、僕にとってはそうだし、物事がより良くなって欲しい。

●それはやっぱりJulienもそう思っているのでしょうか?

T:うん、そうだね。僕というよりはJulienがそういう面白い方法を僕よりも前に思いついていたんだ。僕たちが作っているスケート・グラフィックで世界を変えていくなんてとんでもなくクレイジーだってお互い笑っているんだ。それに世界は変わらないしね(笑)。でもとても面白いチャレンジだと思うよ。人々の声を聞いてどういう風に伝えるかをいつも考えてる。

●あなたが2014年に出した作品集『LOOK AWAY THE ART OF TODD FRANCIS』の中に書いてあったことで、ファーストフード・チェーン店を展開する大企業を揶揄するグラフィック・シリーズをデザインした時に当時のDLXのオーナーの1人であるEric Swensonはもともと政治的なものが好きではなく、そのシリーズは訴えられる恐れもあって良く思わなかったと書いてありました。では今現在、DLXであなたたちの作るプロダクツやアイデアを却下する人はいるんですか?

T:いないね。一番満足させるのが難しい人はJulienと僕だよ。僕たちが一番うるさい。だから良いものが生まれる。大抵の場合はJulienと僕が好きであればそれで十分なんだ。もちろん過去に軽くトラブルになったものもあったよ。先ほどのファーストフードのやつとかね。でもDLXという会社の中ではこういう事をしろというのは無いし、むしろ背中を押してくれるよ。Anti Heroは今とても好調だから、スローダウンするな、もっと色々やれという雰囲気だよ。最高のカンパニーだよ。

●あなた達はウエスト・コーストがベースなのに『LOOK AWAY THE ART OF TODD FRANCIS』はWINSというニューヨークの出版社から出ていますが、なぜですか?

T:彼ら以外に誰も出したくなかったからだよ(笑)。WINSのオーナーがスケートボードのグラフィックにとても興味を持ち始めていてTodd BratrudとMarc McKeeのアートブックも出しているんだ。(注:どちらもスケートボードのグラフィックで活躍)

●Tommy Guerreroがホストを務めるYoutube上でのインタビュー・ショーで興味深い質問があったので、今また同じようなことを聞きたいのですが、あなたにとって触れられないトピックはありますか?

T:う~ん、今は無いかな。多分その時は911に関して犠牲者の数も多いしあの様な破滅的な状況をジョークにする必要もないと言ったと思うんだけど、難しい時期は僕にだってあったし、やり方が正しければそれは公平なものじゃないかなと思う。まあ僕が正しいやり方だと思っているだけで他の人にはそうじゃないことかもしれないけど(笑) 『LOOK AWAY THE ART OF TODD FRANCIS』の本の中で言えば強制収容所の絵があるんだけど、これは多くの人にとって愉快なトピックではないよね。クリスマスカードに強制収容所とサンタを描いて送ったこともあるけどめちゃくちゃ不快だけどすごく面白いと思うんだ。『LOOK AWAY THE ART OF TODD FRANCIS』の中の強制収容所の絵は実はポジティブなんだ。彼らの中には武器を隠し持っていて守衛を殺そうとしている奴らがいるんだ。(表2のページから表3ページに続く絵で)それにすでに1人は殺されていてもう戦いは始まっているんだよ。だからこれは元気が出るストーリーなんだ。強制収容所のジョークを描こうなんて誰かに言おうものなら僕はモンスターか何かと思われるだろうけど、出来上がった絵を見ればそんなに悪くはないなって人もいるね。

●Keith Hufnagelとはどのように出会いましたか?

T:94年にREALのグラフィックを手がけていた時かな。KeithはREALの前にFUNというスケートブランドのライダーだったから名前は知っていたんだ。彼は当時からREALのライダーの誰よりも自分のデッキグラフィックに対してシリアスに考えるからよく顔を合わせていたし、グラフィックに(出身地の)ニューヨークを感じさせるものを求めていた。あれから20数年間、今までずっと彼の活躍を見てきたけど素晴らしいものだと思う。

●HUF Harajukuではピジョンの彫刻がありますが普段から彫刻をやっているんですか?

T:いや、これが初めてだよ。カレッジに通っていた時以来だね。今回のはすごく大きかったから冒険だったね。楽しかったし、仕上がったのを見て最高だなと思うよ。

●期間はどれくらいかかりましたか?

T:ドローイングから始めて、全てのアングルから寸法を出して2ヶ月くらいで完成したかな。建築家になった感じだね。ドローイングは上から下までパーフェクトじゃなくてはいけなかったし。ボートをデザインしていたみたいな感覚だったね。少しずつ修正を加えながら完成したけどスカルプチャーを成形した人たちの方が僕よりハードワークをしたと思うよ。

●なぜピジョンになったのですか?

T:HUF Harajukuはサンフランシスコを現しているからだよ。店の前にChina Banks(サンフランシスコの有名なスケートスポット)もあるし、Keithと初めて会ったのはサンフランシスコだし、僕は今はもうサンフランシスコに住んではいないけど、今もサンフランシスコのスケートブランドのAnti Heroのデザインをしているからね。最初にKeithから大きなスカルプチャーを作って欲しいと頼まれて、僕はAnti Heroではピジョンのスカルプチャーを作ったことは無いし、ピジョンというもの自体も僕が描き続けてきたものでAnti Heroのものではないからと話し合って決まったんだよ。(注:HUFが最初にスタートしたのはサンフランシスコである)

●なぜピジョンを描くのですか?

T:始まりはAnti Heroのロゴのアイデアとして描いたからだけど、Anti Heroがイーグルをロゴとして使うようになって、ピジョンは長い間使われなかった。だけど僕はずっと好きで描き続けていたんだ。ピジョンは面白いけど気持ち悪い。でもそれが僕らを現しているようにも思える。可愛いピジョンもいればブサイクなピジョンもいる。頭のてっぺんが禿げているのもいれば脚が悪いのもいる。そしてピジョンは人間の近くで生きている。彼らの生き様が面白くて悲しくてどこか詩的だと思うんだ。ピジョンを描きすぎかなと思う時もあったけどやめることはなかったんだ。これだけ求められるということは幸いにもピジョンは僕らだけでなく実は多くの人にも意味があったんだけどね。

●サンフランシスコはそれほど大きな都市ではないですが、ThrasherやDLXがあり、シリコンバレー関係のたくさんの企業があります。反対にヒッピーもいたり、ホームレスも多く共存しています。あなたにとってサンフランシスコとは何ですか?

T:僕の人生だね。20代はずっとサンフランシスコで過ごしたしそこで費やした時間が僕を変えさせてくれた。この業界で働くきっかけになり、僕にとってファミリーと呼べるような人たちと出会わせてくれた”家”だよね。Jim Thiebaud, Julien Stranger, Tommy Guerrero, Frank Gerwerなどは仕事としてだけでなく単純に友達として僕にとって重要な人たちだから第二の故郷だよ。